最終話 二
ルシオール共和国の最西端。
つまりは、フェーリア神国との国境線に最も近い場所に位置する都市の名を、城塞都市リーベリアという。名前だけで大よその検討がつくのかもしれないが、件の都市は中央に白亜の岩で形作られた城があり、都市全体を囲う様に高さ十メートル誇る城壁が立ちはだかっている。
戦争が起こる事を前提に作られたと言っても過言ではない最前線の土地で、慌てふためく兵達を漆黒の瞳に収めたのはアルストールだった。
「……余計な邪魔が入ったが、なんとか勢力を削れたな」
影武者まで用いて、隣国へと渡った裏切り者。
どれだけ頭を振っても消えない言葉を脳内に押し込めたアルストールは、フェーリア神国側から引き抜いた貴族達を順番に見やる。だが、声を掛けている暇はなさそうだ。
皆が生き残るために苛烈な指示を私兵へと送っており、周囲の状況など見えていないのだから。おそらくこの都市の中で思考に耽る暇があるのは、今回の騒動を引き起こしたアルストールくらいのものだろうか。
そこまで考えた時に、自身も周囲が見えていなかった事を悟る。
「そろそろあなた達が率いる先遣隊の準備が終わりますね。相手側は商都の東側に戦力の大半を集結させているために油断はなりませんが……私が商都へ辿り着きさえすれば戦いは即座に終結するでしょう」
なぜならば、優雅な足取りで固い煉瓦道を歩いてくる者がいたからだ。
もはや見慣れたというよりは見飽きたと言っても良い、漆黒の礼服を身に纏う老齢な男の名はヴァイエル・ハウゼン。今回の策をアルストールへと吹き込み、突き動かした当人だ。
「あなたは都市で何をするのですか?」
「それは語れませんね。ですが、安心して下さい。今回用意した魔導はとっておきですから。感謝すべきは儀式式を発動させる力となり得る、生命と言う名の贄を必死で集めてくれた魔導書に対してですかね」
ハウゼンの実力は疑ってはいない。だが、さすがに作戦の流れが分からなければ不安にもなるもので。真実へと迫る問いを投げてみたが、彼は薄く微笑むのみ。
フェーリア神国にいた時の彼は、形式上はアルストールの使用人という事になっており老紳士の構えを崩す事はなかったが、今は不気味さを隠そうともしないようだ。今ならば暗殺者と言われても素直に頷く事が出来るだろう。
何か隠している事は確かなのだろうが、彼が蘇生の魔導書を求めている事と、贄を捧げる事で発動させる事が可能な禁忌の魔導を用いる事だけは理解できた。元々魔導に対する知識は皆無と言ってもいいアルストールにとっては、それだけ分かれば十分だ。
「そうですか。あなたが何をするのかは想像出来ませんが、私の願いが叶うならば命を懸けましょう」
両国の拮抗状態の崩壊。そして、一国統治による大陸の安定。
数年前から揺らぐ事はない意志を心に刻んだアルストールは、都市を囲う城壁に設けられた門へと足を伸ばしていく。灰色の煉瓦道はよく整備されていて、これから歩む道が平坦である事を教えてくれるかのようだった。
自身の理想に酔っているような気もするが、今はそれでもいいと思った。兵へと檄を飛ばす貴族の声も、出撃のために忙しなく動き回る兵の姿でさえも、今は頼もしいと感じられるのだから。
「あなたの理想が叶うといいですね。いや、叶えてあげましょう。数多の蹂躙と破壊の後に。そして、知りなさい。大陸の安定に……どれだけの血が必要なのかを」
