親子の家にて✱
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「ううん……」
ルークスは頭の整理をしながらお皿を洗っていた。
サンドイッチを乗せただけで、お皿自体は大して汚れていないのを知っているのに、知らずに何度もごしごし擦っている。
そのぐらい言われた事実が混乱を招くものだった。
――ここじゃない世界から来たの。
迷子の女の子が、覚悟を決めて開いた口から出て来たのは予想外の言葉。
嘘だ、冗談言うなと呆れが湧いたけれど女の子の顔が蒼白になり小刻みに震えていたから、否定の言葉を返したら簡単に壊れてしまうんじゃないかと感じた。
あんなボロボロになる寸前の子が、嘘をついてるなんて思わなかった。けどすぐに信じることもできなかった。
後ろで控えてる他の4人も深刻な表情をしてて誰ひとり嘘なんてついてなかった。
それより喋ってる言語が知ってる言葉じゃない。
まず深呼吸をしてからひとつずつ確認するように聞いていった、別の世界から来たのなら何かが違うはず。それで真っ先に思いついたのが文字。
別の世界がある前提に考えると全ての世界が共通の文字とは思えない、この文字は原始人が創り出したものだから。生まれた時からあるものじゃなくて成長する過程で生まれたもの。
――そう考えて渡した紙は、全く知らない文字が書かれて返されてきた。
……そうでなくても、このままこの人達を追い出したりなんて自分はしたくないけれど。
「異世界、なんて……」
呟いた時に擦りすぎに気がづいてプレートを流し台の底に置いた、次にカップのひとつを取ろうとして滑った、あっと声をあげて両手で落ちることを止めた。
「はぁ」
迷子たちの想像のできなかった説明に慌ててるんだと自分に言い聞かせて、考えは洗い物を終わってからにしようと無心になって次のカップを掴む。
「そんな小説みたいな話……ん?」
汚れを落として全てを水で綺麗に洗い落としたところで閃いた。まだ布巾で拭く過程が残ってるのにキッチンから離れる、手を拭くのが忘れていたけど戻るのがもどかしく服で拭いてしまう。
リビングの隅に存在する1人用のテーブルまで急ぎ足で歩いて椅子を引いて座る。
ここの席は母親の席と決まってるところで、普段座ってはいないし座る必要もないけど、今は違った。
リリアスの趣味は創作だ。
あの話が小説みたいな話しなら、きっと母さんが書いてお話の中に似たようなのがあるはず、パソコンに齧り付く母を見て疑問を口にしたらファンタジーものの小説を書いてるって返事が来たから。
閉じたノートパソコンはどう開けられるのだろう、力いっぱい開こうとしてもびくともしない、子どもが勝手に弄らないように重くしているのかな。
「ただいま」
「!」
痛んだ指先を冷やそうとぱたぱた振ったら母親のリリアスが帰ってきて慌てて椅子から飛び降りる。やばい、玄関からリビングはあたりまえだけど一直線。
「ルークス? なにしてたの」
「な、なんでも」
扉が開く前に椅子を戻せた、けど声が上擦ってしまったから怪しまれる、いや怪しまれてる。
首を傾げたリリアスが口元を面白そうに吊り上げてゆっくりこちらに向かってくる。
「なにか、してたのかしら?」
「なんでも……!」
「ふーん、そっかー」
わざとらしく棒読みしてから、人差し指をつきつけてきた。指を差されただけなのに謎の威圧で怯む。
「まぁ、いいや。ルークスのお願いこと見つかって神社に渡せてきたし」
「え?」
何を言われたのかとっさにわからずに聞き返す。お願い、神社。脳内に引っ掛かる単語はいくつかあるけどあとひとつピンと来ない。
「もうすぐ七夕でしょ? この前短冊渡したよね」
「……は!?」
答えを言われたら確かにと納得して、直ぐに恐ろしい回答にも辿り着く、「ルークスのお願いこと」を渡せた、とさっき言っていたなら短冊を神社に渡しに行っていた?
