表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

第一話5

 翌日も、その翌日も、子供たちの日常は変わらなかった。

 陽一は学校から帰ると道場に直行し、美月と竹刀を打ち合わせた。陽菜はその様子を見学し、おもちゃのステッキを振り、画用紙に三人の絵を描いた。帰り道には三人で他愛ない話をして笑い、時には駄菓子屋に寄り道した。

 道場から二ブロック先にある『みつやま商店』は、子供たちのオアシスだった。ガラス張りのショーケースに並ぶ駄菓子。百円玉ひとつで宝の山を築けるその空間で、三人は真剣に予算配分を議論した。


「陽一、ラムネ買うならビー玉取れるやつにしなよ。あっちは取れないから」

「どっちでも同じだって。俺、前にコツ掴んだんだ。ペットボトルの蓋を使ってこう……ぐりっと」

「それ壊してるだけでしょ」


 美月が呆れたように言い、陽菜はラムネの瓶をきらきらした目で見上げている。彼女にとってあの透明な瓶の中で転がるビー玉は、宝石と同義だった。


「おにーちゃん、ビー玉とって! ピンクのがいい!」

「ピンクのは入ってないんだよ、ひな。透明か水色しかない」

「じゃあ水色! 水色は魔法の色だから!」


 結局その日、陽一はラムネのビー玉を取り出すのに十五分を要し、美月に「その根性を稽古に向けなさいよ」と正論で叩かれ、陽菜は手に入れた水色のビー玉をおもちゃのステッキのハート部分に重ねて「魔法ステッキ強化完了!」と叫んだ。

 帰り道、西日が三人の影を長く伸ばす中、陽菜が真ん中で両手を繋がれて「いーち、にーの、さん!」の掛け声で持ち上げられる。きゃあきゃあという笑い声が、住宅街の路地に響いては消えていった。


 かけがえのない、黄金色の日常。

 だが、そんな日常の中に変化が生まれたことはだれの目にも明らかになった。


 稽古のたびに、美月の動きは速くなっていった。

 一週間ごとに、目に見えて。

 最初は陽一の面打ちを「ぎりぎり」かわしていた美月が、いつしか「余裕を持って」かわすようになった。美月の小手打ちは、もはや陽一の目では追いきれない速度に近づきつつあった。

 それでも二人の稽古は成立していた。陽一にはパワーがある。美月のスピードに追いつけなくとも、力押しで局面を打開する力がある。二人の勝率は、まだ五分五分に近かった。

 だが、孝三郎にはわかっていた。

 美月はまだ、自分の力をコントロールできていない。無意識の魔力発動は断続的で、常時ではない。それが安定して発動するようになった時。陽一の剣は、もう美月に届かなくなる。


 ある日の稽古後。

 陽一が道場で素振りの自主練習をしていた。美月と陽菜は先に帰り、道場には陽一だけだった。

 百本、二百本、三百本。

 汗が顎先から滴り落ち、板張りの床に黒い染みを作っていく。握った竹刀の柄が汗で滑る。マメが潰れて掌がひりひりと痛む。それでも振り続ける。

 止まったら、追いつけなくなる気がしたから。

 何に追いつこうとしているのか、陽一自身にもよくわかっていなかった。ただ漠然と、最近の美月との稽古で感じる「何か」が気になっていた。美月が速くなっている。それは良いことだ。幼馴染が強くなるのは嬉しい。パーティーを組んだ時に頼りになる前衛が強いのは、チーム全体にとってプラスだ。


「四百九十八、四百九十九、五百――っ!」


 最後の一振りを振り下ろした時、陽一は竹刀を握ったまま膝をついた。肩で大きく息をしながら、天井を仰ぐ。板張りの天井に走る木目が、汗でにじむ視界の中でぐにゃりと歪んだ。

