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三幕目第二場 源左衛門内の場

三幕目第二場 源左衛門内の場


本舞台、常足の二重。薄縁を敷き、正面、障子出入り。上手に仏壇、押入れ戸棚。下手に膳棚。いつものところ門口。上下は藪畳にて見切る。すべて源左衛門内の体。こゝに源左衛門の娘おしん、振袖娘の拵えにて縫い物をしている。この様子、稽古唄にて幕開く。花道より太郎助やってきて、門口まできて、


太郎助「申し申し。太郎助でござります。お父上の源左衛門どのの使いとして参りました」

おしん「エヽ、太郎助様」


ト驚く。


太郎助「○ハテ、留守であろうか」


トおしん、有り合う手鏡を見るなどして身繕いをする。


太郎助「おしんどの、おしんどの、いるなら返事をしてくだせえ」

おしん「いま、参りまする、参りまする」


トおしん、門口を開ける。


おしん「ヤア、本当に太郎助様が」

太郎助「どうかなさりましたか」

おしん「いえ、なんでも○どうぞお入りくださりませ○いま、お茶をお淹れましょう」

ト太郎助、内に入りよろしく住まい、おしんは嬉しそうに茶を入れる」

太郎助「沙汰もせずに参った無礼、どうぞお許しなされてくださりませ。しかも、見ればなにか縫い物の最中。もし忙しいのなら、またのちほど参りましょうか」

おしん「いゝえ、父様(とゝさま)の草鞋が破れたから、ちと手直しをしていただけでござります。決して帰ることには及びませぬ○さゝ、お茶をお召し上がりくださいませ」


ト茶を出す。


太郎助「さようなら、しばしの間、お世話になりまする」

おしん「しばしと言わず」

太郎助「エ」

おしん「いえ、なにも○して、太郎助様はなにかご用があって。

太郎助「ご存知の通り今日より寄り合いに出ることになったゆえ、源左衛門どのが作法を教えてくださるとのこと。それゆえ一足先に参りました」

おしん「まあ父様が。しかし、生憎父様はさきほどお出かけになりました」

太郎助「それも承知の上、実は源左衛門どのには道すがらお会いして、自分は用があるから先に家へ行って、娘と話でもしていてくれと言われております」

おしん「まあ、父様ったら○はて、もう無駄な気を○太郎助様もご都合が悪うござったら、お断りしてようございましたのに」

太郎助「いや、そのようなことはござりませぬ○それと、その太郎助様、というのはなんだか居心地が悪うござります。まんざら知らぬ仲でもありませぬから、もっと気楽に呼んでくだせえ」

おしん「○それなら太郎さんはどうじゃろう」

太郎助「おゝ、それでよろしゅうございます。千歳どんに比べりゃ年が離れているといえど、同じ村で幼い頃からの馴染みゆえ、堅苦しくする必要はござりませぬ」

おしん「○千歳さんかえ」

太郎助「へえ。最前も千歳どんの家に行っていたのでございます」

おしん「エ」

太郎助「どうも千歳どんが風邪を引いてしまったようで。大事はないゆえ、取り越し苦労ではございましたが、いこう案じました」

おしん「○太郎さんや」

太郎助「なんでございましょう」

おしん「千歳さんとはよい仲か」

太郎助「もちろんでござりますとも」

おしん「エヽ」

太郎助「知っての通り、千歳どんとは幼い頃から家ぐるみの付き合いだから、もう身寄りも同然○おしんどのはもう覚えておらぬかもしれないが、おらの二親が息災であったころには、三人で遊ぶこともあったのじゃぞ」


