番外編:藍玲《らんれい》の呟き
「仮母さん! 仮母さん! 紅姐さんが死んでる!」
やっと眠りに就いた所で、あたしは翠玉のバカ声と階段をかけ降りる足音に起こされた。
「紅姐さんが首を吊ったの!」
「何だって!」
次いで始まった階上のどたばたを耳にしながら、あたしはほくそ笑んで、また目を閉じた。
狙っていた役人の男に見限られて、ここ二三日元気がないとは思っていたが、とうとうあの女がくたばった。
これでやっと、紅珠のしゃっつらを見なくて済むのだ。
優しさを装って取り澄ました、あの高慢面をだ。
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「翠玉、そろそろお湯が湧くからここに持っておいで! お茶葉もね!」
妓の葬式の席ぐらい、仮母さんも怒鳴るのをやめたらいいのに。
「これは緑茶じゃないか。奥の棚にある桂花茶を持ってこいといったのに、何を聞いてるんだい、バカ!」
仮母さんの声は傍で聞く方まで苛つかせる。
翠玉もご苦労なことだ。この子は昔から何を言われても黙ってのろのろ動くので、いつも雑用に使われた挙句、こんな風に八つ当たりの的にされてしまう。どうしてそんなに意気地がないのか、あたしは苛つく以上に解せなくなる。
紅珠も弱い者に優しくする振りをして、よく翠玉を引き立て役に使っていた。
例を挙げると、そのままなら誰も目に止めない翠玉の髪型や着方の欠点をわざわざ客の前で取り上げる。
「お目の高いお客様の前なのだから、もっと気を付けろと言ったでしょ」
そして、満面の笑顔で俯いた翠玉の格好を直してやる。
「ほら、これで可愛くなったわ」
単純な客はそれですっかり感心して、自分は才も情もある妓女を見付けたと決め込む。
あたしはそういう見え透いた手口が大嫌いだ。
本当に妹分を思いやっているなら、お座敷に出る前に気付いて直してやるか、客の目のない所で教えてやるはずだ。
あたしは他人のことなどどうでもいいからそんな手間は懸けてやらないが、客に自分を優しい女と思わせる為に妹分の粗を取り上げる真似だけは断じてしない。
翠玉も薄々そういう紅珠の狡さに気付いていたはずだが、最後までおためごかしを撥ね付けることもせず、今はその葬式で立ち働いている。
きっと、根っからの女中気質なんだろう。
あたしは売られて十五年経った今でも、仮母さんを「かあさん」と呼ぶのを出来るだけ避けている。
だが、翠玉は十年前この家にやって来たその日から、仮母さんを躊躇いなく「かあさん」と呼び、別れた実の家族については一度も口にしたことがない。