 道場の入口に、孝三郎が立っていた。


「父さん……迎えに来たの?」

「ああ。まだやってたのか」


 孝三郎は道場に入り、陽一の隣にどかりと腰を下ろした。二人とも黙ったまま、しばらく道場の空気を吸った。古い木と蝋と汗の匂い。陽一が子供の頃から慣れ親しんだ匂いだ。


「父さん」

「ん?」

「俺さ、最近……美月に勝てなくなってきてる気がする」


 陽一は竹刀を床に置いて、自分の掌を見つめた。マメが潰れた跡が赤く滲んでいる。


「前は互角だったのに。いや、力比べなら俺が勝つこともあったのに。最近は……美月の動きが、なんか見えにくい」


 孝三郎は答えなかった。

 答えられなかった。

 代わりに、息子の肩にぽんと手を置いた。


「……五百本振ったんだろ。大したもんだ」

「そういう話じゃなくて」

「わかってる」


 孝三郎の声が低くなった。


「陽一、お前は強い。それは父さんが保証する。元冒険者の目から見ても、お前には才能がある」


 だが・・・。その言葉の後ろに、孝三郎が飲み込んだ言葉があった。

 才能がある。だが、才能にも格がある。

 同じ努力をしても、同じ時間を費やしても、最終的に到達する高さが違う。それを決めるのが「魔力適性」という、この世界で最も残酷な法則だった。


「まだまだこれからだ。お前はまだ成長期の入口にいるんだから、焦るな」


 孝三郎がそう言って立ち上がると、陽一も竹刀を拾って立ち上がった。


「……うん。そうだよな」


 陽一は笑った。いつもの、屈託のない笑顔だった。

 だがその笑顔の奥に、孝三郎は微かな翳りを見た気がした。見たくなかった。見間違いであってほしかった。しかし元冒険者の目は、見たいものではなく、見えるものを映してしまう。

 陽一はまだ気づいていない。美月との間に広がり始めている溝の正体に。それが努力ではどうにもならない種類のものであることに。ただ、身体のどこかが理屈ではなく本能の部分が何かの予感を感じ取り始めているのかもしれない。だからこそ五百本の素振りを続けたのだ。理由もわからないまま、ただ「止まってはいけない」と感じて。

 孝三郎はその姿に、かつての自分を重ねた。冒険者になりたての頃、自分もこうだった。がむしゃらに剣を振り、走り、鍛え、それだけで未来を切り拓けると信じていた。その信念が砕かれるのは、もう少し先の話だ。


 帰り道、二人は並んで住宅街を歩いた。街灯が点き始め、アスファルトの上に二つの影が伸びている。大きな影と、まだ小さな影。

 陽一は汗に濡れた前髪を掻き上げながら、ふと思い出したように口を開いた。


「父さん、養成学校の入試って、魔力の検査もあるんだよね?」

「……ああ。書類審査をパスしたら面接があって、当日に検査もされる」

「適性検査って、どのくらい魔力があるか調べるやつ?」

「そうだ」

「俺、魔力ってどのくらいあるのかな」


 何気ない質問だった。好奇心から出た、子供らしい質問のはずだった。

 だが孝三郎の足が、一瞬だけ止まった。


「……それは、検査してみないとわからないな。まだ成長期の前だから、今の段階じゃ何とも言えない」


 嘘ではなかった。正確な数値は検査しなければわからない。だが、おおよその見当はつく。孝三郎と茉莉の魔力適性から逆算すれば、陽一の素質はおそらく「中の上」から「上の下」程度。冒険者としてやっていけるレベルではあるが、国立養成学校の入試を突破できるかどうかは微妙なラインだ。

 ましてや、選ばれた存在と同じ舞台に立つには・・・。


「まあ、魔力だけが全てじゃないけどな。技術と判断力と、あと度胸。父さんの時代にも、魔力は低いが腕一本で渡り合った奴は何人かいた」


 孝三郎がそう付け足すと、陽一はぱっと顔を上げた。


「本当? そういう人もいるんだ!」

「ああ。いた。……少数だがな」


 最後の言葉は、陽一には聞こえなかったかもしれない。それでよかった。

 やがて息子の影が自分の影よりも大きくなる日が来る。だがその時、息子はどんな顔をしているだろうか。

 孝三郎は左腕の傷跡を、無意識に右手で覆った。


――――――――


 それは、純粋で、無敵で、残酷な現実をまだ何も知らない子供たちの、輝かしい黄金時代だった。


 朝の食卓でトーストを齧り、テレビの英雄に憧れ、放課後の道場で汗を流し、夕焼けの下で指切りをして、画用紙にクレヨンで未来を描いたあの日々。

 美月の竹刀の冴え。陽一の力強い打ち込み。陽菜のおもちゃのステッキ。孝三郎のコーヒーの匂い。麦茶の冷たさ。マメだらけの掌。


 それらすべてが、照川陽一の人生における最も輝かしい章の記憶であり、同時に最も残酷な物語の序章でもあった。


 だが・・・。

 この世界は「努力」や「約束」だけでどうにかなるほど、甘くはなかった。

 小学校の高学年になるにつれ、世界を規定する絶対的な法則『魔力』という目に見えない壁が、二人の間に少しずつ、しかし確実に、影を落とし始めていた。


 陽一の机の引き出しには、今も陽菜が描いた画用紙がしまわれている。

 三人の棒人間。黄色い魔法。緑の草原。青い空。

 その絵の中では、三人はまだ同じ地面に立っていた。

 同じ高さで、同じ場所に。


 それが、もう長くは続かないことを、あの頃の陽一はまだ知らなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