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エンドレススクールロード

作者: 神宮寺飛鳥

ご め ん な さ い。

長期連載の息抜きです。

でも思いついたので書いちまったぜ。

後悔してるんだぜ。

高等学校三年間の生活も終了が近づき、それぞれ進路の決定に頭を悩ませ始める頃、その例に漏れず僕も巨大な困難にぶち当たっていた。

特に部活動に所属していない僕は、放課後いつものようにさっさと帰宅しようと考えて席を立った所、待ち構えていた担任に捕まってしまった。

僕のクラス、C組の担任は白石先生と言う。 名前は、まあ知らない。 教師の名前なんていちいち覚えていられないから、そこは仕方ないと思う。

問題は白石先生の名前がどうか、ということではない。 白石先生が何故僕を呼び止めたのか、と言う事にある。

ちなみに僕の成績はお世辞にも優秀とは言えないが、決して不真面目でもなければ頭も悪くない。 ごくごく一般的な男子生徒であることを自負している僕は、進路指導担当でもある白石先生に呼び止められるような事はないはずだった。

肩からぶら下げていた鞄を降ろし、先生の顔色を伺う。 ちなみにこの白石先生、かなり性格のいい出来た大人である。 僕の高校は私立である事もあり、生徒も先生もだいぶ変人が多い。 私立高校には変人が多いのが常識だと思っている僕にとって、彼の存在はちょっとした異分子でもある。

三年生である僕には二年、一年と二年間別の担任教師が無論存在していたわけだが、二年の時の担任の口癖は『何やってもいいから出席だけはしろ』で、一年の先生は『学校なんて通ってる奴は馬鹿だ』だった。

両方ともちょっとおかしな先生だったけれど、僕に言わせれば白石先生の方がちょっと変わっている。 無論、今時の高校生にありがちな教師に対する反抗心なんてものは微塵も存在しない僕は白石先生のことが好きだったし、彼が恐らく気にしているであろう頭髪の薄さもこれまで一度も指摘した事は無い。


「それで、どうかしたんですか先生? 今日もいい髪形ですね」


ちょっとお世辞を言ってみた。 慣れない事をするものじゃないなと思いつつ先生を見ると、なんだか困ったような顔をしている気がした。

それからしばらくして、自分の耳に先週末購入したばかりの新しいイヤホンが突き刺さっている事に気づいた。 ブレザーの内ポケットに入っている青いMP3プレイヤーの停止ボタンを押すと、ようやく先生の声が聞こえた。

別に白石先生が口パクで喋っていたわけではなかったらしい。 それはそれで歓迎だけど。


「やっと気づいてくれたか。 それと、先生の髪については触れないのがこの学校の暗黙の了解だぞ」


そんな事より校則違反であるMP3プレイヤーを指摘したほうがいい気がするけれど、白石先生はそんな無駄な事はしない人らしい。 どうせ注意したところでやめないし、授業は終わっているしいいだろう。


「それでだ。 単刀直入に言うと、お前は出席日数が足りていないから、あと一日でも欠席したら卒業できないからな」


「へぇ〜――――――えっ!? 何で!?」


思わず先生に食って掛かるが、彼は『自分の胸に手を当てて考えてみろ』と言うだけで明確な答えは返ってこなかった。

胸倉に掴みかかった僕の頭部に手刀を当て、そそくさと踵を返す白石先生を見送りながら、僕は先生の言葉の意味を頭の中で何度も何度も吟味してみた。

しかし、いまいち思い当たらない。 ちなみに授業をサボったりした事は……それほどない。 本当に、たまにだ。 卒業できなくなるほどなんて、聞いてない。


「どうしよう…」


もう季節は冬だ。 進路はとりあえず僕の中で決定していたし、このまま大学生になっていろいろ遊びたいという気持ちが僕にはある。

そのためにわざわざ三年間も学校に通ったのに、こんなところで卒業できませんなんて、そんなの納得できるだろうか。

せっかくこれから帰宅して、一昨日まとめ買いしてきた一昔前のジャンプ系漫画の単行本を一気読みしようと思っていたのに、気分を害されてしまった。

うらむぞ白石先生。 でもあの人も仕事だから仕方が無い。 それに言ってもらえなかったらやばかった。 今日の深夜まで単行本を読みふけり、そのまま翌日寝過ごして学校サボリ……なんてことになる可能性もないわけではなかったわけで。


「そっか……。 白石先生、ありがとう!」


「出入り口にずっと突っ立ったまま何言ってるんだ? 熱でもあるんじゃねえの?」


と、額に伸ばされる長い手。 派手な赤髪……無論、校則違反……に、耳にはピアス……これも無論校則違反……を、光らせたクラスメイト。 ちなみに僕と一番親しい友人であり、名前は赤井紅介(あかいこうすけと言う。

紅介は僕の額に手を当て、しばらく眉を潜めていたが、しばらくすると僕の肩を叩き、申し訳なさそうに笑う。


「すまん。 お前がおかしいのはいつもの事だった」


こいついつか絶対殺す。 無論。


「紅介かあ…。 まあ座れよ。 何も用意してないけど、とりあえず萩原の席を用意しておいたから」


「え?」


出入り口付近の席に座って帰り支度をしている萩原君を引っ張りどかすとその席に紅介を座らせた。

萩原君は鞄を手にすると惨めな背中を小さく丸め、とぼとぼと帰宅していく。


「どうぞお構いなく」


紅介はそんな事を呟いて席に着くと、萩原君が机に置いて行った未開封の紙パックのイチゴミルクを飲み始める。

ちなみに紅介はこの学校では名の通った不良だ。 変人、とも言う。 こんな外見なので不良である事は明らかだったが、成績も授業態度もよく、学校行事にも熱意を持って率先して参加する。 さらに休日の過ごし方はもっぱらボランティア活動か図書館で読書、あるいは学校に特別許可を貰ってバイトをして過ごしている。 無論その給料は家庭に還元している。

