最終話 一
最終話 想いはきっと届くから
商都フィルメリアの南側。
とりわけ旅人が足を休める宿が目立つ区画にて。
(……これも外れかな)
木製の椅子に腰掛けて、膝上に載せている書物を黙々と読んでいるのはフィリア。
読み始めたばかりの頃は、眼前に広がる庭で行われている相棒の鍛錬が気になって仕方がなかったけれど、慣れてしまえば案外気にはならないらしく、今は魔導の世界に深く浸かっている。
相棒が剣を振るう度に生まれる風を頬に受けながら、かれこれ五時間は魔導について書かれた本を読んでいるが、目当てのものは見つからない。やはり管理者権限を書き換えるという魔導事態が珍しいのだろうか。
そうして、諦めの気持ちが心を蝕み始めた時に。
「駄目だ。やはり儀式式についての記載が少なすぎるよ」
フィリアの左足に小さな背を預けて、同じように本を読み漁っていたラスティが溜息交じりに呟いた。
まさか知識の宝庫と言っても過言ではない彼でも見つけられないとは。彼に一縷の望みを託していたフィリアは、内から込み上げてきた吐息を慌てて飲み込む。
この状況でフィリアまで諦めてしまえば、全てが終わってしまうからだ。それにフィリアの相棒は、こういう時こそ厳しく接してくれた筈だから。
寒空の中で調べ物をしているのは、もしかすればくじけそうになった時はいつものように叱って欲しかったのかもしれない。
「……」
だが、灰色の瞳にさらなる影を落としたアーネストは何も語ってはくれなかった。
相棒の眼前には渇いた土が広がっているだけで他に何もなく、ただ闇雲に長剣が空を切り裂いているだけだ。いや、おそらく彼には何かが見えているのだろう。その『何か』に打ち勝ちたくて、淡々と剣を振るっているようにも見える。
「――私も頑張らなないと」
ならば、彼の相棒であるフィリアが根を上げる訳にはいかない。
彼が戦っているならば、フィリアも自身の戦いをするのだ。一途な想いを抱えて、ひたすらに前へと進もうとするリーヴァを救うために。不器用だと、無能だと言われても、諦めずに進み続ければ「想いはきっと届くから」。
「……敵わないなぁ。やっぱり世界を動かすのは努力家かな」
根を上げたラスティを責めた訳ではないのだが、責任を感じたらしい彼は再び書物へと鮮血色の瞳を落としていた。内心では悪いと思いながらも、今は彼に言葉を返す余裕はない。
けれど、やはり家族の絆は切れてはいないようで。左足のブーツ越しに彼の温かさが伝わってくる。この温かさがある限りは、フィリアは何時間でも読み続けられるような気がした。
一時間だったか、二時間だったか。
もはや時間の感覚が薄れ、周囲が薄暗くなった時に。
「――死者を贄とする魔導について」
まさに絞り出したという表現が似合う声が、フィリアの鼓膜を震わせた。
死者を媒体とする魔導についての記述に出会うのは、実を言えばこれで三回目だ。今回も外れかもしれないと思いつつも、やはり期待はしてしまう。
「――内容はどうなの?」
内心落ち着かないフィリアは、視線を握り拳程度の厚さを誇る書物から外して、足元へと移す。
すると、ラスティは見上げるような恰好で鮮血色の瞳を向けると、包み込むような微笑みを浮かべてくれた。どうやら今度こそは当たりらしい。
急く気持ちが自然と湧き上がってくるけれど、それらを生唾と一緒に飲み込んだフィリアは口を固く閉ざして言葉を待つ。
「内容だけど……お姉ちゃんが語った魔導と一致するよ。としても、もう魔導と呼んでいいのか怪しいかな。偏見だと言われる事を覚悟して言うけど……これは呪いだね。まず発動の条件は設定した場所で人が殺される事。そして、効果を受ける対象は贄として捧げられた人物を殺した者。今回の場合で言えば……貴族アルストールの影武者が贄で、魔導を受けたのがリーヴァだね。ここまではいい?」
すると、ラスティは見上げたままの姿勢で、講師のような口調で語り出した。
実際に彼の説明は分かりやすくて、魔導の先生に向いているように思ったのは、ここだけの話だ。
「大丈夫、ついていけるよ。でも、リーヴァが指定した場所で殺すとは限らないと思うけど? 影武者は追われる立場にありながらも……特定の場所で殺されるように仕向けたというの?」
「もっともな疑問だね。でも、そうだとしか思えない。この儀式式は制約が多いんだ。指定地点も円形で二メートルという範囲だから……狙わないと無理だと思う。昨日イゼリア神官長から教えてもらったけど、アルストールの影武者は借金まみれだったらしいよ。大方借金を帳消しにしてもらう代わりに命を差し出したんだろうね。その理由が家族のためだというのだから……やるせないけど。この話は事件が終わってからにしようか。話の続きだけど……一度魔導の攻撃対象とされた者は鋼のように硬質な蔦に追われて絡め取られるらしい。蔦の目的は地へと描いた文様まで連れていく事。そして、ここからが呪いだと思った理由なんだけど、対象の大切なものを一つ奪うらしい。大抵の人の大切なものは『命』なんだろうけど……リーヴァにとっては違ったんだろうね。ハウゼンは芝居がかった演出によって権限を奪っているように見せたみたいだけど、実際は管理者権限が消えたところを狙って、強引に契約をしようとしただけだよ」
