僕らの『性』論争
言わんこっちゃない。
ガルドは突撃を繰り出したが、それは軽くいなされ無様に投げられていた。
テーブルは散乱とし、そのガルドの巨体の重さに耐えきれなくなった脚は粉々に粉砕されてしまった。
場は、嵐が通り過ぎたかのような惨状であった。ざっと修繕費を暗算した。そして頭が痛くなった。
投げられ、転がっていたガルドだが、素早くリカバリーを完了させまた性懲りなく突進を繰り広げる。<猪突>の二つは伊達じゃないみたいだ。
「獣が」
冷たく言い放ったのは、一人の女だ。薄い革鎧で身を包み、腰には無骨な剣を下げている。しかも美人な女だった。
一目見て、関わらない方がいい人種だという雰囲気を醸し出していたのにも拘らず、頭のネジが緩いのかガルドは絡み、怒りを買い、そしてただいま絶賛喧嘩で負けムードだ。
この争いの元凶は、全てガルドにある。というのは、少し言い逃れが過ぎる気がする。だから、この責任を負うのならばこの場に居合わせた、僕とティーロにもある。あと、酒のせいでもあるのも確かだ。
*
場は、いつもの酒場。言い出しっぺは、やはりティーロだった。
「ふふん、これを見ろ」
そう言いながら机に出したのは、小さな封筒であった。可愛らしい装飾が所々にあり、恐らくこれを出したのは女性なのだと、安易に予想が付いた。
「そいつがどうした」
ガルドは体格的な意味で見ても、あるいは精神的な意味で見ても、大物である。遠慮などなく、そのティーロが出した封筒に先程まで鳥のグリルをつまんでいた図太い指で触る。
「おいおい、丁寧に扱ってくれよ。そいつは、さっき役場のお姉さんがくれたお手紙なのさ」
その時の様子を思い出しているのだろうか。ティーロは気色の悪い笑みを浮かべていた。
「…?それってつまりなんだ?」
そしてガルドはまだ理解に至ってなかったようだった。
「恋文、かな?」
僕が答えを出す。その答えを待ち望んでいたのであろう。ティーロは高らかに笑いながら、頷く。
ティーロはモテる。これは僕らの中では知れた事であった。街にはティーロのファンクラブすらあるというし、一緒に市場へと出掛ければたいていのおばさまたちは値引きしてくれる。けれど、ティーロ自身、恋愛事はそこまで得意ではない。そのため、ティーロにまつわる女性の問題は絶えない。
そして、今回もまたどこか嫌な予感がした。
「フーン。俺だってこんなもん貰ったことくらいあるんだぜ。まったく、やれやれだぜ」
ガルドは真顔で嘘を言った。僕はガルドに夜遅くに呼び出されて、「なんでティーロばっかりモテるんだろうな。全く、世の中不条理だよな。」という哀愁漂う顔で、世の中の不条理について嘆いていたをすぐに思い出すこととなった。
ガルドは、それを言ってから僕にその相談をしたことを思い出したのか、ハッとした顔で、僕を見る。
そして素早く瞼を閉じたり開けたりして、口止めの合図を送ってくる。
「なんだ?ドライアイか?最近の子供には多いと聞くが、もしかして作業のやり過ぎか?」
ティーロが疑問をぶつける。
「ちげーよ!ウインクだよ!つーか、作業ってなんだよ!」
どうやら、さっきの瞼の運動はウインクだったらしい。
「ほら、アレだろ。夜の作業といったらアレしかないだろ。アレ。全く、言わせんなよ」
頬を少し赤くさせ、アレアレと連呼し始めるティーロ。心は昔から変わらず、青少年のままなのだ。
「おお、アレか」
そして理解していないだろうガルドは適当に相槌を打つ。それを大して気にはしない。あまりにもいつもすぎるやり取りだった。
「でも知っているか?ガルド」
ごほん、とわざとらしい咳をして別の話をし始めるティーロ。
「何をだ?」
ガルドとティーロは顔を近づけて話す。なんだか、その様子は妙に楽しそうに見える。
「この前、ノンは告白されたらしいぞ?」
「な、に?」
ノン。僕の名前だ。本名は、カノンというのだが、それではあまりに女の子っぽいので仲間内ではノンと略して呼んでもらっている。父さんの話だと、母の胎の中にいる子供は女の子であろうと父さんは母さんと賭けをしていたらしい。そのため、ギャンブル好きの父さんは最初から女の子の名前しか用意していなかったらしいのだ。
もちろん、最初この話を聞いた時はなんて親なんだとは思ったが、やはり時を過ぎると何とも感じなくなるもので。むしろ最近では人におぼえやすいという利点があることに恩恵を得ているのだから、感謝すらしているほどだ。
