大切第一場 村境の野原の場
大切第一場 村境の野原の場
本舞台、二幕目と同じ道具。道祖神は割れたまゝのこと。すべて村境の野原の場、夜の体。禅の勤にて幕開く。バタバタにて花道より千歳、好みの拵え、隈を以前に比べやゝ濃く取って、よきところにやってくる。
村人「いたぞいたぞ、こっちだこっちだ」
ト揚幕より声がするので千歳、慌てる思入れあって本舞台にくる。これを追って花道より立役、女形入り混じりし村人大勢、各々、松明や鋤鍬、包丁を手にして本舞台にやってくる。
村人一「やいやい、親殺しの大罪人め」
村人二「なにゆえあって自分の内に火をつけた」
村人三「常から優しい耕作どのに、お石どの」
村人四「長の養育を受けて、孝行尽くすべき二親を、」
村人五「生きながらにして業火で燃やし、焦熱地獄に送るとは、」
村人一「人非人にも劣った畜生め」
村人二「こうなったら村の敵だ、」
全員「覚悟しろ」
千歳「エヽ。内に火をつけたのなんだのと、一体なにをおっしゃいますか」
村人三「やあ、こいつこの期に及んでいけしゃあしゃあと、」
村人四「普段は孝行娘の顔をして、裏ではこんな腐った性根だったとは、あゝ、恐ろしや恐ろしや」
村人五「いや、わしゃ、いつかこいつがこのようなことをしでかすのではと常から疑ぐっていたぞ」
ト村人、口々にわあわあ騒ぐ。バタバタになり花道より浅右衛門、前幕の拵え、提灯を手にやってくる。
村人一「おゝ、浅右衛門様」
全員「お待ちしておりました」
浅右衛門「おうとも。それでやつはどこだ○やあ、千歳。お前さんは家に火をつけたその上で親父と嬶を殺したと聞いたが、こりゃ一体どういう了見だ」
千歳「浅右衛門様。さきほどから村の衆はわしのことを人殺しだなんだと呼ばわって、鋤鍬持って追ってきます。どうか、あなたほどのお人なら、あの者らをどうか止めてくださいませ」
村人二「こやつめ、さきほどからこのように素知らぬ顔をしております」
浅右衛門「それなら、こちらも事の次第を話してやろう○寄り合い終えて庄屋宅で一杯呑み、しばしまどろむその内に、扉を叩く音がして、開けて話を聞いたらば、耕作の家から火の手が上がったというもんだから、息急き行ってみたならば、もう手がつけられぬ火の回り。なすまゝなく突っ立った里人に話を聞いてみたところ、燃え盛る棲家から、娘が逃げるのを見かけたと、告げるやつがいたゆえに、話を聞こうと追わせてみただけだ○加えて、家から消えたあの刀○いや、なにも手荒に扱うつもりはねえから、素直に明かしてくれねえか」
千歳「さすが浅右衛門どの、刀がどうとは知れませぬが、ひとまずわしの話を聞いてくだせえ○昨晩は熱あるゆえ早めに寝たはよいものゝ、なんだか夢見が悪く、ふと目を覚ましてみれば、辺りは一面、火の海で、父さん、母さんと呼べど応えもないその上に、じりじり近づく火の粉ゆえ、後ろ髪を引かれども、命惜しさに辛々外に抜け出して、助けを乞おうとしたところ、いたぞあいつだ捕まえろ、と四方からかゝるどっちょう声、月にきらめく切れ物、刃物。わっけもわからぬそのまゝに死に物狂いで、ようようこゝまで逃げて参りました○それが話を聞いてみれば、なにゆえわしが唯一の身寄りの親御様を殺さねばならぬのじゃわいなあ」
ト思入れにて語る。
村人一「いやあ、なにをでたらめばかり」
村人二「親殺しに飽き足らず嘘偽りを抜かすとは、こりゃ無間地獄に真っ逆さまじゃ」
ト村人、千歳に掛かろうとする。
浅右衛門「やいやい、待たれよ」
村人三「やあ、これは浅右衛門様。なにゆえあって、」
全員「止めますか」
浅右衛門「てめえらこそなにゆえあって掛かるのだ。千歳の話を嘘と決めつけるは勝手だが、下手人だまでと言うのなら、確かな証拠があろうよな」
全員「ヤ」
浅右衛門「証拠がないと言うならば、こゝは浅右衛門の名にかけて指一本触れさせねえ」
村人四「なにを言いやがる。燃える家から逃げるのを見た者がいた上からは、証拠いらずの科人だ」
村人五「そうでい。これ以上、野放しにしておいちまったら、俺らまで殺されちまう」
浅右衛門「それじゃと言うて○」
村人一「やい、浅右衛門。金があるからとて、すべてが思い通りになると思ったら大間違い」
村人二「庄屋の源左衛門様が常々言うていた通り、うぬは欲得ずくの屑野郎」
村人三「従う道理は一切ねえ」
村人四「それ、後先構わずぶちのめせ」
ト村人が掛かるのを浅右衛門は止めようとする。バタバタにて花道より太郎助、血まみれの刀を手にやってくる。
太郎助「千歳」
千歳「太郎助か」
浅右衛門「や、その刀は」
ト太郎助、刀を手に村人を追い払い、千歳の元に行く。
