表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/46

兄たちの影

四歳になった頃、俺は兄たちの姿を遠くから観察できるようになった。

第五王子が庭を歩いていても、宮廷の誰も気にしない。廊下の端に座っていても、誰も追い払わない。それが俺の自由だった。


アルベルト兄上を最初に見たのは、中庭だった。

十七歳。金の髪。深い青の目。父王と並んで歩く姿は、完璧だった。周囲の貴族たちが、自然と彼の方を向いていた。


しかし俺は、その目を見た。


父王と話しながら、視線が別のところを向いていた。

計算している目だ。前世で何度も見た。会議室で笑顔を作りながら、頭の中で別の算段をしている人間の目。

アルベルト兄上は、完璧な第一王子を「演じている」

強敵だ。

しかし、完璧すぎる人間は崩れるときに一気に崩れる。


ジュリアン兄上は訓練場で見た。

十五歳。鋭い動き。若い騎士たちを率いて剣を振るう姿に、切迫感があった。古参の貴族がいない。全員、若い。あるいは新興の家の出身だ。

既存の権力構造の外から人を集めている。明確な戦略だ。


しかし、焦りが滲んでいた。

アルベルトを意識しすぎている。

それが今の弱点だ。


オスカー兄上は庭の隅で見た。

十六歳。細い体。ぼんやりとした目。一人で紙に向かっていた。

遠目でも、その絵の精緻さは伝わってきた。王位争いの渦中にあって、この王子だけが別の世界にいる。


今は関係ない。

しかしこの才能が、いつかどこかで力を持つかもしれない。俺はオスカー兄上の名前をノートの片隅に書いた。


シオン兄上は…


見えなかった。


一度だけ、廊下の向こうに影を見た気がした。夕暮れの、光と影の境界線に、誰かが立っていた。

背が高くない。細い。それだけしか見えなかった。

しかしそのとき、俺は足が止まった。

前世で、似たような感覚を覚えたことがある。

病院で、ある医師と廊下ですれ違ったとき。表向きは温和で、物静かで、何も問題のない医師だった。しかし廊下ですれ違った瞬間、何か冷たいものが背筋を走った。その医師は半年後、医薬品の横流しで摘発された。

廊下の向こうの影は、すぐに消えた。


シオン兄上のことは、まだ何もわからない。


しかし


忘れない…


ー 父王の目 ー

四歳と数ヶ月が経った頃、俺は初めて父王と二人になった。

偶然だった。庭を歩いていた俺が、木陰に父王がいるのに気づいた。臣下も侍従も誰もいない。ただ一人、石造りのベンチに腰かけて、空を見上げていた。

父王の横顔を、俺は初めてゆっくりと見た。


五十代


かつては戦場に立ったこともある体格。しかしその目に重さがあった。

疲れではない。

何かを長い間、抱え続けてきた人間の目だ。


俺は思わず立ち止まった。

見覚えがある目だった。

病院の廊下で壁に手をついていたあの夜、きっと自分もああいう目をしていた。


父王が、俺の視線に気づいた。

目が合った。

逃げなかった。逃げる必要を感じなかった。

父王も、逃げなかった。

しばらく、無言だった。庭の風が、木の葉を揺らした。

父王がふいに口を開いた。


「ルーク」

「……はい、父上」

「お前は、怖くないのか」


俺は少し考えた。


「何が、でしょうか」

「この宮廷がだ」


俺はもう一度、考えた。

前世で七年間、魑魅魍魎の渦巻く病院経営の世界で生きてきた。告発文、嫌がらせ、裏切り、派閥争い。怖くなかったと言えば嘘になる。


怖かった。

しかし、もっと怖いことがあった。


「怖いです」

俺は言った。


「しかし、もっと怖いことがあります」

「……何だ」

「何もしないことが、怖いです」


父王の目が、わずかに動いた。

何かを確かめるような目から、何かを認識したような目へ。

父王はしばらく俺を見ていた。それから、静かに言った。


「そうか」


それだけだった。

父王は立ち上がり、庭を歩いていった。

俺はその背中を見送りながら、考えた。

あの目は何だったのか。驚きを隠した目。しかし隠し慣れている人間の隠し方だった。

根拠はない。

しかし、俺の胸の中に、一つの仮説が生まれた。

まだ確かめる術はない。保留にしておく。


その夜、父王は執務室で一人、窓の外を見ていた。侍臣は下がらせた。


田中孝一、と心の中で呟いた。


それが、前世の自分の名前だった。

従業員十二人の町工場。地域に愛された、小さな会社。自分より従業員を、客先を、家族を優先した。そして気がつけば過労で倒れ、目を開けたらこの世界にいた。


あれから三十年が経つ。

王として、人を大切にすることだけは変えなかった。前世と同じように。


そして今日

ルークを見た。


四歳の末の王子が「何もしないことが怖い」と言った。

あの目は、子供の目ではなかった。

何かを長い間、抱え続けてきた人間の目だった。

重さを知っている人間の目だった。

田中孝一は静かに息を吐いた。


「違うかもしれない」


しかしもし、そうなら。

今は、何も言わない。

ただ、見ていよう。

あの子が、どこへ向かうのかを…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