1話
二〇二九年四月
二〇二九年四月一三日この日、人類の一部、ヨーロッパ、アフリカから西アジア諸国の天文学者、いや天文学者だけにとどまらず、多くの人は皆空を見上げていた。それは、地球上に最接近する小惑星『アポフィス』を見る為である。地球近傍小惑星であるアポフィスは直径三二五メートル、アデン群に属する小惑星で、潜在的に危険な小惑星とされていた。その小惑星アポフィスが地球のすぐ近く、ほんの三二五〇〇キロ、月よりも近い、静止衛星の軌道とほぼ同じくらいの場所を通過していく。最接近に伴い、地球の周りを回る人工衛星のいくつかに衝突し、その軌道を少しだけずらしながら、地球近傍を通過していった。それまでは、アポフィスのトリノスケール、つまり地球に落下する可能性を示す指数はゼロだった。しかし、人工衛星がぶつかった衝撃で、ほんの少しずらされたアポフィスの軌道は、次回地球に最接近する時には衝突するだろうと、軌道計算した天文学者は口々に言った。
その時点でトリノスケールは8に引き上げられ、アポフィスに対する備えを始めた。しかし、昔よりも宇宙への打ち上げは安全で安上がりになってきていたとはいえ、それでもまだまだ人類にとっては宇宙は遠い場所だった。
この事態に憂慮した国連は臨時総会を開き、各国の首脳を集めた。その席に物理天文学者のフレデリック・湯川は招かれ、各国首脳に危険性について説明を行っていた。
「先ず初めに一つだけ言わせて頂きます」
神妙な面持ちで、湯川は話し始める。
「今回接近した『アポフィス』は二〇三六年四月一三日、また地球に最接近……いえ、今度は最接近ではありません。その時には地球に衝突する軌道に今回の接近で軌道が変わりました」
各国首脳は湯川の言葉に解ってはいたもののやはりショックを受けたようだ。その中の一人が湯川教授に質問を行う。
「湯川教授、教えて頂きたい」
「どうぞ」
湯川は質問を受け付ける。
「今回の接近で軌道が変わり、次回地球に衝突する軌道になる事は解らなかったのですか?」
湯川は肩を竦める。
「ええ、もちろんその可能性がある事は解っていましたよ」
その言葉に一同驚き、非難する言葉が相次ぐ。
「静粛に、静粛に!」
議長は慌てて各国の代表を宥める。しばらくして、ようやくそれが収まると湯川はまた話し始める。
「一部の学者は最初にアポフィスが見つかった時には警鐘を鳴らしていました。しかし、それは様々な学者の意見の相違により衝突の確率は三十五分の一になりましたが、最終的には百万分の一という確立にまで落とされ、トリノスケールはゼロにまで落とされました。しかし、一部の学者たちは観測を続け、今回の結果に至ったのです。公式に発表された物を覆す事は難しい事です。我々には何ともできませんでしたよ」
湯川がそこまで話すと、また先程とは違う代表が質問する。
「湯川教授。二〇三六年にアポフィスが地球に衝突した場合、どれくらいの被害が予想されるのかね?」
その質問に湯川は答える。
「恐らく地球文明の滅亡や、恐竜たちを絶滅させた様な氷河期の到来までは無いでしょう。しかし、アポフィスの質量は七二〇〇万トンもあり、TNT換算をすると五一〇メガトン……ヒロシマに落とされた核爆弾の威力が一五キロトンであることを考えれば、その威力は想像を絶するものである事はお分かり頂けるでしょう」
各国の代表は湯川の話に言葉も出ないようだ。それくらい湯川の言葉は衝撃的だったのだ。
「湯川教授、よろしいかな?」
また一人の代表が話しかける。
「どうぞ」
「アポフィスの衝突を避ける方法は有るのかね? まさか、何にも対策が無いわけでは無いだろう? 君たち学者は何も考えていないとは考えられないからね。どうすればいいのか教えてくれないかね?」
湯川はその言葉に、少し微笑みながら答える。
「もちろん、様々な方法が考えられています。重力トラクターを使った方法や、ヤルコフスキー効果を利用したもの、アポフィス自体にロケットを付けて押しのける方法等等、様々な方法は考えられています」
その言葉に各国の代表は安堵する。
「しかし、そのどの方法を用いるにしても、かなり早い段階で実施しなければ相当なエネルギーを使う事になるでしょう。地球の近傍に到着してからでは遅すぎるのです。衝突コースに入ってからでは、どれだけのエネルギーを使ってももう衝突を避ける事は出来ないでしょう。だから早くその何れかの方法を使って、アポフィスの軌道を変えなければいけません。もう時間は無いのです。七年しか時間はありません、各国の代表には今すぐそれぞれの計画を実行に移すよう尽力していただかなければなりません!」
湯川は力強くそう最後に言葉をしめ、演説を終らせ、壇上を降りる。そこからは各国代表が討議を行うが、湯川はその討議を聞く事もなく議場を後にする。議場を出た所で湯川の研究室の助手の宮野葉子が声を掛けてくる。
「お疲れ様です教授。どうでしたか?」
歩きながら肩を竦めて答える湯川。
「さあね、まあ大変だという事は伝わっただろう」
宮野はがっかりして答える。
「そうなんですか……間に合うんでしょうか?」
「まあ、そこまで馬鹿ばかりじゃないだろう。どこかの国、まあ、アメリカあたりが引っ張って行ってくれればそれほど考えなくてもいいんだろうが……それか、日本か……まあどちらにしても我々学者の役目はもうほぼ終わった。後は国のお偉いさん方が考えるだろう」
国連の本部ビルを出て、迎えの車に乗り込む二人。そのまま空港に向かいアメリカを後にする。