七話『フュンフの実力』
「――そこまでよ!」
お嬢様は片手を突きだし、まさに威風堂々といった様で、敵に終末を告げた。
その言葉は、坑道というより洞窟といった方が正しいのではと思えるほどの広さがある坑道内で響き渡る。
といっても、後から聞いた話によると、ここはそもそも洞窟としたあったところを坑道とした開発した場所だったということなので、僕がそう感じたのに間違いはないのだけど。
坑道のなかは暗く、お嬢様が敵と呼ぶ兵士が持っている明かりがないところは、普通の人間にはほとんど何も見えないような闇であった。
しかし、それはあくまでも普通の人間には、の話だ。
今の僕らのように実体化している魂ならば、この程度の暗闇は何の問題にもならない。
お嬢様は見えているのか分からないが......この様子を見るに、恐らく見えていると判断していいんじゃないだろうか。
というか、見えなかったら戦えないし。
坑道の奥には、薄い茶色の迷彩服を着た三人の男の姿が。
それは今の僕にとっての敵。
何やらのそのそと作業を行っていたらしいその三人の男は、一瞬焦ったように銃を構えたけれど......その相手が少女だと分かると、ゲラゲラと笑いながら銃を下ろした。
完全に舐められている。
「なんだぁお嬢ちゃん。そこまでよ、だって? ハハハッ! ドレスなんか着たままで、どうやって俺たちを止めるっていうんだい!?」
「うるさいわね! これ普段着なのよ! あんたにどうこう言われる筋合いはないわ!」
ドレス普段着だったのか。
いつも着てるなとは思ってたけど......流石お嬢様、といった方がいいのかな。
それにしても、この三人。
妙だ......今は一人がこうしてお嬢様と会話してるけれど、あとの二人はその一人の後ろでこっそり作業を行っている。
この状況で?
一体何をするつもりなんだ。
お嬢様が気付いてないわけないとは思うんだけど......
......いや、見えてないのか。
奥に行ってしまった以上、人間であるお嬢様には暗がりで作業する二人の姿が見えていない。
さっきから見せている上からの態度は、あくまで敵に対する牽制なのであって......
見えているのは恐らく、僕とフュンフさんだけ......でもフュンフさんは今はいないし、となると僕だけか。
なるほど。僕がこうして実体化させられている理由が分かった。
直接戦闘に参加はしなくとも......こうして、情報を集めさせるために顕現を許されていたんだ。
ならばその役、きちんと果たすとしよう。
「......お嬢様、奥の二人、何か作業をしているようです」
僕はお嬢様の後ろから小さな声で耳打ちする。
それにお嬢様は何も言わずにただコクリと頷くと、再び声を張り上げて、奥の三人に告げた。
「――とにかく! あたしに見つかった時点で、あんたたちの命運は尽きたわ! 覚悟なさい! ......フィーア、契約を!」
お嬢様がフィーアさんを顕現させた途端......一瞬にして、空気が変わる。
さっきまでは舐めたように笑っていた兵士も、絞られたように顔を引き締め、しっかりとその長い銃を構えた。
これが、契約者の圧倒的存在感......
例えそれがお嬢様のような女の子であろうと、根元的恐怖を刺激される存在であることに変わりはないということか。
「......まさか契約者......いや、魂を駆る者だとはな。その女が魂か」
銃でフィーアさんを指し示して、前に立つ兵士は言った。
その立ち姿に、先程までの油断はない。
撃とうと思えばいつでも撃てる、臨戦態勢というやつだ。
しかしそんな敵を前に、顕現したフィーアさんはいつもと変わらない口調で言う。
「そゆことにゃ。お嬢はちょーっち強いから、油断しない方がいいにゃよ」
「お嬢? 戦うのはてめぇじゃ......」
「ないにゃ」
そうきっぱり否定すると、フィーアさんは坑道の奥に進むどころか、逆に坑道から出てきた。
そしてそのまま僕の隣に立つと。
「フィーア、シンを頼んだわ」
「はいにゃっ」
ガシリ、と僕の二の腕を掴んだ。
もちろん、恋人のように腕を絡ませたのではない。
片の手のひらで、血の流れでも止めるかのように、ガッシリと僕を捕らえたのだ。
......どうやら僕が足手まといにならないよう、見張りを任すためにフィーアを呼んだらしい。
たったそれだけのために無駄にエネルギーを使うなんて......って、それって僕はそれくらいに危険視されてるってことだよね?