周囲の喧騒に乗って暗殺者の囁き声が聞こえた気がしたが、内容までは理解出来なかったアルストールは内心で首を傾げる。
しかし、戦争以外の事を考えられる時間は、どうやらここまでのようで。
城門前に整列したアルストールの総勢二千にもなる私兵は、主の姿を見つめた瞬間に身に纏う甲冑の胸部を叩いた。騎士の都から伝わったとされる忠誠を誓う合図らしいが、騎士ではないアルストールからすれば、片手を上げて応えるくらいしか出来ない。
それでも彼らは満足したように、胸部を叩いた右腕を下ろして、主であるアルストールに道を譲ってくれた。
左右に均等に分かれた彼らの顔を丁寧に見つめたアルストールは、最後に前方へと視線を向けて。徒歩で数時間はかかる自身が生まれ育った国を。今でも愛している妻と子の笑顔が思い出される、愛しき国を見つめ続けたのだった。
グロッシア歴、百五十三年。
フェーリア神国とルシオール共和国の戦争が開始される数時間前の出来事だった。
*
耳に痛い程の静寂を感じる中で、渇いた墨のような灰色の双眸を眼前へと注いでいるのは傭兵であるアーネスト。
結局は相棒に背を押されて甲冑姿の騎士達に混じる事になってしまったのだが、これはこれで悪くはないと思う。というのは、国のために命を懸ける愚直な姿勢が懐かしくて、久方ぶりに表舞台に立てたような気がしたからだ。
しかし、さすがに騎士を辞めた者が甲冑を纏う事は出来ず、いつもの全身黒ずくめの恰好なのだが。遠目から見ればかなり浮いている事は自覚しているが、そんな些細な事を気にする輩はいない。
「偵察に向かった者の報告では……残り数十分で視認可能な距離に敵が入ります。私達は中隊歩兵陣形を維持。左右に展開している教会の勢力と協力しつつ、商都へは誰一人として通さないように!」
なぜかといえば、兵を率いるアルフォンスの声だけに意識の全てを傾けているからだろう。それを証明するかのように、騎士は一斉に胸部を叩いて合図を送り返す。もはや一個人としての人格を捨て去り、一つの集団へと変貌した騎士達。
二年前はアーネストも彼らと同じであったと思うと不思議に思うが、彼らと共に戦う以上は動きを合わせねばならないだろう。
そこまで思考を走らせたアーネストは、念のために組んだ陣形を再確認していく。
総勢一万の騎士達は東の方角から迫る敵に対して横三列に並び、一列目には兵数四千を、二列目と三列目には三千の兵を配置している。四千の兵で攻撃を受け止め、二列目と三列目は状況を見て戦列に加わる事で、持久戦に持ち込む事が狙いだろう。
攻めというよりも守りに特化した陣を組んでいる理由は、フェーリア神国の戦場の花形が魔導を扱う神父と修道女だからだ。
神都所属の修道女すらも戦列に加えた教会の兵力は、左右にそれぞれ五千ずつ。騎士達が組んだ陣を中心として、単に横一線に並ぶのではなく、敵方向にせり出すような形で陣を整えていた。指揮をするのは、右翼がマウリッツ司祭で、左翼は商都の神父だと聞いている。当然のように、天才少年と呼ばれているラスティも左翼で戦列に加わっているようだ。仮に頭上からフェーリア神国の陣形を見たならば、商都を背に三日月型の陣を組んでいるように見えるだろう。
総評すると、中央突破を狙う敵を騎士達が受け止めて、左右から魔導の矢を浴びせ続ける事で撃退するという事か。
