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蘇生の魔導書  作者: 涼音奏
たった一つの願い事
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第三話 一

 第三話 真相と陰謀と


「……やはり簡単には見つかってくれないですね」

 数多の星が煌めく夜空に、真っ白な吐息を吐き出したのはフィリア。

 身を隠す相手を探し出すのは難しいとは思っていたが、三人で方針を決めてからすでに二日が過ぎようとしている。弱気な言葉が内から漏れ出てしまうのは致し方ない事だろう。

「そうだな。教会に頼っても痕跡が見つからないという事は……何か裏工作でもしているんだろう」

 普段は弱気な発言を許してくれないアーネストも肩を竦めて、お手上げの様子だ。

 如何に彼が優秀でも傭兵である事は変わらない。推理小説に登場する探偵のように鮮やかに謎を解き明かす事は出来ないのだろう。

 としても、彼を責める事はしない。なぜならば、神官になるために猛勉強をしたフィリアでさえ今回は役に立てそうにないからだ。

「裏工作ですか。その可能性は高いと思います。一度アルフォンス殿と話しましたが、自身の仲間に引き入れるための労力は惜しまないようでしたから。私は拒否しましたが……彼の誘いに乗って力を貸す者は少なくないでしょう」

 極寒の季節という事もあって体温は時を経る事に下がり、いち早く宿に戻りたいと思うが、それでもフィリアは相棒の言葉に丁寧に返答すると共に両足を前へ、前へと動かしていく。

 心は折れそうだが何とか体だけは動いてくれる事に感謝しつつ、フィリアは次の目的地を視界へと収めた。現在のフィリア達は宿泊人数が比較的多い館風の宿に対する聞き込みを終えて、月払いの貸家を対象としている。

 貸家の壁面は濃い赤や青など目立つ色合いをしているために見つける事は容易い。だが、館風の宿とは違って、宿の主に聞き出す事が出来ないのは正直億劫だ。と言うのは、親切な住民はにこやかに笑って挨拶をしてくれるが、意味なく怒鳴られる事もあるからだ。

 修道女という仕事をしている都合上は荒事にも慣れてはいるが、正直気持ちのいいものではない。

「そうかもな。こんな事を言うと卑屈に思われるかもしれないけど……俺よりも人間として魅力があるのは確かだ。個人的には誘いをよく断れたもんだと思うよ。今まで奴の勧誘を断った奴を見た事ないんだけど」

 対する相棒は全く気にした様子もなく、焦げ茶と砂色という濃淡に彩られた貸家へと我先に進んでいく。フィリア以上に荒事に巻き込まれている彼ならば、これくらいは普通なのかもしれない。

「数瞬だけ心が揺らぎました。でも、今の私は彼が間違っていると分かりますから」

「ふーん、大人びた十七歳だねぇ。では、次の調査といきますか」

 頼れる彼の背を追うような形で言葉を送ると、何やら嬉しいような悲しいような言葉が返ってきた。どういう意味なのかを詳しく聞き出したいと思ったが、アーネストは追求から逃げるように貸家の扉を握った拳で数回叩いていた。

 住民の迷惑などは全く考慮していない相棒に対して焦りを覚えたフィリアは――

「すみません! 教会の者です!」

 すかさず扉の向こうへと声を飛ばす。どんな相手が出てくるのかは分からないけれども、もうここまで来たら出たとこ勝負だ。

 緊張のためか鼓動の音が早くなり、体温の上昇を感じ始めた瞬間に。

「教会の方? 神官様ですか?」

 窺うような声が、外側へと開く扉の奥側から聞こえてきた。

 前方を注視していたフィリアの瞳に収まったのは、丁寧な口調が似あう細身の男性。

 年齢は三十後半くらいで、銀縁眼鏡の奥に見える漆黒の瞳は穏やかそうに見える。とりあえず怒鳴られる心配はないと判断したフィリアは、一人安堵の息を吐き出した事はここだけの話にしたい。