トおしん、思入れ。


おしん「あい、よく覚えていますとも○その千歳さんも今夜には、」

太郎助「エ」

おしん「いえ、千歳さんなら体が丈夫なのが取り柄ですから明日にはすっかり○よくなりましょう。


ト合方になり花道より源左衛門やってくる。門口にて思入れあって、内に入る。

源左衛門「おゝ、いま帰ったぞ○早速、二人で仲良くやっているな」

おしん「父様ったら」

源左衛門「いや、まるで夫婦のようじゃ。アハヽヽヽ」

太郎助「へえ」

おしん「まったく父様ときたら○そうじゃ、わしゃ奥から貰い物の菓子を持って来ようわいなあ」


トおしんは暖簾口に入る。源左衛門よろしく住まう。


源左衛門「あの様子じゃ、すっかり嫌われちまったみてえだ。娘といえど年頃の女子(おなご)はようわからぬわい○太郎助や、おしんと会うのは久々か」

太郎助「へえ。村の中では度々お見かけこそいたしますが、話したのはずいぶん久しぶりです」

源左衛門「亡くなった女房の忘れ形見だ。親はなくとも子は育つとはよく言うが、えらく別嬪になったろう。女房も草葉の陰で笑ってくれてらあ、よいのだが」

太郎助「きっと喜んでおりますでしょう」

源左衛門「そう言ってくれるとはありがてえ○身寄りがいなくなるのは寂しいなあ、太郎助や」

太郎助「そうでございますね」

源左衛門「おめえのところが亡くなってからもうどれぐらいになろうか」

太郎助「○もう十年になります」

源左衛門「鬼の霍乱というわけじゃねえが、村一番の働き者夫婦があんなふうに流行り病でぽっくりといっちまうなんて、神仏とやらはずいぶんと意地が悪いじゃあねえかなあ○だからこそおめえんとこの爺さんと婆さんは一人の孫がこんなに立派に育って、さぞ誇らしいだろうよ」

太郎助「それに千歳どんが、」

源左衛門「○なに千歳」

太郎助「へえ○幼心に二親が長くはないと悟ってましたが、人には言えぬ心のうち、周りに厄介だけはかけまいと夜毎に枕を濡らす折、千歳どんはあゝだこうだと訳をつけ、無理やり外に連れ出して、一緒に遊んでくれやした○あの頃はそれすら面倒やら迷惑やらと思いもしたが、塞いだおらを慰めようと千歳なりの気遣いだと、今さら気付く不甲斐なさ○爺さんと婆さんも○もちろん庄屋さんもだいぶ優しうしてくれましたが、あれでずいぶんと心が楽になりやした」