(……短時間でよくここまで協力体制を構築出来たもんだ。二年前だったら個別に陣を組んで戦ってたってのに)
お互いがお互いの長所を生かすように陣を組んでいる状況に感心しながらも、アーネストはそれぞれの手に握る長剣と小銃を強く握り締める。
――十分、二十分。
緊張のために喉が干上がっていく事を感じながら、アーネストは静かに決戦の時を待つ。
戦いの中で己が求める答えを見つけるために。騎士アルフォンスを恨むだけでなく、他に生きる道を探し出せる事を願って。
「――騎士団、大楯用意!」
願いは天に届いたのかどうかは分からないが、二列目の中央に位置するアルフォンスが号令を飛ばす。同じ二列目に所属しているアーネストが遅れて灰色の瞳を眼前に向けた時には、二メートルを誇る金属製の楯が視界を見事に塞いでいた。
しかし、戦場を瞬く魔導光を見れば、状況はすぐに理解出来る。お互いの国が一先ずは牽制の矢を放ったという事だ。
だが、所詮は牽制に過ぎない。マウリッツ司祭が指揮をしている教会の勢力は、空から光輝く矢を地面と垂直に落とす事で壁を作り、騎士側は指示通りに大楯を地へと突き立てる事で全てを弾き飛ばす。城壁を思わせる強固な守りに、アーネストは味方ながらに戦慄を覚えてしまう程だった。
としても、守ってばかりで勝つ事は出来ない事も確かで。
「二列目――射撃準備!」
騎士を率いるアルフォンスは、素早く次の指示を送っていた。
答えを手に入れるためにも、まずは生き残らなければならないアーネストは左に握る小銃を極自然な動作で肩の高さまで掲げてみせる。
狙いは眼前に見える大楯の隙間。隊長が上げる指示によって生じる、僅かな隙間を狙い撃つのだ。当然ではあるが、敵に狙いを付けて放つ訳ではないために、当たるかどうかは分からない。
しかし、二列目に所属する総勢三千に渡る兵が一斉射をしたのならば、数百か数千の打撃を与える事が可能だろう。
「――一斉射!」
声と共に騎士は手にしたボウガンを、アーネストは小銃の弾丸を射出する。耳をつんざく音に顔をしかめたのは筈か程の時間で、教会側も騎士に倣って魔導の矢を射出せしめた。
とりわけ激しいのは右翼が放つ魔導だ。容赦や慈悲などは微塵も無く、マウリッツ司祭を中心とした魔導は『苛烈』の一言で説明できるだろう。対する左翼は騎士の射撃に合わせるように丁寧な攻撃を繰り出しているように思う。
率いる者の違いでここまで変わる事を不思議に思いながらも、まずは一回目の攻防を終了させたアーネストは、一息付こうとする自分を律する。
成果としては申し分ない気がするのだが、どうも引っかかるのだ。
「……敵の攻撃の手が甘すぎます。商都の貴族を取り込んだというのであれば、こちらの倍近くの兵を保有している筈なのですが。さすがに全ては投入しないでしょうが……」
どうやら考えている事は同じらしく、アルフォンスは端正な顔を歪めて見せた。
彼の見立てでは、大楯が揺らぐ程の物量が正面からぶつけられると思っていたのだろう。とりあえずは様子を見ているという事も考えられるが、いたずらに兵を減らす策は賢いとは言えない。隊長ではないが、兵を率いる術を知っているアーネストは嫌な予感がしてならない。
それは皆も同じなのか、大楯で防ぎ、機を見て射撃を繰り返すという単純な作業をしているだけだというのに、重りでも付けられたかのように動きが鈍くなっているような気がする。
(……まずいな。これが敵の狙いか?)
