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覚醒、論理力試験

ー 論理力試験 ー


最終日の論理力試験は、俺にとって一番楽しみにしていた試験だった。


形式は独特だった。

問題用紙ではない。

試験官が口頭で状況を説明し、受験者が解答を書く。

問いは一問だった。


試験官が立ち上がり、全員に向かって話した。


「ある村がある。村には百人の住民がいる。村は二つの派閥に分かれており、どちらも相手を信用していない。村長は中立だが、発言力が弱い。ある日、村の水源が汚染された。原因は不明。両派閥は互いに相手の仕業だと主張している。あなたが村の外から来た調停者だとして、どう動くか。制限時間は一時間」


俺は問題を聞き終えた瞬間、すでに答えの骨格ができていた。


しかしあえて、1分間考えた。

骨格が正しいか。抜けがないか。


前世で、似た状況を経験していた。

病院の二つの派閥、医師側と事務側。

どちらも自分が正しいと思っている。

感情が先に動く。

そういうとき、正しいのは感情を排除することではない。

感情を「利用可能な情報」として扱うことだ。


俺は書いた。


「まず、水源を調査する。汚染の原因を科学的に特定することを最優先とする。なぜなら、感情的な対立の根本には必ず『不確かな事実』がある。事実が明らかになれば、少なくとも『誰の責任か』という争点は消える。

次に、調査の過程を両派閥に公開する。一方が調査するのではなく、両派閥から各一名が立会人として参加する。これにより、どちらも調査結果を否定できない状況を作る。

村長の権威を回復するために、調査結果の発表は村長を通じて行う。外部調停者が前面に出ると、『外から来た者に決められた』という反発が生まれる。村長を経由することで、決定の正統性を内部に置く。

