2) 龍の乗り心地は最低です
人類未踏の地である、ベルガン平野を越えて、龍は北へ北へと目指した。力強く、背の翼を羽ばたかして翔飛する。
徐々に日が暮れてくると、蛇行する川の水面に灰色と赤銅色の滲んだ空の色が映った。
「これは凄い……!」
思えば、こうやって森や川を見るのも、何年ぶりだろうか。小さい頃は裏山にある川で、エルフたちと泥まみれになりながら、連日のように太陽が西に落ちるまで遊んだものだ。
懐かしい友人たちを思い出して涙ぐむ。あの頃の仲間は1人を除いて、この世にはいない。楽しかった思い出を共有した仲間は誰1人として救えなかった。
その悔しさをバネに此処まで頑張ってきたのに、その頑張りも無駄になってしまうというのか。こうやって森や川を見ていると、その頃の楽しかった思い出ばかり思い出してしまう。
(まさか、これが走馬灯ってやつ……?)
縁起でもない。
ブルブルと頭を振って、体を縮こませた。
(寒いなぁ……)
いくら美しい風景を眺めたところで、感動は長続きしなかった。休憩も無しに龍の手の中に閉じ込められ、この強風の中、数時間に渡って揺られ続けてきたおかげで、意識は朦朧とし、目に見えて体力は削り取られていった。吐く息は白く、呼吸するのも困難なほど、冷たい風が吹きつけて体は冷え切っていた。抗う気力は薄れ、思考能力も奪われている。
それに、この龍の手は乗り心地がよろしくない。始終グラグラと揺れ、お尻が痛くてしょうがなかった。馬車も酷いものだが、龍はその更に上を行くものだった。気を抜くとあっちこっちぶつけて、きっと今裸になったら痣が何個も出来ているに違いない。
(疲れた……)
深々とため息をつく。
野生児だった幼少期と比べると、近頃は泊まり込みで研究に没頭する日々が続き、とても健康的な生活を送っていたとは、お世辞にも言えない。
おそらくアカデミー入学前の子供と比較しても、体力は底辺に近いだろう。しかも、ここ数週間ほど、勇者のせいで知名度が上がり、望みもしない名声を得てしまった。
そのため、講演依頼やら共同研究の申し込みが殺到し、研究以外に割く時間が増えていた。軍属という立場ゆえに命令されたら断れない。元凶である勇者へ呪いの言葉を吐きながら、目に隈をつくって私は仕事を片付けていったが、重要な案件が立て続けに発生し、徹夜続きのトドメがコレだ。
私の頭はパンク寸前で、睡眠を求めて叫び続けていた。
だが、眠れない。
龍の目の前で眠りたくもない。自殺行為だ。
眠ってしまったら、死が確定しそうで、恐ろしくて寝ることなんて出来ない。いくら眺めが絶景だったとしても、生命の危機を感じながらでは、のんびり見ていることもできなかった。
かといって、することも無いので、私は感傷的になりつつも、冥土の土産にしようと、眼下の景色を見続けていた。
「鳥だ……」
私は何となしに、ボソリと呟いた。
何時の間にか、大きな鳥の大群が龍の横に並ぶように飛んでいる。目を疑った。鳥は、この龍を恐れていないのとでも言うのだろうか。
幻覚では無いのかと、頭の片隅でチラリと思ったが、どうでも良いことだと思い直して、考えるのをやめた。
鳥の目からすれば、人間が龍の手のひらにいるなんて、さぞや滑稽に違いない。じぃっ、と見つめていると、人間を恐れる様子も無く、幼鳥が数羽、龍の腕に上手に着地してピョンピョンと接近し、長い首を伸ばして私を見た。
「…………」
手持ち無沙汰に、鳥に腕を伸ばしてみると、極上のシルクを触った感触。
なんと首を撫でたのに、逃げもしなかった。野生の鳥にしては人懐っこい、その姿にびっくりして目を丸くした。
『くすぐったいよ』
その温もりに思わず近寄ると、小さい子供のような可愛らしい声が嘴の奥から漏れてギョっとした。
『人間、寒いの?』
『震えてるよ。きっと寒いんだよ』
『寒かったら僕をお抱きよ』
『暖かいよ、暖かいよ』
へたばっている私を気遣うように、鳥たちは片言で一声に喋り出した。敵意のない澄んだ目で私を見る。つぶらな瞳に、張りつめていた気がプツリと切れて、温かな涙が溢れてきた。ただし、流れ出た涙は、寒い外気に触れて瞬時に凍りついた。
そこでハッと我に返った。
(な、泣ける……)
実は数時間ほど前から、治癒の魔法を繰り返し使用していた。使用目的は、主に凍傷である。例え、魔力の総量が人並み外れて多い私であっても、無尽蔵ではない。このまま魔力切れで気絶して、この世とサヨウナラかもと思っていたところだったので、鳥たちの厚情に私は感激した。