五話『新たな日本人』
ヒシマ・リン。
どう考えても日本名だ。
見た目とかからも感じていたけど......やっぱり。
「『あなたはこの言葉が分かりますか?』」
僕はこの世界の言語ではない......日本語を使い、話しかける。
ルルド総統は怪しげな目で僕を睨み、お嬢様は不思議そうな目で僕を見たが......そのリンさんは。
「あ......っ!」
目を丸くし、喉が潰れたかのような声を出す。
ということはやはり、僕の言葉が理解できたということ。
間違いない......彼女は日本人だ。
僕と同じ境遇の魂......!
「すいません、ルルド様。私はこの魂に少し話があるのですが......よろしいでしょうか」
リンさんは再び平静そうな顔に戻ると、ルルド総統の方を向いて言う。
それはあくまで平静そうなだけであり、そう注意深く見なくとも、何かあったのだと思えるような顔であった。
「......好きにしろ」
ルルド総統も、彼女の顔から感じるただならぬ感情を感じ取ったのだろう。
低い声で、そう許可を出した。
「ありがとうございます」
一礼すると、リンさんはそのまま僕の手を取り、スタスタと歩いてドアの外に出る。
音が鳴らないように静かにドアを閉めると......リンさんは。
「――うっ、ひっぐ......うっ......やっと......! やっと、会えた......!」
先ほどまでの名前の通りの凛とした態度はどこへやら、リンさんは子供のように顔を歪めて、その場に崩れ落ちた。
僕だって同じ日本人と会えて感動していたのに、なんだか虚をつかれたような気持ちになり、その感動を抑えて混乱が前に飛び出す。
その混乱のせいにするわけではないけれど、僕はこの状況でどうすればいいとも分からず、ただ赤子のように泣きじゃくる女の子を、見つめることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
数分後。
「ありがとう......黙って待っててくれて。優しいね」
ようやく泣き止んだリンさんは、赤く腫れた目のまま立ち上がって言った。
その頬は優しく微笑んでいる。
まるでさっきのことが、何もなかったかのように。
「あ、いえ......僕は何も」
なんだか気まずくって、僕の言葉は尻すぼみになってしまう。
喜びたい気持ちはあった。
こうして同じ日本人がいたというだけで、何も現状は変わらないけれど、すごく嬉しい。
......というより、同じ気持ちを共有できる存在がいたという事実は、嬉しいという感情よりも、どちらかといえば安らぎの感情の方を大きく感じているかもしれない。
とにかく、この出会いが僕たち二人の感情にとって、プラスに働いたのは間違いないことなのだ。
――だけど僕は、リンさんが泣きじゃくっている間、本当に何も言わなかった。
アリスのように慰めることなんて、僕にはできなかった。
できるはず、ない。
僕は優しくなんてないのだから。
本当の優しさを知っていれば......それはただの、逃げでしかないのだから。
逃げた僕は、素直に笑えなかった。
ただこの場に居づらい。
それはリンさんから感じた、僕よりずっと激しい感情の起伏からも、分かっていたからなのかもしれない。
彼女は僕よりずっと、何かが違う......ということを。
それをこのときの僕は、ただ何となく感じていた。
凛さんは暗い表情になった僕を見るや、ちょっと焦ったようにしながら自己紹介を始める。
「え、えーと、私は飛島凛。飛ぶ島に、凛々しいの凛。あなたは?」
「僕は魂隠神です。魂が隠れる神......なんていう、ちょっと大袈裟な名前なんですけど」
「魂隠......」
急にうつむき、何やら僕の名前について思案する凛さん。
確かに珍しい名前かもしれないけど......一体どうしたのだろう。
「凛さん?」
「......ん、ああごめんね。なんだかその魂隠って名前、どこかで聞いたことがあるような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
再び笑顔を見せながら、凛さんは言った。
別に何かを隠している風でもない、普通の笑顔だ。
実はご近所さん......とかだったりしたのかな。
とすると、意外と面識があったりするのかもしれない。
もしあったとしても、お互い覚えてはいないのだけど。
「それにしても神君。君すっごい目してるね。右目が金で、左目が青なんてさ。日本人とは全然思えなかったよ。その目、どうしたの?」
僕は言葉に詰まって、思考を回転させる。
やっぱり、そこは指摘されるか......