つまり、一言で彼を表現すると変人だった。 見た目だけではなくきちんと喧嘩も強かった為、一見近寄り難い。 しかし話してみると面白い男なのである。

悪いと判っていながら平然と萩原君のイチゴミルクを一気飲みするあたり、やはり変わった男である。


「で、白石に何言われてたんだ?」


「うん。 なんか僕、明日から一日でも学校休んだら卒業できないんだって」


「少々寂しいが、一足先にキャンパスでお前を待ってるぜ」


「うん。 待てな? 諦めるの早すぎるからな?」


「冗談だ」


全く笑っていない。 完全な真顔なので冗談には全く聞こえなかった。



「だが、致し方ない事だとも言えるんじゃねえか? お前この間一週間くらい丸々学校に来なかった事あっただろ」


「そうだっけ?」


言われて見てから腕を組んで思い返してみる。 そういえば一月前、親父が突然砂漠に行きたいと言い出し、そのまま家族全員で一週間サハラ砂漠に行ってきた事があった気がする。

そんな事が今年は何回かあった。 海外に行っただけでも四回、国内はその倍を軽く超える。

別に親父は探検家とかそういう面白い設定は無い。 ただの会社員で、母さんは昼間はスーパーでレジ打ってるだけの普通の主婦。 僕も、普通の高校生だ。

両親共働きなのに家計が決して楽にならないのは、そうした無駄遣いが限りなく多いからだと思われる。

というか、冷静に思い起こしてみると僕は学校サボリまくりだった。 思い出す度冷や汗が吹き出し、気づけば僕は凍りついた笑顔を浮かべていた。


「自業自得、だろ? だから俺はあれほど学校はサボるなと忠告したんだ。 親友の忠告を無視したお前が悪いな」


「紅介だってこの間ゲームの新作出るからって学校サボってゲームショップに並んでたじゃないか」


「お前と俺とでは頭の出来と教師からの評価が違う。 普段から他人の目を気にしていればいざと言う時自らの力になるもんだ」


言っている事はわかるがなんとなくムカついた。

腕を組んでふてくされていると、紅介が僕の肩を叩く。 鞄を拾い上げ、席を立った。


「仕方が無いから明日から学校に通えるようにお前の家に寄ってやる。 そして意地でも学校に連れて行ってやる。 お前が泣き喚こうが、お前の両親がもうやめてと泣き叫ぼうが、悪鬼羅刹の如き修羅の心でお前を学校まで引き摺ってでも連れて行ってやるぞ」


「うん。 ありがたいけど猛烈に嫌な言い方だね。 もしそんな状況だったら是非僕の事は気にせず学校に通って欲しい」


そんな状況になる事もないと思うんだけど。

紅介に釣られて席を立ち、気づいた事がある。

僕と紅介は毎日下校を共にしている。 紅介は僕と同じく部活動に所属していない。 故に帰りは自然と一緒になる事が多かった。 気づけば自然と下校は彼と一緒に行うものになっていて、そこに特に理由や意味はない。

とはいえ、高校まで徒歩10分かからない僕は途中で彼と別れる。 ご苦労な事に別の町から通学している紅介は、そのまま僕の家を通り過ぎ駅に向かう運びである。

それは今日も当然のように実行されるのだが、そこには一つの要素がかけている。

僕には小学校時代からの幼馴染がいる。 名前は紫藤紫しどうゆかりと言って、付け加えると僕の家と道路を挟んで向かい側にある一軒家に住んでいる。

確か、小学校三年生くらいの時に県外から引っ越してきたのだ。 そうして前の家である事から、彼女の両親から仲良くしてやってくれと頼まれ、そのまま学校に一緒に通うようになり、現在に至る。

無論、現在に至るというこの一言にはものすごく色々な歴史が含まれている事を悟って欲しい。 紫は紅介と同じくらい変わったやつで、昔はその変人ぷりに随分と振り回されたものだ。

生徒会に所属している紫は、今年になり副会長になった。 会長になればいいのにという声もあったらしいが、そこまで責任を背負うのは面倒だから嫌だとそのご指名を蹴ったらしい。

紫という女の子は、そんな女の子である。 人望があり、生徒会副会長なんて肩書きの通り、紅介並に成績は優秀。 容姿も端麗。 ただ、僕には何故か厳しい。

中学卒業までは一緒に朝も登校していたのだが、高校に入るなり『あんたとそんな恥ずかしい事はもう出来ない』と蹴倒され、それから高校では一緒に登校しなくなった。

元々彼女は早起きで僕は……まあ、ねぼすけだったので、時間は合い辛かった。 それに朝の登校が一緒じゃなくなってからも、彼女との交流は続いている。

十年以上一緒に居た縁は、そりゃ切ろうと思ってもなかなか切れないものだ。 今でも昼休みや放課後には時々行動を共にしている。

そんな紫が、生徒会も特に無いはずの今日こんな日に顔を見せないのはどういうことか。 紅介もそれに気づいたのか、窓の向こうを眺め始めた。


「おい。 紫藤だったら、あそこを走ってるぞ」


「そうなの?」


窓際に駆け寄ると、校庭をものすごい速度で疾走する紫の姿がぽつんと見えた。

運動神経もいい彼女はものすごく足が速い。 昔はそのせいでいじめられて逃げようと思っても確実に捕まっていたものだ。 そんな過去の忌まわしい記憶を思い返しながら、僕は窓を開いて大きく息を吸い込んだ。