ト時の鐘、両人思入れ。


源左衛門「○そうかい、そうかい○その千歳の話なんだが」

太郎助「千歳どんがどうかしたんでございましょうか」

源左衛門「その千歳だが○」


ト言い淀む。この以前から花道より百姓の衆やってきて門口にて、


百姓○「申し庄屋様、庄屋様。寄り合いのために参りました」


ト源左衛門、思入れあって門口を開ける。


源左衛門「おゝ、よく来なすった○ハテ、浅右衛門どのが見当たらぬが。

百姓⃞「浅右衛門どのなら所用ゆえ、しばし遅れるので先に始めておいてくれとのお言葉を預かっております」

源左衛門「それなら仕方あるまい。さゝ、皆の衆は入れ入れ○おしんやい、皆が参った。膳の用意をいたせ」


ト百姓衆、内に入りよろしく住まう。奥より、おしんが盆に酒肴を載せてやってくる。


百姓△「あいかわらず、おしんどのは器量よしじゃなあ○これ、この爺めに一つ酌をしておくれや」

百姓◇「ほれほれ、そりゃ都にはびこる六波羅とかいうやつじゃ」

百姓○「なんじゃ、その六波羅というは」

百姓◇「どうやら若い女子に酌をさすと、六波羅探題が捕まえにくるとの怖い噂」

百姓△「どうしても、というならこの爺がしてやろうか」

百姓○「お前にされるくらないら、わしゃ手酌で十分じゃ」

百姓⃞「それがよいよい。相手の気持ちを斟酌じゃ」

百姓△「さすれば誰の癪にもさわるまい」

百姓◇「それなら皆の衆、祝いに一つ、お手を拝借」


ト百姓衆は手打ちをする。


源左衛門「ハテ、気楽なものじゃ○それにしても浅右衛門どのは一体どこをほっつき歩いておるのだ」


ト合方になり、花道より、浅右衛門、羽織、着流し、好みの拵え、一本差し、谷蔵、羽織、着流しを連れてやってきて、よきところに止まる。


谷蔵「父上、やはりどうにか今一度考え直してはくれませぬか」

浅右衛門「ハテ、異なことを言うやつじゃ。元を辿れば、これもお主の願いを叶えるため」

谷蔵「されど、なにもこのようなやり方を○」

浅右衛門「今さらなにをぬかすか。もう庄屋どのはじめ村の衆も納得ずくのこと。こうなっては、もうどうすることもできないのだ○さあ、早うついて参れ」


ト両人、門口に来て内に入る。


浅右衛門「浅右衛門、忰谷蔵、たゞいま参った○皆の衆、遅れて誠に相すまぬ」

源左衛門「遅参はかまわぬ、よう来なすった○されど浅右衛門どの、百姓に似付かぬその腰の物はいかゞいたした」

浅右衛門「あゝ、これにございますか。手前も百姓ゆえ身形(みなり)に合わぬは承知なれど、最前、内を尋ねてきた○山向こうの衆と(つら)のせいか馬が合い、一献上がるその内に、会うた祝いにと拝領したが、村境まできゃつらめを見送ったあと、すぐにこちらに参ったゆえ、差したまゝであったのをすっかり失念しておりました」

源左衛門「○そうかい。せっかくの品を捨てさせるわけにもいかないが、百姓商売の庄屋の内、物騒なのは御免だから、それを持ったまゝじゃ()れられねえよ」

浅右衛門「なに庄屋どのは手厳しいなあ。出刃包丁よりも切れ味悪い、たかゞなまくら一本さ。せっかくの貰い物をそんじょそこらに打っちゃっておいたら、この浅右衛門の顔が立たねえから、曲げられない理屈は承知だが、今だけ目をつむっておいてくんねえな」


ト源左衛門キッとなり。


源左衛門「俺の話が聞けねえというのか」

浅右衛門「へいへい。そんな顔をされちゃあ仕様があるめえ。だが今から帰るのも億劫だ○あゝ、それなら外に立てかけておけば文句はあるまい」

源左衛門「家の外なら俺の知ったこっちゃあねえ。好きにしろ」


ト浅右衛門、刀を外に立てかける。


浅右衛門「これで、ようござんしょう」

源左衛門「○いや、待て。今日は寄り合いのはずだ。なぜ忰めを連れてきたのだ」

浅右衛門「なんでえ、そんなことか。若えのなら、太郎助だってそこにいるじゃあねえか」

源左衛門「年の話をしてるんじゃねえ。それに太郎助なら知っての通り、爺さんからの許しも出て今日から一家の総代だ」

浅右衛門「それなら、おめえの娘はどうなんだ」

源左衛門「こゝは俺の家だ。娘がいるのは当たり前じゃねえか」

浅右衛門「○わざわざ筋道を立てゝやっているというに○こちらから言わせようとするのなら仕方あるめえ。谷蔵を連れてきたのは、こっからかゝる三文芝居の大詰めに、一役買っているからさ。大方、そいつの爺さんもそれをわかって○」

