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広寒宮シリーズ

Pascha

作者: はぐれイヌワシ

Paschaパスハとは、ギリシャ正教で『復活祭』の意味です。

※『広寒宮-横濱奇譚-』から10年以上経過した後の話です。

※サッカー色強め、中国史色弱め。




2013年11月4日。

横浜市神奈川区、三沢球技場。


ホイッスルが鳴り響いた後、試合の間だけ止んでくれた小雨が、また降り始めた。


「色々辛い事も多かった選手生活ですが、皆さまの御蔭で17年間の現役を全うすることが出来ました」

「解説業はいいですよ。一番いい席で試合を見られる、お弁当も出るし、ギャラまで出る」

「今は指導者ライセンスの勉強をしています。何れチャンスがあれば、監督業を」


声の主は本日の主役にして元サッカー日本代表、三村敦宏である。

2011年に引退を発表していたが、東日本大震災などの影響で引退試合は先延ばしになっていたのである。


三村が最後に所属していた横浜FSCから戦力外通告を受けた後、引退発表までに4ヶ月ほどのタイムラグがある。長女の誕生、東日本大震災の発生などその4ヶ月で三村の環境は激変した。

震災直後、三村は救援物資を積み込んだ10tトラックで宮城県名取市をはじめとする被災地を巡った。

その中で、三村は自分が今何を為せるかを見出したのである。


彼の引退試合に集まったメンバーの中には、現役や引退したプロサッカー選手のみならず、後に芥川賞を受賞するお笑い芸人や俳優も含まれていた。


元なでしこの妻と2歳になる長女から花束を受け取った後、彼を呼ぶ者がいた。

「アツ!」

「基さん!」

基さん、とは元横浜フォーゲルスキャプテンにして横浜FSC監督の山内基弘である。


「今日はお前に、礼を言いたい」

「礼?」

「お前が引退試合開いたおかげで、懐かしい人たちに出会えた。ほら」

山内が指差した方向には――――


――――横浜フォーゲルスのサポーター団体がいた。



横浜フォーゲルスの消滅後、横浜FSCに流れたサポーターも数多いが、そうでない者も数多い。

他のチームのサポーターになった者、海外サッカーに流れた者、サッカーそのものから離れた者…様々である。


そんな流浪の者達が、この日ばかりは愛したチームのユニを着て、愛したチームの唄を歌って、愛したチームの旗を振る為に集ったのである。


彼等を指差す山内を見て、三村は在る事を思い出し、表情を曇らせた。



――――ああ、基さんは引退試合やってないんだっけ。

――――俺より試合出場数多いし、何よりワールドカップにだって出ているのに。



2007シーズン終了後に横浜FSCで引退を発表した山内基弘は、しかし引退試合を開催する事は叶わなかった。

彼は引退試合に『フォーゲルス』の名称を使用しようと考えていたのだが、その名称の権利を持つ団体―――言ってしまえば『横浜V・ピラッツ』の事なのだが―――から許可が降りず、『フォーゲルスの名を使えない引退試合に意味など無い』と引退試合そのものを取りやめてしまったのだ。


今回三村が引退試合を開けたのは、『フォーゲルス』ではなく『横浜』という表現を使ったからである。


三村が客席を更に追っていくと、自分の名が書かれた横断幕の上に自分の着て来たユニフォームが掲げられていた。

日本代表、横浜FSC、ヴィトリア神戸、東京ベルデ、横浜V・ピラッツ…そして、横浜フォーゲルス。


掲げられた横断幕は、三村に向けられたものだけでは決してない。

今日三村の為に集まった選手たち

――― そして、合併以前からピラッツに忠誠を誓い、戦力外通告を受けた後は当時JFL屈指の人気チームであった松本嶺雅に移籍し、J昇格の夢の最中に急性心筋梗塞で急逝した桝田直紀のものもあった。

桝田は合併後、中々ピラッツに馴染む事の出来なかった三村達とピラッツの選手の懸け橋になった選手でもある。もし病に倒れなければ、きっとこのピッチにも立っていただろう。