「しーどーうーゆーかーりーーーーーーいっっっ!!!」


とんでもない音量だった。 隣に立っていた紅介が僕の頭を小突き、無言で抗議する。 クラスメイトは無論、学校中の人が僕を見ていた。

校庭を疾走していた紫は盛大にずっこけた。 あわてて駆け寄った周囲の女子生徒に助け起こされると、鬼のような勢いで戻ってくる。


「あんたどういう神経してんのよ!? 死ね!! 何で大声で人の名前呼ぶのよ、死になさい!! あと死になさい!!!」


凄い言われようだったが、僕はなんとも思わなかった。 彼女にとってこんなのは『おはようございます、ご機嫌いかがですか?』くらいの意味しか持たない。

しかし僕だって言いたい事がある。 窓から身を乗り出すと、先ほどよりはボリュームを絞った声で紫に呼びかけた。


「何で逃げるように走りさってるのー?」


「に、逃げてなんかいないわよ別に! 勝手な勘違いで大声出したの? 馬鹿なんじゃない? 死になさいよもう」


「だが生きるー」


「いいえ、死ぬわ。 次の瞬間あんたは赤井君に背中を押されて何故か落下するの。 可愛そうに、頭部を地面に強打し即死よ。 アーメン」


「紅介はそんなことしない!! しないよな!?」


「あ、ああ。 俺たち友達だろ? 何言ってんだよ」


振り返ると紅介が僕の背中に手を伸ばしていた。 必死で問いかけると、何とか同意が得られた。 ほっとする。


「あんたたち彼女も居ないんだし、惨めに男二人肩を並べて帰ればいいじゃない。 あたしは忙しいの、それじゃあね。 死になさい」


長い黒髪をふわりと靡かせ、優雅に去っていく紫。 しかしその足取りはやはり速かった。

やはり、逃げたとしか思えない。 よくわからないが、そうとしか思えなかった。 頬をぽりぽり指先でかいていると、紅介がまた背中に手を伸ばそうとしていたので鳩尾に肘打ちを食らわせてやった。


「仕方ない。 僕たちも帰ろうか」


「ぐっ……。 あ、ああ……」



それから僕たちはいつもどおり、くだらない事を話しながら帰路についた。

家の前で紅介と別れ、駅に向かって歩いていく紅介を最後まで見送る事もなく、あくびをしながら玄関を上がる。


でも、その時の僕は部屋に帰って漫画の単行本を一気読みする事しか考えていなくて。


だからもっと早く気づくべきだったのだ。


すでに異変は、僕の日常を侵食しようとしていた。





問題はすぐに発覚した。 それは翌朝、僕が学校に通おうと寝ぼけ眼をこすりながら紅介と肩を並べて歩いていた時の事だった。


「んんん?」


なんだかよくわからなかった。 強いて言うならば、それは違和感。 何かが。 昨日までのこの道と、昨日までのこの道とでは、何かが決定的に違っている。

何が違うのか? といわれると答えに詰まるのだが、違う気がするのだから仕方が無い。 ともかく、何かが昨日とは違っているのである。

先ほどからその事がずっと気になっていて、紅介が何か言っているのは判るのだけれど、それを殆ど右から左へと聞き流してしまっていた。

わざわざ起こしに来てくれたというのに申し訳が無いと思う。 しかし気になるものは気になるのだ。 無論、仕方ない。 無論。


「おい。 お前絶対話聞いてないだろ」


「うん……って、仕方ないだろ!? 何だよその目! 明らかに友達に向ける目じゃないぞ!?」


何やら汚らしいゴミ虫でも見るような冷めた瞳の紅介。 しかし直ぐに僕の異変に気づいたのか、腰に手を当て昨日の放課後のように僕の額に手を当てた。


「どうしたよ? やっぱり熱でもあるのか?」


「いや、熱はないと思うけど……。 それよりねえ、紅介」


「どうした?」


「なんか、今日おかしくない? 何がおかしいのかっていうと、具体的にはこの通学路なんだけど」


「通学路が、か……? ん〜……」


周囲をぐるりと見渡す紅介。 ちなみに、学校の門が閉まってしまうまでそれほど余裕はない。 そのせいか、制服姿の少年少女はそれなりに先を急いでいて、足を止めているのは僕と紅介の二人だけだった。

しばらく様子を確認すると、異変はないと判断したのだろう。 いぶかしげな視線を僕に向け、紅介はため息をつく。


「何だ? もしかして、卒業したくないのか?」


「したいよ!? そうじゃなくてさ……。 いや、僕の気のせいかな? うん、大丈夫。 さっさと学校まで行っちゃおう」


そうすればこの違和感ともおさらばだ。 そう思っていた僕が甘かったのだと、直ぐに気づかされる事になった。


「…………アレッ??」


思いっきり首をかしげてしまった。 動き出した足は再び止まっていた。

振り返り、ため息をつく紅介。 僕らの目の前には校門があるのに、僕の足はその校門を越えることが出来なかった。

足を校庭に踏み入れようとすると、身体が固まるのである。 ピクリとも動かない。 頭の中が凄まじく混乱し、生唾を飲み込んだ。


「おい。 ふざけてる場合か?」


「いや、ふざけてなんか居ないんだけどなあ……」


一度離れてみる。 身体は自由に動いた。 おかしい。 校門をくぐろうとすると、全く動かなくなったのに。

助走を着け、10メートルほど離れた場所から走って見る。 そうして校庭に飛びこんでやろうと考えたのである。 しかしまるで見えない壁でもあるかのように、僕は空中で停止するとそのままずるずると落下し、校門の前でうつぶせに倒れてしまった。

わけがわからない。 頭の上をクエスチョンマークがフォークダンスしている。 しかしもっと不思議だったのはきっと紅介の方なのだろう。 表情が完全に固まっていた。


「……なんだ、お前。 今さっき、ちょっと不思議な動きをしなかったか……?」


「うん、したね……どうしようか」


うつ伏せで倒れる僕とそれを屈んで覗き込む紅介。 遅刻ぎりぎりで校門に駆け込んでいく生徒たちは皆一様に僕らを訝しげに一瞥し、登校を済ませていく。

ゆっくりと立ち上がり、もう一度チャレンジしてみる。 やはり入れない。 なんだか入れないのだ。 とにかく、校門だけがくぐれない。


「おい、そこの二人……。 あと一分で門を閉めるぞ。 遊んでいないで早く入りなさい」


生活指導の体育教師が竹刀を片手に不思議そうに僕らを見ていた。 彼は学校でも有名なとてもおっかない先生だが、そのゴリラのような顔も今はちょっとだけ可愛らしく見える。 いや、それは嘘だ。 可愛くはない。 ただ、おっかなさは全く感じない。 彼も意味不明な状況に戸惑っているようだった。

