闇 軍を喰らう
夜だった。
右翼の野営地は、静かだった。4万の兵が眠っていた。焚き火が点々と残っていた。見張りが立っていた。しかしその見張りたちも、緊張していなかった。後方支援を襲った6000の敵を倒した後だっただけに、随分と油断が立ち込めていた。また起きたところが後方、こちらは右翼で前線から少し離れた場所だった。今夜は安全だと、誰もが思っていた。
その夜、敵の2000名が動いた。
音を立てなかった…
先頭に、40名が分かれた。5名ずつ、8つの班であった。全員が何故か王国軍の甲冑を着ており、夜の闇の中では、その姿では敵も味方も見分けがつかなかった。
各班の隊長が「行け…」と言った。それぞれの者たちは声を出さなかったが、どんどんと敵の部隊に散っていった。
8班が闇世に紛れて、別々の方向に散った。
残り1960名が、闇の中で待機した…
第1班が動いた。
右翼の第1部隊の将軍天幕に向かった。天幕の前に見張りが2名いた。
「本隊よりの伝令です…」と班の一名が言った。王国軍の甲冑を着ており、「隣の部隊から急ぎの知らせがあります」
見張りが「ご苦労、入れ!」と言った。
5名が天幕に入った。
天幕の中は灯りがあった。
将軍が机に向かっており、副将軍が傍らにいた。隊長クラスが3名、地図を囲んでいた。誰も振り向かなかった。
5名が動いた。
音を立てなかった。
隊長3名と、副将軍が倒れ、最後に将軍の首へと刃が突き立てられ、そして静かに倒れていった。
10秒もかからなかった。
天幕の外の見張りは、何も知らなかった。
同じ時刻に…
第2班が第2部隊の将軍天幕に入っていた。「本陣からの急ぎの命令書です」と言って。将軍が「読め」と言った。班の一名が近づいた。将軍が── 倒れた。
また別で同じ時刻に。
第3班が第3部隊の将軍天幕に入っていた。「隣から伝令です」と言って。将軍が顔を上げた瞬間頭に剣が突き立てられ、倒れた。
別の場所の同時刻にも同じ事が繰り返された…
第4班、第5班、第6班、第7班、第8班が…、それぞれの将軍天幕で動いていた。
8か所で…
同時に…
なんの前触れもなく、音を立てずに…
4万の兵は、何も知らなかった…
将軍たちが死んでいることを、誰も知らなかった。天幕の外の見張りたちも、天幕の中で何が起きたか、全く知らなかった。
第1班の隊長が、天幕の外に出た。
そして夜空を見た。
松明を3回振り、第2班の方向を見た。
第2班の隊長が天幕から出た。松明を3回振った。
第3班が振った…
第4班が振った…
第5班、第6班、第7班、第8班…
8か所全ての合図が、闇の中に上がった。
1960名が一気に動き始めた。
4万の野営地に、1960名が流れ込んだ。
最初は気づかなかった。
眠っていた兵が「何の音だ」と目を覚ました。天幕の外を見た。暗かった。人が動いていた。誰だかわからなかった。
剣の音がした。
「何事だ!」と誰かが叫んだ。
その声で、野営地が動き始めた。眠っていた兵たちが起き上がった。何気に武器を取って、目をこすりながら辺りを見渡したが、どこに向かえばいいかわからなかった。
「将軍のところへ!」と誰かが言った。
兵たちが将軍の天幕に駆けつけた。
第1部隊の兵たちが将軍天幕に飛び込んだ。将軍が床に倒れていた。副将軍も倒れていた。隊長たちも倒れていた。すでに将軍は、将軍たちは死んでいた…
「将軍!!」
誰も答えなかった。
同じ時刻に、第2部隊の兵たちも将軍天幕に駆けつけていた。将軍が死んでいた…
第3部隊も、第4部隊も、第5部隊も、第6部隊も、第7部隊も、そして第8部隊も…
8部隊全ての将軍が、生き絶え同時に殺されていたのだった…
指揮系統が消えた…、無残なものだ…
4万が、誰の命令も受けられなくなった。
「どこだ!」「何が起きた!」「将軍が死んでいる!」「敵はどこだ!」
声が飛び交った…
しかし誰も答えられなかった。誰も全体を把握していなかった。
逃げる者がいた。天幕の中に隠れる者がいた。武器を持って走り回る者がいた。仲間と誤って斬り合う者がいた。
1960名は、その混乱の中を走り回った。
組織的に動けない4万は、彼らにとってただの肉の塊で、数の優位を活かせなかった。指揮官を失った軍は、ただの烏合の衆になった。4万が烏合の衆になった瞬間、2000はただ殺戮を繰り返す軍団とかし、無惨に切り刻んでいくのみであった。
夜の闇の中で、2000が4万を狩り続けた…
夜明け前、2000名が引いた…
静かに消えた…、来た時と同じように…
音を立てずに、闇の中に溶けて消えた…
右翼の野営地が、夜明けの光の中に残された。
3分の1にあたる、1万以上の兵が傷つけ、殺されまくった。
将軍が全員おらず、副将軍もおらず、隊長すら全員いなかった。
指揮を取れる者が、誰もいなかった。
右翼の兵たちが、夜明けの光の中でようやく全体を把握し始めた。
無惨に積み重なる死体の山、山、山…
その死者が、夜中の混乱の中で積み上がり、夜明けの光で赤く染め上がっているのを今、生きている者たちが、無言で見ていた。
誰も声が出なかった…
いや、あまりの光景に声が出なかった。
夜明けの光が、戦慄に染め上がった真っ赤な大地を静かに、野営地を照らしていた。
その頃、敵本陣の天幕の中で…、ブレストが新しい杯を手に取った。
真っ白だった。
そこに酒を注ぎ、一口飲んだ。
「……旨い」と言った。
「兵は詭道なり……故に能なるも之に不能を示し、用なるも之に不用を示す……」
ーー孫子ーー
兵は騙し合いだ…
たった40人の王国軍の甲冑を着て敵に、4万兵は見事に切り刻まれた。
4万の兵は暗殺には気づかなかった。
気づいた時には、将軍たちが全員死んでいた。
わずか2000が4万を喰らった闇であった。




