二話『デート』
長らく更新が空いてしまい本当にすみませんでした。リアルの方で中間テスト、修学旅行と行事が重なったもので......
これからも投稿ペースが落ちるかとは思いますが、今後ともよろしくお願いします。
一時間後。
アリスの補習に付き合うこともできたのだけど、最近は『毎日アリスの授業に付いていくって、それは現実世界でいう毎日が参観日と一緒のようなもので、本人からすればかなり嫌なんじゃないか?』と思っているので、僕は大人しく寮で留守番をしていた。
僕がこう考えていることに対し、アリスは『遠慮しなくていいですからもっと授業に参加してもいいんですよ?』みたいなことを言ってくれるのだけど、でも実際アリスの隣に座っていると妙にそわそわするし、なんかよく分からないけど無理に意気込んで授業を受けていたりするので、やっぱり僕は遠慮している。
「――冷蔵庫には何がないのかなぁっと......うわ、なんもない」
今日買う物のリストは書いてある......けど、一度何となく確認してみたくなってしまい、一応念のため冷蔵庫内を見てみると、分かってはいたがそれはもう酷いものだった。
空っぽである。
空き瓶のように、何かが入っていた痕跡はあるのだけど今は何もない、みたいな。
買いたての金庫かと思うくらい、それは何も冷蔵などしていなかった。
もはや役割放棄とすら思える。
「ほぼもぬけの殻だな......残ってるのは調味料くらいか」
いやまぁ、中身を使っているのは僕とアリスなのだけど。
支給される資金には決して余裕があるわけではないため、そう無駄に買い足していけない結果、こんな状況になっているのだ。
そもそも冷蔵庫自体が昔の性能の低いものだから、そう長くは冷蔵できないからという理由もある。
そんなわけだからやはり、こっちの買い物を優先させる方が重要......でも僕の立場上、お嬢様とのデートに異を唱えることはできない、か。
うーん、困ったな。
やっぱり今から僕が食材を買い足して来ようか。急げばまだお嬢様の出発までには間に合うはずだし。
でも前に一回、勝手に食材買ってきたらアリスがすごい拗ねちゃって、しばらく口きいてくれなかったことあるんだよな。
しかもあのときと違って、今日は一緒に出かける約束までしちゃってるから、それをしたら一体どうなるのか......
――まぁ、良い結果にはならないよね。
しかし、アリスは一体どうしてそんなに僕と一緒に出掛けたいのだろう。
ずっと誰かと一緒にいる生活を送っていたから、一人になることが怖いのだろうか。
もしそうなら、僕はアリスと――っと。
噂をすればなんとやら、どうやらアリスが帰って来たみたいだ。
「――ふぅ......ただいま、です」
学校から少し頬を紅潮させながら帰って来たアリスは、僅かに息を切らしつつ言った。
「別に、『ただいま』くらい敬語にしなくていいと思うんだけど......」
「神様ですから」
「......僕はまだ、そんな大層なものになった気はしてないよ。ただ、そう見えるように頑張ってるだけで」
「? よく分かりません」
「うん、分からなくていい。分からないってことは、僕はうまくやれてるってことだからさ......まぁそれはともかく」
色々今日の予定をキャンセルする予定は考えたものの、まずは帰ってきた彼女にはこの言葉をかけるべきだろう。
話し合うのはそれからでいい。
悩ましい顔をしていたであろう顔を笑顔に変えて、僕は口を開き......
「――おか」
「はい、早く行きましょうっ!」
即座に上から被せられた彼女の言葉に、僕の台詞は押しつぶされた。
「――!」
僕は以前、子犬と会話したことがある。
それは友達の家に遊びに行ったときの話だ。
その友達の家では、一匹の子犬が飼われていた。
室内犬であったその子犬は、来訪者が珍しいのかクンクンと鼻を鳴らせながら、まだ靴も脱いでいない僕に近寄って来たのである。
その瞳は僕に対する興味と、そして遊び相手が見つかったという期待のためにキラキラと輝いているように見えた。
僕の方も、家では犬なんて飼っていなかったし、子犬に触れる機会なんてそうないから、その近寄って来た子犬としばらく触れあっていたのだが......そうしている内に、何となく子犬の考えていることが分かるようになるのだ。
そして僕は、その子犬と会話をするようになった。
もちろん、言葉による会話ではないのだけど、何ていうか、お互いがお互いの考えていることが分かってるなぁと漠然と感じられる、みたいな。
全ての感情は瞳に現れていた。
嬉しいも楽しいも寂しいも、全部瞳から読み取れたのだ。
汚れを知らない、純真無垢な瞳というものは、本当に無色透明なガラスだった。
感情を通す際に、何の屈折もなく、色付けもなく、そのままの形で通すことができる。
だから期待しているときの目、というものは、割と何の脚色もなく輝いて見えるものなのである。
今のアリスは、あのときの子犬と同じ目をしていた。
まるで瞳の内側で光を溜め込んでいるかのように、眩しくなるほど輝く碧眼。
そんな目で見上げられ、僕は内心ため息を吐く。
全ての悩みを吐き出すように、大きな......それでいてあっさりとしたため息だったと思う。
――はぁ、やれやれ。こんなに期待されてたのなら、断ることなんてできるはずないよな......
