四話『変革の感覚』
「お前は......誰だ?」
僕は瞳に力を込め、ソイツを睨み付けながら言った。
「ん? 君だけど?」
しかしソイツは、僕の威嚇をまるで子供の所業と受けとるかの如く、事もなげに流しながら、うどんをすすりつつそう答える。
その僕の心情とは裏腹に、あまりにも適当な反応が、僕の語気を更に荒々しくさせた。
「嘘だ! なら今いる僕は誰だっていうんだ!」
「うん、君も僕だね。僕らは一緒の存在だよ。魂隠神という人間から分割された存在......もっとも、僕は君たちとは違って、少しばかりイレギュラーなんだけど」
背中を見せたまま、ソイツは語る。
話しながらもうどんを食べ続けるソイツは、無防備そのものだ。
攻撃すれば、きっといとも簡単に、捻り潰せることだろう。
イフリートのときとは、比べるまでもない。
その片腕の一振りで、ソイツの存在を世界から切り離し、抹消させられるというだけの自信があった。
しかし同時に、それだけは絶対にしてはいけないと、僕自身の本能が理解していた。
ソイツを傷付けることは、僕を殺すことにも等しいのだと。
力じゃない。
ソイツに力なんてない。それは分かる。
だけど、ソイツは限りなく僕に近い存在なのは間違いないのだ。
でないとどうして、アリスが気付いて僕が気付かないだろうか。
誰よりも僕に気配が似ていたからこそ、僕はソイツに気付けなかったのではないか。
ならば、ソイツが偽物であろうとそうでなかろうと、ソイツは間違いなく、今のところは僕とまったく同じ存在なのだ。
だからこそ、僕の否定はただの悲鳴に過ぎなかった。
「嘘だ......違う、違う、違う! 僕は僕一人だ......!」
「うん。君の言うことは正しい。僕らは全てで一人だ。僕や君という存在は、僕を構成するパーツに過ぎない。なかでも僕は、スペシャルだった......というだけさ」
「なんなんだよ。お前は......まるで全てを知っているような顔をして!」
「知っているよ。僕は全てを知っている。少なくとも、君たちが知っていることは全て知っているし、それ以外のことも、ほとんど知り尽くしている......と思う。なんてったって、イレギュラーだからね」
照れたような笑いを含んだ声で、ソイツは言った。
全身の震えが止まらない。
どうしてこいつは平然としている?
これだけ僕が恐怖しているというのに、どうしてこいつはまるでこれは日常の一つだとでも言うように、肩をすくめているんだ?
その理解できないという元祖の恐怖が、僕を支配する。
一瞬で喉が渇ききったのか、声を出すこともできない。
ただ、僕は目を逸らしてはいけないと訴えかける本能のままに、ソイツの動きを見続けるだけだった。
「にしても、こうして僕という存在を認識してしまった以上、このままタマガクレシンのままじゃ不便だなぁ......その座にあれるのは、たった一つだけなんだし。うん、じゃあ僕はサードということにしよう。そして君は、セカンドだ」
「セカ......ンド? 二番目......?」
アリスが呟く。
「そう。アリスと共にあるタマガクレシンは、二番目だ。暫定的だけどね。誕生がほぼ同時期だっただけあって、世界と結び付いた順番も分かりにくいんだよね......って、あれ? でもその話でいくと、僕がファーストになっちゃうのか。一応時間軸上では僕が最初に世界と結び付いたことになっているはずで......あ、いや、でもそれはあくまで時間軸上の話だからなぁ......実際どうなのかは」
「何を......言ってるんだ。何を......」
凍り付く空間。
隣り合わせの席で起こっている異常には気付くこともなく、周囲の時間は正常に流れている。
ただこの空間だけが、おかしかった。
ソイツと僕とアリスの三人が干渉する空間のみが、時間の理から外れたように、止まった時のなかで動き続けていた。
――いや、そうではない。
おかしいのは、僕とアリスだけだ。
ソイツはこの狂った空間においても平静を保っている。
ずるずると麺をすすりながら、背中合わせに言葉を投げ掛けるソイツは、間違いなく普通だった。
少なくとも、僕とアリスのような、恐怖と驚愕に固まった表情はしていないはずだ。
この場において、おかしいと認識されるのは僕とアリスだけだった。
「何をって......まだ君という僕が知らない事実だけど......うーん、困ったなぁ。こんなに僕ってキツそうな感じだったっけ? 一回経験してるはずなんだけど、もう何百年も前のことだから忘れちゃったなぁ......はぁ」
僕の渇いた言葉に、ソイツはため息混じりに応答する。
発する言葉は全てが理解不能だ。
何故全てを知っているような顔をして、こんなにも人間らしいことを言う?
どうしてこんな異常な空気のなかで、平然としていられる?
