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三幕目第一場 千歳内の場

三幕目第一場 千歳内の場


本舞台、常足の二重。上手一間の障子屋台。正面、暖簾口出入り、この上手に二枚屏風折り回し。下手落ち間。鼠壁。神棚。いつものところ門口。上下薮畳。すべて千歳内、前幕より数日後の体。こゝに耕作、やつし、百姓の拵えにて、草鞋作りの内職をしている。この様子、在郷唄にて幕開く。花道より太郎助、前幕の拵えにて出て、よきところにくる。


太郎助「あれが千歳どんの内か。ここ数日、仕事にも出てこぬから、村の衆に尋ねたところ、どうも患うているとの話ゆえ、大事ないと思えども、ミシャグチ様のこともあり、どうも気掛かり○どれ、一つ見舞いに行こうか」


ト太郎助、門口に来て、


太郎助「千歳ど○あ、いや、耕作どの、耕作どの。もし、内にいらっしゃいますか」

耕作「その声は太郎助か○気心知れた両家の仲、なに遠慮することがあるものか。さっさと入ってきやれ」


ト太郎助、内に入る。


耕作「みすぼらしきあばら屋ながら、内と思ってゆっくりくつろぎなせえ」


ト太郎助、よきところに住まう。


太郎助「変わらぬご親切、いつもかたじけのうござりまする」

耕作「ハヽヽ、なに堅苦しいことを○大方、千歳を案じて来たのであろうが、なに、心配することはない。幾日か前にいつもより遅う帰ってきた、その翌朝から、どうやら体が重く、顔も熱いと珍しく気弱な様子」

太郎助「○それなら遅う帰ったあの日から」

耕作「ハテ、そのような顔をしなさるな。(かゝあ)のことがあるからに幾分案じはしたれども、幸い丈夫が取り柄の娘ゆえ、飯は食うし、夜もぐっすり寝ているから、明日か明後日にはまた元通りじゃろう○今もほれ、昼からあの屏風のうちでぐっすりと寝ておるわい」

太郎助「おゝ、そりゃなによりでございます。帰りが遅いというたその日も元は、おいらを庇ってくれたから。わしの意気地がないゆえに具合を悪くしたとあらば、千歳どんだけでなく、耕作どのや連れ添うお石どのにも合わせる顔がござりませぬ」

耕作「いやいや、なにもお主が謝ることはない。お前を庇ったこととて、なにも足元に縋り付いて頼んでわけでもあるまいし、あいつが勝手にやったこと。それで転んで熱が出ても、身から出た錆。太郎どんが気にすることではないわい」

太郎助「それじゃというて」

耕作「むしろ謝り言うならわしのほう○知っての通り、うちは(おのこ)がおらず、わしも嬶の看病に付きっきりで畑仕事ができぬゆえ、内にこもって草鞋編み。村にとっては一家揃っての足手纏い」

太郎助「いや、そんなことは」

耕作「それでも太郎助どんは千歳だけじゃのうて、わしや嬶にも変わらず接してくれる、その心根が(おり)ゃ(ト涙を拭う)、あゝ、いや年を取ると涙もろくなって仕方がない。ハヽヽ。これで、お前さんが婿にでも来てくれゝば○」

