プロローグ『二度目の契約』
「――よし! 今日から夢の高校生活の始まりだ!」
僕は勢いよく、あるいは元気よく、ペダルに力を込めて自転車を走らせていた。
舞い散る桜の花が、今日という日のために花道を作ってくれているようにすら思えた。
そうだ! 僕は今日から高校生だ!
辛かった受験も終わって、これからやっと青春を謳歌するんだ!
ブレザーの首が涼しい感じも新鮮!
何もかもが新しく見える!
いつもは通らない道! ドキドキで一杯だ!
「はははは! イヤッホォ――!!」
そんな風に浮かれていたから、なのだろう。
普段はしっかりと確認してから曲がる曲がり角を、自転車のスピードそのままに飛び出してしまったのは。
ここでトラックが通ろうと通らまいと......昨日ならば、僕は命を失いはしなかったのだ。
たまたま今日、今日だったから、今日はたまたまトラックが通って、今日がたまたま高校生活最初の日だったからこそ、僕は一つしかない命を......落とすことになった。
キキィィィィ!!
閃光のようなライトが、僕の全てを照らし出す。
走馬灯、というやつだろうか。
僕の人生の思い出でも、よく心に残ったことが、次々と思い出されていく。
だけれどもその中に......中学の記憶は、受験に受かったことしかなかった。
――あぁ、僕の青春って......空っぽのまま、終わるんだな......
ガンッ!!
そして僕、魂隠神は死亡した。
◇ ◇ ◇
それから数時間後。
「――その身に刻め!! 契約をォ!!」
僕は真っ青な天空の中で、叫んでいた。
ぼんやりとしていた視界が、一気に現実味を帯びて瞳に映る。
存在していなかったはずの手足が伸び、僕の体は再構築されていく。
真下。
広がるは緑。
その中、目指すは金に輝くその一点。
そこは他が木々に囲まれている中で、唯一開けた場所であった。
赤、黄、白など様々な花が、まるで絨毯のように咲いている。
その中央、金は一際強く、鮮明に輝いて見えた。
天空から体一つで落下している僕は、ただそれだけを目指して姿勢を制御する。
例え足から着地しようと、普通ならこの高さでは死んでしまうだろう。
一瞬、トラックと衝突したときの、あの体の内側から這い上がるような恐怖を再び思い出した。
でも、今の僕はあのときとは違う。
いけるはずだ。
今の僕なら......いける!
「――やめて下さい!」
ドゴォオオオン!! という地鳴りと、目の前を茶色く染め上げる土埃、そして色とりどりの花びらと共に着地した僕は、その金髪の少女の前に立ち、言った。
徐々に消えていく土埃の中、次に捉えたのは三人の男。
三人共にかなりの肉付きで、相当な訓練を受けたものだと思われる。
この鬱蒼と茂る森の中、迷彩の軍服が実に似合っている。
その三人が構えるは銃。拳銃ではない、長い銃だ。
銃口は先ほどまでは後ろの少女を。
今は僕の胸を、正確に狙っている。
「あ、あなたは......?」
少女は後ろから、僕の背中に問う。
突然天空から現れたのだ、困惑しても無理はない。
僕が執事服を着ているというのも、その原因の一つかもしれない。
正面を向いたまま、僕は言った。
「祈りが聞こえた。だから助ける」
それが僕のやるべきこと。
そう分かったなら。
「てめぇ......ガキに見えるが、神か」
三人の中央に立っていた男......恐らくリーダーと思われる男が、銃口の狙いを外さないままに呟いた。
神......そう、なんだろう。
今の僕は、神なのだ。
だから。
「多分、そうなんだろうね。だからおじさん、危ないから早く退いてください。僕はあなた達を傷付けるために来たんじゃないんです」
あなた達は、お嬢様のところの人間なんですから......
心のなかで、そう付け足した。
僕の言葉を聞いたリーダーの男は、吐き捨てるように笑う。
「ケッ、やっぱりガキか。その年で神に従いし者とは大したもんだがなぁ、お嬢ちゃん。そんなあまっちょろい神様じゃあ、全然駄目だな。駄目駄目だ」
「......よそ見をする暇があるんですか」
「おーいおい、気付いてねぇわけじゃあねぇんだろ......俺たちもお嬢ちゃんと同じ、契約者だってことによぉ」
そんな......それじゃあ、この男の人達は魂を駆る者!?
ま、マズイぞ......
もし魂でも出されようものなら、僕では敵わない!
しかもこの人数差......どうする、どうする!?
「焦ってんなぁ神様よぉ。見えるぜ。どんなに隠しても、そういうのは分かるんだよ、軍人ってのにはなぁ」
「う、う......」
下卑た笑みを浮かべるリーダーの男に、僕はますます焦りを大きくしていく。
せっかく無駄に格好よく登場したのに、早速ピンチ!
やばいやばい!
せめて僕が足止めをして、彼女だけでも逃がさなければ......!
怖くて震えているのがバレないように、やはり正面を向いたまま、僕は優しげな声で後ろの少女に告げる。
「いいかい、僕はこいつらの足止めをしておくから......君は逃げるんだ。全速力で」
これで格好よく、華々しく散れるというもの。
どうせ一度失った命だ。ここでもう一度失おうと、悔いはない!
