2-3 怒り狂う赤鱗のドラゴン
草を掻き分け、木の枝をへし折り、根や段差に躓いて転けそうになるのを何度も耐える。
とにかく全速力で、ラゥナの声が聞こえた方に向かった。
すると、意外にもラゥナとの距離はそこまで離れていなかったようで、すぐにその現場に到着する。
「グルゥア!」
そこに居たのは、俺より二回りほど身体の大きい、赤黒い鱗の雄ドラゴン。
その大きな身体でラゥナを力任せに組み敷いていた。
「……ゥ、グァァ……」
オスドラゴンの腹の下から、尻尾だけ出した状態のラゥナが苦しそうに呻いているのが聞こえる。
俺はそいつが何をしているかなんて考える前に、助走をつけて思いっきり雄ドラゴンの背中に体当たりをした。
身体が大きいとはいえさすがに俺の体当たりは効いたようで、そいつはラゥナから離れるように前によろける。
「ガア、ガゥア!」
ラゥナ、大丈夫か⁉︎
慌てて仰向けに倒れているラゥナの側に駆け寄って、その身体を前足で抱き起こした。
特に目立った外傷も見当たらず、ありがとう、と言って自力で立ち上がるラゥナの姿を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「ガルグァ、アルル?」
「……クゥゥ、クルル、アルクルルオ」
一体何があった? あいつに何かされたか?
ふう、ふうと呼吸を整えているラゥナにそう訊けば、森から現れたあいつに突然押し倒されてしまい、精一杯抵抗したものの、スタミナが尽きてもう駄目かと思っていたところだったらしい。
本当に間に合って良かった。
しかし、それにしても……。
俺は、殺気の篭った鋭い目で俺らを睨み付けてくるオスドラゴンに目を向ける。
仲間たちの噂を、ちらっと聞いたことがある。
どういう経緯かは分からないが、最近子供を失う親竜が増えているんだとか。
そうなったドラゴンは、無差別に攻撃したり強制的に交尾を求めたりと、手がつけられないほどにやたら暴れ狂うらしい。
恐らくこいつも──。
「グルガアアァ!」
突然、オスドラゴンが走り出す。
つい考え事をしていたせいで、随分と反応が遅れてしまった。
俺はラゥナを奴の突進の範囲外に突き飛ばすと、俺は前足と翼を前に出して防御する。
次の瞬間には、凄まじい衝撃と共に、俺は宙を舞っていた。
「ガッ、ウゥ……」
地面に叩きつけられ、痛みと苦しさに呻き声を上げてしまう。
目の前には、奴にかち上げられた時に折れてしまったらしい、俺の左のツノが転がっている。
なんて衝撃なんだ……こんなの──。
ヒュンッ!
「ガハッ」
立ち上がろうとしていた俺の横腹に、地面ごと抉るオスドラゴンの右前足が襲いかかった。
身体が軋む音と共に再び空中に投げ出され、そして地面に衝突する。
横腹はもちろん、咄嗟に構えていた右の前足にもしっかりと引っかき傷が刻まれていた。
だ、駄目だ、一回体勢を──
ブゥン!
「グ……ァゥ」
地面に倒れたままの俺を、今度は体重を乗せた尻尾で弾き飛ばす。
何度も地面を転がり、ようやく止まったかと思っても、奴の攻撃を連続でまともに食らったせいで身体に力が入らない。
頭もくらくらとしていて、気を抜くと意識が飛んでしまいそうだ。
正面からぶつかって、勝てる相手じゃない……。
防御に使った右前足や腹の傷から垂れた血が、地面にシミを作っていくのを眺めながら、かろうじてそんなことを考えていた。
「ガァ……! グルルガオォ!」
再び聞こえるラゥナの声に、なんとか顔を上げる。
攻撃が止んだと思っていたが、奴は今度は標的をラゥナに変えて襲いかかっていた。
暴れるラゥナを強引に押さえつけて、その動きを封じようとしている。
このままじゃあ、ラゥナが危ない。
俺がなんとかしないと……!
そんな想いだけが、傷だらけの俺の身体を再び立ち上がらせていた。
「ルグアアァ!」
挑発するように吼えれば、ラゥナに夢中だった奴が顔だけをこちらに向ける。
一先ずあいつの標的を俺に向けさせなければ……。
そう思っていた瞬間、自身から注意の逸れているオスドラゴンに反撃をするように、下にいるラゥナが上体を起こして奴の顔面に噛み付いた。
「ギャグアッ!」
予想外の痛みに、堪らずといった様子でオスドラゴンが叫び声を上げる。
ラゥナの馬鹿! そいつの注意を戻してどうする!
オスドラゴンは、隙を突かれて攻撃されたことに腹を立てたのか、怒りの咆哮を上げながら噛み付くラゥナを振りほどく。
そして、地面に倒れたラゥナに対して、奴の大きく振りかぶった鋭い右の鉤爪が襲いかかった。
「ガ、アゥ……」
俺の目の前で、オスドラゴンの攻撃をまともに受けたラゥナが、血飛沫をあげながらさっきの俺のように弾き飛ばされる。
地面に転がったラゥナは、小さく身動ぎをするだけで起き上がる様子は無い。
……きさまぁっ! ラゥナになんてことを!
「グルガアアァァ!」
「グゥラアアァ!」
身体の痛みなど忘れて叫びながら突撃する俺に、奴も同じように突進してくる。
奴の顔の右側はラゥナの噛みつきの傷が残っていて、右目は痛めたのかぎゅっと閉じられている。
俺の走る行き先のすぐそこには、さっき奴が抉って土が露出した地面。
怒りで自身の身体の感覚が分からなくなっているのにも関わらず、俺の思考は逆に冷静さを保っていた。
「グゥ……」
奴との距離が随分と縮まった時、俺は地面の土を蹴り上げる。
咄嗟のことだったが、流石は奴も戦い慣れた大人のオスドラゴン、素早く前足を前に掲げて土が目に入るのを防いだ。
顔を覆っていては、俺の様子は見えない。
それに、俺はもう柔らかい土が露出している地面を通り過ぎている。
そのことを分かっているのか、オスドラゴンは防いだ前足をすぐに退けて俺へと向きなおった。
それを、待っていた。
「ガァ⁉︎ アグアァォ!」
俺から目を離した隙に右手を引いていた俺は、奴が手を退けた瞬間にそれを思いっきり振っていた。
俺の右手の傷から滴る血が飛び散り、奴の左目を直撃する。
想定外の痛みに悶えるように、オスドラゴンが前足で顔を抑えて大声で唸る。
そうして視界を奪った奴の横を、走る勢いそのままに素早く通り過ぎた。
その時、奴は何が起こっているのか分からないまま手当たり次第に前足を振り始めて、たまたまその鉤爪が俺の顔を掠めた。
左目のあたりをスッパリとやられてしまったが、目は無事なようなので気にすることはない。
とにかく俺は、そのままラゥナの元に駆け寄り、その身体を前足で優しく抱きかかえる。
奴の目の方は未だに回復していないようで、俺がそうしている間にも奴は誰も居ないところに前足を振り続けていた。
その隙に、ラゥナの抱えた俺はその場から一目散に逃げ出す。
奴が復活する前に、出来るだけ遠くへ……。
全身傷だらけの俺は、ほとんど残っていない体力を振り絞って脚を動かした。