太郎助「エ」

耕作「いや、お前さんは我が家にとって息子同然○どうぞ今後も娘と末長う仲良うしてやってくださりませ」

太郎助「そりゃ、もちろん。こちらからも、よろしうお頼みします」


ト屏風の内で千歳が起きる音がする。


耕作「お、太郎助どのが来るのを聞いて寝坊助めがようやく起きたようじゃ」


ト千歳、顔に薄く隈を取り、病人の体にて屏風より出てくる。


千歳「たいそう賑やかだか、誰か来なすったか○ヤ、太郎どん」


ト慌てて身繕いをする。


耕作「そうじゃ、太郎助がわざわざ見舞いに来てくれたぞいなあ。手前が起きたのなら、わしは奥で嬶の薬を煎じてくるから、しばしの間、こゝは任せるぞ」


ト耕作、暖簾口に入る。千歳、太郎助のところに行こうとするが、太郎助これを捨て台詞にて制してそちらに行く。


太郎助「患うたと聞いたが具合はどうじゃ」

千歳「案じることはないわいなあ。父さんも、お前さんも騒ぎすぎじゃ。わしとて人の子。転んだら血も出ようし、風邪をひくこともあろうわい」

太郎助「それならよいが。親父どんから最初に寝込んだは、あの日と聞いたから、もしやと思い、」

千歳「あの日とはなんじゃいな」

太郎助「○あのミシャグチ様を」

千歳「エ○アハヽヽヽ○太郎どんはおかしなことを言うわいなあ」

太郎助「されど、村の大事な守り神。それを壊したというたらば」

千歳「お前は、ミシャグチ様を悪鬼羅刹の類いと思うてか。ミシャグチ様は立派な村の氏神ゆえ、あゝして村の境に立っておるのじゃ」

太郎助「なおさら、それを壊しては、」

千歳「なに、それだから肝っ玉が小さいと谷どんらに言われるのじゃ。そもそも、あれを壊したのは太郎どんじゃから、祟りがあるなら○」

太郎助「エ」

千歳「オホヽヽヽ。また、すぐそのように怯えやる。じゃによって、わしが風邪を引いたのだから、やはりミシャグチ様は関わりがないのじゃ」

太郎助「そうはいうても、おらはやっぱり、」

千歳「なに、たとえ太郎どんの粗相が元だったとしても、あの荒れようは見たじゃろう。あれは日頃からわしらだけじゃなく、村人の誰も彼もが信心を怠ってゆえ。祟りなぞがあるなら村すべてにかゝるはずじゃわい」

太郎助「そうかそうか、たしかに千歳どんの言う通りじゃわい」

千歳「そうじゃろう、そうじゃろう。うちの母さんが日参したミシャグチ様じゃ、なんぞ祟りがあるものか」

太郎助「そうじゃ、そうじゃ。お前が滅多に風邪を引かぬゆえ、おれもどうもいらぬ心配」

千歳「熱があるのは太郎どんのほうじゃないかいなあ。ほれ、顔をちゃんと見せてみ」


ト太郎助に寄るが、太郎助は戸惑って目を背ける。


千歳「なんで逃げるのじゃ」

太郎助「イヤ、風邪が移ると、」

千歳「わしの顔を見い」

太郎助「いや、それは」

千歳「見い」


ト千歳、逃げる太郎助を追い回す。この内、奥より薬を手にした耕作が出る。


耕作「ハテ、二人揃って何をしておるのだ」

両人「ヤ」

千歳「いや、その虫がなあ」

太郎助「そうじゃ、でかい羽虫がおりまして」

千歳「それを捕まえようとして、」

両人「おりました」

耕作「そうであったか、そうであったか。なにぶんぼろ屋、隙間も多いから、どこぞなりからいろいろと入ってきおるわ。お前らも百姓の子なら、見逃してやってくれい」

千歳「そういうことにしておきましょう○して、薬は無事に」

耕作「おゝ、できたわい○今、やるからのう」


ト耕作、上手屋体を開ける。


耕作「嬶、ほれいつもの薬じゃわい○おゝ、千歳もすっかり元気が出たようでなあ」

千歳「母さん、今日は久しぶりに太郎助どんが尋ねきてくださったわいなあ」

太郎助「○どうも、無沙汰をしておりました。お石どのも息災のようでなによりでございます」

耕作「そんなら」


ト耕作、上手屋体に入って障子を閉める。


千歳「だいぶやつれたじゃろう」

太郎助「いや、そのようなことは」

千歳「なに、娘のわしでさえあのような母さんを見るのは気が悪い。久しう会っておらんかった太郎どんならなおのこと」


ト太郎助、思入れ。


千歳「近頃は体だけじゃなく、心まで悪うなってなあ。益体もないことを口走ったり、いきなり邪険なことを言い出すこともあって○実の母さんとはいえ、わしゃ、わしゃ」


ト両人、思入れ。ト合方になり、花道より鍬名源左衛門、庄屋の拵えにてやってくる。門口まで来て思案の思入れあるが、人がやってくる気配を感じた体で向こうを見て、慌てゝ下手に隠れる。続いて花道より百姓二人、それぞれ米俵と味噌桶を手に周りに注意しながらやってくる。二人とも門口に来ると、