まぁ元々命なんてないんだけど!
しかし、返って来たのは僕にはまったく予想外の言葉で。
「――嫌です! 神様が行かれると言うなら、私もご一緒します!」
そう言いながら、僕の足に抱き付いて来たのだ。
初対面だというのに、一体僕にそこまで何の思い入れがあるというんだ......!?
「お美しいねぇ。小芝居は済んだかい?」
「ちょ、君、離して! このままじゃ撃たれちゃうよ!? 君ごと!」
「本望です!」
涙目でガッチリと捕まえられ、僕は身動きすら取れない。
このままじゃ......!
「さて、それじゃあそろそろ終わらせるか......お待ちかねだ皆ぁ!」
そう言った男は、さっきまで持っていた銃を投げ捨てると、隣の二人と息を合わせ......叫んだ。
「「――契約を!!」」
瞬きの間に、三つのそれは出現していた。
一つは、頭から角を生やして不気味に嗤う少年。
一つは、隙なく大剣を構えた初老のお爺さん。
そして最後の一つは、他の二人とは別格の、禍々しいオーラを纏った黒い悪魔。
魂だ。
僕も見た......というよりは、僕とほぼ同じ存在。
圧倒的な力を持つ、命なき者。
「このガキが神ですか......我が主殿」
一瞬で緊迫した空気の中で、まずは悪魔がそう口火を切った。
「ワシゃあ気乗りせんがのう......しかし主の命令ならば、逆らえまい」
続けて初老のお爺さんが言う。
気乗りしないとは言いつつも、鋭く尖った眼光は、しっかりと僕を貫いていた。
「僕は楽しめれば何でも満足だけど! ね? お、に、い、ちゃ、ん?」
更に続けて、キャハキャハと楽しそうに嗤う少年が、僕に向けてそう言った。
自分の期待を裏切るなよと......そういうこと、だろうか。
「くっ、やるしかないか......!」
もう足をどうとか言ってられない。
じりじりと近付く三人の魂を、どうにかして消さなければ......僕と彼女に明日はないのだ。
「――うおおおおお!!」
一閃。
僕は腕を......横に凪ぎ払った。
もちろん、直接当てるために放ったのではない。
神や魂と呼ばれる超常的存在のみに許される、異能の力の一つを使ったのだ。
身体能力の極限強化。
体内のエネルギーを局部に集中させることで、一瞬のみ異常な身体能力を発揮できる。
とはいっても、僕は最弱とまで呼ばれた存在。
大した効果は期待できないが、せめて足止め、目眩まし程度ならばこれでできるだろう......そう思っての行動。
......そのはずだと思って......
「......え?」
しかし現状は違った。
あまりに違いすぎた。
僕の力が及ばなかったのではない。
最弱という冠を頂いた僕の力が、現状を打破するに何の威力も示さなかったのではない。
逆だ。
示しすぎた。
僕の力が......及びすぎたのだ。
「え、え......? え?」
僕はひたすら、把握できない現実を見つめることしかできない。
目の前、広がるは緑。
それは先程までの景色。
今は違う。
しっかりと青が見える。
それに茶色も。
木々は倒れ、地面はえぐられ、持ち上げられ。
地震か、はたまた土砂崩れでも起こったのではないかと思うほどに壊れた景色。
底抜けたような青空が広がっている。
僕がやったのか?
これを?
腕の風圧で?
じゃあ、さっきの人たちは?
吹き飛ば......された?
腕の風圧で?
そんなバカな......僕は最弱、なんてことを言われたはずなのに。
――これじゃあまるで、最強じゃないか......
「――あ、あ......神......様」
僕の後ろで、そんな掠れるような声が聞こえた。
ようやく現状理解を終えた僕は、ひきつった笑みを浮かべながら、振り返る。
こういうときは......そう、こっちではこう言うんだ。
「――え、えーと......よろしくね、我が従者」
頬をかきながら、弱々しく。
自分なら、絶対こんな神様には付いていきたくないと思えるような、貧弱極まりない笑顔であったと思う。
「......っ、はっ、あ、えっと......」
僕の言葉を受け、少女はあたふたと慌てだした。
......しかしこうしてみると、やはり綺麗な女の子だ。
輝かしい金髪の上に赤いバンドを付け、長い髪は三つ編みにして背中へ垂らしている。
端正な顔立ちと、雪のように白い肌は、まるで童話に出てくるお姫様のようだ。
美しく澄んだ碧眼はうるうると僕の瞳を見つめており、そこから感じる予想以上の信仰に、僕は戸惑う。
立ち上がったその少女は、真っ白なワンピースをパンパンとはたいて汚れを落としてから、僕に頭を下げて言った。
「――はい、我が主様」
......こうして僕は、二度目の契約を交わしたのだった。
どうして死んだはずの僕が、こうして存在しているのか。
それも、こんな不思議な能力がある世界で。
それは決して、生き返ったからではない。
ましてや、転生したからでもない。
説明が必要だろう......僕が最初の契約を交わすまでの。
グラズヘイムの契約者と出会うまでの、物語の。
僕が二人の少女を守るようになるまでの......序章の話をしよう。