三幕目第三場 五人切の場
三幕目第三場 五人切の場
本舞台、常足の二重。上手、九尺の二階。下手、白壁。中央上手寄りに屏風折り回し、丸窓、行灯、布団。すべて浅右衛門内、離れの体。こゝに鶴助、泉一郎、おひな、おゆき、酒盛りをしている。この様子、宿屋騒ぎにて幕開く。
鶴助「○やはり浅右衛門どのの酒は素敵にうまいなあ」
泉一郎「まこと俺たちゃ谷蔵という、いゝ馴染みをもったものだ」
おゆき「ほんに、ほんに。毎晩のように、離れで人目を気にせず騒げるというは、まことに役得じゃわいなあ、おひなさん」
おひな「あい○たゞ、他の人が腹を空かして嘆くと知りながら、このように勝手次第にしてると思えば、なんだかわしゃあすまないような○」
泉一郎「やあ、なにを言うのだ。渡る世間に鬼しかおらぬ、今の世じゃ。いくら神仏に祈っても腹が膨れることはなし、命あっての物種さ」
おゆき「泉一郎さんの言う通り。ひなの気持ちも尤もながら、そのようなことを言ってもいられぬわ」
鶴助「それにそういうおめえが一番、たらふく食っているじゃあねえか」
おひな「そりゃあ心が重くても腹は空くから仕方があるまい○鶴助めはいじわるじゃわいなあ」
鶴助「なに、そのように拗ねるな、拗ねるな」
おひな「拗ねてるわけじゃないわいなあ」
泉一郎「また始まったか」
おゆき「こりゃ、またいつもの、」
泉一郎「鬼も食わぬというやつで、」
おゆき「こんな肴は甘すぎて、」
泉一郎「食当たりでも、」
両人「起こしそうじゃ」
鶴助「おめえらのほうこそ、そのような以心伝心じゃあ、」
おひな「人のことは、言えますまい」
ト一同笑う。
おひな「○そういえば谷蔵どのは帰りが遅いようじゃが、一体どこにいなんした」
泉一郎「あいつなら例の話があるからと、親父に連れられて寄り合いに行ったさ」
おひな「ハテ、話というは」
おゆき「大方、千歳を嫁に取る話であろうわい」
おひな「エ」
鶴助「おゝ、おゆきは察していたか」
おひな「そんならついに、」
泉一郎「おうともさ。そして太郎助も無事におしんどのとよい仲に」
鶴助「いずれにせよ帰ってきたら、一つ祝うて、」
おゆき「えゝ、まだ呑むのかいな」
ト合方になり、花道より谷蔵、ほろ酔いの体にてやってくる。谷蔵、内に入り、
谷蔵「てめえらきつう酔っていやがるな」
泉一郎「おゝ、由良様のご帰館じゃ、ご帰館じゃ」
鶴助「殿様、殿様、首尾はどうでございましたか」
谷蔵「○本懐遂げたとは言えねども、まあ無事にすんだというところだよ」
おゆき「そんなら、ついに、」
おひな「千歳どんと、」
谷蔵「なんだ、知っていたのか」
おひな「わしゃ、つい先ほど○ほんにようござんしたなあ」
谷蔵「そちたちには、ずいぶんと面倒をかけてしまったな。礼を言うぞ」
鶴助「やあ腰元衆にだけお礼申すとは、こりゃどうした、どうした」
泉一郎「拙者ら忠臣には褒美のひとつもござりませぬか」
谷蔵「面白がっていただけの邪智佞臣がなにぬかす」
鶴助「はて手厳しい、」
泉一郎「我が君じゃなあ」
おゆき「そういや浅右衛門どのはどうなさいましたか」
谷蔵「父上は源左衛門どのと尽きぬ話があるようで○まあ、今夜は帰らぬだろう」
鶴助「お前の親父もたいがいだが、源左のたぬきもなにを考えているんだか」
おひな「えゝ、その言い方は」
谷蔵「なに鶴助の言うとおりじゃ○なにはともあれ酒にしよう」
ト合方にて谷蔵、捨て台詞にて羽織を脱いでから酌をしてもらい一同は呑み始める。この内、谷蔵、思案の思入れ。
おゆき「ハテ、千歳どのとのご婚礼も相なったはずが、なにゆえそのような浮かぬ顔」
泉一郎「そんなしけた面をされちゃあ、せっかくの剣菱も不味くなる」
鶴助「もしや太郎助めの心配でもあるまいだろうな。てめえにとっては恋敵、あのような腑抜けに気を遣う必要はあるまいぞ」
おゆき「鶴助さんの申す通り、いまさら悔やんでも返らぬこと。二つに一つが恋の道、行き着く先は知れたこと」
谷蔵「いかさま、それは承知の上ながら、元はといえば幼き頃は谷どん、太郎どんと呼び合う村一番の近付きが、互いの手を取る千歳のやつに、いつの頃からか惚れたが因果。振り付けられた腹いせに、親父の名前を笠に着て、なにも知らない太郎に対し、難癖つけての打ち打擲。いつか二人が年を取り、互いに女房を持ったらば、大目玉をくらうまで、盃に映る月と思い出を、肴に朝まで呑み明かそうと一人誓うたあの夜も、今や思えば馬鹿な夢。今宵の仕儀さえ終えたなら、昔のように戻れると、思った俺こそ、大海知らずの鮒野郎。あいつにとっちゃ所詮は判官、いや師直同然のこの谷蔵○ハテ、人というのは嫌なものだなあ」
ト谷蔵、思入れ。