「神官ではなくて……修道女と傭兵だけど」

 そうこうしている内に、細身の男が発した問いへと答えてくれたのはアーネスト。

 しかし、丁寧に答えたというよりも、あえて戦いを生業とした職業の名前を出す事で揺さぶっているように思えるのは気のせいだろうか。

 としても、細身の男もさすがは年齢を重ねているだけはあるらしく――

「私が何かしたでしょうか? 教会に介入されるような覚えはないのですが」

 声を震わせながらも自身は無実だと述べて見せた。

 案外芯が強い人なのかもしれないと思ったフィリアは、相棒にこれ以上余計な事を口にしないようにと釘を差す意味を込めて咳払いをする。

 どうやら観念したらしい相棒が一歩退いたのを横目で見たフィリアは――

「介入ではなくて……一つ確認したい事があるんです」

 可能な限り丁寧な口調で切り出す。立て続けに確信に迫る事を訊いても良かったのだが、まずは相手の出方を見極めようという訳だ。

「確認……ですか。私で答えられる事ならば答えましょう」

 どうやらフィリアが丁寧に対応した事が功を成したようで、男はアーネストに対して怪訝な視線を向けながらも会話に応じる姿勢を見せてくれた。

「時間を取らせる訳にはいきませんので……失礼ながら単刀直入に確認します。アルフォンスという名の騎士を見ていませんか? 白い甲冑を身に纏っていて……茶色の髪と瞳が特徴的な男性なのですが」

 男の気が変わらない内にフィリアは今度こそ必要な質問を投げつけた。同時に全ての力を青い瞳に込めて、不審な点はないかと探っていく。

 しかし、男を注視出来た時間は僅か数秒だった。

「アルフォンスという名の騎士ですか? 名前くらいは聞いた事がありますが……実際に見た事はありませんね。少し待って下さい。ダリル! 少しいいですか!」

 一度首を傾げた男が突如背を向けて、ダリルという人物を呼んだからだ。

 男の反応に不審な点は見つからず、今回は外れかと思いはしたけれども、一応はダリルという者の話も聞いておいた方がいいだろう。

「なんだ? こっちは金勘定で忙しいってのに」

 さっそく聞こえてきたのは、細身の男とは真逆の粗野な言葉だった。

 若干の苛立ちを含んだ声に惹かれて視線を玄関の奥へと向けると、固そうなズボンに茶色のセーターを着た男が歩いてくるのが見えた。見上げなければ顔が見えない程に大柄な男で、熊か何かかと見間違えてしまう程に逞しい体つきをしている。

「申し訳ありません。一つ確認したい事がありまして」

 一回り大きい男に怯みそうになるが、フィリアは最初が肝心だと心に言い聞かせて声を掛ける。何とか震えずに言えた事に安堵して、相手の反応を窺おうかと思った瞬間。

「もしかして、リーゼか! 久しぶりだなぁ。俺の事を覚えているか? ダリルだ」

 ダリルと名乗った男は、怒りに歪めた表情を突如輝かせた。

 瞳すら輝かせて早足で歩いてくる様は子供のようで、失礼かもしれないが微笑ましく見えてしまう。しかし、同時に寂しさが心を覆い隠す。

 彼が再会を喜んでいるのはフィリアではなくて、姉であるリーゼだからだ。そういえば初めてリーヴァと顔を合わせた時も同じような気持ちを味わった事があるような気がする。

 だが、寂しさを感じるのはフィリア個人の問題だ。

「……私はフィリアロッテ・ラズベットです。姉がお世話になったようで」

 ダリルという名前に覚えはないが、何かしら姉と接点があったのならば必要最低限の礼儀を尽くすべきだろう。同時に頭を下げる事で、感情を押し殺したような無表情を隠す事が出来たのは幸いだった。

「妹がいたのか。リーゼは元気かい? まあ、元気だろうなぁ。なにせ俺が経営していた宿の扉を吹き飛ばすくらいだからな」

 対するダリルは丁寧な対応に満足したようで豪快に笑う。

 裏表の無さそうなダリルは、おそらく心から笑っているのだろう。そんな彼に「姉は死にました」と述べる事は、まさに冷や水を浴びせるような行いだ。

 としても、姉を知っている彼は、フィリア達が知りたがっている情報を持っている可能性は十分にある。

(……どうするべきなのかな)

