生命・生きるとは
生命とは、生きること
生命のレポートについて書く前に生命という定義を調べてみた
生物学
・生命の内部と外部の世界が物質の交換という代謝が見られる。
・同じ形の個体を再生産する、これを遺伝と生殖という
この二つの条件を満たすものを生物という。
最小は細胞であり細胞分裂と代謝を満たしてる。
ウィルスに関しては曖昧です。
増殖はするが代謝はしない。
よってウィルスは議論の段階で意見がわかれる。
宗教
霊魂や自然の超能力を生命の根源と考える。
人工生命
人の手によって作られる生命である。
人工知能や独立したコンピュータも含む。
更に人工ウィルスも作成に成功している。
よって生命と言えるのか大きく議論されている。
物質主義や機械論や有物論
霊魂や自然の超能力を否定しあくまでも生命は物質に過ぎないという主義。
人間さえも精巧な機械的に考える。
意識や感情さえも精密な機械である。
情報とエネルギーさえあれば生命と呼べる。
イデア論
精神や理性や意識を主体とする。
まずは精神が先にあり肉体は後からという考えである。
物質主義と対立
集中しから派生したわけではなく哲学や思想からである。
等Wikipediaから引用
以上より生命の定義を調べた
宗教や生物学などによって様々だとわかった
では長生きするためにはと考えると2通り考えられ
①倫理的な長生き
②人工の手による長生き
①は自分が考える限り医療が発達する前などは①という選択肢しかなく
②は医療技術が発達したことによるために起こった新しい選択肢である
ではこれからどのような延命が考えられるか
③デバイスなどにその人の頭脳をアップロードする
③は「トランセンデンス」という映画で出た話ですが死亡した配偶者の脳の記憶データーをスーパーコンピューターにインストールさせ蘇らせるという仮想の話ですが、今後の医療技術の発達を加味すると可能性はすくなからずあると思います
では倫理的な面から考えるとどうなのか、、、そう考えるとデバイスから出られなく人権もしくは生物学的な話では厳しいかと思います。しかしイデア論や人工生命、物質主義や機械論で考えると有効であります。
では最新の医療は悪いところばかりなのかというとそうでもないと思います
いま東京大学で感覚拡張デバイスの開発が進められています。このデバイスは視覚障害者のために作られたもので、車を避ける、家族がどこにいる、熱湯を触らないようにするといった危険から免れるために作られたもです。果たしてこれは延命にはならないのでしょうか?
Darwinの進化論にこのような言葉が出てきます。
「新たな環境の変化に適応できたものが生き残る」
人間は進化していかなければならないしその文明、宗教、しきたりなどに沿わないといけない。ではこれは誰の問題なのか、誰の生命なのか。
例①
Aさんがいて延命治療をしないともう長くはないと言われました。
Aさんの家族は延命治療を受けさせたい。
でもAさんは楽になりたかった。
例②
同じく延命治療を受けなければ生きられないBさん
Bさんの家族は楽にしてあげてくださいと言った。
しかしBさんはまだ家族の声をもっと聞いていたかったし家族のために生きていたいと思っていた。
上の2つの例のようにこういった家族と当人のQOLの考え方の違いは必ずとも一致するとは限りません。
ではどうしたらいいか、
例えば家族または身内としっかり性への価値観について話し合うことが大切だと思います。延命治療が悪いのか、倫理的な長生きがいいのか、それを決めるのはやはり当人だと思います。患者自身の意見を尊重し、充足感を満たす手助けを周囲の人が行い、当人が悔いなく、その人生に終わりを迎えられることが生命だと自分は思いました。