最後に、水源の管理制度を作る。誰が管理するかではなく、どう管理するかを制度化する。制度は人への信頼ではなく、仕組みへの信頼を作る」


そこで、俺は筆を止めた。


続きが、頭の中にあった。


韓非子が言うように…

聖人に頼る統治は脆く、制度に頼る統治は強い


書こうとして、やめた。

これは俺の言葉ではない。先人の言葉だ。

答案に書くべきは、俺が考えたことだ。借り物の権威ではない。

それに、この言葉を知っている人間が採点するなら、出典を探すだろう。今は、その必要はない。


俺は最後の一文を書いた。

「仕組みを作ること。それが調停者の最後の仕事であり、最初の責任だ」


筆を置いた。

1時間の制限に対して、30分で書き終えた。

残りの30分で、三回読み直した。

削るべき言葉はなかった。


試験終了の鐘が鳴った。

用紙が回収された。


後方の席のエドを見ると、エドは最後まで書いていた。

書き続けていた。

鐘が鳴っても、まだ何かを書こうとしていた。

試験官に静止されて、ようやく筆を置いた。


あれは時間が足りなかったのではない。

書きたいことが多すぎたのだ。

俺はそう思った。


回収された用紙は、どこへ行くのか。

採点官の手に渡るのか。それとも…


俺にはわからない。

ただ書いた。それだけだ。


ー 父王の執務室 エドワード三世の視点 ー


論理力試験の答案が届いたのは、夕刻だった。


エドワード三世は執務室で決裁書類に目を通していた。

扉を叩く音がした。


「入れ」


執務執行官のヴォルフが入ってきた。

40代。長く王に仕えている男だ。

感情を表に出さない。

だから信用している。


「陛下、王立評価院より書類が届いております。学力・体力・論理力、三科目すべての採点結果です」

「まとめて持ってこい」

「はい」


エドワード三世は手を差し出した。

ヴォルフが、厚みのある封筒を渡した。

中に、三枚の採点票と、一枚の答案用紙が入っていた。

採点票には総合順位の集計まで、すでに記されていた。


エドワード三世はまず、採点票を開いた。


学力──A。

体力──A。

論理力──S。

総合順位 第1位。


しばらく、その文字を見た。


学力がA。体力がA。論理力がS。

三科目すべてで高水準。特に論理力は最高評価だ。

総合は、議論の余地なく首位だった。


エドワード三世は採点票を置いた。

次に、論理力試験の答案を手に取った。


「ルーク・レギナルドの答案か」

「はい、本人の論理力の答案でございます」


エドワード三世は答案を読んだ。


最初の行。

「まず、水源を調査する」


そうだ。俺も最初にそうした。

前世の工場でも、問題が起きたとき、最初にやることは現場を見ることだった。

原因がわからないうちに動いても、傷を広げるだけだ。


次の行。

「調査の過程を両派閥に公開する」


そこまでやるか。

結果だけを公開する者は多い。

しかし過程を公開することで、どちらも「自分たちが関わった」という感覚を持てる。

参加させる。

それが反発を消す。


さらに読んだ。

「村長を経由することで、決定の正統性を内部に置く」


エドワード三世の手が、わずかに止まった。


三十年前、自分が王として最初に学んだことがある。

外から来た者が「正しいことを正しく決めた」としても、人はそれを受け入れるとは限らない。

正統性は、どこから来るか。

制度か。血筋か。力か。

いや「誰が決めたか」ではなく「どこから決めたか」だ。


末の王子は、5歳でそれを書いた。


最後の行を読んだ。

「仕組みを作ること。それが調停者の最後の仕事であり、最初の責任だ」


エドワード三世は、答案用紙をしばらく見つめた。


何かがある。

しかしそれが何か、言葉にならなかった。


学問の引用ではない。特定の思想の模倣でもない。

この子は自分の頭で考えて、この答えに辿り着いた。

5歳で。

試験の場で。

1時間で。


制度を作れ。

仕組みに頼れ。

人ではなく構造で動かせ。


その結論に、どれほどの経験と思索が必要か。

エドワード三世は、30年かかった。

この子は5歳で書いた。


これは才能ではない。

才能という言葉では、足りない。


王の中の王になりうる者は、命令で人を動かさない。

仕組みで人を動かす。そして人が、自らその仕組みの中で動くことを選ぶ。

そういう統治者をエドワード三世はこの30年、歴史書の中でしか知らなかった。


しかし今、その片鱗が答案用紙一枚の中に、確かにあった。


笑っていた。


自分でも気づかないほど、小さく。