この純粋な瞳を裏切るなど、僕には到底無理な話だ。
もうやめだ。
問題は沢山ある。けどそれがどうした。
何か失敗したところで、命がなくなるわけじゃない。
そのぐらいのポジティブな神経で、今日は二人とのお出かけを楽しむことにしよう。
「......どうしたんですか、神様?」
「ん、いや。なんでもないよ」
艶々しく輝く金髪の頭をポンポンと叩き、僕は考えていたことを全部くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り捨て、代わりに口にするのだ。
「まずは準備しないと。まさかこのまま行く気だったわけじゃないよね?」
◇ ◇ ◇
......そんなわけで。
アリスは午後七時、お嬢様は午前十時......僕が危惧した通り、互いの準備はピッタリ同時間帯に(僕にとっての、だが)終わってしまった。
そして準備万端となった二人は、それぞれ金と碧の瞳で僕に向けて笑いかけながら言う。
「――出発よ、シン!」
「――神様、行きましょう!」
「「はい!」」
ほとんど同時にかけられた、全く別の場所にいる二人の言葉に、自分でもどっちが先でどっちが後に言ってるか分からないほど同じタイミングで返答した。
二人の目には、きっと僕の姿はさぞかし奇妙に映っていることだろう。
どちらかに僕が存在する以上、僕は交互に顕現して「はい」と繰り返したのだろうから。
相手から見れば、僕が顕現したと思ったら一瞬消えて戻ってきた、みたいな状態である。
怪しまれることは間違いないな......と、思っていたのだけど。
「さぁ、バレないうちにさっさと城から抜け出すわよ!」
「早く行かないとお店閉まっちゃいますよ!」
僕の両目には、彼女らは何の疑問も抱かなかったかのように、二人同時に歩き出す姿が映し出されていた。
「......?」
果たしてそれはどちら側の僕の行動だったのかは分からないけれど、とにかく僕はその事実に首を傾げながら、彼女の後ろに付いて足を進めたのだった。
――それが三十分前の出来事。
今の僕は、金の瞳と碧の瞳をフル動員して二人の動向を伺いながら、まったく気が抜けない......多分イフリートのときよりも更にバクバク鼓動を響かせて、どうにかこうにか自然を装っていた。
「――ふぅ、い、いやぁ、なんで今日に限ってお腹を壊しちゃったんでしょうねぇ、ははは......」
大量の人が行き交う大通りから外れた、人気の少ない横路のなか。
頭を掻きながらトイレから出てきた今の僕は、いつもの執事服ではなく、そこらを歩く一般人が着ている麻の服を着ていた。
「まったくね。そーもーそーも、魂って普通お腹なんて壊すわけ?」
腰に手を当ててそう言うお嬢様も、普段の豪華絢爛なドレス姿ではなく、割りと小さめの動きやすそうなドレスを着用していた。
僕たちがこんな格好をしている理由は、当然身分を隠すためである。
本当にお忍びのお出かけというわけなのだ。
......それを何だか台無しにしてしまっているようで、少し申し訳ないような気持ちにもなる。
「案外、壊すものなんですよ」
今回のは嘘だが、事実アリスの料理には幾度となく腹をやられているのは事実だったので、僕は苦笑いの表情を作りながらもそう言った。
「ふぅん......それ、あなたのステータスが低いからじゃないの?」
「あはは......そ、それよりお嬢様、いつもの豪華なドレスも似合ってますけど、今日みたいに小柄なのも全然似合いますね!」
「そう? ふふ、そう言ってくれると嬉しいかも」
含んだような笑みを見せるお嬢様。
取り敢えず、話題は逸らせたみたいだ。
......しかし、人が多いなぁ。
大通りの方に目を向けて、僕はふとそう思った。
ユグドラシルの方も大概ではあるが、こっちの道はあっちよりも広いはずなのに、道には隙間がほとんど見えない。
その代わりここのような裏路地は人が少ないのだけど、それでも大通りの熱気にやられそうだ。
「――ね、シン。お腹空かない?」
ボーッとしていた僕の肩を叩いて、お嬢様は口を開いた。
「あー、そうですね。確かに、お腹が空きました」
「だと思ったのよねー。あたしの魂のことは、あたしが一番よく分かってるんだから」
「......ぷっ」
「......どうして笑うのよ」
「いえ、なんでもありませんよ。それより、食べる場所は決めてあるんですか? 早く行かないと、僕はもうお腹が空きすぎて死んでしまいそうですよ」
「あ、ちょっと! はぐらかさないでちゃんと言いなさいよ!」
お嬢様の手を取って、はや歩きで大通りへ向かう僕。
眩しい光が網膜を焼いて、活気に溢れた町へと一歩を踏み出す。
......まったく。
本当に全てを知っているかのような傲岸な態度で、しかもそれに見あった実力もあるお嬢様だけど。
魂のお腹が空く......なんて間違いをするなんて。
――なんだ。お嬢様にだって、普通の女の子と変わらないところがあるんじゃないか。
死を目前にして、動じなかったとしても。
過去に何があったとしても。
僕から見れば、ちょっと偉い女の子でしかない。
主従の関係だから、とか、畏れ多い、とか、そんな理由や気持ちは抜きにして、僕はこの瞬間、お嬢様を一瞬可愛いと思った。
アリスの感覚がこちらに少し移ったのだろう......僕でも彼女を守りたいとか、そんな調子に乗ったことを、分不相応なことを......考えてしまった。
その結果、どれほど自分の無力さに絶望することになるか、僕はまだ知らなかったのだ。