―――業が深いよな、あのクラブも。


今年はリーグ優勝を争っているようだが、ピラッツは実は赤字続きらしい。

現在の社長は有能ではあるが手段を択ばない男らしく、批判も多い。


と、客席に見知った顔をいちどきに見かけた。

そこには『島見高校サッカー部OB有志一同』との看板があった。


***


『島見高校サッカー部OB有志一同』の中には田川道夫、通称『タオ』の姿もあった。

今や有名店となった中華料理店『奔月亭』の店主であるタオは、今日ばかりは『店主所用のため臨時休業』の張り紙をシャッターの上に張り出して三沢に向かったのだ。


無論常連客は何の為に臨時休業なのかを知っている者も多い。

タオが島見高校サッカー部のOBである事は隠したこともないし、三村をはじめとする関東圏に在籍する島見のOBがオフに頻繁に訪れている。

それだけではない。店内には島見OBのみならず関東圏に在籍経験のあるJリーガーのサインやユニフォームも数多く飾られている。

更には土日になると店内の大型液晶テレビで神奈川のチームの試合を中心にスカパーのJリーグ中継を優先的に流している。


そういう訳で『奔月亭』は特にサッカーファンの間で有名な店となり、日本代表やJリーグの試合の際にはちょっとしたパブリックビューイングの場となっているのだ。



島見高校の様な強豪校のサッカー部には、3年間ベンチ入りも出来ぬままの者の方が多い。

タオもその一人であった。

だが、三村はタオの様な者にもよき先輩として振舞った。


タオが、島見の先輩の中でも三村を一際慕う理由である。


今日は試合の後片付けが終わったら『奔月亭』を三村一人に貸し切り状態にして二人で昔話に花を咲かせる

―――― 筈だったのだが。


嗅ぎ覚えのある、季節外れの香りがタオの鼻腔を刺激したのだ。


トイレの芳香剤?否。

それは月の花と呼ばれた、月見の時期に咲く花だった。


思わず、香りの方向に振り向くと。


「桂花さん…!」

「タオか。今では俺も日本語ペラペラだ、通訳はいらんな」


白皙の美貌を持つ人外男は、十数年前と全く変わらぬ顔立ちをしていた。


***


家族と別れて一人、『奔月亭』に三村は向かった。

タオの手引きで、タオの自宅である店舗の2階から階段を下り、カウンターに出ると、そこには。


「よう。名の漢字が変わっていたから顔見るまで誰の試合だか解らなかったぞ」

「こっちこそ、お前の母国では酷い目に合ったぜ」


***


「注文する前に聞きたいんだが、タオ。どうしてこいつがここにいるんだ?」

「何か、『恩人の試合を見に来た』とか何とか言っています」

「恩人…?」


三村は、困惑した。

桂花に、『恩人』と呼ばれる程の事をしただろうか。


「お前が最初に出会った夜にあそこに居なければ、俺はそのまま警察に連行されて、検査で人で無い事がばれただろう。その後は、想像したくもない。お前があそこで鞠を蹴って俺に血を分け与えなければ、俺の心はあそこで折れていただろう」


「こちらこそ、お前に礼を言いたい。あとは恋人を抱えて逃げればいいという段階で、お前は俺をわざわざ炎の中から救い出した。それに、お前の御蔭で、俺は自分の生きたいように生きる決心がついたんだ」



「自分の生きたいように?」

「まあ、そこは気にするな…お前の『眠り姫』は、元気にしているのか?」


『眠り姫』の歌声が広寒宮に響かなければ、三村は張の誘惑に乗って、人をやめていただろう。

そして、その後は――――想像するだに悍ましい。


三村は桂花の後脚に掴まれていたため、桂花に大事そうに抱えられていた『眠り姫』の顔は見ていない。

ただ、声もチラリと見えた髪もとても美しかったことだけは覚えている。


「あいつなら、十年も前にまた眠りについた…今度目覚めるのは二十年後だ。今日は娘の夫の所に預けている。勿論、そいつも既に人ではない」


「おいおい、俺も、もう来年で40だ。『眠り姫』が次に目覚めるまで、生きていられるかどうかわからないぜ?」


『娘の夫』『預けて』『既に人ではない』は置いておこう。

人間の生はあまりに短く、また、死も寿命によって訪れるとは限らない。

昨日までぴんぴんしていた若い男が、突然の病で倒れる事も稀ではない。

三村は、それを知っている。


「…写真は持ち歩いている。見るか?」

三村は小さく頷いた。


桂花が、手帳を取り出す。

しおりのようにラミネート加工された、カラー写真を三村の方向に提示した。


三村は、息を呑んだ。


肌の白い、輝く様な黒目の大きい、華奢な少女と言っても差し支えのない様な女が其処に写っていた。


桂花が、全てを狂わせたのも納得できる美しさである。


三村が見とれているうちに、桂花はまた直ぐに写真をしまった。


「…美しいな」

『人』の手には決して落ちる事の無い存在。


三村は、桂花は長い孤独と引き換えに永遠とその存在を手にしたのだと理解した。


「…お前こそ、あのテレカは今でも持ち歩いているのか?」

『あの』テレカが何を意味するかは知っている。


「ああ。持ち歩いているぞ…何が書いているかわからなくなったとしても、手放したくないんだ」

三村は、定期入れを鞄から出した。


定期入れの一番底に、フォーゲルスのマスコット『ひこ丸』が書かれているそのテレカはあった。

血糊や焼け焦げで劣化が激しいため、小さなクリアケースに収められている。


「きっと、俺は死ぬまで持ち歩いていると思うよ」


三村の歩んで来た道程を示すようなテレカは、直ぐに定期入れに仕舞われた。


「…さあ、今夜は3人で、俺の昔話でもしようか、タオ、ちゃんぽん頼む!」

元々、三村とタオが水入らずで思い出話に盛り上がる予定だったのだ。


「俺は…唐辛子でも沢山使った雲南料理にしようか」

「えっ、お前食うの?」

「…舌に合う飯なら、俺だって食うぜ」


桂花は、笑った。


三村と、タオと、桂花。

3人の談笑は、夜が更けるまで続いた。


ああ、芥川賞作家氏の文才が一兆分の一でいいから欲しい。

『奔月亭』は普通の中華料理店とスポーツバーを足して2で割った様な店です。

『お前の母国では~』はアジアカップ2004。あとはお察し。


三村氏(仮名)に、桂花の恋人の顔を見せてやりたかった。それだけの話です。

話の流れ的に、引退試合の夜が一番しっくりくると思ったんです。


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