四話『それはただの祈り』
その後、今日はもう遅いから続きはまた明日と言われ、僕はお嬢様に与えられた、VIPルームかと思うほど華々しい自室のベッドで一人、寝転がっていた。
なんだかすごくいい匂いがする。
ここ、空き部屋だったって聞いたんだけどなぁ......
それはともかく、これでようやく落ち着いて、自分のことを色々と考えることができる......気持ちに整理が付けられる。
......と、そう思っていた、その時である。
――助けて。
声が聞こえた。
突然、唐突に、何の前触れもなく。
――神様......お願いします、どうか助けて下さい......!
それは祈り。
幻聴かとも思った。
いや、そう思いたかった......しかし、違う。
――お願いします......お願いします......
何度も、何度も何度も......
僕の頭の中で響き続ける。
これを幻聴と決めつけるには、あまりにそれは現実味があり......
必死な声だった。
「......」
そんな悠長にしている暇はないと分かっていながら、僕は考える。
ついに来たか、と。
いつかは来るだろうと思っていた......それも、今日中に。
そんな予感はしていた。ただの勘だったのかもしれないけれど。
しかし、荒野で僕が直ぐにお嬢様に見つかった時から、もう片方で早く見つからないというのは、おかしいのではないかとも思っていたのだ。
実際こうして祈りを捧げられてしまった以上......僕が取れる選択肢は二つ。
行くか、行かぬか。
行くということは、お嬢様に仇を為すということ。
行かぬということは、人を見殺しにするということ。
行けば、お嬢様との契約も消えてしまうかもしれない。
せっかく任せてもらった、雑用という仕事も......果たせなくなるかもしれない。
行かなければ、人を殺したという自分しか知らない罪を背負うだけで......これからはお嬢様の元で、戦うこともなく、雑用を任されたただの執事として存在していくことができる。
その未来は、僕の望みに最も近いとさえ言えるだろう。
しかし、僕は、僕は......
「......っ」
無駄に豪華な装飾が施されたベッドから体を起こす。
決断は早かった。
僕に人を、殺せるわけがない。
救える命があるならば、救うべきだ。
それが僕にしか救えないというのなら、尚更。
例えそれがお嬢様に対して仇を為す行為だとしても......僕は人の心に仇を為したくはない。
それが僕のやるべきこと。
一度失った命は、命を救うことで取り返して見せよう。
ただの自己満足と言われようと、関係ない。
失ったはずの命が、こうして存在していることに意味があるのなら、それはきっと、他の命を救うためだ。
昔から、正義のヒーロー憧れていたからだろう? 偽善じゃないのか?
――そんな言葉も、甘んじて受けよう。
そうだ。僕は、助けたいから助ける。
理由なんて、それだけでいい。
僕は右目を抑える。
別の場所を見る左目で、救うべき者の姿を探した。
そう遠くはないはず......この森の中のどこか。
鬱蒼と茂る森を上空から視つめながら、探す、探す。
――助けて......お願いします......助けて......
女の子の声だ。
僕と同じくらい。
つまり、お嬢様と同じくらい。
――いやだぁ......死にたくないよぉ......
......殺させるものか。
僕一人で人間の命一つくらい、助けてやる。
フュンフさんも、フィーアさんも、お嬢様も必要ない。
僕一人でだってできるはずだ。
だってそうだろう?
あちらにいるのは、僕となる魂じゃない。
信仰を捧げられ、人から奉られる神なのだから。
神ならば、人間の命の一つや二つ、助けられないでどうする。
「――見つけた!」
広大に広がる森の中......それは一際強く、光を放つようにあった。
金色の髪。
一際強く、祈りを捧げているようでもあった。
見つけてさえしまえば、何故今まで見つからなかったのかと、不思議に思うほどの金。
それは僕を呼んでいる。
そんな金色の前方には、三名ほどの人影。
森に紛れて見えにくいが、屈強そうな男のように思える。
その男たちがいる方向のずっと奥を視てみると、そこにはあれだけ続いていた森が途切れて、海があった。
太陽の位置などから考えると、あの海の向こうにはこのヴァルハラ大陸があるはず。
偵察か......はたまたスパイとして入り込むつもりだったのだろうか。
しかし、こうして金色が僕に助けを求めるということは、その金色は彼らの手によって命の危機に脅かされているのだろう。
ならば、例え偶然見つかってしまったから、仕方なく......なんて理由であろうと、僕は彼らを止めなければ。
――名の呈示を。
僕は何の迷いもなく、そう言葉にして念じた。
僕がここから念じるだけで、その金色に伝わるという保証はどこにもない。
しかし、どうすればいいんだろうとか、これで合っているんだろうとか、そういう迷いはまったくなかった。
こうするべきだ、こうするしかない。
僕にしかどうにかできないのだから、答えを知っているのは僕自身のはず。
ならば、誰かに問う必要はない。
――だ、誰!?
――いいから! 早く名前を教えるんだ!
僕は焦って言う。
金色が僕を呼ぶのは分かったが、しかしその金色が現在、どういう状況にあるのか、男らしき者が三人いるということ以外、さっぱり分からない。
タイムリミットも何にも分からないのだ。
事は急を要する。
形振りなど構っていられなかった。
――あ、アリス。
少女は、怯えるような声で言った。
実際に口を開いて言ったわけではないのだろう。
それはただの、祈りであったのだから。
しかしただの祈りは......神である僕が、確かに聞き届けた。
ここから先は、神の仕事だ。
僕は右目から手を離し、叫ぶ。
「――その身に刻め!! 契約をォ!!」
◇ ◇ ◇
――こうして僕は、二度目の契約を交わしたのだった。
昨日まで、初めての高校生活に浮かれているただの十五の少年であった魂隠神。
死ぬことにより別の世界に飛ばされ、そこで少年の存在は二つに分かれる。
神と魂。
主と僕。
神は契約を交わした。
森の少女と。
魂は契約を交わした。
銀の少女と。
少年は二つの目を手に入れた。
森の少女を視る、群青の左目を。
銀の少女を視る、金色の右目を。
少年は史上最弱の僕となり、同時に史上最強の主となる。
そのオッドアイの瞳は、それぞれ別の未来を見るのか。
それとも......
ここに契約は交わった。
この世界、グラズヘイムの運命の歯車は、急速に回り始める。