黒き義軍、動く
「全て遅かったか……」
その言葉が、口から零れた瞬間、地面が、割れた。
音ではなかった。振動だった。足の裏から、骨の芯まで伝わってくる、重く、鈍く、止まらない振動。
副将が振り返った…
盾の壁だった。
槍が揃っていた。騎兵が先頭に立ち、歩兵がその後ろを固め、一切の乱れなく、一直線に、こちらへ向かってくる。
崩れていない…
乱れていない…
まるで別の戦場から切り取ってきたような、整然とした隊列が。伸びきった自軍の横っ腹へ、真っ直ぐに突き刺さろうとしていた。
「よ、横だ!! 横から来るぞ!!」と叫んだ。
だが声は届かない。前を向いて走る兵たちには、聞こえない。聞こえていても、止まれない。前から押される。後ろからも来る。流れが出来てしまっていた。
次の瞬間、衝突した。
アルベルトは、その瞬間を見ていた。馬上から。丘の少し高いところから、伸びきった敵軍の横っ腹に、本陣3万5000が突き刺さった。
音が変わった…。
追撃の歓声が、悲鳴に変わった。
前を見ていた兵たちが、横から来た衝撃に吹き飛ばされた。盾が弾かれた。槍が絡み合った。騎兵が敵の隊列を蹴散らしながら突き進んだ。
「押せ!! 止まるな!! 貫けぇ!!」
アルベルトの声が戦場に響いた。3万5000が、敵軍を横一文字に割った。前方軍と後方軍が、分断された。
繋がりが切れ、命令が届かなくなった。前にいる兵は後ろを知らない。後ろにいる兵は前を知らない。
敵軍が、二つに裂けた。
後方では、 土煙が上がった。敵の後方部隊が振り返った瞬間、シオンの3万5000が来ていた。
「なっ!!」と、声にならなかった。
前は本陣に分断されている。横は追撃で伸びきっている。そして後ろから、シオンが来た。
「全速…、止まるな…」
シオンの声は小さいが、側近たちがら、シオンを代弁して戦場を裂いた。
「全軍、全速!! 止まるな、突き抜けろ!」
3万5000が後方部隊に突っ込んだ。
もはや、敵に逃げ場はなかった。
前に逃げれば分断された前方軍に押し込まれる。後ろはシオンが塞いでいる。横は本陣が貫いている。
大きな川の流れを突き破って「牙」が突き刺さった。
丘の上で、ルークは戦場全体を見ていた。
バロックが隣に立っていた。
「包囲が完成した」とルークは言った。
「ああ」とバロックが言った。「しかし。まだ終わっていない」
「わかっています」
前方軍がまだ残っていた。本陣に分断されたが、前方軍はまだ4万を追っている。4万が逃げ、前方軍が追う。その構図は変わっていない。
「前方軍を、我らが今から叩きます!」とルークは言った。
「そうだ」とバロックが言った。「お前の出番だ、若いの!」
ルークが馬を前に出した。
「全軍、動けぇ!!」
黎明義軍が動き出した…
4400名が一斉に前へ出た。太鼓が鳴った。正軍が隊形を作った。自由軍が側面に散った。バロックの騎馬部隊が先頭に並んだ。
エルザが馬上で槍を構えた。左足をあぐらに組んで。バロックと同じ姿勢で。
「父様!」とエルザが叫んだ。
「わかっている」とバロックが言った。
バロックの足が、あぶみに落ちた。
700名の騎馬部隊が、一瞬で戦闘態勢になった。
「行くぞ!!」と、バロックが馬を走らせた。
700名が続いた。
黎明義軍4400名が、前方軍の横っ腹へ向かって、全速で走り出した。
前方軍の兵たちは、まだ4万を追っていた。
眼前に逃げる敵がいる。斬れる。狩れる。その本能が、周囲への注意を奪っていた。
誰も気づかなかった。
横から、黒い影が来ていることに…
黒い甲冑、黒い剣、黒い槍…
昼間でも、黒は目立たなかった。土煙に混じった。砂塵に溶けた。気づいた時には、すぐそこまで来ていた。
「……なんだあれは?」
誰かが言った、その次の瞬間…
黒い波が、前方軍の横っ腹に叩きつけた。
「ぐああっ!!」
「何が来た!!」
「横だ!! また横!!」
混乱が広がった。
前を向いていた兵が横に吹き飛ばされた。槍が弾かれた。盾が割れた。騎馬が突き進んだ。
エドの黒獅子隊が最前線に立った。
エドが、剣を抜いて、前へ出た。
止まらなかった!
「死地に陥れてしかる後に存す……亡地に置いてしかる後に生く……」
ーー孫子ーー
分断が完成した。
包囲が完成した。
黎明義軍が動き出した。
しかし.これはまだ、始まりに過ぎなかった。
前方軍はまだ戦っている。
4万はまだ逃げている。
バロックはまだ動いている。
そしてどこかで.ブレストが、この戦況を見ていた。