ティーロはテーブルに置いてあるおつまみに手を伸ばしながら、僕の方を見た。いたずらが成功した時みたいな、無邪気だがそのニヤニヤとした顔は少し殴りたいと思った。
「そうだね」
僕はすましたような顔を作りながらコップに手を伸ばす。しかし、内心では心臓がいつもよりも少しだけ速いペースで鼓動を打っていた。
「なん、だと?」
僕以上に、この場の誰よりもその事実に驚いていたのは、ガルドであった。雷に打たれたかのように、動きを止めその大きな口をだらしなく開放していた。そのおかげもあってか、僕は思った以上に反応することはなかった。
「つまりだ。この中で童貞はガルドだけだというわけだ」
「うがーー!!」
その叫びにどこか哀愁が漂っていたことを僕は感じた。
童貞という言葉は、ガルドにとって最大の禁句といっていい。脳みそまで筋肉で出来上がっていそうなほどの重量感を持つ、彼に女っ気などあるわけがない。娼館に行く勇気もないガルドに増えていくのは、要らぬ性知識と底の方から湧き上がるような強い性欲のみ。そして、そのおかげで今までよりもいっそう『女』という文字から遠ざかっていくのだ。
「うがぁーーー!!」
「うわ、泣いてるぜ。こいつ」
呆れた顔でどうにかしろよ、と言った感じの助けを求める目を僕に向ける。
「自分で泣かせといて僕に振らないでよ」
「頼んだぜ」
全く悪びれないティーロに少し辟易したが、僕はガルドを慰めるべくその図太い僕の頭ほどまで大きい肩に手を置く。
「よしよし。大丈夫だよ。ああ見えてティーロも童貞だから」
「テメー!騙しやがったな!」
一瞬で錯乱状態から復帰したガルドは電光石火の速さでティーロの胸倉を掴む。
ティーロは顔もいいし、体格もしっかりしていて頭だっていい。その上、その紳士的な性格からか、女性から絶大な支持を獲得している。しかし、実際のところ精神的には十四歳の頃から何も変わっていないようで、その時に得たという謎の性知識と究極的なまでの間の悪さのせいで、付き合う所まではトントン拍子で進むがその先まで発展したことはない。
ガルドと同じように、性行にまでは運んでいないようでたまに「俺の何が悪いんだ」というような趣きの切実な悩みを打ち明けられることが多々あるのだ。実際の所は全てティーロが悪いと僕は判断している。
「待て。ガルド」
「遺言か?」
既に分厚い拳は振りあげられていた。後は振り下ろすだけでティーロの頬を的確に貫くだろう。さすがのティーロでもガルドの拳が直撃したら、ひとたまりもないだろう。
「よく考えるんだ。ノンは否定したか?大人の階段を登ったことを、一言でも違うと言ったか?」
ティーロは怒りの方向をこちらに向けてきた。理不尽だ、と言いたいところだが、今の彼に人間の言葉が届くとは思えなかった。むしろ猛獣か何かのような感覚で接したほうがいいのではないのか、とすら考える。
「ああ。お前らは俺の怒りに触れたぞ。上等だ!!ティーロ!ノン!」
ガルドは僕らの名前を高らかに呼ぶ。獣のような鋭い瞳がどこか幼げな輝きを見せる。その様はまるで、子供が面白いことを見つけた時のそれにそっくりだ。
僕ら以外の酒場にいた連中は、何事かという風に一瞬、この大男を注視したが、「なんだガルドか」と合点がいったのかここの楽しみに戻っていく。
「勝負だ!」
そう、これはいつもの事。何か彼の中で理不尽を見つけると勝負せざるを負えないのだ。
「面白そうだな」
ティーロが話に乗る。
「待ってよ。勝負って言っても何をするのさ?」
「まあ任せろって」
俺にいい案があるんだ。とティーロは言うと『勝負』とやらの説明を始める。
抗議を言う間もなく話が進んでいく。彼らの手にかかるとほんの些細な日常がおおごとに変わっていくから、不思議なのだ。だから、今回もまた大ごとになるかもしれない。今ここで止めておかないと、面倒なことになるのかもしれない。
でも、まあいいかと流されてしまう僕がいた。
僕らは何も変わらない。幼き頃に出会った時から、何一つとして。僕らはいつもみんなで笑って、一緒に楽しい時間を過ごすのだ。そしてまた次の日には、何かする。
いくら理不尽にのしかかるこの時を重ねても、それはきっと変わらない。変わることはないのだ。
僕は、そう信じている。