1) 否応なく巻き込まれました
(お母さん、お父さん、ごめんなさい)
人の住む町が、あんなにも小さくなっていく。自分の置かれている状況に、気が遠くなりかけた。これは夢の中での出来事なのではないかと思ってしまうが、まごうことなき現実だ。
つい先日まで王立アカデミーの研究室に潜り込んで研究三昧の、輝かしく充実した日々が、一気に遠い過去となったような気がする。
提示された報酬に目が眩んで危険な仕事も請け負ったりしたけれども、それらはすべて研究費を捻出するためだった。
危険な道を渡ったことは無かった。渡る必要も無かったからだ。石橋を叩いて渡るほど安全志向の私がそんなことを仕出かすわけがない。
私は、『できる』と確信したことしかやらなかった。軍属となり、勇者に手を貸したのも、円滑に研究が出来るように環境を整えたかったからだ。
(ああ、私はどうなるんだ…………)
私は、はるか上空で途方に暮れていた。
紆余曲折を経て、勇者が魔王退治に成功して王都に帰還した際には、ちょっとした有名人になってしまったが、それらはすべて研究者としての願望を満たす手段にすぎなかった。
逆算すれば、あと50年くらいは研究できた筈だったのに、どうしてこのような惨事に陥ってしまったというのか。
(死にたくない……)
軍属になると決めた時、驚いた両親は私を部屋に閉じ込めるぐらい反対したけれど、生命に危険は及ばないと、当時私を勧誘してくれた軍の関係者が熱心に説得してくれた。
私だって若死するつもりはなかった。私は魔力だけは強かったけど、魔物を見ると竦んで動けなくなるぐらいヘッポコだったから。
本当なら花も恥じらう乙女だというのに、寝る暇も惜しんで研究した。これもそれも、両親と故郷の人たちを喜ばせたくて頑張ったのに、今となっては土下座したくなってくる。
研究も中途半端で、心残りが多すぎる。幼い頃からの夢だった研究が実を結んだら、潔く引退して故郷に戻り、家業を継いで先祖代々の土地を守る予定だった。
今年、私の部下になった男は、私よりも頭の回転が早くて的確な助言をくれる。彼なら、私の研究を更に前進させてくれるだろうと期待を寄せていた。
もう少しで、もう少しで完成だったのに、このまま私が死ねば今までの苦労は水の泡だ。流石の部下でも、私の汚い字を解読してくれるのは不可能に近いだろう。
何せ、書いた本人ですら解読不可能の時があるのだから。
(なんてことだ…………)
今これで私が死んだら、殉職という形になるのだろうか。いくら軍属とは言え、この死に方はあんまりだ。
運が悪いと言えば、それまでだが、軍内部で見世物と化している竜を哀れに思った姫様に依頼され、わざわざ遠い王宮にまで足を運び、特別サービスで怪我を治療してやったというのに、恩を仇で返された気分だ。
白竜と言えば、天使の使いともされる聖なる存在。人前には滅多に姿を現さないが、比較的人間に対して友好的で、戦いを好まないとされていた。
治療中は猫の子のように大人しかったのに、癒えたと思ったら鼓膜が破けそうなぐらい強烈な咆哮を放って、鎖を噛みちぎった。
(この竜の狙いは、きっと私だ……)
私に何をさせたいのかはわからないが、こうも容易く騙されて腸が煮えくりかえる思いがする。
あれだけ警備が厳重な場所に囚われていれば、逃げ出すことは不可能に近い。いくら竜族が強くとも、多勢に無勢だ。だが今回、逃げ出すことが可能となったのは、これでもお偉いさんの私という人質が居たということと、この竜の強さを人間が侮っていた、ということだ。
私が事前に聞いていた話では白竜の子供を治療して欲しいという依頼だった。実際にフワフワの綿毛に包まれたソレは、白竜の子供に間違いなく、私も思わず撫で撫でしてしまったぐらい魅力的だったが、本性を露わにした今現在は、過去に前例がないほど巨体の竜だ。
フワフワだった毛は年月を感じさせる剛毛と化した。……おそらくは数千年の時を生きているのだろう。わざと怪我を負い、人間の同情をひくために子供に変化したのだと察する。何かしら目的があって、人を見定めていたに違いない。そしてこの竜の目に叶った人物が現れた。
千載一遇の機会を、竜が逃すわけがなかった。
『気に入った』
やたらと低い声が頭に響いた。それがこの、小さい竜が発した声だと気が付いた時には、私は彼――きっと雄だ――が本性を現し、大きな口をカッパリと開けて放たれた光の息吹は堅牢な天井を薙ぎ払った。
(涙が出るぐらい、立派な鉤爪……)
目下、現実逃避したくなるほど絶望的な状況下に私はいる。私の貧弱な肉体は、竜の前足に鷲掴みにされ、体の自由を奪われていた。魔法を使いたくとも、私の使える魔法は治癒関連に集中しており、とても役に立たないモノばかりだ。
それに、この鉤爪の中から落ちたらその時点でジ・エンドだ。逃げ出す術を、持ち合わせていない私には打つ手がなかった。鋭い爪は、どんなに堅いモノでも切り裂くことが可能だろう。
少しでも長く生きたいのなら、竜の逆鱗に触れないように、大人しくしていることだった。