何せ僕らがここにたどり着いてすでに五分強。 ずっと僕が校門前でじたばたしているのを彼は眺めていたのだから。


「いや、登校したいのは山々なんですけど……! ていうかやばいっ! これ以上遅刻も欠席もやばいのにいっ!!」


昨日の会話を思い出す。 遅刻も勿論しないほうがいいだろう。 必死で駆け込もうとするのだが、全く入れない。


「おい、急げ! 本気であの教師は門を閉めるつもりだぞ!!」


「先生ッ!!! ちょっと待ってください!! 僕、学校超行きたいんですけどっ!!!」


「……悪いな。 先生、お前たちが何をしたいのかわからん。 ただ悪ふざけで俺をからかっているようにしか見えん」


この教師最悪だ! 生徒がものすごく困ってるのに、そんな態度ってないよ!!


「ぐおおおおっ!! 紅介、背中を押してくれえええ!!」


「何故校門まで来てお前の背中を押さなくちゃならないんだ……ッ!!」


というつつ、必死で背中を押してくれる紅介。 何ていい奴なんだと思ったのも束の間、校門に入れまいとする謎の力と紅介の無駄な腕力との板ばさみにされ、全身に激痛が走る。


「ちょちょちょ! 紅介っ!! 痛い痛い!! 痛いよこうすけえっ!!!」


「何言ってんだ!? おとなしく登校しろッ!!」


そんな事を言われても学校に入れないのだから仕方が無い。 全身をギリギリと締め付けるような激痛は確かに何かにはさまれているから生じている痛みだ。

わけがわからない。 だんだん涙が出てきた。 何で親友に潰されそうになってんだ、僕。


「もう少しだ! もう少しで登校出来るぞ!!」


「ぎいやあああああああああっ!!」


悲鳴を上げる僕。 しかし徐々に、校門にめり込んでいっている僕がいた。

もう少し、後一歩、踏み出す事が出来ればっ!! 遅刻しないで済む――――、


「はい、時間だ」


「ぶっ!?」


ちょっと顔だけめり込んでいた鉄の門がガラガラと音を立てて目の前で閉まった。 ついでに言うと、僕の顔面を打ち付けて、である。

体育教師は耳をほじりながら去っていった。 程なくしてチャイムが鳴り響き、僕と紅介は冷や汗を流しながら固まった。


「おい!! お前のせいで俺まで遅刻になったぞ!? どうしてくれるんだ馬鹿野郎っ!?」


「そんなの知らないようううう! だって入れないんだからしょうがないじゃんかあっ!!」


泣きたい気分だった。 どうして学校に入れないんだろう?

紅介はため息をつくと、図体でかいくせに身軽な動きで門を乗り越え、鞄を置いて門の上に戻り、僕に手を伸ばす。


「ほら、もうふざけてる場合じゃないぞ。 さっさと登校しよう。 このままじゃホームルームにも間にあわねぇ」


「うん、そうだね……」


と、答える僕の意志とは無関係に、僕の身体は登校を全力で拒否していた。 ものすごい勢いで冷や汗が滝のように流れ、真冬なのにシャツはびっしょりだった。

紅介の視線が痛い。 紅介がどれだけ引っ張ったところで僕の身体は言う事を聞かず、登校を拒否している。 どんなに努力しても、前に進めない。

一体どうなっているんだ? 僕が何をしたっていうんだ? いや、何もしていない。 これまでの十八年間、人に迷惑をかけたことがないのかと言われると答えは無論NOだが、学校に通えなくなる身体にされてしまうほど悪い事はしていないはずだし、そもそもそんな事を思いつく奴はどうかしてる。


「もういいよ、紅介……。 紅介だけでも、ホームルームに行くんだ」


「でもよ……」


「今までありがとう紅介。 でも、もういいんだ……もう……」


「そうか。 じゃあな」


「おーーーーいっ!? 待てよ!?」


気づけば紅介は遠く離れた場所で手を振っていた。 あの野郎、本気で見捨てやがった。

こうなったら意地でも登校してやろうと思う。 粘りに粘り、必死で門を超えようと努力してみた。

しばらくして僕は気づく。 別に学校に入る手段は門である必要はないんだ。 周囲のレンガ作りの壁を越えようと努力してみるが、そこも超えることが出来なかった。

裏門に回りこんでみたあたりで、無情にも一時限目の開始を告げるチャイムがなり、僕は途方にくれた。

学校に行かないでこのまま欠席になったら、僕は卒業できなくなる。 でも、学校にどうしても入れない。 一体どうしろと言うのか。

僕はその日結局自宅に引き返す事にした。 高校の電話番号を、ケータイに入れていなかったからだ。 まあそんなやつはあんまりいないだろうし、僕は悪くない。

自宅に戻ると両親は仕事に行ってしまったのか、静まり返っていた。 むしろその方が都合がいい。 僕は高校の番号を調べ、備え付けの電話のボタンを押す。


「あ、もしもし。 僕、C組に通っている生徒なんですが―――」


『おお、お前か! どうした? さっきから先生も何度か電話をかけていたんだが、誰も出なくてな』


「白石先生!」


助かった! 少しは話のわかりそうな先生が出てくれた!

