第三話1
季節が冬へと装いを変える頃、陽一は倒れた。
朝から身体が重く、自室のベッドから起き上がるのにいつもの三倍の時間がかかった。不登校の日々が続いていたから、どうせ学校に行くわけでもない。ただ布団の中で丸くなり、天井の染みを数えるいつもの一日が始まるだけのはずだった。
だが、この日はどこかが違った。
喉の奥がひりつく。関節の一つ一つが錆びた蝶番のように軋む。指先がやけに冷たいのに、額だけが不自然に熱い。
—風邪か。
陽一はそう判断して、毛布を頭まで引き上げた。引きこもりの生活で体力が落ちているのは自覚していた。季節の変わり目だし、免疫も弱っているのだろう。その程度の認識だった。
窓の外から、登校する子供たちの声が微かに聞こえる。甲高い笑い声と、ランドセルの金具が触れ合うかちゃかちゃという音。陽一はその音から耳を背けるように枕に顔を埋めた。
夏が来るまでは、自分も日常の中にいた。当たり前のように朝起きて、制服に袖を通し、美月と並んで通学路を歩いていた。今は布団の中で丸くなっているだけだ。身体の不調とは別の、もっと根深い倦怠感が胸の底に沈殿している。
昼過ぎ、茉莉が部屋に入ってきた。
不登校が始まってからというもの、母は陽一の部屋に入るタイミングを慎重に測るようになっていた。ノック三回、五秒待ってからドアを開ける。それが暗黙のルールだ。
「陽一、お昼—」
声が途切れた。茉莉の足音がベッドに近づいてくる。額に手が触れた。冷たくて、硬い手。陽一がまだ幼かった頃に何度も怪我の手当をしてくれた、無駄のない動きをする手。
「・・・熱いわね」
体温計が脇に差し込まれる。電子音が三十秒後に鳴った。
「三十七度八分。微熱ね」
茉莉の声は落ち着いていた。元斥候らしい冷静さで状況を判断し、すぐに動き出す。氷枕を用意し、スポーツドリンクをコップに注ぎ、解熱剤を一錠、枕元のサイドテーブルに置いた。
「水分はこまめに摂って。食欲がなければ無理に食べなくていいから」
「・・・ん」
陽一は布団の中からくぐもった声で応じた。茉莉の手際のよさに、かつてダンジョンの前線で仲間の応急処置をしていたであろう母の姿が重なった。もっとも、斥候が治療を担うことは本来ない。回復術士がいない低ランクパーティでは、誰もが何でもやらなければならなかっただけの話だ。
その日の夕方には三十八度二分まで上がった。
関節痛が本格的になり、膝を抱えるように横向きに丸くなった。頭の芯がぼんやりと熱い。目を閉じると瞼の裏にちらちらと光の粒が散る。
夜になると、奇妙な夢を見た。夢の中で陽一は暗い水底に沈んでいた。頭上に揺れる水面の光。手足を動かしても浮き上がれない。水は冷たくもなく温かくもなく、ただ重い。何かが自分の中に流れ込もうとしている気配だけがあった。
目が覚めると枕が汗で湿っていた。デジタル時計の表示は午前三時。闇の中で天井を見上げながら、陽一はぼんやりと考えた。何の夢だったのか、もう思い出せない。ただ「何かが近づいてきている」という漠然とした予感だけが、胸の底に澱のように残っていた。
まだこの時点では、ただの風邪だと思っていた。




