16) 闇に葬りたい真実があります
私は、香りの良いお茶を飲み干してカップをテーブルに置くと、そっとレティシアを見た。
ようやく思い出したのだ。
レティシアという名前には聞き覚えがあった。なぜかというと、数年ほど前になるが、勇者が勇者ではなかった頃に、本人から耳がタコができるほど聞いたことがあったからだ。
かつて軍の上司に『人手が足りないんだ』と言われ、強引に自室から引きずり出されて討伐の祝賀会に参加させられたことがある。顔を出した時には、屈強な男どもが馬鹿笑いをしていた。私は顔を顰めて上司を見たが、そそくさと逃げやがった。
仕方なく、大量に消費される酒や食べ物を提供するような雑事をこなしたが、そこには顔をあわせたくない男がいた。
セリム=ツイスト
私が散々辛酸を舐められた相手でもあるので、現在の個人的な人物評価は最低ランクだ。今であったら、絶対に逃げ出していると思うが、当時はあまり面識がなかった。
由緒正しい名門貴族の長男であり、社交界でも引く手数多の美しい男だ。そのためか女遊びは目に余るほどだ。気味の悪い笑顔を張りつかせて陽気なふりをしているが、ゾッとするぐらい冷たい怒気を孕ませて黒龍に戦いを挑んだ姿を見たことがあった。
その気性は荒く、意地の悪い男だ。
そして私が酒を運んでいると、悪酔いしたセリムに絡まれた。頭から酒を浴びせられ、『一緒に飲もうぜ』とか言われて呆然となったことを覚えている。
祝賀会は、この男のためのものだった。近隣の村々を荒らして回っていた手強い黒龍を、何と1人で退治したのだ。
だから我慢をした。
無言で睨みつけた私に興味を無くしたのか、奴は私の同僚に近寄った。『可愛いね、今夜どう?』『結婚してくれるならいいわよぉ』……冗談でもきっつい。
おい、私の同僚を誘惑するなと言ったが、真面目ちゃんねと同僚にまで笑われた。『君でもいいよ、ええっと名前は』『ミゼアって言うのよ、我が軍始まって以来の天才なの』
勝手に名前を教えるなよと罵ると、『生真面目なのが長所であり短所かな』と一笑に付せられた。
それからはもうドンチャン騒ぎだった。
私はというと、セリムにあれこれと根掘り葉掘り聞かれた。どうやら同僚の言った私の能力に興味を惹かれたらしい。
『治癒師の存在は知っていたが、実物を見るのは始めてだ。治癒師といったら戦う前に天に召されそうな爺が相場というものだが……、ミゼアと言ったか。お前が同じパーティにいたら、狩りも楽だろうな』
血気盛んな若い黒龍との戦いで負った傷もそのままに、彼は酒を飲んでいたので、治癒師としてはどうしても気になった。
こっそり治癒してやろうとして、目敏く気付かれたのが悪かった。酔っ払いだと思っていたのに、それなりに理性はあったらしい。興味津々な目で私と傷口を見て感嘆の声を上げ、不覚にもパーティメンバーとしてロックオンされてしまった。
『私は戦闘には参加しないぞ。他にやりたいことがあるからな』
『ふぅん』
その後は思い出すのもおぞましい。
『俺の言うことを聞けないのか?』と耳元で囁かれては、どうしようもない。私は治癒師とはいえ悲しいかな平民の出だ。ここで逆らったところで、後で面倒なことになる。
朝日が昇るまで宴会に付き合わされて、私は撃沈した。うとうととしながら、聞きたくも無い男の半生を聞かされる羽目になり、話半分に聞いていたためか、大半は覚えていない。
けれども、覚えていることがある。
彼には、愛する妹がいた。
名を、レティシアと言う。この世に2つとない宝石のようなエメラルドの目。ここで、もう1度レティシアの顔を見詰める。春霞のような、ふんわりとした笑顔は、彼女の優しい性格を物語っていた。
レティシアを見れば見るほど、あの時に聞いたセリムの身の上話に出てきた妹とやらを思い出す。寧ろ、なぜ思い出せなかったのだと思うほどだ。
ここまで容姿が一致しているのだ、おそらく偽名などではないだろう。
「つかぬことを聞くが、レティシア。貴方に似た女性を探している人がいるのだが、セリム=ツイストという名に聞き覚えはないか?」
「え……」
注意深くレティシアの反応を見ていると、エメラルド色の大きな瞳が潤み始め、私の視線に怯えるように顔を伏せた。
脈なし、だ。
彼女は、セリムに逢いたがっていない。嫌がっているレティシアを無理矢理セリムに、逢わせるほどの義理もない。
どんなに嫌な奴であっても、寝る間も惜しんで妹を探し回っている点に関しては同情している。何があったのかは知らないが、彼は本気だ。数年前に生き別れになってしまったという妹を見つけなければ、結婚さえしないだろう。レティシアへの執着心は病的だ。
最近では『ドラゴンキラー』という称号まで得て、龍族からは恐れられている。事情を知ってしまえば、とんだとばっちりを受けている竜族の皆さんが哀れに思えてくる。
レティシアに逢わせたら、それはもう狂喜するだろう。研究費を気前よく貸してくれるかもしれない。しかし、それは、彼女の幸せに繋がるだろうか。
少なくとも、今現在の彼女は、白龍に守られており、幸せそうだ。奴に渡す危険を冒すほど、仲は良くない。
そもそも私と彼の関係は、水と油である。彼が私にちょっかいを出すと、必ずと言って良いほど双方に怪我人が出るほどの大喧嘩に発展する。
彼のせいで、私の研究は何度振り出しに戻ったことだろう。その被害額は、私の給料の数カ月分になる。そう思うと、何だか胃がムカムカする。
奴の笑顔を想い浮かべるだけで、どす黒い何かがせり上がってくるような気がした。