敵じゃなくて、味方に。
確かに戦闘能力は皆無だから、僕は本当に足手まといにしかなれないとは思うけど。
ぜんっぜん信頼されてない......悲しくなってきた......
「そうへこむにゃよ。あたいが呼ばれたのは、ちみの面倒みるためだけじゃないんだぜ」
「じゃあ他に何が......」
「魂器にゃよ。魂器は顕現してる状態じゃないと呼び出せにゃいからにゃあ。といっても......」
フィーアさんは坑道のなかに視線を戻す。
それにつられて、あまりのショックで下げていた僕の視線も坑道の中へと戻った。
そこでは......
「――あたいの出番にゃんて、にゃいだろうけどにゃ」
「フュンフ!」
敵との距離、目測およそ三十メートル地点。
坑道内の敵は三人。
内、奥の二人も既に作業を終え、臨戦態勢に移行。
対し、こちらは坑道内にお嬢様ただ一人。
そんな状況下で、お嬢様はフュンフさんの名前を呼んだ。
坑道内で一見虚しく響いたその声を......それはきちんと聞き届ける。
「――ハァッ!!」
天井から落ちるは老執事。
大剣を両手に兜割りの形で、坑道の地に流星のように衝突する。
神や魂に許された能力、透過。それに創造。
フュンフさんは予め、体のほとんどをアストラル状態にすることで、坑道の天井を透過して待機していたのだ。
お嬢様の命があれば、即座に攻撃を開始できるように。
そして握る大剣は、創造で造られたもの。
神や魂は、イメージを具体的に創造することができる......服もこの能力を使うことで創られている。
まさに神や魂にしかできない完璧な奇襲の一撃......しかし。
「な、なんだこいつ!? 突然上から!?」
兵士はそれを間一髪のところでかわし、多量の焦りを交えた言葉を放つ。
だがフュンフさんはこの隙を逃すほど甘くはない。
バランスを崩した兵士に、間髪入れずに大剣で攻撃を仕掛けようとする......が。
「......」
突然動きを止め、その場に立ち尽くすフュンフさん。
「どうしたのフュンフ!?」
さっきまでは勝ちを確信したかのような笑顔を見せていたお嬢様も、流石にこの唐突なフュンフさんの行動停止には焦ったようで、何かあったのではないかと心配げな声を出す。
しかし実際そういうわけではないのは僕にはハッキリと見えていた。
銃は撃たれてないし、特に殴られも蹴られもしていない。
フュンフさんは絶好の機会をあえて逃し、その場に立っているのである。
お嬢様とはまた別の理由で、何があったのかと僕は心配になる。
フュンフさんは顔をこちらに向けることなく、大剣を敵に向けて構えたまま......坑道内に声を響かせた。
「......お嬢様、こやつらこの坑道に爆発物を仕掛けています」
その言葉に僕は再び目を見張り、奥の二人が仕掛けた何かを見る。
見えたのは、赤くて細い円柱が数十本......ダイナマイト。
しかもなんだか謎の光のようなものを纏っている。
それがまた特別製であることを思わせて、起爆時の威力は計り知れないことを知らしめていた。
先からは長くコードが伸びていて、そのコードの先はスイッチとして、後ろの二人が握っていた。
「――ハ、ハハッ! そうさ! 俺たちは爆弾をこの坑道に設置したぁ......! ちょっとでも動けばドカンだぜ!? そしたら俺たちは仲良く生き埋めさぁ! もちろん、下手すりゃここの近くにあるてめぇらの基地も巻き添えになっちまうかもしれねぇけどな!」
前に立つ男は、冷や汗をかきながらそう叫ぶ。
先ほどフュンフさんの手によってその命が危険に脅かされたからだろう。
冷静さを欠いてしまっているようで、口調も乱れ、少しへっぴり腰での脅しになってしまっていた。
