ルークがいるから
3日後、またあの会議があった。
ヴォルフ卿が、ミア姉様を呼んだ。
俺はその朝、ミア姉様に言った。
「……今日は、発言してください?」
ミア姉様が「え?」という顔をした。
「……前回は座っていることが正しかった。でも、今日は違います。ランツ伯爵たちは、ミア姉様を『黙らせた』と思っている。してやったりの感じで…。今回も、もう一度同じことをしてくる。」
「……それで?」
「……してこさせてください。そこで、数字を出してください。」
ミア姉様が、少し考えた。
「……どの数字?」
「……北部の税収の矛盾、3ヶ月分の推移、徴税吏が変わった月からの数字の変化、全部、頭に入っていますか?」
「……入ってる。」
「……それを会議の中で、1つだけ出してください。全部じゃなくていいです。1つだけ…。それも攻めるのではなく、確認するように…」
ミア姉様が、びっくりした顔で俺を見た。
「……ランツ副大臣が『天候のせいだ』と言ってくる。そこで、『そうですね。ただこの月だけ、天候が良かった記録があります。この数字はどう見ればいいでしょうか?』と聞いてください。」
「……攻めない」
「……攻めない。ただ、聞く。それだけです」
ミア姉様が、少し間を置いた。
「……わかった。」
それから少し笑った。
「……ルーク、策師みたいになってきたね。」
「それ、ミア姉様に教わりました。」
「……私が?」
「……数字で人を追い詰めるのは、ミア姉様が一番上手いですから!」
ミア姉様が「それ褒めてる?」と言った。
「褒めています、色んな意味で…」と俺は言った。
会議が始まった。
ミア姉様が部屋に入ったの事は、もちろん俺は、見ていない。でも、その夜に全部聞いた。
ランツ伯爵が、 開口一番に言ったらしい。
「……ミア嬢、今日もよくご覧ください。発言はご遠慮いただいた方が、前回同様に会議がスムーズに進みますので…」
笑顔で、丁寧に…
ミア姉様は、頷いたらしい。
「わかりました」と言って、座ったらしい。
会議が進んだ。
北部の予算配分の話になった。
ランツ伯爵が資料を広げた。
そこで満を持して、ミア姉様が手を挙げた。
「……1点、確認させていただいても良いですか?」
ランツ伯爵がびっくりした顔で、一瞬止まったらしい。
しかし、すぐに笑顔を作った。
「……な、何でしょうか?」
「この月の税収なのですが。天候記録では、この月は例年より豊作だったとあります。しかしこの数字は、前年比で下がっています。私の読み方が間違っているのかもしれないので、教えていただけますか?」
ランツ伯爵が、固まったらしい。
「……それは、輸送コストが増加したためで…」
「輸送コストの記録も見たのですが、この期間は変わっていないようでした。それ、どこを見ればわかりますか?」
沈黙だったらしい…
ベルナー卿が「……それは担当者に確認が必要かと」と言ったらしい。
クラウス卿が「……詳細は後日報告書で」と言ったらしい。
ヴォルフ卿がその間、何も言わなかったらしい。
でも会議の最後に、ヴォルフ卿が初めて口を開いたらしい。
「……ミア嬢。その資料、後で私に見せてください。」
ランツ伯爵がそこで初めて、笑顔が揺れたらしい。
ミア姉様が宿に戻ってきた時、目が違った…
3日前の「固まった目」ではなかった。
怒りでも悲しみでもなかった…
してやったり…、まさにその顔だった。
「……どうでしたか?」と俺は聞いた。
「……ヴォルフ卿が資料を見たいって言ってた。明日、持っていく〜!」
「……ランツ伯爵は?」
「……笑顔が、一瞬だけ揺れた!」
ミア姉様がしてやったりの顔で、少し間を置いた。
「……最初は怖かった。会議の途中で、あぁ、また何か言われるかと思って…、でも、数字があったから、言えたよ!」
「……だって、数字は嘘をつかない。」
「……うん。ルークの受け売りだけどね。」
俺は「俺の受け売りじゃないですよ。ミア姉様が最初に言ったことです。」
ミア姉様が「……そうだっけ?!」と笑った。
翌日。
幻の訓練場での体術修行が終わった後、ミア姉様の様子が、また変わっていた。
今度は固まっていなかった。
しかし、どこかに火がついていた。
ヴォルフ卿に資料を見せた後、何かがあったらしかった。
フリッツが個別課題に入った。
俺は問答へ、エドは剣術へ、ミア姉様は体幹の修正へ…
俺は問答をしながら、ミア姉様を横目で見ていた。
ミア姉様が動いていた。
速かった。
でも速さが、3日前と同じ速さだった。
怒りの速さだった。
「……殿下」とフリッツが言った。
「集中なさって下さい。」
「……はい。」
フリッツも、ミア姉様を見ていた。
しばらくして、ミア姉様が俺に向かってきた。
速かった。
止まらなかった…
俺は受けたが、でも次が来た。
「……ミア姉様?!」
「……ごめん、止まれない!」
止まれない?!
