15) その生活は、想像以上です
時間は大幅に潰れてしまったが、これはこれで、願ったりかなったりだった。ヌルは遊びながら、この家の部屋を隅々まで案内してくれたからだ。
この家の入口とやらを見せてもらったが、蔦が生い茂っており、完全に外界とは遮断されていた。ただ木の壁があるだけだった。
これが1カ月後に出入り可能になるとはとても思えないが、ヌルが嘘をついているとも思えない。
「ここがね、ボクの寝るところ! で、あっちはね」
おじいさまのいるところ!
ヌルはそう言って、月光樹の根元にあたる部分を指さした。その入り口は過ぎ去った時の長さを感じさせるほど、古めかしい扉で閉ざされていた。
まさにダンジョンで言えば最深部である。
少々躊躇はした。けれども、たとえ今ここで行かなくとも、避けて通れない道だ。しかし、行こうとしたらヌルに止められた。
「おじいさま寝てるよ? 明日にならないと火を吐いても起きなかったよ!」
「火を吐いたことあるのか!?」
「うん。でもね、怒られた」
どうやら龍同士の攻撃だと、それなりに効くらしい。というよりも身内だから、おそらく油断していたんだろう。
自慢の毛をチリチリに燃やされ、怒り狂った龍はヌルにボディプレスをして、数日間押しつぶされるというお仕置きを受けたのだと言う。
その間、レティシアが口に食べ物を運んできてくれたらしいが身動きとれないことが相当に苦痛だったらしい。
「だからね、寝てる龍は起こしちゃだめなんだよ!」
「当たり前だ……」
そんなことも知らなかったのかと思ったが、思い当たる節があった。
白龍は大人になると巣から旅立ち、数匹が寄り添って生活をするという。ヌルは両親を失っている。おそらくは祖父にあたる龍と過ごした時間は、それほど長くなりだろう。
当たり前のことを教える者もいなかったのだろうか。
これではレティシアが手を焼いて当然だ。
私がヌルの半生について、しんみりとした気持ちになって考えていると、人間に変化したヌルが、えっちらほっちらとやってくるのが見えた。
もしかして、抱えている本を全部私に読ませる気なのだろうか。
しんみりとした気持ちは、あっという間に何処かへ消え失せた。
「……こうして竜の洞穴に戻ってきました とさ」
「もっかい読んで!」
「好きだな、お前。もう10回目だぞ? 他にも絵本はあるのに」
「これがいい」
この絵本はおじい様が書いたんだ、と言って尻尾をパタンパタンと地面に叩きつける。ボロボロに擦り切れた絵本。
レティシアが来る前は何度も何度も繰り返し見たのだという。私が頭を撫でると、嬉しいのだろうか、甲高い鳴き声が聞えた。
「この絵本はね、ボクにとって子守唄代わりなんだ!これには、ボクと同じ龍がいっぱいいて……。ねぇ、なんでボクとおじいさましかいなくなっちゃったんだろう?」
黒龍は、いっぱい仲間がいていいなあと呟く。あのだな、つぶらな瞳を、うるうるさせられても困るんだ。
かける言葉がないじゃないか。
やっぱり、しんみりとした気持ちになってしまって、あとはヌルの好きなようにさせた。彼は終始べたべたと私の傍にいた。遊んで、というわりには体をひっつければ満足のようで、私に抱きついたまま喋って喋って喋り倒した。
私としても彼が人間に変化しなければ、特に問題はなかった。
変化したら殴り飛ばしてやる。
日が暮れる前に、私はレティシアの食事の準備を手伝った。ヌルが持ってきた卵がやけに大きいなあと思っていたら、エバーグラフィの卵なのだと言う。
「生みたてほやほやだよ!」
「だろうなあ……」
ほんのり卵が温かい。
いくら彼らが卵を食べることを認めていたとしても、食欲は減退する。
そして、そこではたと気が付く。
「って、まさか……」
もしかして昼間に食べた、あの素晴らしい味の鳥肉もエバーグラフィなのか、と思ってひや汗をかいた。美味しくて何も考えずにガツガツ食べてしまったが、その材料は彼らだったのかと、顔が引き攣った。
とは言っても、ここに居る以上、好き嫌いはできない。
1カ月に1回しか物資を補給することが出来ない生活なのだ。しかも今回は良く食べる客人付きだ。やりくりするのも、さぞや大変だろう。
棚とか見ると、保存食でいっぱいだ。
だからこそ知らないふりをして食べるしか道はなく、余計な波風はたてないに限る。だが、知ってか知らずか、ヌルは嬉しそうに喋った。
「お肉も、ときどきもらうよ!」
「そ、そうか……」
「ボクは柔らかいお肉のほうが好きだけど、滅多に手に入らないよ。それに外での狩りは苦手なんだあ……動きがはやいし、嘴で突っついてきて痛いし。だから鳥さんからお肉もらうよ。……かたいお肉ばっかりだけど!」
「もらえるんだから、いいでしょ」
レティシアは、そう言うと肉の焼け具合を確認する。
じゅう、と肉が焼ける匂いがする。ああ、もうヨダレが口の中に湧いてくる。いくら材料がアレだったとしても、その味の良さは、口では言いきれないほどだった。
そうして、私は晩御飯に舌鼓を打った。
ちなみに、食事中にヌルから聞いたのだが、水や食べ物といった必要物資は、黒龍が運んできてくれるらしい。
あの金にがめつい黒龍が、やけに親切だなと思ったら、白龍への人間の寄進物で使わないものはすべて渡すのはもちろんのこと、たまにエバーグラフィの卵や羽根、肉、そして月光樹の実を、お裾分けするのが昔からの恒例となっているらしい。
とヌルは言ったが、それはおかしい。
白龍への奇進物なんて、それこそ莫大なはずだ。小さな子供でさえ1カ月に1回、お賽銭に行くぐらいなのだから。
半分以上は人間がとるとしても、私が見たお供えものは、1カ月と言わず、むこう10年分ぐらいは賄えるはずだ。
それって、横流しなんじゃあと思ったが、黒龍の子だくさんで食べるものさえ困り果てていた様子を見てきた後となっては、きっと貴重な収入源なのだろう。
持ちつ、持たれつか。
と、私は呟いた。
私も毎日賽銭した身としては、それはやはり白龍の手に渡って欲しいものである。そのため、事情があるとはいえ、黒龍に対しては良い感情を抱かなかった。