 良心と利益が胸中でぶつかりあって、頭が真っ白になっていく。

 もはや自身がどんな表情を浮かべているのかも分からなくなった時に。

「リーゼは騎士であるアルフォンスに殺されたよ。そんで俺達が知りたいのは奴の居場所だ。側に青銀の髪をした小さな女の子を連れているんだが……知らない?」

 見かねたアーネストが嫌な役を引き受けてくれた。

 善人ではないような口ぶりをするが、根は優しい相棒に内心で感謝したフィリアは迷わずに下げた頭を上げる。

「……そんな馬鹿な。殺された? あんなに楽しそうに笑う子を殺せる奴なんて」

 顔を上げた瞬間に青い瞳に飛び込んできたのは、表情を青ざめて震えるダリルだった。

 人の生き死にとは縁遠い場所にいるダリルは「そんな事はない」「嘘だ」と何度も呟いているが、彼の反応は至極当然だろう。むしろ人の生き死にというものに慣れている方が異常なのだ。

「……残念ながら本当です。本当だからこそ私は情報を求めています」

 これ以上彼を追い込まないために、フィリアはゆっくりと丁寧に言葉を送る。

 言葉は届くかどうかは分からないけれども、気持ちだけは通じてほしいと願ったのだ。

「……身内がこんな嘘を言う訳ないか。分かったよ、俺が知っている事を全部話す。まずアルフォンスという男は見た事はない。でも、リーヴァちゃんは昨日住区で見かけたよ。でも、確信がある訳ではないんだ。笑うかもしれないけど……声を掛けようとした瞬間に幽霊みたいに消えてしまったからさ。リーゼも死んでいるなら……本当に幽霊でも見たかな」

 フィリアの気持ちが伝わったかどうかは分からないが、ダリルは俯いたまま淡々と語ってくれた。瞳を輝かせていた時の勢いは完全に消え去り、人形が話しているような不気味さは見ていて鳥肌が立つ。

 どうやら不自然に感じたのはフィリアだけではないらしく。

「ダリル……大丈夫ですか?」

 細身の男は生唾を飲み込んでから問いを放った。

 リーヴァという存在を知らない者にとっては、ダリルが語ったように心霊現象か何かの類に聞こえるのだろう。

「リーヴァは人ではなくて魔導書なんです。だから好きな時に主の元へ戻る事が可能です。おそらく見知った相手に出会った事でリーヴァは焦ったのでしょう」

 魔導に対する知識がない者では答えに辿り着けないと判断したフィリアは、必要ないと知りつつも震える男二人に言葉を掛ける。

 ――一秒、二秒。

 予想通りに何の返答もない事を確認したフィリアは、最低限の礼を述べるつもりで再度一礼する。

「もういいだろう。場所を移すぞ。ここで調査する意味はないんだからさ」

 対する相棒はもはや彼らとの会話に興味を失ったようで、貸家を背にして歩き出していた。必要な事だけを淡々とこなす彼は味気ないとは思うけれど、仕事をする上では理想的なのかもしれない。正直な事を言えば、見習うべきだとは思う。

 しかし、フィリアは彼のように冷たくはなれなくて。

「……ごめんさない」

 気付いた時には謝罪の言葉を述べていた。

 意味などは当然ない。ただの気休めと言われればそれまでの事なのだが。

「いや、教えてくれてありがとう。全てが終わったら……また来なよ。あんたの姉がしでかした事を教えてあげるからさ」

 ダリルは打ちのめされた表情に、痛々しい笑顔を浮かべて応えてくれた。

 無理をしている事はすぐに分かるけれど、彼の心に一点の光が差し込んだように感じられたフィリアは元気よく頷く。

「必ず来ます。それまではお元気で」

 それだけでなく、情報をくれた彼の心にさらなる光を届けるために薄く微笑んだのだった。


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