太郎助「エ」

源左衛門「○まあ、今から帰すのも不憫だから今日のところは免じよう」

浅右衛門「ありがとうごぜえやす」


ト浅右衛門、谷蔵、よろしく住まう。


浅右衛門「おい、酌をしてくれねえか」


トおしんに言う。おしん、怯えるこなし。


浅右衛門「酌だよ酌。せっかくの器量よし。むさ苦しいこの一場、一花(ひとはな)添えてやってくれ」

百姓○「ハテ、そういうのは六波羅○」

浅右衛門「なんでい」

百姓⃞「いや、その、」

百姓◇「なんでもござりませぬ」

太郎助「それなら、わしが○」


ト太郎助、おしんに奥に行っていろと思入れ。おしん礼をして奥に入り、太郎助は酌をする。


浅右衛門「おゝ、花には欠けるが気は利くじゃねえか」


ト太郎助、谷蔵、気味合いの思入れ。谷蔵、盃を出し、太郎助注ぐ。


源左衛門「それでは皆が揃うたということで、今日の話をば○」


ト源左衛門をはじめ皆々、言い出せぬこなし。太郎助は合点が行かぬ思入れ。


浅右衛門「おいおい、言いにくいのはわかるが、これまで散々話してきて、いまさらなにをためらうんでい。どいつもこいつもしっこしのねえやつらばっかりだなあ」

源左衛門「いや、そりゃ手筈というものもあろうから」

浅右衛門「手筈も何も言うか言わねえかの二つに一つだ」

源左衛門「そうであろうが、時間はたっぷりあるであろう。何も急ぐことはあるめえ」

浅右衛門「急ぐことはあるめえだ。村の行く末思ってやることだ。今すぐでも遅えくらいだ。庄屋さん、お前は飢え死にが出てから動こうとでも言うのかい」

源左衛門「そうは申しておらぬ。たゞ、だな○」


ト太郎助へ思入れ。


太郎助「ハテ、最前から聞いておりましても、話がさっぱり見えませぬ。いったいなんのことでございましょうか」

浅右衛門「なんだ、お前、知らねえのか。源左衛門さんや、おめえ、太郎助にまだ言ってねえのか」

源左衛門「それは、」

浅右衛門「言わないならば俺が言おうか」

源左衛門「サア、それは、」

浅右衛門「それとも手前が言うか、」

源左衛門「それは、」

浅右衛門「サア、」

源左衛門「サア、」

両人「サアサアサア」

太郎助「それ、お二人さまなにをためらって、」


ト浅右衛門、キッとなる。


浅右衛門「知りてえか」

太郎助「おらも今夜から村の男、隠し事はなしにしてくだせえ」

源左衛門「いや、太郎助、待て」

太郎助「源左衛門さま、取るに足らない青二才とは承知しておりますが、爺さまが見込んで譲ったこの役目、村の衆としての勤めを果たさせてくださいませ」


ト源左衛門、思入れ。


浅右衛門「いや、よう言うた、よう言うた。太郎助、お前は大した男だ。二親もなく、こんな針金みたいな細身で、どうで畑仕事は勤まるまいと思うていたが、皆や、今の言葉をお聞きなすったか、立派なものじゃあるまいか○さようなれば、庄屋どの言うてよいな」

源左衛門「いや、待て。庄屋は俺じゃ。俺が言う」

浅右衛門「なら好きにさっせえ」


ト源左衛門、改まり、


源左衛門「よいか太郎助や、この話はな、村の皆でもうずっと話し合うて来たことなのじゃ。もう、どうしようもない、止むを得ぬことなのじゃ。よいな」

太郎助「へえ。村の衆の決めたことと言うならば、おらに文句はござりませぬ」

源左衛門「左様か、左様か。お前はまこと立派に育ったな○それなら申し伝えよう○今日をもって、耕作一家を村から追放することになり申した」


ト太郎助、思入れ。


太郎助「ヤ○今、なんとおっしゃいましたか。もうし、庄屋さま。きっとおらの聞き違いにござりましょう。そうでございましょう。なゝゝ。いま、なんと申しましたか、庄屋さま」