僕は白石先生に期待を込め、事情を細かく説明する事にした。 まず、通学路に違和感があったこと。 校門に見えない壁のような不思議な力が発生していた事。 それから必死に学校に行こうと努力したのにいけなかった事。 全てを筋道立てて説明した。

説明は我ながら上出来だった。 しかし白石先生の反応は芳しくなかった。


『……先生は昨日言ったよなあ? もうあと一日でも休んだら、卒業できないぞ、って』


「それはわかってるんです!! でも行けないんですよ!! 何とかしてください先生っ!!!」


『とりあえず、病院に行ってきたらどうだ?』


声色が本気だったので恐らく本当に心配しているのだろう。 逆に腹が立った。


「だーかーらーっ!!! 本当に登校できないんですよ!! お願いします、なんとか……明日は何とか登校しますからっ!!!」


『そうか。 まあ、しょうがないな。 お前は嘘をつくようなやつでもないし、何か先生にいえないような難しい事情があるんだろう……』


全く信じていなかったが、禿げが勝手に変な憶測をしてくれたのでまあこちらも妥協するとしよう。


『だが、来週はちゃんと来るんだぞ? 先生との約束だ』


「はい、必ず!」


こうして僕は、休むなと釘を刺された翌日に学校を欠席すると言う離れ業を行ったのであった。



学校を休むことが決定し、昼過ぎになるまで僕はずっとあのわけのわからない現象について考えていた。 しかし答えは全くでなかった。 自分なりに状況を振り返ってみたが、正直理解の範疇を超えた超常現象の類である事はすでに明確であり、僕なんかに理解できるはずもなかった。

もう仕方ないと諦め、開き直って漫画を読もうと思ったのだが、結局気分が乗らない。 せっかく先生や紅介が心配してくれたり手伝ったりしてくれたのに、こんなところで漫画を読んでいられるほど僕は人でなしではなかった。

しかしどうしようもないじゃないか。 じゃあどうしろというのか。 我ながらもう少しちゃんとした言い訳を考えておくべきだったと今頃思う。

そんな事を延々と考えていると、携帯電話が鳴った。 ディスプレイには『紫藤紫』の文字が記されている。


「あーもしもし?」


『あんたどうしたの? 赤井君が心配してたわよ。 あんたの頭がおかしくなった、いよいよ病院に通わねばならないようだ、って』


「うん、紅介殴っといて。 あのね、僕なんか知らないけど、学校に通えなくなったんだ」


『えっ――――? それ、本当なの?』


紫の声が意外にも重苦しい雰囲気を放っていたので僕は驚いた。 紫の事だから、どうせ二言目にはまた死ねって言われるものだとばかり思っていたのだが。


『何がどうなって学校に来られないの? まさか、おじさんとおばさんに何かあったんじゃ……』


「いや、親父とかは関係ないよ。 それにしてもまさか紫が心配してくれるとは思わなかったよ」


『心配はしてないわ。 勘違いしないでくれる? 気持ち悪いから今死んで』


「だが生きる」


『でも不思議な事に隕石があんたの頭上に落下して脳天をかち割るわ。 本当にご愁傷様。 南無阿弥陀仏』


紫は変わらなかった。 いつもどおりの紫だ。 ちょっとおかしいと思った僕が馬鹿だった。


『でも、そう――――学校に来られないんじゃ、仕方ないわね』


「何が?」


『な、なんでもないの。 それじゃあね、死んじゃいなさい』


ブツン。

通話が終了した。

僕は、おもむろにケータイ電話をソファに投げつけた。



その日の晩、紅介からも電話があった。

目撃者である紅介でさえ、僕がおかしくなったんじゃないかと言い出す始末だった。 信用がないのはともかくとして、確かにそう思われても仕方のない事だったのかもしれない。

夕飯を食べ終え、僕は一人二階の自室の窓から空を見上げていた。 不思議な事に、空には沢山の流れ星が見えた。

流星群、と言うものだろう。 僕はそれに目を奪われながら、今朝紅介が話していた話題が確か流星群についてだったな、なんて事を思い出していた。

流星群は昨日から見る事が出来たらしい。 昨日から一週間、つまり来週まで毎晩眺めることが出来るらしい。 しかし本番は数日後であり、今はまだちらほらと見る事が出来る程度だった。

紅介はこの流星群がちょっと凄いものだといっていた気がする。 とても珍しいといっていたが、何が珍しいのかはよく聞いていなかったので覚えていない。

何はともあれ、星は美しかった。 静かに息を吐き出すと、白く曇ったそれは空に上り、やがて消えてしまう。


「……このまま」


明日も、学校に通えなかったらどうしよう、と思う。

僕らは、僕と紅介と紫の三人は、このまま同じ大学に進学するのだと思っていた。

惰性で続けてきたような僕らの関係だったけれど、それなりに思い入れだってあるものだ。

紫とは、クラスも違うし殆ど会う事もない。 会えるのは昼休みにたまにと、帰り道にたまに。 それだけの関係だ。

紅介は、きっと僕が一年留年しても、変わらず僕と付き合ってくれるだろうと思う。 けれど、きっと紫はそうは行かないだろう。

幼馴染だから、ただそれだけで今まで続いてきたけれど、学校が違っていたらこうはならなかったと思う。

近場で通うのが楽だからと、もっとハイレベルな高校にいけたはずの彼女はたまたま僕と同じ高校に入った。 僕も同じ理由だったが、何はともあれたまたまである。

学校が違えばそこでの付き合いがあるだろうし、僕や紅介とつるむ事もなかっただろう。 そう考えると、僕だって思うものがある。

三人で卒業して、三人で大学生になりたい――――それは、妙な願いだろうか? おかしな望みだろうか? 別に普通の事だと思う。 願うような事でもないと思う。 でも僕は今、本気でそんな当たり前の未来を砕かれようとしている。

ていうかもうアウトじゃないのか? そう考えるとものすごく深いため息が出た。 どうしたら、学校に行けるんだろう? なんだこの文。 こんな疑問普通うかばねえよ。

静かに息を吐き出す。 ふと、窓から下を見下ろすと、表の通りに紫が立っていた。

黒いロングコートを羽織った紫は何も言わず、手を上げて挨拶する。 僕も手を上げ、笑顔を浮かべようと思ったのだが、参っているせいかいまいち上手く出来た気がしない。


「ねえ、少し話さない?」


彼女のそんな提案に乗り、僕は上着を羽織って表に出る事にした。

二人して通学路を肩を並べて歩く――――それは、随分と久しぶりのことのように思えた。 実際久しぶりだったせいか、その景色は随分と新鮮で、隣を歩く紫の髪が揺れるのを見て、僕はどこか夢見心地だった。