どうしよう。言うべきなのだろうか。
僕が二人と同時に契約を行っているということを。
いやでも、凛さんはオッドアイではない。
恐らく僕と同じような状況ではないはず......
となると、やっぱり下手に喋るべきではないだろう。
なんと言っても、凛さんはルルド総統の魂なのだろうし。
僕がこのことを喋って総統に伝わろうものなら、どうなるか分かったものではない。
ここは適当にボカしておくことにしよう。
「いや、僕も死ぬ前は普通の目だったんですけど、なんだかこの世界に来てからこんな目になっちゃって......」
「へぇ......そうなんだ。大変だね......それでちょっと聞きたかったんだけどさ、さっきからどうして敬語なの?」
一瞬、返答に窮する。
それは僕自身、考えてみないと分からないことだったからだ。
相手はこうもフレンドリーに話しかけてくれているというのに、どうして僕はこうも礼儀正しくしようとしているのか。
初めて会う人には敬語......という常識を使っているのではないと思う。
常識といえば、どちらかというと......そう。
年上の人には敬語、の方だ。
見た目はおんなじくらいにしか見えないけど......纏っている雰囲気が大人なのだ。
何も知らない子供じゃない。
そんな気がした。
そう、やっぱり彼女は、僕とは何かが違う。
そう感じていることを、僕はここでハッキリと知覚した。
「お姉さん......のように感じたからです」
「あー、やっぱりそういうの、分かっちゃうんだ」
「そういうの......ですか?」
「うん。君ってさ、この世界に来てどれくらいになる?」
考えるまでもない。
数えているという意識はないけれど......僕はまだ、数えなければならないほどに、この世界にいるわけではない。
「まだ一週間も経ちません」
「そう。私って、もう十年になるのよね」
何気なく言われたその言葉に、僕は絶句する。
十年。
十年......その変わらない姿で、存在し続けたのか。
つまりは、精神年齢的には彼女はもう二十五にもなるということ......
そりゃあ僕が大人だと感じても不思議じゃない。
言葉通り、彼女はもう大人だったのだから。
ただ見た目が変わらない姿のままで。
道理で、何かが違うと思ったわけだ。
生きてる年数が違えば、経験も違う。
彼女は僕よりも、もっと沢山のことを知っているのだから......違うといえば、何もかもが違ったのだろう。
なんだかあまり知ってはいけないようなことを知ってしまったような気分になって、僕は以前、お嬢様にも指摘されてしまった、癖になりつつある言葉を口にする。
「......すいません」
「何も謝ることなんかないよ。君だって、これからその身をもって体験することになるんだから」
「......」
その身をもって、か。
未来のことなんて、毎日が忙しすぎて考えられていなかったけど......そっか。
僕はずっと、この十五の見た目のまま、生き続けるのか。
あぁ違う。生きるんじゃない。
死んだ状態で、存在し続けるんだ。
死んだ状態だから、寿命はない。
どんなに年老いても、この姿のまま。
永遠に、ずっとずっと......
不思議と、怖いという感情は湧かなかった。
どちらかというと、想像もできない不安感があるのみで。
どうなるのか、どうなっているのか、全然予想がつかなくて。
だから僕は、考えることを放棄する。
どれだけ考えようとも、想像できないなら意味はないと思ったから。
自分のことなのに、まるで他人事のように無責任だとは自分でも思ったけれど、しかし考えてどうにかなる話ではないのもまた、事実なのだった。
「その......無遠慮な質問ですけど、凛さんはどうして魂に?」
無遠慮な質問ながら、僕は遠慮深げな態度で質問する。
もしかしたら、死にかたによって魂になれたりなれなかったりするのかもしれない。
不謹慎だけれど、一応聞いておきたいことだった。
もちろん、後から僕の死因も言って、これでおあいことは言わないまでも、手を打とうという打算的な考えはあったのだけれど。
しかし凛さんは、僕の質問を特に気にするようなこともなく、極普通な調子で答えた。
「んー、戦争の餌食ってとこかな?」
だがそれを聞いた僕は普通ではない。
「せ、戦争?」
頭にクエスチョンを浮かべながら問い返す。
日本は戦争なんかやってないはずだけど......