千歳「太郎助、助けてくださんせ。皆々、わしが父さんと母さんを殺し、家に火をつけたと言い掛けなさんす」
太郎助「ヤ○千歳どんが村一番の孝行者というのは皆もわかっておろう。どこのどいつが言い出したかは知れないが、余計な手出しをするのなら、この太郎助が承知しないぞ」
ト刀を構える。村人怯え、
村人四「それでも千歳が火をつけるのを見たやつがいるというのだ」
全員「そうだそうだ」
浅右衛門「最前も申した通り、証拠がなくば言い掛かり。山賊風情じゃあるまいし、数任せに捲し立てるとは、それでも名高きこの村の百姓か○サヽ、千歳、案じずともよい。この場は浅右衛門が預かった、決して恐れることはあるまいぞ」
ト浅右衛門、近寄ろうとするが千歳が怯えるゆえ、太郎助は刀を手にして間に入る。
浅右衛門「ヤア、なにゆえ止め立て」
太郎助「浅右衛門どのこそ、なにをしようと」
浅右衛門「見ての通り、千歳を助けようとしているのだよ。そこに文句があるのかえ」
太郎助「口ではいくら申しても、寄り合いでの立ち居振る舞い、どうでよからぬ巧みを○」
浅右衛門「何を言いやがるのだ。忰が惚れた内の嫁、大事な跡継ぎのためにも、どうして害をなすものか」
太郎助「その忰はもう○」
浅右衛門「○ヤ、そんならてめえは」
ト太郎助と浅右衛門は睨み合う。千歳、終始不可解な思入れ。この以前より揚幕の音を鳴らさずに花道より源左衛門、前幕の拵えにて火縄銃を持ち、よきところにくる。源左衛門、火縄銃を構えて撃とうとするところで太郎助、それに気づき千歳を庇う。源左衛思入れあるも構わず撃つと、本鉄砲の音にて太郎助と千歳は倒れる。皆々、驚く。
村人一「ヤ、こりゃなにごと」
村人二「一体、誰が」
ト源左衛門、本舞台にくる。
村人三「これは庄屋様、」
村人四「よいところに、」
村人五「来てくださいました」
浅右衛門「○もしや源左衛門、お主が」
全員「エ」
源左衛門「おう。浅右衛門が推量通り、撃ったは俺じゃ」
村人三「なぜ庄屋様が、」
村人四「太郎助をば」
村人五「や、太郎助を撃とうとしたのでない。千歳を撃とうとしたところに太郎助が」
源左衛門「いや、いずれにせよ同じこと。どうで二人とも撃つつもり」
全員「ヤ」
源左衛門「ハテ、村の者よ聞いてくれ(ト合方になり、)知っての通り今日の寄り合いで改めて決まった村八分。朝一番で伝えるつもりが、それがどうも気にかゝり、まんじりできずにいるうちに、つい思い立って畦道を耕作の内へとぼとぼ向かう道すがら、月明かりに照らされた細き人影はたしかに太郎助。なにごとかと思い木陰に忍んで様子を見れば、続いて内から出てきたは、朱に染まりし刀を持ったあの千歳。震える心をぐっと抑え、なおも様子を打ち見れば、外で待ってた太郎助が火打ち石でつけた炎も同じ朱。呆気にとられて見る内に燃える業火は広がって、気づいたら二人はとんずらだ。せめて耕作の敵をと、取って返して二つ玉、手にしてきたが今しがた。あとの話は見ての通りさ」
ト皆々、思入れ。
村人一「そんなら、やつらめが揃っての巧みであったか」
村人二「なぜ、そのようなことを、」
村人三「狐か、はたまた妖怪変化がとりついたか、」
村人四「化かすというより鬼の所業」
村人五「おゝ、間違いない。あれは鬼じゃ。番の鬼じゃ」
村人一「鬼の女房に鬼神夜叉、」
村人五「油断したらば、こちらの首まで飛ぶところを、どうも庄屋様、」
全員「助かりました」
ト皆々礼を言う。浅右衛門は思入れ。
源左衛門「いやいや、村を守る庄屋として当然のことをいたしたまで。礼を言われる筋合いはございませぬ」
ト時の鐘。
源左衛門「もう丑三つか。皆の衆、いまから寝るのも億劫だが、こう突っ立っていてもしょうがない。家の燃えあと、骸の掃除は朝にして、ひとまず内へ○」
ト薄ドロドロ、寝鳥の合方、風音。
村人一「なんだか生温い風も吹いてきました」
村人二「庄屋どのの言う通り、ひとまず帰ることにいたしましょう」
トドロドロになり、さらに山颪。
村人三「風も段々と強うなってきた」
村人四「わしゃ、なんか恐ろしうなってきた」
トさらに鳴物を強くし、銅鑼なども打ち囃す。
浅右衛門「こりゃ、たゞの嵐じゃあないぞ」
トさらにドロドロ、山颪、雷にて皆々、怯える。この以前より上手に無数の人魂現われる。倒れていた千歳、藍隈にて長刀を持ち、鬼の体にて起き上がる。鬼の声にて、
千歳「生きながらに修羅道に住まう哀れなる人畜生。この世の終わりを待たずとも我が自ら裁いてくれん」
トどんたっぽになり、千歳、長刀にて立ち回り、皆々逃げ回る。
拍子幕
ドロドロにて繋ぐ