2-2 二頭の仔竜
さらに季節は巡って、蒸し暑い夏は過ぎ去りいつの間にか一面銀世界に覆われる冬になった。
ざくざくと積もった雪を踏みながら、雲の切れ目から降り注ぐ太陽の輝きの中を四つ足で駆ける。
「グルァ!」
ラゥナ、そっち行ったぞ!
俺が声を上げて合図をすれば、あらかじめ回り込んでいたラゥナが、俺が追いかけている鹿の目の前に一気に飛び出す。
当然止まることの出来ない鹿は、そのまま無防備なその首をラゥナの顎に捉えられる。
しばらく暴れていた鹿だったが、ラゥナの口元から溢れる鮮血と共にあっという間に動きが鈍くなり、やがてクタリとその身体を弛緩させた。
「キュウルル!」
「ガァル」
すごいでしょ! と得意げに言うラゥナの頭を前足で撫でれば、垂れた血を舐めとった後にぐいぐいと頬擦りでお返しをしてくる。
……全く、ラゥナとふたりで狩りをするのにも、ずいぶんと慣れたものだ。
初めて会ったときからまだ一年も経っていないが、こうして毎日森の中で同じ時を過ごしてきたからか、ラゥナと一緒に居ることには別に何の問題も無くなってしまった。
相変わらず仲間のドラゴンとは馴染めないが、ラゥナだけは自信を持って友達と呼べる。
ただ、俺が心配なのは、毎日ほぼ一日中俺に付いて回るラゥナは、他の仲間たちとの関係はどうしているかということだ。
まさか俺と同じで仲間に馴染めないのか、と考えたこともあるが、少なくとも俺がラゥナと出会った当時は、ラゥナにも結構な数の友達が居たはずだ。
そのことを前に訊いてみたことがあるが、曰く『その時の友達とは仲が悪くなっちゃった。でも、あなたがいるから寂しくないよ』と。
そこから先はもう深くは詮索しなかったが、当時の友達全員と仲が悪くなるだなんてあり得るのだろうか?
それに、仮にそうだとしても、ラゥナなら簡単に新しい友達も作れそうし、俺だけで十分なんてのも少し不自然だ。
周囲と関わりたくない俺とは違って、ラゥナは俺なんかよりも他に相手にするべき奴はいるんじゃないのか。
ラゥナの見た目も性格も、俺は良いと思ってるんだけどな……もしかしたら、他のドラゴンと仲良く出来ないような、俺の知らない理由でもあるのだろうか?
でも、流石にそれを直接訊く勇気は今の俺には無い。
そんなことを考えながら、この季節では貴重な獲物をラゥナと仲良く分け合って食べる。
「クァ、ルルオ」
そうしていると、巣立った後の住処はどうするのかとラゥナが聞いてきた。
しまったな、そうだった。
この前母さんから、いい加減そろそろ自立しろ、と言われたんだった。
俺のふたりの兄妹は既に少し前に巣立ってしまっているから、今いる住処には両親と俺だけしかいない。
おそらく今年の春には、父さんと母さんの様子からして次の子作りの準備に入るはずだから、もうこれ以上お世話になるわけにもいかないからな。
全然考えていなかったが、そろそろ自分の住処さえも自分で用意しないといけないということなのだろう。
……うーん、さて。どうしようか。
「グルルオ、グァ」
「……ルル?」
そんな困った様子の俺の様子を見てか、ラゥナが一緒の洞窟に住まないかと提案してきた。
予想外の提案に驚いて聞き返すと、どうせひとりで居ても場所が余るし、ちょうど良いんだとか。
一緒の洞窟……。
若い雌雄がふたりきりで一緒となると、ちょっと……いや、かなりマズイのではないか?