だが僕は今現在、その男以上に冷静さを欠いている自信があった。
こうして考える上では全然冷静なように見えるけど、実際は全身汗でびっしょりで、手を意味もなく握ったり開いたりしているようなレベルの状態だ。
だってあの男は今、少しばかり錯乱しているようだけど......しかし確かに状況は、あちらに優勢となってしまったのだから。
あの爆弾を起爆させることは、彼らにとっても自分の命と引き換えの切り札なのだろうけど......しかしその一手は、同時にお嬢様の命も脅かしているのだ。
最悪お嬢様が助かったとしても、何も知らない兵士たちが集まった基地に甚大な被害が出る可能性があることは否定できない。
何としてもあの爆弾を起爆させるわけにはいかないが......しかし、起爆の主導権はあちらが握ってしまっている。
動くなと言われてしまえば、動くことはできないのだ。
フュンフさんは即座に爆弾の存在を発見し、取り返しのつかないことになる前に行動を止めたのだろう。
流石の観察力だけど......あのとき三人ともさっさと気絶なりなんなりさせていれば、今こうしてピンチに陥ることはなかったのかもしれない、とも思う。
いや、今そんなことを言っても、既に後の祭りだ。
重要なのは、今ここでどうやってこのピンチから抜け出すか......!
......
「――どどど、どうしようフィーアさん!?」
焦っているというよりは、もはや挙動不審とさえ言える動きをしながら僕は問う。
必死に考えたけどいいアイデアが全然思い浮かばなかったので、それが更に焦りを加速させた結果だ。
当のお嬢様はまったく動じていないように見えたし、フュンフさんも一見焦りを見せていない。
お嬢様の魂として、あまりに不甲斐ないと言える焦りっぷりであった。
もちろんフィーアさんも焦りなどまったく見せておらず。
むしろすごいリラックスして、僕の二の腕から手を離して座ってすらいた。
「大丈夫にゃよ。フュンフ爺ならどーにかしてくれるにゃ」
「いやでも、何も手出しできないんですよ!?」
「フュンフ爺はランクS。ステータスは全てがA以上で、もうほぼランクSSの一歩手前の魂にゃ......そう負けたりはしにゃいにゃよ」
「負ける負けないじゃなくて......!」
今僕たちがピンチなのだということを、ちゃんと自覚しているのだろうか。
この状況では、そのステータスもまるっきり発揮できないからピンチなのだというのに......!
僕だって実戦なんてこれが二回目......まぁ一回目の森のときなんてとても戦闘と呼べたものではなかったけれど、だからこそ僕は今回が初めてみたいなものなんだけど、この人は、あまりに実戦に対しての緊張感がなさすぎる......!
お嬢様とフュンフさんは相手に動揺を悟られないようにしているだけかもしれないとしても、フィーアさんはあまりに楽観が過ぎるんじゃないか?
僕はこんなにも現状を打破できる策を講じているというのに......考えることすら、放棄しているなんて。
怒りがこみ上げ、僕はフィーアさんに対して啖呵を切ろうとする......が、しかしそのタイミングで、さっきから喋っていた敵兵の男が、フュンフさんに更なる要求を求めてきた声が響いた。
「おいそこの老いぼれ! その武器を離して、両手を上げろ!」
フュンフさんは言われるがまま、大剣を空気中に分解して、両手を上げる。
もちろん男は銃を構えたままだ。
これでは撃ってくれと言っているようなものである。
自分の命令通りにこちらが動いたことに勝利を確信したのか......その男は口元をニヤリと歪め、銃口をフュンフさんからずらして......
