降雨(五)
「着けた君の方が綺麗だ」
男は太い辮髪の先を翻すと、鋭くこちらを振り返った。
何だか詰るみたいな口調だ。
だが、言い出してから、急にまた後ろめたさに襲われた風に、彼はまた目を落とした。
「ずっと」
当の私からは目を逸らしたまま、男はまるで自分に対して言い訳するように続ける。
「もっと、ずっと」
雨のぱらぱら軒打つ音が、二人の間を流れていく。
またしても、沈黙が訪れた。
男はこちらに薄手の俯いた横顔を見せたまま、両の拳を握り締めている。
振り向いた勢いで肩に掛かった辮髪が上下する様を見れば、必死に息を潜めていると知れた。
この人、本当はやりたくないのかも。
薄々勘付いてはいたものの、何となく目を逸らし続けていた想念が、私の中にはっきりと形を持って浮かび上がった。
「随分、お疲れみたいね」
もともと主人に付き添ってたまたま花街に来ただけで、本人は女が欲しかったわけでも何でもないのだろう。
その上、主人が選ばなかった方の女を押し付けられたって、ちっともそそられないし、むしろありがた迷惑だというのが、本音かもしれない。
「ゆっくりお休みになって」
このまま何もせずに夜が明けても、お花代は手に入る。部屋の中で何をしようと、二人で一晩過ごしたことに変わりはないからだ。
男は恐怖とも困惑ともつかない目をこちらに向けた。
息を吐いて吸い込むと、出掛けに部屋の隅で焚いた梔子香の匂いが広がる。雨音を遠くに聞きながら改めて嗅ぐと、纏わりつくように湿って甘ったるい香りに思えた。
一晩汚れずに済むのに、この人から求められないことが微かに寂しいのは、私がそれだけ妓女になったからだろうか。
「榻床を自由に使って下さい」
極力穏やかでさりげない顔つきと声音に努めつつ、私は男に指し示した。先刻二人で腰掛けた窪み以外には、かけらも乱れた痕跡のない空の寝床を。
「私はこちらの寝椅子で寝ますから」
言葉の途中から男に背を向け、寝椅子の置かれた窓際に向かう。
と、部屋全体がまるで死んだように真っ暗になった。
ランタンの灯が、とうとう消えたのだ。