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一話『森の少女』

 そして現在。


「――アリスさん......でいいんだっけ。僕は魂隠たまがくれしん。こんなので申し訳ないけど、君の神になりました」


「も、ももも、もうしわけない!? そんなそんな、かみさまはそんなことををおっしゃらっられれれ」


 呂律が回らない......というよりは、もう舌が踊り狂っていると言ってしまっていいほどの混乱ぶりであった。


 そしてそのまま、文字通り目を回してアリスさんはその場に倒れる。

 言葉がもはや聞き取りが不可能のレベルまで達しており、とても内容を理解できたものではなかったが......どうにか聞き取れたところからの予想を言えば、どうやら僕の『申し訳ない』という単語が引っ掛かってしまったらしい。


 ......確かに、少し自覚が足りなかったかもしれない。

 僕はこちらでは神なのだ。

 自分の従者に頭を下げるなど、言語道断。


 神は信仰なくして神たりえない。

 こんなものかと思われた瞬間、神は神でなくなるのだ。


 もっと神らしくしないとな。

 ......神らしくってなんだろう。


 うーん、取り敢えず、相手の下手に出るのはやめておこう。

 上に立つ者なのだから、それなりの威厳を見せなくては。


「あ、アリス......大丈夫?」


 僕は草むらの上に倒れてしまったアリスの下に駆け寄る。


 それにしても、恥ずかしい......

 ほぼ初対面の女の子に対していきなり呼び捨てとか......

 顔から火が出そうだ。


 しかし、耐えねば。

 今の僕は神。

 さん付けなどあり得ない!


「ははは、はい! 大丈夫れふ!」


 倒れていたアリスは、それはもう人智を超えたようなスピードで正座の形態へと移行しながら言った。

 依然、目は回ったままだけど。


「......落ち着くまで待とうか?」


「おっおっ、おちつきまひた!」


 全然落ち着いてない。


 ......仕方ないか。

 ちょっと恥ずかしいけど、これが効果的なのは確実だし。


「よっと」


 僕はアリスの横に腰を下ろす。

 隣のアリスがまた、一段と目を回して、顔を真っ赤に染め上げるのを感じ取ったが、しかしそろそろ慣れてもらわないと。

 これからずっとこの調子では困る。


 僕は黙って、アリスの気持ちが落ち着いて、整理を付けられるまで待ってあげるつもりだった。

 僕もそういう時間が欲しかった、という理由もある。


 今日のこと、色々ありすぎて......その場その場で考えもせずに、状況に呑まれている感があるな、とは思っていたのだ。

 改めて考えてみると......あの時、僕の頭の中に情報が流れ込んで来た時、僕の心の準備はすっかりできていたつもりだったけど......そうでもないんだな。


 お父さんに会いたい。

 お母さんに会いたい。

 みんなに会いたい。


 そんなに仲がいいと言えるほどに仲がよかったわけじゃないけど......でもいざいなくなってみれば、穴が開いたような喪失感が、胸を締め付ける。

 どんな時でも僕の近くにいた存在がいないということは、これほどまでに苦しいものなのか。


 変化は恐ろしいことだと、誰かは言った。

 誰かは、高校なんかに入らなくていい。永遠に続く中学三年生でありたい。そう言っていた。


 その時の僕には、そんな誰かの言葉の意味は理解できなかったけれど......今では痛いほどに分かる。


 こんな変わりすぎた世界で......もしも最初に情報が流れて来なければ、僕の心は折れていたかもしれない。

 今だって、泣きそうなのだ。


 誰かにこの気持ちを伝えたい。


 突然、そんな欲求が生まれた。


 この苦しくて辛い感情を、知ってもらいたい。

 ただ理解してもらうだけで......少しは楽になれるんじゃないかな、なんて、あまりに自己中心的な考えだろうか。


 だけど僕は神様なのだから......少しのわがままなら、許して欲しい。


 従者ならば......僕の気持ちを、聞いてくれるだろうか。


「――僕は......昨日までは、ただの人間だったんだ」


 僕は空を見上げながら、一人言のように呟く。


 空はいつの間にか、夕焼けに染まっていた。

 朱色の雲が、僕の言葉を両親に届けてくれそうな気もした。


「僕は今日死んじゃって......それでいきなり神とかになっちゃってさ、知ってる人は誰もいなくって、誰もいなくなって......」


 言葉にすればするほど、実感となって喪失感は押し寄せる。

 我慢できていた涙も、堪えきれずに飛び出した。


 落ち着かせようとしていきなり隣で泣き出す神なんて......はは、おかしいよ。


「......ごめんね。いきなりこんな重い話聞かせちゃって......まだ神に慣れてなくてさ、人間との接し方とか、よく分かんないんだ」


 僕は涙を拭いて、アリスを見た。

 彼女も、僕を見ていた。


 目が合うと、一瞬彼女はまた頬を紅潮させたけど......今度は目を逸らさなかった。


「......綺麗な目」


 アリスは僕と目を合わせたまま、囁くように言う。


「え?」


「そのオッドアイ......綺麗だなって」


「......ありがとう」


 照れ臭くなって、僕の方から顔を背けてしまった。

 彼女も必死に耐えていたのだろうに......やっぱり情けない神だと思う。


「......私、父のことを覚えてないんです......私が幼いころに出稼ぎに出て、それっきり。それから母は私の面倒をよく見てくれました。だからそういう気持ち、分かるなんて言えませんけど......」


 強い視線を感じた。


 まだ彼女は僕のことを見ているのだ。

 どこを?

 背けた顔を、だ。


 これが背けたままでいられるだろうか。

 僕は顔を上げて、再びアリスの目を見つめた。


 純粋で透き通った碧眼が、僕の全てを見通している。


「......大丈夫、ですよ。これから先、人生悪いことしかないわけじゃないんです。大丈夫、大丈夫だって言い聞かせていれば......絶対、大丈夫ですから」


 そのまま、彼女は僕の体を優しく抱擁した。

 全身の血液が沸騰しそうなほどの熱を感じる。

 僕の内側から来ているものだ。


 アリスの熱が、僕にそうさせているのだ。


「――大丈夫、大丈夫......」


 まるでお母さんのように、アリスは僕の背中をさする。


 同時に、優しい花の香りが僕の鼻腔をくすぐった。

 

 たまらず、涙が滝のように流れ出す。


 それは本物に限りなく近い、偽物の涙。

 僕という存在は、生きていない。だから、本物の涙も流せない。

 沸騰しそうな血液も、偽物。


 全てが偽物の中、唯一の本物である僕の気持ち。


 そんな僕の気持ちは......泣いていた。


「――うっ......あぁ、うぁ......あ......!」


「大丈夫、大丈夫ですから......」


 声が出るのを止められはしなかった。


 戻ることなんてできない。

 会うことなんてできない。


 だけどせめて、今だけは甘えさせて欲しい。


「帰りたい......僕の、家に......お父さん、お母さん......会いたい、会いたい......!」


「――大丈夫です。大丈夫......」


 何故だろう。僕の肩に涙が落ちているのは。


 どうして彼女も泣いている?


 君が泣く理由なんて、どこにもないのに。


「うっ、大丈夫です......大丈夫、れすから......!」


 彼女は優しすぎる。

 それこそ、女神であるかのように。


 僕は思った。

 何があっても、この少女は守り抜かなくてはならないと。


 彼女は幸せにならなくてはならないと。


 僕が必ず......連れていってみせる。

 幸せな世界に。


 それが僕の、神としての......人々を導く者としての義務だ。

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