しかし確かに口元が動いていた。

胸の中に何かが満ちていた。

高揚、という言葉が正確かどうかわからない。

しかし王として30年、これほど鮮やかに何かを感じたのは、久しぶりだった。


「ヴォルフ」

「はい」

「王印を持ってこい」


ヴォルフが一瞬、目を瞬かせた。

答案用紙に王印。長く仕えているが、そのような命を受けたことは一度もなかった。

しかし何も言わず、王印の箱を持ってきた。


エドワード三世は答案用紙を置いた。

それから、採点票を再び手に取った。


総合1位。

この数字を、そのまま発表すれば、アルベルトとジュリアンは動く。

5歳の末弟が総合1位。

それは、二人にとって「脅威」を意味する。

今はまだ、その時ではない。


エドワード三世は採点票の体力欄を見た。

体力A。内訳の詳細は採点票の通り。

水泳、乗馬ともに最上位。走力は転倒があったが、追い上げで挽回した。


ここだ、と思った。


体力のランクをAからBに変える。

実際の評価内容は採点票に残る。

しかし体力のランクがBになれば、総合順位は大きく下がる。

アルベルトとジュリアンは、体力試験の内訳まで細かく見ない。

「体力B」という結果だけを見て、安心する。

末弟は体力全体では凡庸、そう判断する。


体力の個別順位は発表しない。総合だけを出す。

そうすれば、誰も内訳を知らない。


策は、これで十分だ。


エドワード三世は答案用紙を再び手に取り、右下の余白に王国の金印を押した。

重い音がした。深紅の印影が、紙に刻まれた。


そして王印の下に、静かに文字を書き加えた。


「挫折と障害もまた、王の糧なり。この者の体力評価をBとせよ。体力の個別評価の発表は禁ずる。試験管のみの秘匿とする」


ヴォルフは、答案用紙と採点票を受け取った。

まず、論理力の答案を読んだ。


驚愕した。


ヴォルフは長く王に仕え、多くの文書を見てきた。

しかしこれは、5歳の子供が1時間で書いたものだ。

文体に無駄がない。論理の筋が一本通っている。

結論が、問いの核心を外していない。

臣下として20年以上の経験を持つヴォルフが読んでも、反論の余地がなかった。


次に採点票を見た。

学力A。体力A。論理力S。総合第一位。


それから王印の下に書かれた命令を読んだ。


「この者の体力評価をBとせよ」


ヴォルフは、顔を上げた。

エドワード三世を見た。


主君は窓の外を見ていた。

その横顔にヴォルフは見たことのない表情があった。

誇りとも違う。

慈しみとも違う。

強いて言えば一人の職人が、自分の仕事の続きを見つけたときの顔に、似ていた。


ヴォルフは深く、深く頭を下げた。

言葉は出なかった。

言葉より深く、頭を下げた。


それから、静かに部屋を後にした。


扉が閉まった。


エドワード三世は窓の外を見ていた。

夕暮れの王都。石畳に橙の光が落ちている。


田中孝一として生きた前世に、子供はいなかった。

この世界で子を持ち、王として30年。

その末の子が今日5歳で、答案にこれを書いた。


挫折もまた、必要だ。

俺がそうだったように。

前世で、失うものが多ければ多いほど、立ち上がる理由が増えた。


この子にも、その道を歩かせる。

楽な道ではない。

しかしそれがこの片鱗を、本物にする唯一の方法だ。


エドワード三世は、積み上げられた書類に向き直した。

今夜も、仕事は山積みだ。

しかし今夜の手の動きは、これまでの30年で一番、軽かった。


ー 一次試験の結果 ー


一次試験の結果発表は、三日後だった。


王立評価院の正門に、大きな紙が貼り出された。

合格者の番号が、上位から順に並んでいた。


掲示板には、三科目の評価と総合順位が記されていた。

学力、体力、論理力のランクが初めて一枚の紙に並んで、今日出た。


学力──A。

体力──B。

論理力──S。

総合──8位。


俺は、体力の欄を二度見た。


B。


腑に落ちなかった。

水泳も乗馬も、手応えはあった。走力は転倒があったが、後半の2種目で取り返した。

しかし…

個別の評価は発表されていない。

自分の実際の出来を数字で確かめる手段が、今はない。

あるのは「B」という結果だけだ。


俺は掲示板の前で、静かに息を吐いた。


誰かが、動かした。


そう思った瞬間、答えは一つしかなかった。


それとは別に掲示板の隅に、小さな告知が貼られていた。


「論理力試験において、特定の答案に王印が押印された。これは国王陛下の裁量による特記事項であり、採点結果に干渉するものではない。当該答案は王宮書庫に正式に保管される」