何があった?!
俺は、受けながら聞いた。
「ね、姉様?、ヴォルフ卿に…、何を言われましたか?」
「……言われたんじゃなくて、見た!」
「……何を?」
「……ヴォルフ卿の執務室に資料を持っていったら、ランツ副大臣とベルナー卿とクラウス卿が、もう来てたの。三人とも、笑ってない笑顔で、押し込んでいたのよ…」
俺は、受け続けながら、頭が動いた。
先手を打たれた…
ヴォルフ卿がミア姉様を呼んだことを、3人は知っていた…
それより先に、ヴォルフ卿のところに行った。
「……ヴォルフ卿が、3人の前で言った。『ミア嬢の調査は、少し行き過ぎかもしれません。見習いの仕事の範囲を超えています』って!!」
俺は一瞬、止まった。
その一瞬に、ミア姉様の速さが上がった。
「……ルーク、今止まったでしょ?」
「……止まりました。」
「……私は止まれなくなってる。」
ミア姉様は、俺が止まったのを見て…、状況は真逆だが、自分と同じだと気づいた。
止まれなかった…
俺は、受けるのをやめた。
ミア姉様の次の動きに、踏み込んだ。
受けではなく、前へ…
ミア姉様が「え?」という顔をした。
その一瞬に、俺はミア姉様の手を、両手で掴んだ…
動きが、止まった…
「……ミア姉様。」
「……」
「……怒るのは、正しい。でも、今は、違う」
ミア姉様が、俺を見た。
「……あいつらを追い詰めるのは、この場じゃない。訓練場でもない。数字と証拠が揃った時、正しい場所で、正しい方法でやる。そのために、今は積んでいる…、積んでいくんです。高く積んで崩してやりましょう。」
ミア姉様の手が少し、力を抜いた。
「……わかってます、……わかっていても、止まれない時がある事を…」
「……うん。」
「……だから、俺が止めます。」
ミア姉様が、俺を見た。
長く見た…
それから少し、笑った。
「……ルーク、大きくなったね!」
「もう10歳ですから。」
「まだ10歳なのに、なんでそんなこと言えるの?」
「ミア姉様が、いつも俺の隣にいてくれるからですよ。」
ミア姉様が、少し目を細めた。
フリッツが、遠くから静かに言った。
「……今日はここまでに致しましょう。」
エドが、剣を収めながら言った。
「……二人とも、飯にしよう。」
訓練場が少し、明るくなった気がした。
夜、3名で宿に集まった。
ミア姉様が、資料を広げた。
北部と東部の税収、ハルト商会の動き、徴税吏の入れ替え記録、全部、机の上に並べた。
「……証拠、揃ってきてる」とミア姉様が言った。
「……あとどれくらいかかりますか?」
「……もう少し。東部の動きがもう1件確認できたら、動けると思う」
俺は、頷いた。
「……ミア姉様」
「……なに?」
「今日、止まれなかったのは、当然です。」
ミア姉様が「……そう?」と言った。
「……怒りが剣になる時が来ます。でも、今は、まだその時じゃないです。今日、俺が止めたのは、間違っていましたか?」
「……間違ってない」とミア姉様が言った。
「止めてくれてよかったよ…」
「……次も止めますからね。」
「……頼りにしてる」
エドが黙って飯を食っていた。
均等に、丁寧に…
「……エド」とミア姉様が言った。
「今日、何か言うことない?」
エドが、少し間を置いた。
「……ミア様は、怒る時、速くなる!」
「……えっそれ?、てかそれだけ?」
「……速くなるのは、良いことだと思う。」
ミア姉様が「エドに褒められた!!、」と言った。
エドが「褒めていない。」と言った。
ミア姉様が「ヴィクターみたいな事言ってる!!」と言った。
宿が今夜は、少し騒がしくなった。
俺は、窓の外を見た。
王都の夜の灯りが相変わらず、無数にあった。
ランツ伯爵、ベルナー卿、クラウス卿、そしてヴォルフ卿…
あいつらは。まだ笑顔でいる。
まだ安全だと思っている。
しかし証拠は、積み上がってきている。
ミア姉様の目が、変わった。怒りを知った…
そして止まることも知った。
それも「暗」への入り口だと、俺は思っていた。
「其の政を察れば、其の民を知る」
ーー韓非子ーー
政を読めば、民の動きが見える。
制度を読めば、人の動きが見える。
ミアは数字の中に、人の悪意を見た。
怒りを知り、止まることを知り、それでも前を向いた。
それがミアの「蔑みの向こう」だった…