谷蔵「いや、どうも悪酔いが過ぎるようだ。こんな自惚れ野郎がいては場も肴も冷めるゆえ、今日はひとまず寝るとするから、また改めて祝うてくれ」
ト谷蔵、思入れあって二階に入る。
おひな「あゝまで思い詰めていたとは、谷蔵どんも不憫じゃわいなあ」
鶴助「同じ相手に惚れたからには、どちらかが負けを引くのは知れたこと、」
泉一郎「野郎もそれを知らぬわけではなかろうに、」
鶴助「芝居になるのは女性の懸想ばかりだが、」
おゆき「男のほうがよっぽどひねくれてるわえ」
泉一郎「○こっちもすっかり興を削がれちまった」
鶴助「ハテ、なにも楽しみは酒だけじゃなかろうに」
ト鶴助、おひなを抱き寄せる。媚めきの合方になる。
おひな「あら、鶴さん」
泉一郎「へゝ○今夜はひとつ趣向として、相手を取り替えてみるのはどうだい」
鶴助「そりゃあ、乙なことだ」
トおひなは鶴助、おゆきは泉一郎をつねる。
両人「アイタヽヽヽ」
おゆき「おひなさん。わたしらも趣向を替えて一つ帰るとしましょうか」
おひな「そりゃあ、乙だねえ」
泉一郎「あゝ、いやすまぬ、すまぬ」
鶴助「堪忍しくてれや。これはほんの出来心」
泉一郎「そうだとも、そうだとも。わしゃ、いつでもお主一筋」
鶴助「○なあ、ひなや、」
泉一郎「やい、ゆきや、」
鶴助「今宵は粋な月明かり、」
泉一郎「寒い日ほど人肌も、」
鶴助「燃ゆる秘め事、閨の内、」
泉一郎「いつものように互いにしっぽり」
おゆき「それなら文句はないわいなあ、おひなさん」
おひな「はい、おゆきさん」
ト泉一郎はおゆきの手を引いて上手の屏風内に入る。
鶴助「そんなら、おれらも」
おひな「えゝ、明るいのは嫌じゃわい」
鶴助「ハテ、まだ初やつじゃなあ○そんならこれを○(ト谷蔵が脱いだ羽織を行灯にかけ)これなら気遣いあるまい」
ト二人は布団を敷いて、ともに入る。時の鐘。薄ドロドロ、唄入りの地蔵経になり、真ん中の丸窓を破り、人魂に続いて太郎助、頰被り、刀を持って内に入り、見得。太郎助、屏風の内に人の気配を察し、刀を差し込む。おゆき、叫んで絶命する。寝惚けている体にて泉一郎がでてくる。
泉一郎「なんじゃ、ゆき。口ではあゝ言うても、まだ物足りぬとはほんに好き者じゃなあ」
ト太郎助、泉一郎を切り下げる。太郎助、布団に刀を差し込む。鶴助、叫んで絶命する。鶴助の返り血の体で、糊紅がついたおひながでてくる。
おひな「やあ鶴さん、この年で寝小便かえ。あんなに酒を呑むからじゃ。しょうがないお人じゃなあ」
トおひな、行灯に近付き、自分についてるのが血だと心付く。
おひな「ヒエヽヽヽ」
ト太郎助、後ろからおひなを切り下げる。物音に気付き、二階の障子を開けて谷蔵が降りてくる。
谷蔵「ハテ、騒々しい。離れいえど親父の内、無闇にものを壊すでないぞ」
ト谷蔵、行灯の傍におひなが倒れているのに心付く。
谷蔵「ヤ、おひなどの。このようなところで寝てしまっては、千歳のように風邪を引こうぞ」
ト谷蔵、行灯にきらめく白刃と太郎助に心付き、
谷蔵「太郎助か」
ト両人ちょっと立ち廻り、トヾ太郎助、谷蔵を刺す。谷蔵たじたじとなり、
谷蔵「太郎助、太郎助、わかっておくれ。千歳が無事でいるには、これしかなかったのじゃ。堪忍してくれ、太郎助」
ト太郎助、刺したまゝの刀を抜いて、切り下げる。谷蔵、絶命して仰向けに倒れる。太郎助、改めて刀を谷蔵に突き立て、えぐってから見得。本釣鐘。なおこの一連のト書き、一切おかしみのないこと、また人魂ずっと太郎助についていること。時の鐘、激しき太鼓と鉦の音にて、揚幕の内より、
百姓「火事だ、火事だ」
トバタバタにて向うより百姓の一人、寝巻きにて板木を叩きながら出てくる。太郎助、心付き門口までくる。百姓、門口まできて、
百姓「浅右衛門様でか。いや、それとも忰どのか。いずれにせよ火事でござります、大火事でござります」
太郎助「どこじゃ」
百姓「耕作どのの内でござりまする」
太郎助「ヤ」
百姓「なにぶん作りが粗末ゆえ火の回りが大層早く、もう手のほどこしようがございませぬ」
太郎助「それで内の人は」
百姓「いや、それがさっぱりで。娘のほうはどうやら命辛々逃げたようですが○ヤ、お主は谷蔵どのかと思ったら太郎助ではないか。こゝで一体なにをしていやる○いや、今はそれどころではない。浅右衛門様か谷蔵どのの居場所を知らぬか」
ト太郎助、無言で内を指差す。
百姓「おゝ、かたじけない。お前さんも早う行きなされ」
ト百姓、内に入る。合方になり、太郎助、花道にかゝると尻を端折り、よきところで見得。百姓、この内、行灯を頼りに死骸を見つけ、驚いて尻餅をつくを柝の頭。人魂を先に太郎助、バタバタにて向うに駆け入る。
ツナギ幕