もうわけが分からない。
理解の範疇を突破している。
「なんだよ。お前......何しに来たんだよ。目的はなんだよ......!」
そうだ、僕はそれを知らなくてはならなかった。
僕はせめてそれを知って......もしそれがアリスを傷付けようとでも言うものなら、僕はそれを阻止しなければならない。
理解する必要なんてないから......せめてそれだけでも。
「――いや、偶然だけど?」
......だからこそ、僕はそんなソイツの言葉に、怒りすら覚えたのだ。
「......は? 偶然? ......ふざけるなよ。全てを知っているなんて言うお前が、こうなることを予測できてないなんて......」
「いやいや、偶然だって偶然。ホントに。僕は一回目の動きをトレースしてるだけだから、一回目が偶然だった場合、今回も偶然なのは間違いないんだって」
「......」
あぁ、もう、嫌だ。
本当に嫌だ。
幼稚な言葉だけど、もうそうとしか言えない。
目的はなかった。ただ、自分という存在が一つではないということを知らしめされただけ。
しかもそれは、偶然だというのだ。
ならソイツはきっと、この店にはただうどんを食べに来た。それだけだったのだ。
そこに僕たちが勝手に干渉して、そして悩み、苦しんでいる。
これで頭が痛くならないはずがない。
頼むからさっさと帰ってくれ......僕はそう密かに懇願するだけだった。
「さて」
ようやくうどんを食べ終わったのか、席を立ったソイツ......では流石に呼称に不便なので、さっきソイツ自身が言っていたサードと呼ぶことにしよう。
サードはそのまま直立した状態で、ようやくの別れの言葉を口にした。
「僕はそろそろ行くとするよ......まだまだ回収できてないことがあるからさ。それじゃ、またね」
学校から帰ってる途中で別れた友人同士のような、あまりにも軽い言葉を残し、サードはスタスタと去っていった。
その背中は何も語ることはなく。
再び逢えることを確信しているかのように、堂々としていた。
「――またね、なんて......冗談じゃない」
その背中を見送った僕は、そう一人呟き、ドッと疲れたように体を座席に沈めた。
◇ ◇ ◇
ヴァルファズル城下町、大通り。午後一時。
「――あたし、あーいうの嫌いなのよねー」
「あーいうの?」
お嬢様の目線を追って、人混みのなかからお嬢様の言う、『あーいうの』の正体を、僕は見出だす。
「あぁ......奴隷ですか」
そこから見つけ出したのは、貧相な服装をし、首に輪をかけられている薄汚れた女性と、それを従える太った貴族の男だった。
「そ。貴族主義なのよ、スレイヤーは。家系がダメな奴はダメ。どんなに優秀でも、親がバカならその子もバカ。特権階級っていうの? そんな奴らだけは好き勝手できる......そーやって生きているから、窮屈なのよね。今のままじゃスレイヤーに未来はないわ。お父様のやり方を批判するわけじゃないけど、あたしが総帥になったらこういうのはやめさせるわ......そういう点では、まだスクワイヤーの方が優秀なのかもね」
「確かに、スクワイヤーの方は能力が優秀な人が選ばれて上に立ってますからね......まぁそれはそれで、横並びのいざこざもあるみたいですけど」
僕はイフリートの件を思い出しながら、ぼそっと言葉を吐いた。
イーゲンは、その横並びのなかから優秀な奴が選ばれる世界において、頭を出すチャンスを与えられず、スラムであんな経験をするハメになっていたのだ。
こっちはまだ、どれだけ能力が低かったとしても、奴隷として生きる道がある分、マシとも言える......あっちじゃ、選ばれなかった者はイコールで死にも等しいのだ。
「なまじスレイヤーよりも人口が多いから、そもそも選ばれる難易度が高すぎるってのもあるんだよなぁ......せめて義務教育制度を取り入れたら、仕事に就ける人も増えそうなんだけど」
「ん? なんか、妙に神に従いし者の情報に詳しいじゃない?」
「あ、あぁいえ、本、読んでましたので」
「ふーん」
お嬢様はそれで納得してくれたのか、再び正面を向いて歩き出した。
ゲラゲラという粘着質な貴族の男の笑い声が、耳にこびりつく。
確かに、弱い奴の上に立って肥える貴族っていうのは......好きじゃないなぁ。
かといってスクワイヤーみたいな、弱い奴はいらない。強い奴だけが必要、みたいなのも、可能性を潰してるような気がするし。
うまーいこと足して割ってとできないのかなぁ......できないんだろうなぁ。
だってそれができなかったからこそ、こうやって長い間の戦争に至ってるわけだし。
「まったく。世界をこんな風に作った奴がいるなら、文句を言ってやりたいわよ。『よくもこんなに生きづらい世の中にしてくれたわねー』って」
「お嬢様は......優しいんですね」
「あたしの優しさだけで誰かが救われるなら、あたしは幾らでも優しくなれるわよ。だってそれって、誰も不幸にならないじゃない?」
「それを優しさって言うんですよ......性格は違うけど、もしかしたら二人って結構似てるのかも......」
もちろん、二人とはアリスとお嬢様のことだ。
二人は誰かのためなら優しくなれるという、共通の長所を持っている。
そんな二人だったからこそ、僕はこの世界に来ても、自分の運命を呪わずにいられたのだろう。
自分に優しく接してくれる存在がいなければ、僕はもしかしたら折れていてしまったかもしれない。
自分が羨ましいほどに、幸福だ。僕は......
――あいつは......どうなのだろう。
自分のことをサードと言った、あの僕は。
結局、本当にあいつとは何も話さなかった。
僕とアリスの命運を動かす何かがあったわけではなく、ただ会って、別れただけ。
あの別の僕という......魂隠神という存在は、幸福なのだろうか。
いや......そんなことは考えていたって仕方がない。
そこじゃないんだ。
僕は......僕自身は、あいつが、サードが幸福であって欲しいのだろうか。
何となく分かる。同じ存在だからなのかは分からないけど、彼を認識した瞬間から、僕はずっと、彼との繋がりを感じている。
だから、なのかは分からない。
自分が幾つもいるという感覚はまだ、やっぱり気持ち悪い。
だけど彼自身もまた、魂隠神ならば......僕は彼の幸福を願うべきなのではないだろうか。
......答えは見えない。