人という存在は押している時は強気に出られるものだが、一度恐怖に縛られると中々抜け出せないものだ。とりわけ未知なる恐怖というものは、底なし沼のように両足を絡め取り、立ち向かう勇気を奥深くへと沈めてしまう。
「なんだ、あの光は……」
「濃紫色の魔導光だと?」
敵の中には恐怖が人の心を縛り付ける事を熟知している者がいるのか、戦場に不気味な輝きが数回瞬いた。
赤、青、黄と三種の魔導光が一般的である中で、特異な魔導の輝きを視認した騎士が口々に疑問の声を上げる。アーネスト自身もフィリア達から話を聞いていなければ、同じような反応をしたのだろうが、種が分かっていれば恐怖は薄れるものだ。
「気を付けろ! 儀式式の魔導を扱う敵がいる。ルシオール側は第一陣を贄に捧げて――強行突破するつもりだ!」
確信はないが間違ってもいないと判断したアーネストは、即座に声を張り上げる。
そして、同時に全身を引き裂かれたような思いを味わう。外れであってほしいが、まるで単純作業のように殺めた相手は元フェーリア神国の者だったのではないか。
ハウゼンと名乗る男に騙され、彼の筋書き通りに命を落とした者達は、ざっと五千に上るだろう。騙した本人は「愚か」だと言うのかもしれないが、アーネストは彼らを愚かしいとは思わない。
彼らにも彼らの事情があって国を離れ、信じるに値する理想があったと思うからだ。
「――下衆野郎が!」
それを良い様に弄ぶ者いると分かった瞬間に、アーネストは悪態を口走っていた。
蘇生の魔導書であるリーヴァの一途な願いを捻じ曲げ、それだけでは飽き足らずに他者の命すらも踏み台にする男がいる事に憤りを覚えたのだ。
しかし、想いだけでは現実は変えられなくて。
命を糧に解き放たれた魔導は全てを飲み込む雪崩のように、騎士が構える大楯を崩していく。濃紫の輝きが空を照らす度に仲間が倒れていく様は、まさに蹂躙という言葉が似合うだろうか。
敗戦の色から瞬時に形勢を逆転させた敵。
まさに絵本に出てくるような『魔法』をかけられた気分だが、抗う手段はある。
いや、切り札ともいうべきか。自分で自分を切り札と言ってしまうのもどうかと思うが、全ての魔導を拡散できる力は十分に脅威となり得るだろう。
弾丸をぶち込む相手が変わってしまったが、大楯部隊が崩れた事で垣間見る事が出来た男を許す事は出来そうにない。残り数分でルシオールの本隊が到着する事を考えれば、ここに残る事は一歩間違えれば戦死する可能性があるという事は分かっているが、アーネストには戦う理由があるのだから。
「機会は一度きりですよ、アーネスト? ここは慎重に動くべきです」
しかし、急ぐアーネストを止める男がいた。
言葉だけでなく、右肩に手を置いたアルフォンスである。
「――慎重に? あんた正気か? 今も仲間が倒れてんだろうが!」
部外者であるアーネストでも声を荒げるような状況なのだ。
彼は部下が倒れても平静でいられるというのか。それが隊長の素質だというのならば、どんなに努力をしてもアーネストは隊長にはなれないような気がする。
だが、実際は違ったようで。
「正気でいられる訳がないでしょう! ただここを突破されるのは時間の問題です。ならば、あなただけでも商都へ。あなたの力を――最後の最後に見せつけてやるのです」
両肩を震わせたアルフォンスは力の限りに感情を吐露して見せる。
常に柔らかく、それでいて余裕に満ちていた男が叫んだのだ。おそらくアーネストが想像する以上の痛みを心に抱えている事だろう。
「お前は……また俺を死地から遠ざけるのか」
「はい。申し訳ないと思いますが……私の想い。背負っていただきます」
どうして、こんなにも真っ直ぐな人間ばかりなのか。
相棒にしても、あの生意気な神官にしても。皆が必死で生きて、進んで。
最後にアーネストだけを残して逝ってしまう。残った者が背負う重さを考えないで、身勝手に想いを託すのだ。今までの自分なら、死地に向かう彼に背を向けただろう。
だが、今回は違う。
「悪いな。後ろには信じられる相棒がいるんだ。だから、俺は進む。俺の全てを賭けて――あんたを死なせない。俺はまだあんたに言いたい事が山ほどあるんでね!」
背中を任せられる相棒がいて、全てを知る事が出来たのだから。
ゆえに、アーネストは獣のような雄叫びを上げて地を蹴る。迫る濃紫の矢を恐れる事無く、むしろ体当たりをするかのような勢いで正面から激突する。
その瞬間、騎士達を我が物顔で地へとねじ伏せていた輝きは、微かな風でも流されてしまいそうな粒子へと変貌していく。
「――私の魔導を! 拡散させる道具ですか」
「んなもん持ってないよ。なにせ、底辺を進む傭兵なんでねぇ」
絶対の信頼を置いていた魔導を拡散されたためなのか、余裕に満ちていた男が驚愕の声を発した。対するアーネストはいつもの調子でおどけて見せる。
相手を惑わせて、不意を打つ事が傭兵の戦い方だから。としても、勢いよく飛び出したのはいいが、ここは個人の力では何ともならない戦場だ。魔導の矢ならどれだけ浴びても無傷だが、ボウガンや小銃が向けられれば無事では済まないだろう。
「どんな手品だか知りませんが――射殺しなさい!」
やはりというべきか、商都に向けて前進するハウゼンは部下へと指示を送った。
刹那、アーネストを狙って放たれたのは百を超える矢。
捌けるかどうかは分からないが、アーネストは長剣の柄を強く握ると共に前方の状況を確認する。
(……こいつの部隊だけ突出しているのか。なら、いける!)