ト源左衛門、思入れ。


浅右衛門「なんだ、おめえ、さっきはえらく道理がわかるやつだなあと思っていたら、一体急にどうしちまったんだ」

太郎助「いや、浅右衛門どの、いま庄屋さまが耕作どのご一家を村から追放なぞという話をしましたゆえ。そんなことはありますまい」

浅右衛門「ちゃんと聞こえてるじゃあねえか。その通り、耕作めは明日の朝には村から追い出されるのさ」

太郎助「エ、そんなら。どゝ、どうしてそのようなことをするのでございましょう。村はこゝ数年は不作続き、耕作どのはお石どのの看病もありまして畑に出れぬゆえ、食べ物の蓄えもなく、追放の憂き目に会いましたら○」

浅右衛門「なんでい、わかっているじゃあねえか。(ト只の合方になり、)お前さんの言うた通り、近頃は(たぐい)稀なる不作続き。たゞでさえ食うものに困るその上に、今年は輪をかけての大凶作。日照りは強く、雨も降らず、米どころかぺんぺん草の一本も生えやしねえ。そこで村一番の豪農のこの俺が、男気(おとこぎ)本位で儲けを諦め、貯めた米味噌、惜しまずに、皆に配ってしのいできたが、底の知れねえ人の腹、いずれそのうち尽きちまう。そこで重ねる寄り合いで、足りねえ知恵を絞ってすり寄せ、皆が納得ずくで取り決めたは、村一番の鼻つまみ、耕作一家の追放さ」

太郎助「源左衛門どの、いま浅右衛門どのがおっしゃったのは本当でござりましょうか○そうだ○きっと初めての寄り合いには、なにか驚かしてやれという約束事があるのでございましょう○そうだと申してくださいませ○なあ、源左衛門どの、庄屋どの、なにか申してくださりませ」

浅右衛門「太郎助、お前は何を言ってやがるんでい。知っての通り切羽詰まった村のこと、そんな(たわむ)れをしている暇なぞはねえのだよ○なにも最初からやつらを追い出そうとしていたわけではねえぜ。男衆の食い分を減らし、米を粥にし、米の代わりに水を飲み、他にもいろいろと思案し、試してみたさ。たゞ結局、こればっかりはどうにもならなかった。お前さんもわかってくれよお○おいおい、これだと俺一人が悪者みてえじゃねえか。庄屋どのもなにか言ってやっておくれよ」


ト源左衛門、思入れ。


源左衛門「浅右衛門どのの言う通りじゃ。太郎助、堪忍しておくれ」

太郎助「いや、わからぬわからぬ。なぜ耕作どのが、こんな目に合わねばならんのだ」

浅右衛門「そりゃあ、あいつが畑に出ねえからさ」

太郎助「それも連れ添うお石どのの病ゆえ」

浅右衛門「だが耕作は患うていねえだろ。病は治るも治らぬも天分だから、そこをどうこう言うつもりはねえが、耕作となりゃ話は別さ。どうせ女房が寝たきりなら、内にいてもいなくても変わらぬはずが、稲刈りに、屋根の葺き替え、井戸替えと村総出のお勤めにちっとも顔を出しやしねえ。それで、庄屋どのがどうにかせっゝいて引っ張り出してきたら○申し訳ない。女房の看病がありますゆえ○と白々しい御託を抜かして、すぐさま随徳寺だ。太郎助、てめえも盲じゃあるめえし、しっかりと両の目でそれを見てきたろう。それでも、まだきゃつを庇うってえのかい」