「――危ない!」
考えるよりも先に体が動き出す、というのは、実際起こるものだ......と、僕はここで初めて知った。
男が向ける銃口が、フュンフさんではなく、お嬢様を狙ったその瞬間、僕は駆け出していたのだから。
二の腕を掴まれていなかったことに感謝する......フィーアさんは驚いて目を丸くしていたけれど。
でもお嬢様は多分、銃口を自分に向けられたことに気付いていない。
何せ、魂と触れていない今のお嬢様は、普通の人間と同じ身体能力しか持っていないのだから。
この暗がりのなかで、銃口がずれたことに気付けるはずがない。
そして当然、普通の人間と同じ身体能力しかないのなら、銃弾の雨を受けて生きていられるはずもない。
ましてやお嬢様は女の子なのだ。
耐えられるはずがない。
......といった様々なことを、僕は考えもせずに飛び出した。
お嬢様が危ない。
ただその事実だけが、僕の足を駆り立てさせたのだ。
お嬢様と僕との距離は、フュンフさんほど離れてはいない。ほんの十数メートルだ。
AGIのステータスは最低値だけれど、走ればどうにか間に合うはず......!
しかし。
「――......えっ?」
「退け」
パンッと胸を押されて、僕はその場に崩れ落ちる。
誰に? フュンフさんだ。
さっきまであんなに奥にいたフュンフさんが、今では僕の目の前に......お嬢様の前に盾となるような形で立っていた。
僕は困惑した面持ちで、フュンフさんを見上げた。
だって、こうしてフュンフさんに胸を押されるまで、目の前にいるということ自体に気付かなかったのだから。
さながら瞬間移動である。
誇張でもなんでもなく、フュンフさんは瞬間移動と思えるスピードで、お嬢様の前まで移動していたのだ。
一瞬目が合ったけれど、フュンフさんは最初から僕など眼中になかったかのように視線を前に戻す。
瞬間。
「――ヒャッハァァ――! 穴だらけになりな、お嬢ちゃん!!」
ドドドドドドドドドド。
耳のそばで激しく太鼓を打ち鳴らされたかのような轟音に、僕は思わず尻餅をついた姿勢のまま耳を塞いだ。
......しかしそれでも脳を直接揺るがす音は消えず......いや、なんだ?
他の音も聞こえる......これは、甲高い金属音?
――そう、まるで何かを弾くような......
僕は顔を上げて、そして花を見た。
花といっても、ただの花じゃない。
火花だ。火花が散っているのだ......フュンフさんから。
厳密には、フュンフさんの両手から。
ただしそれには、恐らくという言葉を付随させなければならない。
何故ならば、火花を散らしているのがフュンフさんの手からであるという確証が、僕にはまったく得られなかったのだから。
速すぎて、認識できないのである。
フュンフさんは様々に体制を変え、手を言うならば神速で動かし、銃弾を全て弾いていたのだった。
神を主とする者と戦っているというのに、神速という言葉を使うのはなんだか、皮肉だとも思うけれど。
しかしそうとしか表現できないのである。速すぎて、空気中で何かが動いてるな、程度にしか感じられないのだから。
僕はありとあらゆる思考を中断し、ただその光景に見とれた。
それはもはや思考停止だった。
「あ、あ......」
「......シン、邪魔だ」
正面を向き、横殴りに飛来する鉛の雨を視界に据えたまま、フュンフさんはそう言った。
そして僕はようやく正気に戻る。
お嬢様を見ても、もちろん怪我など一つもなく......どころかドレスに汚れさえつけないままで、その場に仁王立ちしていた。
ただ金の瞳は僕を見つめており、その視線からは、危ないから退いておきなさいというメッセージを読み取ることができた。
僕は一瞬、再びフュンフさんを見る。
いよいよ相手も本気を出したのか、後方の二人も銃撃に参加して、実質三倍の銃弾が土砂降りのごとく二人に降り注いでいるのだけど。
フュンフさんは疲れも乱れも見せないまま、変わりなく銃弾を弾き続けていた。
そして僕は思う。
強さの次元が違う、と。
そして同時に。
今の僕は、お嬢様たちにとって、本当に足手まとい以外の何者でもないということを。