目的であるハウゼンを囲う様に百人程の兵が十歩先にいるだけで、残りのおそらく本隊だと思われる万を超える軍勢は、目測で二十メートル以上は離れている。一応はボウガンの射程圏内だが、さすがにルシオール側も仲間がいる中で遠距離兵器を扱う事はないだろう。
百人相手をするのはさすがに骨が折れるが、小銃を一発放てばいいだけならば対応可能な範囲だ。それに、ただの一人であったのならば冗談に聞こえるのかもしれないが、アーネストには頼れる助け人がいるのだから。
その期待に応えるかのように、アーネストの二歩先を走る騎士は、一振りで十の矢を切断し、一閃によって生まれた風は二十以上の矢を彼方へと吹き飛ばす。人外という言葉が当然のように似あってしまうのは、騎士の第二位であるアルフォンスだ。
騎士の第一位であるランスターがすでにこの世にいない事を思えば、最強の騎士と言っても過言ではない男が道を切り開いてくれるというのだ。
敵であった時は背に冷汗を浮かべたものだが、味方となればなんと心強い事か。まるで風の鎧を身に纏った気分になったアーネストは、喜劇を見ているかのように表情を和らげて地を蹴りつける。緊張感がないように見えるかもしれないが、下手に緊張して的を外したら笑い話では済まされない。
ここは傭兵らしく肩の力を抜いて、きっちりと仕事をこなす事を優先すべきだ。
程よい緊張感といい意味での脱力感。的を狙うには最適と言ってもいい状態で、小銃を片手で支えたアーネストであったが。
「魔導が効かぬ男に……見えぬ剣を振るう騎士ですか。驚かせてくれますね」
「それはどうも。でも、見世物ではないんでね。しっかり駄賃をもらうぜ?」
ハウゼンは銃口が向いている事を気にした様子はない。
むしろ「撃ってみせなさい」と言っているようでもある。としても、撃たない理由が見つからないアーネストは、身の守りを全てアルフォンスに任せて引き金に指をかける。
聞き慣れた爆音に緩んだ表情は引き締まり、灰色の瞳が駆け抜ける弾丸を追った時に。
「私でなければ倒れていましたね」
ハウゼンは淡々と語ると共に片手を振り上げた。
と共に、地を突き破ったのは濃紫色の蔦。見るからに不気味な植物は地面と垂直に突きでて、目標の脳天を貫く予定だった弾丸を跳ね除ける。まさに絶対の防御という言葉が似あう力で、彼が自信満々に語ってしまうのも無理はない。
それを証明するかのように、隊を率いているハウゼンを誰一人として守ろうとせずに、構えたボウガンはアーネストを守る騎士へと向けられていた。
「――あれを斬れるかい?」
「誰に向かって言っているのですか。隊長になる条件の一つは――最硬度の鉱石を己の技量のみで切断する事ですよ?」
だが、騎士の第二位と第三位を甘く見た時点で間違っている。
フィリアの話では詠唱式で強化した矢ですらも弾き返すらしいが、人外の騎士に常識など通用する訳もなく。
今の今までアーネストの眼前に立って、守りに徹していた騎士の第二位は踏み込むと共に手にした剣を薙ぎ払うかのように真一文字に走らせた。
刹那、耳に心地良い切断音が戦場へと鳴り響く。