思い当たるとすれば。
「外国にでも行ってたんですか?」
「いやいや、日本でだよ。後方の技術部に爆撃機がやってきてね。条約違反だーって騒いでたよ。今だからこうして笑って話せるけど、あのときは本当に怖かったな......まぁ死んじゃったんだけどね......どうしたの?」
「あぁ、えぇと、頭が混乱してまして......凛さんはどこに住んでたんですか?」
「新東京都だよ」
まさか......という予感が、僕の頭のなかで生まれる。
まさか......いやそんなまさか......といったほどの。
まさかさかさまなんていう回文の笑い話にはならない予感だ。
聞くことを一瞬躊躇ったけれど......僕はその予感を決定付ける質問を行うことにした。
聞かなければ、何も知ることはできないのだから。
「......凛さんが死んだのは、いつですか」
「えーと、確か......」
遠い過去を思い出すように顔を上げ、凛さんはしばらく考え込む。
僕の予感が正しければ、凛さんの生きていた時代は、恐らく......
「――西暦2107年、四月二七日......だったっけ」
「......やっぱり、未来人でしたか......」
やはり僕の予感は当たっていたようだ。
予想さえできていれば、やはり、という言葉で済ませられるが、しかしこれを何の取っ掛かりもなく話されていれば、仰天して思わず天を仰ぐところだった。仰天だけに。
端的に言うと、どうやら凛さんは僕よりも先の未来で生きていたらしい。
未来人......それはつまり、僕にとっての未来が、過去である人々のこと。
彼女は日本の行く末を僕より知っている......けど、漫画とかでのお決まりは、それを過去の人間が知ると何らかの要因で世界から消されるとか、そういうものだ。
だからあえて聞くつもりはない。
戻りたいと思わないでもないけど、でも、今の僕にはとても、戻れるとは思えないし。
だから、僕が知ろうと意味はないのだ。
――が、しかし......そうか。未来では日本は戦争やってるのか。
なんだかちょっとショックだな。
あれだけ平和平和と掲げておいて......やっぱり人類なんて、争いの歴史から逃れられはしないのだろうか。
それはこの世界でも変わらない、ある種世界の真理とさえ呼べるようなことであるのかもしれない。
「み、みらい?」
と、まだ理解ができていない凛さんが混乱した声を出す。
そういえば、まだ僕は僕のことを何も話していなかった。
「僕の生きていた年は西暦2017年です。凛さんの死んだ年の、ちょうど九十年前ですね」
思ったより冷静な声を出している自分に、自分自身驚いた。
予想ができていたから、というのもあるだろうけど、もしかしたらこんな世界に来てしまったから、慣れてしまったというのもあるのかもしれない。
異常というやつに。
「......え、えーと、すっごい頭のなかが大混乱なんだけど......じゃあ君は、過去から来たの?」
「どうなんでしょう......この世界には僕の方が後から来たけど、凛さんは未来人だから僕よりも後に来ているはずで......だけど凛さんは僕よりも前からこの世界に来ていて......って、なんだかこんがらがってきた......」
「うーん......つまり、この世界では現代の時間の法則はまったく無視されてるってこと......なのかな」
「というよりは、この世界と現代では時間が繋がっていない......って感じじゃないでしょうか」
自分でもあまり深く考えずに話しているのだけれど。
少し頭のなかで整理してみるか。
時間が繋がっていない......ってことは、もし他に僕ら以外の日本人......だけじゃなく、現代の人がいるとしたら、それは僕らの言葉がまったく通じない遥か過去の人間か、逆に遥か未来の人間である可能性がある、ということか。
しかしこうしてここに来たのは、それらと比べれば近いと言える時代同士の、しかも同じ日本人で......となると、何か法則性みたいなものが、本当はあるのかもしれない。
確かめようがないけど。
せめてあと一人現代の人間がいれば、ある程度予想はできるんだけどなぁ......