しかし、そうは言っても、実際寝る場所に困るのは事実。
ここは言葉に甘えて、少しの間だけ住処の洞窟を貸してもらうことにした。
「グルァ……」
「ルルゥッ!」
ありがとう、と言えば、ラゥナは何故か嬉しそうに俺に頬擦りをしてくる。
少し前までは桃色のような色だったラゥナの鱗も、間近で見ればもう大分茶色に変わり始めているのが分かった。
……そういえば、最近スキンシップが前にもまして増えた気がするのは気のせいだろうか?
俺にはまだ発情期は来ていないけれど、もしかしたら今度もしくはその次の春辺りには来るかもしれないんだ。
住まわせてもらうにしても、それまでになんとか自分の住処を見つけるか作るかしなければ。
ラゥナだってきっと好いている雄ぐらいいるだろうし、俺みたいな変わり者よりもそっちと一緒に居たいはず。
いつまでも友達感覚でラゥナと接するのは迷惑だろう。
俺は淡い期待に高鳴っている自身の心を無理やり冷まして、妙な妄想も振り払う。
本当に嬉しそうに微笑むラゥナとは裏腹に、俺はなんだか少し気落ちしたまま、食事を再開した。
◇◆◇
「グルォォ、ルル」
「クルアァ」
相変わらず、今日もラゥナと一緒に森へ出掛ける。
ラゥナの住処に住まわせてもらい始めてからだいたい一ヶ月が経ったが、俺は未だに自分の住処を見つけられずにいた。
……と言うのも、自分の住処を探そうとすると、ラゥナが引き止めてくるんだ。
寂しい、もう少しくらい、と言って縋り付いてくるラゥナに、住まわせてもらっている俺の立場としては強く振り払うことも出来なかった。
しかし、ここで彼女のせいにするのは違う。
本当にラゥナを友達として大切に思っているのなら、彼女が何を言おうと多少強引にでも振り払うべきなんだ。
ラゥナもきっとまだまだ子供なんだろうが、それを分かってて行動できない俺はもっと未熟ということか。
そんなことを考えながら、一旦森の入り口でラゥナと俺とで二手に分かれる。
今は冬の終わり。
最近はかなり暖かくなってきたとはいえ、まだまだ獲物は少ないからな。
ふたりで分担して探し、先に獲物を見つけた方が合図を出し協力して捕らえる。
その方が効率が良いし、確実に獲物を得られる。
……逆に、ラゥナがつがいを得た後、俺はひとりで狩りをしないといけなくなるだろうから、その時が大変になりそうだ。
はぁ、と小さくため息つきながら森の中を歩いていく。
俺もそろそろ、つがいを探さないといけないのかなぁ。
あーあ、面倒だし、他の仲間と出来るだけ関わらないようにしてきた俺にとって、候補など皆無……ほぼ皆無だ。
唯一居るとすれば、俺は……。
ふと、ラゥナが向かった方の森の中に、彼女の姿を探してしまう。
はっ、と自分の中の気持ちに気が付いて、慌てて視線を自分の進行方向に戻す。
そもそも、俺の気持ち以前に、俺みたいな奴に好意を抱く物好きな奴なんて居ない、か。
……もう、今はこれを考えるのは止そう。
俺は頭の中に浮かんでいた考えを頭を振って消し去ると、地面に鼻先を近付けて大きく息を吸う。
少し湿った土の匂いとわずかな獣臭。
……この匂いは、こっちからかな。
匂いの漂ってくる方向を眺めて、その地面にいくつかの足跡を見つけることができた。
割と新しいものだから、まだ近くに居るはずだ。
よし、今日もラゥナより早く獲物を見つけて自慢してやろう。
そんなこと思って、足跡の続く方向目指して一歩を踏み出そうとした瞬間──
「……ガァアアァァッ!」
「ッ⁉」
森の奥から、ラゥナの咆哮が響いてくる。
それは、いつもの合図の声ではない。
意味のある声と言うより叫び声に近くて、明らかに誰かを威嚇するような、そんな声だった。
今まで、ラゥナのこんな声なんて聞いたことがない。
ラゥナに、何かあったんだ!
そう思った瞬間には、既に身体は弾けるように動きだしていた。