抗議を最後まで聞き終えたフィリアは、もっと周囲を見ていればと後悔をするが、こればかりは知識がなければ分からなかった事だろう。
しかし、種さえ分かってしまえば対策を取る事も出来る。
「契約が消えてしまったというのなら……私が新しく契約を結ぶよ。誰かに強制された訳でもなく、リーヴァの意思で私を選んでもらうの。たぶん救うっていうのは、そういう事だと思うから」
旅の始まりはリーヴァを止める事だったけれど、途中からは彼女を救う事ばかり考えてきたように思う。救済の旅の終着点をようやく見出す事が出来たフィリアは、薄く微笑んでしまった。
なぜならば、姉の葬儀の際に消えてなくなる事を願った魔導書の主になるからだ。一度は否定した存在を手に持つ事に躊躇いはあるけれど、あれだけ真摯な瞳を有した子なら話せば分かってくれるような気がする。いや、違う。話すのではなくて、たくさんお説教すると約束したのだ。
何時間でも叱って、想いをぶつけて。
全てが終わった時は、あの小さな体を抱きしめてあげたい。同じ悲しみを心に抱いた少女を包み込んで慰めてあげたいのだ。そうすれば全てを許せるような気がするから。
「詠唱式、儀式式。加えて異端の魔導書の所持者か……。さすがは彼の有名なリーゼロッテの妹だね。でも、お姉ちゃんなら異端の魔導者でも扱えると思う。なにせ、自慢のお姉ちゃんだからね」
どうやら考えている事は筒抜けなのか、ラスティは溜息交じりに呟いた。
彼が列挙したものを順番に脳内に浮かべると、禁忌を犯した姉と大差ないような気がしてくる。おそらくマウリッツ司祭が知れば卒倒するのではないだろうか。
どうにも冗談には思えない事を考えていると。
「――奴らが動きを見せたようだな。イゼリア神官長が商都の貴族を繋ぎ止めているみたいだけど、さすがに限界みたいだ」
今まで黙っていたアーネストが、額の汗を拭いながら声を掛けてきた。
久方ぶりに相棒の声を聞いたような気がしたけれど、今は茶化している暇はない。
「アーネスト。貴殿の腕を見込んで頼みがあります。私と共に来てくれませんか?」
なぜならば、アーネストに事態の変化を知らせた人物に目を奪われてしまったからだ。
まず目に飛び込んできたのは真っ白なロングコート。派手さとは無縁な落ち着いた色合いによく似合う、柔和な笑顔を浮かべているのは、アーネストが追っていた騎士アルフォンスに違いないだろう。
見た目通りにゆったりとした足取りで近づいてくる騎士に対して。
「断る。俺は……俺のためにしか剣を振るわない。俺の気が変わらない内にさっさと消えろよ。一週間前は邪魔が入ったけど、今度は脳天を討ち抜くぞ」
前回の戦いで真相を知った相棒は、疲れたような瞳を騎士へと向けた。
しかし、彼の手に握られている物は物騒で仕方がない。もはや理性で動いているというよりも、感情に突き動かされている飢えた獣のようであった。
「そうですか。では、私は先に行かせてもらいます。神官殿……私達騎士団は商都の東側で防衛線を構築します。ハウゼンはおそらく商都内で何かを仕掛けてくるでしょう。リーヴァには動かないように言ってありますが……万が一の時は対応をお願い致します」
どうやら言葉は届かないと悟ったらしいアルフォンスは、表情を変えずに言葉だけを残すと、言葉通りに東の方角へと進路を変更した。同じ国にいても味方ではない。神官と騎士らしい会話なのかもしれないが、フィリア個人としては納得出来なくて。
「リーヴァの事は私に任せて下さい。そして、アーネスト。あなたはあなたの答えを探すべきです」
今にも去ってしまいそうな騎士の背中へと声を掛けていた。
同時にフィリアは相棒の背中を一押しする。彼よりも年下の自分がお節介を焼くのは間違っているような気がするけれど、放っておけなかったのだ。
「知ったような口を。でも、年下の小娘に言われているようでは駄目か」
最初は憎まれ口を叩いた彼であったが、すぐに元の調子に戻っておどけて見せた。
一週間振りに見た相棒らしい仕草に安堵したフィリアは、自然と頬が緩んでしまう。引き締めようと思っても、頑なに緩もうとする自身の頬を不思議に思うけれども、今は嬉しい気持ちを満喫していたい。
「また会いましょう。共に成すべき事を達成した後に」
「相変わらず固ったいねぇ。ま、相棒らしいけど。傭兵は傭兵らしく戦いの場で答えを見つけてくるさ」
重なった青と灰色の瞳は、言葉だけでは伝えられない確かな信頼を伝え合う。
修道女と傭兵。
表と裏を歩く二人の世界は違うけれども、言葉を交わせば分かり合える。ならば、内に秘めた想いが異なるリーヴァにもきっと届くはずなのだ。
そう信じたフィリアは、一歩、二歩と離れていく相棒の背中を見送ったのだった。