......うん、もうやめよう。これ以上この話題について考えるのは。
そんな過去の話をしていたって、もう戻れやしないのだから。
さっきから考えても仕方ないと思ったことは直ぐに投げ捨てちゃってるような気がするけど、それはそれ。
そんなことより、まず僕らは今を考えなくては。
未来に繋がる今の話をしよう。
「それはともかく、凛さんって――」
......と、僕と同じようにステータスがおかしかったりするのかなという質問を行おうとしたそのときである。
「――お父様なんか嫌い!!」
そんな叫び声が聞こえたかと思うと、ガンッとドアが蹴破られるように内から開き、中から不機嫌そのものといった表情のお嬢様が出てきた。
この数日でダントツトップの不機嫌っぷりだ。
全身から不機嫌という名のオーラが漂っている気すらする。
一体何があったのかとドアの奥を覗けば、そこには頭を抱えて椅子に座るルルド総統の姿が。
その顔は弱々しく、さっき見た顔のどれとも違っていて、また別人の首でも差し替えられたのかと思った。
七変化がうまい方だ......って、そんな感想言ってる場合じゃない。
「お、お嬢様......一体どうなされたのですか?」
おどおど、といった様子で僕はお嬢様に問う。
初めて見る激怒の表情だったもので、質問すること自体を迷いはしたのだが、しかし逆に考えて、質問しないというのも失礼にあたるかもしれないという結論からの行動だった。
しかしお嬢様はそれをまったく無視して、
「行くわよ」
と言って僕の首根っこを掴んだ。
表現ではなく、物理的にである。
「え?」
そのまま、引き摺られるように......ではなく、直接引き摺られて、僕はお嬢様に連れて行かれる。
......どこに?
「え、ちょ、お嬢様!? どこに行くんですか!?」
「偵察よ! て、い、さ、つ!」
分かってないわねぇ! とでも言いたげに区切って言うお嬢様。
片手で僕を引き摺っているというのに、歩きにはまったく乱れが見えない。
どれだけ怪力なんだ......と思ったが、そういえば今はお嬢様は僕に触れているから、触発の付与が発動しているのか。
どうやら服でも作用するらしい。
......いや感心してる場合か。
「あ、あのお嬢様、一回離しては頂けないでしょうか......このままじゃ立とうにも立て」
「嫌よ」
「嫌なんですね......」
立つことは許されないらしい。
このままされるがままに城を進めというのか。
母ライオンに運ばれる子ライオンの気持ちがよく分かった。
これでは晒し者だ。
子ライオンは近所の笑い者になってしまう。
僕も然りだけど。
これは中々、精神的にキツイものがあるぞ。
......そういえば凛さんは?
「――え、えーと......またお話しようね、神君!」
ほぼ僕と同じタイミングで正気に戻ったのか、先ほどまで呆然としていた凛さんが僕に向かって言った。
ルルド総統も忙しいだろうし、またがいつ来るかなんて全然分かりはしない。
今日また会えるかもしれないし、年に一度も会えないかもしれない。
しかし僕は、段々と離れていく彼女の顔を見ながら、それに苦笑いで応じた。
また話したい。
そういう気持ちは、確かにあったのだ。
「......ふふっ」
僕の苦笑いをOKと受け取ったのかどうか定かではないが、凛さんはそれを見ると、小さな笑いを漏らして手を振った。
もしかすると、ただ分からなかったから笑ったのかもしれない。
真意は分からないけれど、取り敢えず僕も引き摺られたまま手を振り返し、そして彼女の姿は見えなくなった。