確認するまでもなく、気味の悪い蔦が切り裂かれたと判断したアーネストは、剣を持ちながらも右手の小指を持ち手の下にある取っ手に引っかける。成した動作は取っ手を引いて、即座に戻すという弾込めに必要な行い。無事に次弾が装填された事を確認したアーネストは、深呼吸をして眼前を睨みつける。
まず視線に入り込んだのは、見事に真横へ斬られた蔦。見たところは六本の蔦が生え出たようだが、物量というものは人外の剣には関係ないらしい。
いつまでも感心している暇はないアーネストは、余裕の笑みを消し去ったハウゼンの皺枯れた顔を見つめる。
もはや言葉は不要だという事は分かっているのか、お互いに口を動かす事はなくて。
再び暴力的な音が鳴り響く。歩数にして三歩にまで迫った距離で小銃を防げる者は、この世界では一人しかいない。その一人が味方である以上は、当然に防げる訳はないのだが。
「――させない!」
世界には例外というものが、やはり起こり得る。
ハウゼンの脳天へと吸い込まれるように突き進んだ弾丸を、血に塗れた礼服姿の男が身を盾にして止めて見せたのだ。まさか庇う者がいるとは予想もしていなかったが、渦中の人物の顔を確認したアーネストは驚きに目を見開く。
「あんたは……? アルストールか?」
元商都の貴族、フロム・フォン・アルストール。
フェーリア神国を裏切り、今回の騒動を引き起こす原因の一つとなった男は、血を吐きながらも悠然と立ち塞がっていたのだ。
「行って下さい! 戦争がない大陸とするために。私の理想が叶う……世界と……するために!」
なぜと思ったが、理由は全て語ってくれた。
裏切った理由も、そして、身を盾にした理由も。
最前線で戦ったと思われる彼は、騙されたという事をすでに知っているだろう。だとしても、彼は一国による統治によって、戦争がなくなる事を夢見たのだ。
そして、夢を夢で終わらせないために、己を騙した相手が進む道を切り開いて見せた。
「……あなたは愚かだと思います。ですが、アルストール。あなたの名は忘れません」
当然に、望みを託された男が機を逃す訳もなく。
身を屈めた瞬間に、仲間すら見捨ててハウゼンは戦場を駆け抜けた。
「なんだ、あの速さは!」
今までの優雅な所作が信じられない程に、地を高速で駆ける男の背中をアーネストは銃口で追いかけるが、不規則に動くために狙いを絞りきれない。舌打ちをしている内には、置いて来た騎士団の隊員を盾にするかのようにして溶け込もうとしていた。
(――間に合わねぇ)
直撃でなくてもいい。身動きを鈍らせる一撃を与えるだけでもいいのだ。
でなければ、散って行った仲間と相棒に顔向けが出来ない。だが、今のアーネストではどうにも出来ないのも確かだ。
「――しっかりしてよ。数秒だけ止めてあげるからさ!」
しかし、それはアーネスト個人で対処しようとした場合の話である。
まさに適した時機と言っても過言ではない瞬間に、生意気な声が届いた。何をするかなど言葉を聞いただけで理解出来る。
裁きの書を持った彼ならば、どんなに速く動く相手でも数秒ならば止められるのだから。ずっとフィリアとアーネストの背に立って支えてくれた彼らしい援護。
しかし、やはり天才の名は伊達ではなくて、ここぞという時に頼りになる少年だと思う。
「――相棒、後は任せたぜ」
天から降りる鎖を視認した瞬間に、アーネストは即座に引き金にかけた指に力を込めたのだった。




