死走の兄弟
北西の山道は獣道と大差ない。細く、ぬかるみ、馬の足が沈むたび泥が跳ねる。冬前の乾いた風が山肌を撫で、遠くで鳥が鳴いている。
ルークは馬上で地図を閉じる。
王都を出て十数日。ようやく掴んだ"死走の兄弟"の噂は、どれも胡散臭い。
野盗を狩る兄弟。
味方すら囮にする兄弟。
死体の山を歩く兄弟。
だが、その全てに共通しているのは、"少人数"という一点だ。
「本当にいるんですかね」
護衛が疲れた顔で言う。
「山賊崩れの作り話じゃないですか?」
「かもしれません」
ルークは短く答える。
しかし馬は止めない。
有名な将なら王都へ呼べばいい。だが、本当に欲しい人材ほど、表には出てこない。泥の中や敗北の中に埋もれている者こそ価値がある。
ルークはそれを北伐で学んでいる。
夕方近く、先行していた斥候が戻ってくる。
「殿下、見つけました」
「どんな場所です?」
「山奥の集落です。ただ……妙です」
「妙?」
「子供しかいません」
ルークの目が少し細くなる。
…………
山を越えた先に、小さな集落がある。
粗末だ。
木柵は歪み、家々は傾き、畑は痩せている。貧しい山村そのものだ。
だが。
しかし── そこには妙な緊張感がある。
バシィッ!!
木剣の音が響く。
「遅ぇ!!」
怒声と共に、十歳ほどの少年が転がる。泥まみれになりながら、それでもすぐ立ち上がる。
「戦場で寝る奴は死ぬぞ」
低い声だ。
巨漢だ。
異常に大きい。肩幅は二人分あり、腕は丸太みたいに太い。上半身には無数の古傷が走っている。
その男が、子供たちに木剣を振るわせている。
「もっと腰を落とせ!」
ドゴッ!!
木剣で叩かれた少年が涙目になる。
「泣くな。腹切られても泣くな」
「う、うぅ……」
「泣きながらでも前出ろ」
乱暴だ。
だが、そこに妙な優しさがある。
横では別の声が飛ぶ。
「そっち、飯前に走り込み十周」
「えぇぇ!?」
「嫌なら飯抜き」
「走ります!!」
細身の男だ。
病人みたいに青白い顔をしているが、目だけが異様に鋭い。
子供たちが慌てて駆け出す。
その様子を見ながら、ルークは黙っている。
遊びではない。
訓練だ。
しかも、生き残るための訓練だ。
「……軍隊ですね」
側近が呟く。
「えぇ」
ルークも同じことを思っている。
子供たちの動きに無駄がない。火の管理、水運び、見張り、食事の配分まで、全員が役割を理解している。
まるで、小さな軍営だ。
その時、細身の男がこちらへ視線を向ける。
「何者だ」
一瞬で空気が変わる。
子供たちが黙る。
巨漢もゆっくり振り向く。
ルークは馬を降りる。
「旅人です」
「嘘だな」
即答だ。
「旅人にしては護衛が強い」
ルークが少し笑う。
「あなた方も、野盗狩りにしては強すぎます」
細身の男が黙る。
その横で、巨漢が泣きそうな子供の頭を乱暴に撫でている。
妙な光景だ。
「何しに来た」
「見に来ました」
「何を」
「死走の兄弟を」
空気が止まる。
子供たちまでこちらを見ている。
やがて、細身の男が笑う。
「悪趣味なガキだ」
「よく言われます」
「で、見てどうする」
「決めます」
「何を」
「あなた方が、本当に必要かどうか」
側近が青ざめる。
だが、細身の男は笑ったままだ。
「面白い坊主だ」
…………
夜だ。
山の見張り台から鐘が鳴る。
カン、カン、カン!!
集落の空気が一変する。
「野盗だ!!」
「数は!?」
「80以上!!」
子供たちが一斉に動く。
誰も泣かない。
誰も慌てない。
矢を運ぶ者、火を消す者、水桶を並べる者、全員が決められた場所へ走っていく。
完全に訓練されている。
ルークは、その様子を静かに見ている。
「……凄いですね」
「子供ですよ?」
「だから凄いんです」
普通なら混乱する。
叫び、逃げ惑う。
それが子供だ。
だが、この集落は違う。
まるで、小さな軍だ。
「兄者」
巨漢が大斧を担ぐ。
「どうする」
「いつも通りだ」
細身の男が地図を広げる。
「谷へ引き込む」
「了解」
それだけだ。
長い説明も確認もない。
だが、呼吸みたいに噛み合っている。
ルークの目が細くなる。
野盗たちが山道を駆け上がってくる。
松明。
怒号。
粗雑な槍と剣。
数だけなら圧倒的だ。
「殺せぇぇぇ!!」
だが。
細身の男が手を振った、その瞬間。
「右、退け」
直後、ズドォン!!と地面が崩れる。
先頭を走っていた野盗たちが、そのまま谷へ落ちていく。
「なっ!?」
混乱。
叫び。
そこへ巨漢が突っ込んだ。
ゴォン──ッ!!
大斧が振り下ろされる。
野盗がまとめて吹き飛ぶ。
骨が砕け、血が飛び散り、悲鳴が山へ響く。
だが、ただ暴れているわけではない。
押し込みすぎない。
敵を散らさない。
流れを作っている。
「左へ寄せろ」
細身の男が言う。
巨漢が動く。
それだけで野盗たちの流れが変わる。
押される。
谷側へ。
そこへ矢。
さらに落石。
野盗たちが崩れていく。
「前へ出るな!押し込め!」
「後ろ詰まってるぞ!!」
「退けぇぇ!!」
完全に混乱している。
そこへ、兄弟の仲間6人が動く。
槍。
短剣。
弓。
全員が役割を理解している。
敵を殺すためではない。
敵を"流す"ために動いている。
逃げ道を限定し、恐怖を与え、崩壊を誘っている。
「……凄い」
側近が呆然と呟く。
ルークは答えない。
見ている。
兄。
弟。
そして6人。
全員が別々に動いている。
なのに、一つの生き物みたいだ。
目配せだけで動く。
声だけで流れが変わる。
互いの呼吸を、完全に理解している。
野盗の一人が、子供たちの方へ走ろうとする。
その瞬間。
細身の男が短く言う。
「3歩」
巨漢が振り向きもしない。
だが。
3歩目で斧が飛んだ。
ドゴォッ!!
野盗が吹き飛び、木柵へ叩きつけられる。
ルークの目が細くなる。
今の一言だけで通じている。
距離。
位置。
タイミング。
全て共有している。
「兄弟だから、ですかね……」
側近が呟く。
「違います」
ルークは静かに言う。
「積み重ねです」
長い時間を共に戦い、生き残り、死にかけながら積み上げてきたものだ。
だから、ここまで噛み合う。
戦いは十五分で終わる。
野盗が逃げる。
残ったのは死体だけだ。
巨漢が斧を肩へ乗せる。
細身の男は死体を見下ろしながら数えている。
「5人か」
「今回は少ねぇな」
「上出来だ」
その会話を聞きながら、ルークは静かに思う。
強い。
だが、それだけではない。
この兄弟は、"軍"を作れる。
しかも。
生き残る軍を。