なんとなく、非現実的な気がしていた。 日常から飛び出したような錯覚。 気づけば僕らは高校の門の前に立っていて、紫は校門を飛び越える。

無論、それは褒められた行いではない。 下手すると警備員が飛んできそうなことだ。 それでも彼女は門を超えると、僕も来るように促す。

自然と、僕は門を超えていた。 朝あれだけ必死にやって超えられなかった壁を、あっさりと越えてしまったのだ。 目を丸くしていると、紫は小さくため息をついた。


「なによ。 超えられるじゃない、ばか……」


いじけるような、そんな呟きだった。 その言葉の意味を僕はいまいち理解できなかったが、それは後々わかる事だ。

上着のポケットに手を突っ込む彼女。 流石に奥まで行くのは絶対拙いので、門を背に校庭に立ち、僕らは空を見上げた。


「ねえ、覚えてる? あんたが実は天文部に入部してるって事」


「え? あ、ああ〜っ! 思い出した!」


ちなみに紅介もそうである。 それは今から二年前の春。 まだ、彼女が生徒会に入る前の事だ。

彼女は星が好きだった。 小学生の時から、僕らはよく星を見ていた。 彼女の家はそこそこ裕福で、彼女の自室のベランダにはそれなりに値の張る望遠鏡もある。

繰り返そう、彼女は星が好きだった。 それを僕は知っていたけれど、僕は星にそれほど思いいれもなく、星座も知らない、そんな人間だった。

彼女は違う。 かなり星座とかにも詳しい。 そして、彼女は高校に入り、天文部に入ろうと僕らを誘ったのである。

中学からは紅介も僕らと一緒だった。 だから紅介も誘い、僕らはとにかく天文部になったのである。 無論、紫が強引にした、というのが実態だったが。

しかし興味も特に無いし、部活動と言うのが苦手だった僕は、結局天文部にはそれから数日間しか通わず、完全な幽霊部員となり二年が経つ。

紅介も行っている気配はないし、もう完全にそんな話題は忘れているものだとばかり思っていた。 しかし、紫は違ったようである。


「紫ってまだ天文部なの?」


「そうよ? 生徒会と部活動は一応両立できるの。 それにあたし、やっぱり好きだしね――――星とか」


少しだけ寂しそうな表情で彼女は呟いた。

そんな彼女の表情は少しだけ意外で、だからその真意にも僕は気づかなかった。

流星が、頭上を通り抜ける。 僕は何も考えず、ただそれを美しく思っていた。

しばらくすると紫は何も言わずに僕に背を向け、軽々と門を超え、挨拶一つなく去っていった。

その凄まじい無愛想さに何かいってやりたくなったが、彼女の背中が少しだけ寂しそうに見え、僕は何も言うことができなかった。




そして翌日。 その日は休日であり、高校も無論その例に漏れる事なく休みである。

ついでに言えば急に崩れた天気は完全に空を覆うほどの雨雲を生み出し、僕の憂鬱な気分をさらに加速させてくれた。


「何だよあいつ……。 言いたい事があるなら言えっての」


と、ふてくされた気持ちになる原因は昨晩の紫の態度だった。

常に胸を張り、凛としている彼女。 何故か僕と紅介には異常に口が悪く無愛想だったが、それでも彼女はいつでも明るかった。

理不尽を強引に僕らに押し付ける事はあっても、それでも彼女は笑っていたのだ。 それがどうだ。 なんだあの態度は。 鬼の霍乱なのか。


「でもそんなの関係ねえ。 紅介に電話しよーっと」


気持ちを切り替え、紅介に相談する事にした。 いくらなんでもこれ以上学校を休むわけにはいかない。

紅介は直ぐに電話に出て、駅前の喫茶店で三十分後に待ち合わせになった。 駅までは僕の家からは歩いて十分もかからない。

適当に積んであった漫画の単行本で時間を潰し、上着を羽織って傘を差し、僕は家を出た。

排水能力の悪いコンクリの坂道を登り、駅前に到着する。 三十分と自分で言って置きながら、早めに到着していたらしい紅介と駅前で合流し喫茶店には肩を並べて入る事になった。

彼がよく利用している喫茶店はモノトーン調のお洒落な、しかし静かな喫茶店だった。 学生の姿もちらほらうかがえたが、それなりに品格のある人間が揃っているのか、雑多なやかましさはない。

決まって彼が座る窓際の隅の席に二人で座ると、ようやく紅介は憎らしい程爽やかな態度で腕を組む。


「さて。 昨日の晩、紫藤と一緒に学校に行ったら入れたんだろう?」


「うん。 何でかわかんないけど」


大体の事情はすでに紅介には話してあった。 僕らは直ぐに注文を取りに来た店員にそれぞれ飲み物を頼み、会話を再開する。


「もう一度改めて確認しておくが、マジなんだな?」


「マジだよ! まだ疑ってるんかい!」


「いや、そういうわけではないが。 だとするともう、それはなんだ? 超常現象の類だろう? しかし、突発的に発生した割には、指向性が高すぎないか? 仮に、お前が超能力に目覚めたのだとしたら、もっとなんか他の能力があんだろ」


「んまあ、そうだよね」


確かにそうだ。 頬杖を着いて窓の向こうを眺めていると、店員が持ってきたコーヒーのいい薫りが鼻腔を擽る。

苦味の強いコーヒーを一口含み、あまりに苦かったので僕は砂糖とミルクをどばどば入れた。 紅介はそれを笑いながら見ている。


「むしろ、お前を学校に行かせまいとする何者かの意志を感じないか? 例えばそうだな……お前に学校に来られては困る奴、とか」


「そんなの居ないと思うけどな……。 しかも超能力じみた事が出来る人でしょ? 心当たりないけど」


「逆に考えよう。 お前が学校に行かないと、何がどうなる?」


そんなの決まっている。 僕がこれ以上学校を休むと……あっ、そうか。


「卒業できなくなる。 つまり、僕を卒業させたくないやつの仕業かっ!!」


「かもしれねぇな。 だとすると犯人の目星は着く。 そもそもお前がこれ以上休むとヤバいってのを知ってるのは、俺とお前と、あとは白石くらいのもんだろ? だが俺はお前と卒業したいと思っているし、お前もそうだろう。 だが白石のやつに限って、生徒をどうこうしようなんてのはありえない。 だとすると、目的は別にあると考えるべきだ」