太郎助「○庇うとも、庇いますとも。耕作どのは行事に出れぬのを悪く思い、手隙(てすき)の時は村のためにと草鞋を縫い、桶を作ってくだすっていたではないか」

浅右衛門「あの雑巾に(ざる)のことか」

太郎助「ヤ、なにを」


ト双方睨み合う。源左衛門、割って入り、


源左衛門「ヤアヤア、両人ひとまず下におろう○浅右衛門どの、お(ぬし)の度重なる村の衆への布施物、あれがなきゃ皆はとうに飢えて死んでいたわえ。庄屋として、この通り改めてお礼申し上げる○されど、これとそれとは話が別。寄り合いでの取り決めについてはこの源左衛門に任してもらおう。よいな○次に太郎助。初めての寄り合いでこのような話になったは面目無いが、なにもかも時の運。浅右衛門どのの言うた通り、随分前からのこの話、皆が納得ずくで決めたのは誠なれば、庄屋として覆させるわけにもいかねえ。よいな○はて、そのような顔をするな。追放とは言うたが、なにもすぐに叩き出すわけじゃねえ。耕作どのが得心するまで、この俺が膝を突き合わせて幾日かゝろうとも話す心積もりだ。なあ、わかってくれ。それに千歳は○」


ト太郎助、ハッとする。谷蔵、思入れ。


太郎助「そうじゃ。千歳はどうなる。まだ年若く、体も気も丈夫ゆえ、追放するはあまりに不憫」

源左衛門「その千歳は、」

太郎助「あの内じゃ、さぞ暮らしにくかろう。ことによったら内で引き取り、」

源左衛門「その千歳は○」


ト太郎助、源左衛門、思入れ。


谷蔵「わしが貰うことになった」


ト谷蔵、キッとなって言う。


太郎助「エヽ○なんと申した」

谷蔵「千歳は俺が娶ることになったのじゃ」

太郎助「それは本当のことでござりますか」

浅右衛門「おう、その通りだ。千歳は俺の忰が嫁となるのだ○いや寄り合いでもお前さんの言う通り、若え身空の千歳のやつを追い出すにはあまりに不憫。男にも力負けせぬあいつなら畑仕事に水仕事○なんでも無事にこなすであろうから、誰が引き取ろうかという話になり、家に帰って一献汲むうち、独りごちたはこっちの落ち度、襖越しに聞いたは忰の仕合わせか。普段は物静かなあいつが襖押し開け、血相変えて飛び込んで○親父様、父上様、それならどうかわしに千歳どのをください、と。まあ谷蔵も年頃ゆえ、そのうち嫁をば取らそうとたくらんではいたれども、親の決めた相手より好いた相手と添わせてやるが当世風、忰がよいなら俺が口を挟む謂れはねえ。源左衛門どのにも目論みはあるようで○まあ、四海(しかい)治まる時津風、一つ祝うてくれようか」


ト浅右衛門は酒を呑む。太郎助、思入れあって、


太郎助「それは千歳どんも承知の上か。当世風と申すなら、手前勝手は許されまい。当人が(あずか)り知らぬ話なら、その婚礼は無いも同然」

谷蔵「ヤア、なにを言いおる。腰抜けがいまさら何を抜かしても、もう遅い」

太郎助「常から乱暴狼藉をしておいて、いまさら惚れていたとは手前こそ心がいがんだ捻くれ者」

谷蔵「手前の知ったことじゃないわ。文句があるなら、いますぐ外に、」

太郎助「臨むところだ」


ト両人、睨み合う。源左衛門、割って入り、


源左衛門「若えお二人、はやる気持ちも尤もながら、ここはひとまず○」

太郎助「いや、他のことならまだしも、こればっかりは了見できませぬ。この寸胴は日頃から千歳に悪態ついて、けんつくを食らわしてばっかり。村のための寄り合いならば、今日から晴れて家の総代、異見の一つも言いましょう」

谷蔵「いや、それならこちらからも言わせてもらおう。太郎助、てめえは何か思い違いをしているようだが、千歳を嫌うはわしでなく、周りの衆。疎まれ者の娘ゆえ、いじめてやろうと言うあいつらめを抑えていたのは、この谷蔵」