「短冊、捨てたはずだけど」
「部屋の掃除は誰かしてるのでしょうか」
「……こ今度から自分でやる! ってかゴミ箱に入ってたのをなんで渡すの」
顔に熱が上がってくるのがわかった、自分もそうだけど母親は子どもっぽい性格だと思う。まぁ真面目になるときもそこそこあるけれど。
「……できるといいね、――」……
「くっ……」
屈み込んでそう微笑んである単語を紡ぐ。一段と顔に血が登り呻いてしまう。
言い返せないのはそれが切に願ってることだから。
前言撤回、やっぱお茶目だ。
親らしい威厳というものはどこに置いてきたのだろう。
「あの子達、サンドイッチきちんと食べた」
「うん……、パンにバター塗ってベーコン焼いたの挟んだから」
「なにそれ、何が言いたいの」
「味がしないの、なにあのトマトとレタスだけのやつ」
短冊の件で生まれた悔しさと恥じらいの仕返しとばかりに皮肉めいて言い放つ。
「ベーコン使ったら、明日買い物行くまで野菜オンリーよ」
「ひと工夫すればどんなものでも美味しくなるよ」
こればかりは重みを含めて言う、余計な話だろうけどリリアスは料理が上手ではない。極端に不味いまでとはいかないが味がしない料理が多い。
「……あの子達どうするの?」
そこで、切り替えて一番に思ってることを聞く、リリアスは何か不満げだったが真剣に問うルークスに向こうもひと呼吸置いてから口を開いた。
「迷子、なら……家があれば送るけれど」
「ま、迷子でも、家がどこにあるかわからなかったら……」
「落ち着いてからそのこと聞いてみるから、あの子達も疲れてるからお風呂に」
「待っ……!」
踵を返しかけたリリアスを引き留める、出会った時は違和感を感じなかっただろうけど少し落ち着いた今察してしまうんじゃないか、彼女達の発音する言語が違うってことに。
目を一瞬だけ丸くして、何? と声が降ってくる、慎重に言葉を選ぼうとして止まった。
言葉が違うなんて。なんて伝えればいいのだろう。
「お風呂は、自分が言ってくる」
視線を合わせてるわけでもないのに逸らしながら告げる、言葉が喋れないとか記憶喪失とか、知らないってことを避けて上手く取り繕うものが見つからないから、どうか察しられませんように。と目を伏せる。
「同い年のルークスが言いに行ったほうがいいよね」
返ってきたのは疑いのないものだった、ポンポンと頭を撫でられて顔を上げる。振り向けば椅子を引いて専用席に座るところだった。
二階に行かないことを確認してほうっと息を吐く。
「あ、それとさ……気になったことあるんだけど」
「ん? なあに?」
ノートパソコンの端にあるボタンを押しながら開く、なるほどそこを押しながらじゃないと開かないのか。
などと感心しても、多分開けに行くなんてそうそうないけれど。
今更思ったことだけど、母さんが趣味で書いてる話に異世界物語があってもせいぜい物語の話で、帰れる方法が正しいとは限らないし。
「言葉って、種類ある?」
「種類……? ないけど、どうして急に」
「あっ、いや。ないならいいんだ……それだけ!」
訝しげな視線を送られてぶんぶん手を振る、まだ電源のつかないパソコンの画面に慌てた姿の自分が映る。
じゃあ、とリリアスからも画面からも離れるように踵を返したとき、
「……確かに、昔は色んな言語があったけれど」
呟かれたそれに足を絡め取られ、全身を捻るように振り返る。はっきり聞き取れた内容は本人も確信していないのか不安に揺れていた。
「でも、今は……統一されてるよ。全国で統一させようって……前に聞いたようなー……?」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、うんうんと唸る。昔に言語の種類がたくさんあっても統一されてても、今更それがわかってあの子達がどこかの国出身の可能性が見えても、もう意味はない。
「もう、いいよ。ところで今何調べてるの?」
これ以上考えられたらまた察しられるんじゃないかと不安がつのって話題を送る、それでもしばらく頭を押さえて考えことをしてたけれど、やがて息を吐くと振り返ってこう言った。
「養子についての条件、よ」