確かに白石先生はいい先生だ。 あの人はいいものだ。 僕は少なくともそう思っている。

紅介は、不真面目なところはあるけれど友達甲斐のある爽やかなイケメンだ。 僕と紅介は親友同士だと思っているし、公言もしている。

だとすると、あとは僕だけ。 僕が学校に行きたくない理由……そんなものがあるのだろうか? いや、それはない。 考えるまでもないじゃないか。 僕はみんなと卒業したいんだ。 こんな状況、微塵も望んでない。


「俺はお前の交友関係など知らん。 よく考えてみろ。 お前に学校に来られては困る奴、他に居ないのか?」


「う〜ん……? いや、居ないと思うけど……。 人の恨みを買うような事は、した事もないし」


「別に恨みだけとは限らないだろう」


「は?」


いや、なんでもない。 あとは自分で考えるんだな。

そんな事をいい紅介は口を閉じてしまった。

目の前で文庫本を開き、優雅にティータイムを楽しんでいる紅介をうらめしげに眺めながら、僕は一時間以上そこで頭を抱えていた。

しかしそんなのわかるはずもなく、僕は結局答えを出せないまま、紅介と別れた。



夕方頃になると、自然と雨は小降りになった。 ざあざあと煩いくらいにに鳴り響いていた雨音が静かになりはじめると、僕は足を止めた。

黒い傘の合間から町を眺める。 結局、紅介と分かれてからもずっとぶらぶらしていた僕の視界に、コンビニの前でぼんやりしている紫の姿が入ってきたのである。

彼女も僕に気づいたのか、少しだけ気まずそうに僕に手を上げる。 僕もそれに答え、彼女の隣に立って傘を閉じた。


「どうしたの? 傘、持ってこなかったわけじゃないんでしょ」


「持ってきたけど、パクられたわ。 まあ、百円のビニール傘だからいいんだけどね」


だったら買えばいいじゃないか、とは言わなかった。 彼女は恐ろしく気分屋だから、『そういう気分』だったのだろう。

僕もそういう気分だった。 彼女の隣に立ち、ポケットに手を突っ込んだまま息を吐いた。 なんとなく、昨日の彼女の行動の真意を問いただしたいような気がしていた。

けれど、何をどう聞けばいいのかわからない。 そうして互いの間に沈黙が……しかし、嫌ではない空気が流れ、しばらくすると彼女はゆっくりと口を開いた。


「あのさ」


何も言わずに視線を向けると、彼女は切羽詰った表情を浮かべていた。


「あんたが学校に来られなくなったの……あたしのせいだっていったら、怒る?」


僕は、目を丸くした。


それは、一昨日の夜の事だった。

彼女はその日、流星群を観察する為にベランダに立ち、望遠鏡を眺めていたらしい。

そうしてしばらくの間流星を観察していたのだが、ふと脳裏に浮かんだおまじないを思い出したのである。

流れ星が流れている間に三回願い事をいえたらそれが叶う、という奴である。 彼女は心の中で、願いを三回復唱した。

無論その結果、それが実現するとは思っても見なかった。 しかしそれは実現し――――願いどおり、僕は学校に入れなくなった。

そんな事を語り終え、彼女はうつむいてしまう。 僕は信じられなくて、目を丸くしたまま放心状態になっていた。


「信じないわよね、こんな事……」


「いや……」


信じる信じないは関係ない。 事実、そうなってしまったのだから。

しかしそうなると、もうどうにもならない気がする。 何らかの呪いのように、とにかく僕は学校に行けない……そういう現象を実体化されてしまったのだ。

その相手がまさか幼馴染であり、お向かいのお家に住んでいる女の子だとは、予想もしていなかった。


「紫は、僕に学校に来て欲しくなかったんだ……」


「…………」


彼女は答えなかった。 その代わり、雨の中に踊りだすと、僕の手を引き駆け出した。

何もいえず、小雨に打たれながら僕も走った。 彼女と手を取り町を走るのは何年ぶりだろうか。 そんな事を、馬鹿みたいに考えていた。

たどり着いたのは学校だった。 校庭に入り、それから彼女は一心不乱に教室を目指した。

僕は何もいえないまま、ただただ彼女に付き従う。 手際よく一階の女子トイレの窓から侵入した彼女と僕は、あっさりと無人の教室に入ることが出来た。

そこまで来て、彼女は息を切らしながら机の上に腰掛けた。 窓の向こうではゆっくりと雨が止み始め、代わりに夕日が姿を現す。 その紅い光りにようやく僕は時間感覚を取り戻した。


「もう少しだから、ここで待ってて」


彼女はそんな事を言う。 しかし、どうしろというのか。 何がもう少しなのか。 疑問は尽きなかった。

それでも言われるがまま、待つ事にした。 しばらくすると、ぽつりぽつりと、彼女は語り始めた。

窓辺に手を置き、静かに風に吹かれながら。 僕はそんな彼女の後姿を眺めながら、机の上に腰掛けていた。


「あんたがもう、学校に来なければいいなって思ったのは、本当よ。 もう二度と来なければいいと思ったわ。 でも、知らなかったのよ……あんたがもう卒業できないくらい出席やばいなんて。 それほど馬鹿だったなんて、完全に予想の範囲外だったわ」