太郎助「うぬめ。よくも、そう抜け抜けと」

谷蔵「信じるか信じまいかはそちらの勝手。たゞ、一つ言わせてもらうなら、嫁取りも村の取り決め、それがわかって楯突くのだな」

太郎助「それが、どうした。

谷蔵「昨日までの一家の総代、てめえの爺も○」

太郎助「ヤ」

ト太郎助、驚いて源左衛門を見る。源左衛門、その通りという思入れ。太郎助、ガックリとなるを時の鐘。奥よりおしんが出て、太郎助に駆け寄る。


おしん「太郎助様、太郎助様。どうかしっかりなされてくださりませ」

浅右衛門「お前も知らぬ間に随分、立派に育ったものだなあ○くう、やっぱり祝い酒が一番だ」


ト谷蔵に言って、酒を呑む。


源左衛門「○さて、皆の衆。まだまだやるべきことは山積みなれど、宴もたけなわ○とは行くまいが、今日のところはひとまずお開き。耕作には俺が朝一番で伝えるから決して気遣いいたすまいぞ」

百姓○「それなら皆様、」

百姓衆「お暇いたしましょう」


ト合方になり百姓衆、下手に入る。太郎助、思入れ。


太郎助「わしも、そろそろ」


ト立ち上がり、門口まで行く。おしん、これを追って、


おしん「○もうし太郎助様、いろいろとあったゆえ、どうやらだいぶお疲れの様子。わたしからも申し上げたいことがありますゆえ、いっそ今夜は○」

太郎助「おしんどの、お申し出はありがたいが、今日はだいぶくたびれました」

おしん「そんなら、」

太郎助「これ以上、お父上に面倒をかけるわけにも行きますまい。遅くなっては内で爺も案じましょう」

おしん「さいでございますか」

太郎助「また明日(みょうにち)にでも改めて伺いますから、話とやらはその時に」

おしん「あい」

太郎助「○おい谷蔵」

谷蔵「なんじゃい」


ト太郎助、なにかを言おうとするがためらい、双方睨み合って思入れ。


太郎助「それでは皆様、」


ト太郎助、門口を出て思入れ。


浅右衛門「捨て台詞の一つも吐いてかねえとは、ありゃお前の言った通り、やっぱ腰抜けだ○おゝ、そうだ源左衛門どの、最前話してた山向こうの衆がおもしれえ話をもってきたのだが、どうだ一口乗らねえか」

源左衛門「○ハテ、話を聞くだけなら咎めもあるまい」

浅右衛門「やっぱ、庄屋さんはわかるやつでございますねえ」

源左衛門「調子のいゝやつめ」

浅右衛門「サヽ、それならもう一献。谷蔵、てめえは総代とまではいかないが俺にとっちゃ総領息子だ。三々九度にはむさ苦しいが、どうで一杯」

谷蔵「それならば、庄屋さま、ごめんなされてくださりませ」

源左衛門「なに構わねえよ。おしん、すまねえが酌を頼む」

おしん「あい」


トおしんが酌をするうち、太郎助、花道に掛かる。薄ドロドロ、寝鳥の合方にて、門口に立てかけてあった刀の近くに人魂出る。太郎助、振り返り、刀に目をつけ思入れ。鳴物段々と強くなり、太郎助はそれに合わせて刀の前を行きつ戻りつして思案する。トヾ門口に取って返し、刀を手にすると、再びよきところに来る。この時、人魂もついてくる。太郎助、刀を少し抜き、刀身を見てゾッとする思入れ。再び刀を鞘に収め、キッとなり、人魂ついて花道に入る。本舞台では酒宴がはじまるがおしんは心残りの思入れ。


おしん「あゝ、それにしても太郎助様○」


ト思入れ、門口を出て向うを見る。ハッとなり、


おしん「ヤ、こりゃ浅右衛門どのの刀が○そんならもしや太郎助様が」

浅右衛門「何か言うたか」

おしん「イヤ(ト柝の頭、)しっかりとございます」


トおしん、不安そうな思入れ。時の鐘、


幕、ツナギにてすぐに引っ返す

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