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Short Short Circuit

不治の病

作者: 境康隆

「お目覚めですか?」

 男が目を覚ますとそう問いかけられた。女性の声だ。寝かされているらしき男の顔をその人物が覗き込んでいた。

「……」

 男は答えられない。上手く声が出せない。

「構いませんよ、そのままで」

 声をかけた女性が優しくそう告げる。白衣を着ていた。どうやら看護士のようだ。ならばここは病院だろう。

「……」

 病院で目が覚めた男は目だけ動かして辺りを窺う。

 やはり病室のようだ。男の体に大量のチューブが繋がれていた。男はそのチューブが気になるようだ。一番近いチューブを無意識に触ろうと手を伸ばした。

 しかしその腕はいくらも上がらない。細かく震えるだけで全くその場から離れない。

 男は苛立ったようにそれでも腕を伸ばそうとした。どうやらそのチューブを払いのけたいようだ。

「長い間眠ってらっしゃいましたからね。上手く体が動かないのは仕方がないですよ」

 看護士は男を安心させようとしてか、何処までも優しく微笑んだ。

「あ……」

 男は長い葛藤の末、やっと口を開くことができた。だが言葉として形をなしていない。うめきが漏れただけの声だった。

「ご自分のお名前が分かりますか?」

「う……」

 男は看護士の質問に答えられない。声が出ないのか。それとも名前が思い出せないのか。それは誰にも分からない。

「ここは病院です。分かりますか?」

「ぐ……」

「あなたは不治の病にかかっていました」

「ああ……」

 男が目を見開いた。その言葉に恐怖したのだろう。

 男はもう一度手を挙げた。今度は先程より高く手が上がる。男は苛立つようにチューブを掴もうとした。

「ダメですよ。これは病気を治す為のお薬ですからね」

 看護士が男の手を優しく遮る。看護士はそのまま男の手を握った。

「治す……」

 男がやっと単語らしい言葉を呟いた。じっと己の手を握る看護士の手を見る。

「そうですよ。あなたのご病気を治すんですよ」

「治すだって……」

「何か?」

「だって私は、不治の……」

「ええ。治療不能のご病気でしたんですよね?」

 看護士はまだ手を離さない。

「ああ、そうだ…… 現代医学では治せない。諦めて欲しいって言われて……」

「そうです。あの時代の医学では、どうしても治療できませんでした」

「あの時代?」

「覚えてらっしゃいませんか?」

「覚えて?」

「あなたが眠る前に最後に下した決断です」

「私は、確か……」

「そうです。あなたは現代医学の限界に絶望し、全財産を使って生きたまま冷凍睡眠に挑んだのです」

 看護士がやっと男の手を離した。

「冷凍睡眠は成功でした。あなたは長い間眠りにつき、そして治療可能な今目覚めたのです」

「えっ? 治療可能? 私の病気が? でも私にはお金が。冷凍睡眠に全財産を……」

 男は気力を取り戻し始めたようだ。だがこれからの心配に言葉の端を濁してしまう。

「大丈夫ですよ。今はどんな不治の病でも、国の負担で治すことが義務づけられていますから」

「本当ですか?」

「ええ。国民の健康はこの時代では、国の最優先事項になっていますから」

「それで」

「それで、厳密に言うとあなたの病気はもう治っています」

「――ッ!」

 男が驚きに身を起こした。

「落ち着いて下さい。冷凍睡眠から目覚める前に、麻酔による負担を避ける為に治療は同時に行われたのです」

「それじゃ……」

「ええ、もうあなたの不治の病は完治しました」

「やった…… やったんだ……」

 男が歓喜に涙を流した。

「ありがとうございます。で、いつ退院できますか?」

「退院ですか?」

「ええ、このチューブはいつとれますか? 病室ばかりだった私は、このチューブが苦手で」

「ダメですよ。それはあなたの病気を治す為の薬のチューブですから」

「えっ? でも病気はもう治ってるんでよね……」

 そう言った男の体から不意に力が抜けた。

「ええ。あなたが冷凍睡眠に入る前のご病気は治りました。今は新しい不治の病の治療中です」

「はぁ……」

 男が寝床に体を預け直す。何処かその動きは力ない。

「この時代、誰もがどんな不治の病でも治療されます。その結果誰も死ななくなったのです」

「……」

「誰も死なない社会。いえ、死ねない社会。働けない高齢者ばかりが増えていく社会」

「……」

 男が目を見開いた。チューブが一際脈打ち、男の動きが急に止まる。

「それはまるで病気を患った病人のような社会でした。それも不治の病です。その病気を治療する為、一定の年齢の方には。そうあなたのように例え冷凍睡眠でも、ご高齢の方には国による安楽死が――」

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