「それ、どこで聞いたの? 紅介?」


頷く紫。 紅介のやつ、余計な事を話してくれたものだ。


「でも、何で? どうして紫は、僕に学校に来て欲しくなかったの? 一緒に大学とか、行こうってさ……。 三人で、話してたじゃん? あれも、嘘だったの?」


「ち、違うわよ! 人聞きの悪い事言わないでっ!!」


振り返り、あわてる紫。 手をぶんぶん振り、困ったような表情で顔を赤らめる。


「それは、本当。 赤井君と、あんたと……三人で、学校に通えたらいいなって思うわ。 これからも、ずっと」


「じゃあどうして? わけわかんないよ。 何で、学校にこれなくなったらいいなんて願ったの?」


わけがわからないせいか、少しだけ語気を荒らげてしまった。 僕が怒ったところを始めてみたのか、紫は泣き出しそうな表情でそっぽを向いた。


「何よ……。 そんな怒らなくてもいいじゃない……」


「怒るよそりゃ! 僕、もう卒業できないかもしれないんだよ? 笑い事じゃないよ。 冗談にしちゃたちが悪すぎる」


「だから、これから何とかしようとしてるんじゃない! 何よ、こっちの気もしらないでっ!!」


「何だと!?」


そんな不毛な言い争いをしていると、日はさっさと沈んだ。 流星はまだ見えなかったけれど、彼女は空を見上げる。


「あたしがもう一度お願いしてみる。 やっぱりあのお願いはなしにします、って。 そうすればいいんでしょう?」


「……まあ、それで何とかなるんなら、問題はないけど」


そうして二人して流星を待つ事にした。 しかしそうすぐすぐ流れ始めるものではないらしく、結局その後数時間、待ち続ける羽目になってしまった。

しかしそんな長時間何も無い退屈な空間に居るのは僕にとって恐ろしく苦痛であり、気づけば自分の席で居眠りしてしまっていた。

僕を彼女が起こした頃、時間はすでに深夜であり、目を疑うほどの量の星が空を駆け巡り、美しい光の軌跡を描いていた。


「すごい……」


目を疑うような量の星だった。 奇跡的な美しさである。 毎日毎日星がこんなに綺麗だったら、僕だって天文部に真面目に通っただろう。


「それじゃあ、お願いするわよ」


この長時間、ずっと起きて待っていたのか。 紫は少しだけ疲れた表情で星を見上げる。


「ちょっと待って」


けれど、僕はそう言って彼女を呼び止めていた。 紫の隣、窓際に立って空を見上げる。


「どうしても理由が知りたい。 君は何で、僕を学校に来させたくなかったの?」


「……それ、どうしても言わなくちゃだめ?」


「うん」


「……うう」


額を押さえ、紫は明後日の方向を見つめたまま、消え入りそうな声で呟いた。


「……明日以降、あんたに会ったら……言おうと思っていた事を、言うんだって……思ってたの」


その意味がいまいちよくわからない僕は普通に首をかしげた。 何が明日なのだろう? そして、ふと思い返す。

一昨日、彼女は僕らを避けていた。 逃げるように先に下校し、翌日も挨拶さえ交わさなかった。

彼女と話したのは電話越し。 夜に学校に来た時は……あれはどうなんだろう?


「放課後の教室で、っていうのが……実はひそかなこだわりでね。 ロマンティックなんだって、思ってたりしちゃったのよ」


「へぇ」


「でも、それを言うのはやっぱり怖くて。 だから……『ああ、あんたが明日、学校に来なかったらいいのにな』なんて……思っちゃったのよ」


きらきらと、星が流れていく。

僕は彼女の言葉の意味を、徐々に理解し始めていた。

彼女の手を取り、僕は笑う。 空を指差し、静かに首をかしげた。


「なら、君の本当の願いは他にあるんだろ? 僕は、学校に通えますようにって、願う事にするよ。 君は君の本当の願いを、願ってみたらどうかな?」


紫は目を丸くした。 けれど同意したのか、ため息をついて空を眺めた。


僕らは別々の事を願った。 心の中で三回唱えた。 だから、お互いに、何を願ったのかは――――きっと、永遠の謎だ。




二日後の月曜日、僕は登校する事が出来た。

紅介は、全てを把握していたらしい。 全て知っていたくせに、何も教えてくれなかったのである。 最高に嫌なやつだ。

でもまあ、僕の知らないところで色々と尽力してくれたのだろう。 紅介の鶴の一声がなければ、こう上手く纏まる事はなく、今日も学校に通えなかったかもしれない。

何はともあれ、僕は無事卒業できそうだった。 白石先生いわく、一日でも休んだらアウト、というのはただの脅しであり、本当はまだ数日猶予があったらしい。

なんじゃそりゃと言いたくなったけど、まあ別に構わない。 流れ星のお願い事でこんな事になるもんなのかとも思ったが、まあ長い人生色々あるものだ。 生きていれば奇跡に出会う事も、多分あるんだろう。

そうして僕は少しだけ考えを改めた。 非科学的な事も割りとばかにならない。 少なくとも、僕を学校に行かせないくらいの力はあるらしい。


さて、その後どうなったのかというと。


「ねえちょっと……恥ずかしいでしょ。 いい加減離してよ」


「そういわれてもなあ……」


僕らはあれから毎朝、何故か手を繋いで登校している。

僕は毎日早く起きるようになった。 自然と目が覚めるのである。 で、家を出ると必ず紫に鉢合わせる。 さらに、気づけば手を握って歩いているのである。

そう、まるで不思議な目には見えない力に操られるかのように。

しかしきっと、この不思議な現象も数日後……流星群が去ると同時に終了するのだろう。 しかし、不思議な事に僕はそんな奇跡が今後もなんとなく続くような気がしていた。

明日も明後日も――――恐らくは、大学生になっても。


「調子に乗らないでよ……この変態! 死ねっ!!」


「だが生きる……ねむ」


「あら、不思議ね。 何故か住宅地に不発弾が埋まっていて、何故かあんたが吹っ飛ばされるの。 爆死よ。 本当にお悔やみ申し上げるわ」


「でもそれじゃあ紫も爆死するんじゃないの?」


「あたしは不思議な事に無傷で生還よ。 ざまーみなさい」


「そうですかー」




ああ。


また星が流れたら、今度こそお願いするんだ。



僕の彼女が、丸くなりますよに、って――――。



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