受験者たちがそれを読んでいた。

「王印?」「誰の答案だ」「聞いたことがない」

声があちこちで上がった。


エドが俺の隣に来て、告知を読んだ。

それから、俺を見た。

何も言わなかった。

しかしその目が、俺に向いていた。


俺も黙っていた。


王印。論理力の答案に押された。

つまり父王は、論理力の答案を手元に取り寄せた。

答案だけを取り寄せるか、それとも全科目の採点結果をまとめて見たか。


全部を見た。


そうでなければ、体力のランクを変える意味がない。

学力、体力、論理力

三科目の結果をすべて見て、総合が首位になっていることを確認した。

そこで初めて、体力のランクを下げた。


なぜ体力か。

体力の個別評価は発表されない。

誰も、実際に何がどう評価されたかを知らない。

「体力B」というランクだけが残る。

それを見た者は、俺の体力を並みだと思う。


父王は俺を隠した。

総合1位になっていた俺を、誰にも気づかれないよう、ランクで中に沈めた。


父王の意図は、今はまだ目立つな、という命令でもある。


俺は掲示板から離れた。

ならば、悔しさを持って進む。

それだけだ。


240名の受験者から一次通過者は、60名だった。

(240名全体では五パーセント枠、つまり最終12名の合格枠に対し、一次通過者が絞られていく)


エドの順位は17位だった。

論理力が高く、体力の不利をカバーしていた。


ヴィクター・フォン・クラーゼンは2位だった。

学力と体力はともに上位。

論理力が、今回はAだった。


俺は掲示板の前で、三人分の順位を確認した。

エドが隣に来た。

「通過したな」

「ああ」

「次が本番だ」


エドは静かにそう言った。

俺は頷いた。


最終試験。

2000人の兵士を使った模擬戦。

将軍として指揮するか、軍師として戦術と兵站を担うか、部隊隊長として戦うか。

選択は受験者に委ねられている。


俺の選択は、最初から決まっていた。


軍師だ。


体力では将軍も部隊隊長も無理だ。

しかし戦略と制度設計で戦うなら、それは前世でやってきたことだ。


孫子は言う。

「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ」


自分が一番勝ちやすい場所で戦う。

それだけだ。


ー 最終試験の前夜 ー


最終試験の前夜、俺は宿舎の部屋で机に向かっていた。


紙に書いていたのは、戦術ではなかった。

1000人の兵士の構成だった。

試験要項に書いてあった情報を整理する。


1000人の兵士は、実際の王国軍から選出される。

年齢は20代から40代。経験年数は1年から20年以上まで様々。

模擬戦は一日で行われる。地形は丘陵地。緋色軍クリムゾン1000人、蒼天軍1000人

合計2000人規模の模擬戦だ。


軍師として参加する場合、指揮官(将軍役の別の受験者)と連携しながら動く。

評価は兵士からの直接評価だ。


俺が考えていたのは、評価の構造だった。

兵士1人が1ポイントを持つ。

つまり、1000人から多くのポイントをもらった者が合格の為の足がかりとなるわけだ。


問題は、軍師は兵士と直接関わる機会が将軍や隊長より少ない。

指示は将軍を通じて伝わる。兵士からは「誰が戦略を作ったか」が見えにくい。


ならば戦略の正しさを、結果で示すしかない。

兵士が「この戦略のおかげで生き延びた」と感じるような戦い方をする。


俺は紙に書いた。

「兵士に死なせない戦略が、最も評価を集める」


前世の病院経営と、構造は同じだ。

職員が「この理事長のやり方のおかげで病院が良くなった」と感じたとき、人は動く。

評価は与えるものではなく、行動の結果として生まれるものだ。


廊下を歩く音がした。

エドだった。

俺の部屋の扉の前で止まった。

ノックもなく、扉越しに声がした。


「起きてるか」

「起きてる」

「何をしている」

「最終試験の戦略だ」


しばらく静かだった。

それから、エドが言った。


「俺は部隊隊長で受ける」

「なぜ」

「直接、兵士の隣に立つのが一番評価を集めやすい。平民の俺ではそれ以外にない。しかし判断は速い。隊長なら、十人か二十人の単位で指揮できる」


俺は少し考えた。


「それは正しい判断だ」

エドが廊下を歩き去る足音がした。


エド・ラルフ。

平民の出身。

計算が速い。判断が正確。

こういう人間が、組織の中で正当に評価されることは少ない。

前世でも、一番仕事ができる人間が出世するとは限らなかった。


だから制度が必要なんだ。

韓非子が言うように。


俺は紙を折りたたんで、机の上に置いた。

明日、最終試験が始まる。

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