百姓○「耕作どんや、耕作どん」

百姓⃞「いつものように米と味噌を持ってきたから、どうか早う、」

両人「入れてくれ」


トこれにて内の二人驚く。屋体より耕作出てきて、


耕作「こりゃ、ありがてえ○太郎助や、少し手伝ってはくれまいか」


ト耕作、太郎助、門口へ行く。耕作、百姓たちより二品を受け取り、


耕作「○太郎助や、これを内にいれてくれ。サヽ、早う早う」

百姓⃞「や、太郎助か。ほんにお前は働きもんじゃ」

百姓○「爺さんが寄り合いの役目をお前に譲ったのはまことによい考えじゃった」

太郎助「そういうてくださるのが、なによりもありがたいです」


ト太郎助、米俵と味噌桶を内に運ぶ。


耕作「いつもいつもかたじけない。二人には足を向けて寝られぬわい」

百姓⃞「ハテ、なにをいう。あの分限の浅右衛門めがお前にだけ米やら味噌やらを分けぬというのは誰から見ても薄情じゃ」

百姓○「大方、耕作が女房の世話をして畑やら行事やらに出ぬのが癪に障るのじゃろう」

耕作「そりゃ、俺も申し訳なく思ってはいるが」

百姓⃞「いや、そんなことを思ってるのは浅右衛門だけで、他の衆は気にしておらぬわい。決して気落ちするまいぞ」

耕作「そのお言葉がなおのこと、」

百姓○「そんなこと言うでない、言うでない○」

百姓⃞「おい、そろそろ」

百姓○「そんなら、わしらは、」

耕作「こゝは端近。近頃はゆっくり話をすることもなかったら、ぜひ一服でも」

百姓⃞「○いや、まだ一仕事残っているからに」

百姓○「そんなら耕作どの、」

両人「お元気で」


ト百姓両人、思入れあって頭を下げる。耕作、不可解という思入れあって、百姓たちは花道に入る。耕作は内に戻ってよきところに住まう。


太郎助「はて、耕作どの、この米と味噌は一体」

耕作「おゝ、これはだなあ、」

千歳「○父さん、」

耕作「なに恥ずかしがることもあるまい○いや、お前も知っての通り、こゝ最近は日照り続きで田畑の実りもさっぱりゆえ、裕福なる浅右衛門どのが見るに見かね、蔵に閉まってあった蓄えから、皆のものへ米やら塩噌をお配りなさる」

太郎助「あい。あれがなくば、内のところも大層ひもじい思いをしていたであろうから、全く頭が上がりませぬ」

千歳「わしはあの人が大っ嫌いじゃわいなあ」

耕作「これ、娘」

千歳「ハテ、なに隠すことがあろうわい。浅右衛門どのは欲深なろくでなしの人でなし。その証拠に礼が見込めぬ父さんには一切何も配らずじまい」

耕作「これ」

太郎助「ヤ、そりゃ誠か」

耕作「あ、いやたしかにそれはその通りだが、なにも浅右衛門どのに悪気があるわけでない。わしが嬶の介抱ばっかりで、村の行事に顔を出さぬゆえ、きっとお忘れになっておるのだ。それゆえ、あゝして村の衆が時折、いろいろとわけてくれるのだ」

千歳「父さんはなにめでたいことを。あの浅右衛門めはうちを目の敵にして、かてゝ加えて息子の谷蔵までも親の威を借りて我儘放題、畜生の子は畜生じゃ」

耕作「これ、娘。よいか、もし浅右衛門どのがわしを嫌っていたとしたならば、他の百姓どのもあやつを恐れ、米なぞを届けてくれぬだろうよ」

千歳「それはそうじゃが○それに、あのように他の衆に恵んでもらわねば、暮らしていけぬなど、まるでお貰いみたいで○」

耕作「ハテ、太郎助の前でみっともない」

太郎助「そのようなことゝはさっぱり知らなんだ。それなら庄屋の源左衛門どのにでも相談しなされば、」

耕作「あ、いや。源左衛門どのは立派なお人。度々うちを尋ねては色々と相談に乗ってくれおるが、たゞでさえお役目で忙しいのに、これ以上お手を煩わせるようなことなぞわしには口が裂けても言えぬわい」

太郎助「そんなら、今日はちょうど寄り合い。わしがそれとなく言うてみよう」

耕作「おゝ、そうじゃ、その寄り合い。百姓衆が言うてたのは、あれはなんのことじゃわい」

太郎助「大したことではござりませぬが○知っての通り、うちの爺やも、本来なら隠居暮らしの身の上が、息子夫婦に先立たれ、忘れ形見もまだ若く、よんどころなく曲がった腰を持ち上げて、これまで寄り合いやら行事やらに足を運んでおりましたが、さすがに体に堪えると見えかねて、つい先日、これからはおぬしが一家の棟梁とのありがたいお申し付け。庄屋の源左衛門どのよりもお許しあり、今夜の寄り合いからその役目をおいらに譲るということでござります」


ト耕作、思入れ。


太郎助「さだめて、耕作どのもおいでなされましょうから、若輩者ゆえ、なにとぞご指南お願い申します」

耕作「○おゝ、そうしたいは山々だが、今夜はちと用事があればな、生憎わしは出られぬでな。なに、太郎助なら心配いるまい。いずれにせよ立派な孝行息子じゃ。わしとしても鼻が高いわい。ハヽヽヽ」

千歳「もう父さん、その言い方では、まるで太郎どんがお前の忰のようじゃないかいなあ」

太郎助「あ、いや千歳どん。お父上には幼少の折より世話になったゆえ、二親亡くしたおらからすれば、父親同然と思うておるわい」

千歳「もう、太郎どんまで」


ト以前より、この様子を源左衛門、下手より出てうかゞっている。思入れあって、


源左衛門「あゝ、もし耕作どの、耕作どの。源左衛門でございますが、ご在宅か」

耕作「話をすればなんとやら、ありゃ庄屋様」

太郎助「おいらが開けましょう」


ト太郎助、門口を開ける。


源左衛門「○こりゃ太郎助。急ぎのあまり訪ねる家を違うたか」

太郎助「あ、いや、違うておりませぬ。千歳どんが熱と聞いたゆえ、様子を見にきただけでござります」

源左衛門「おゝ、そうであったか。お前もずいぶん殊勝なやつだ」

耕作「庄屋様、そこは端近、どうぞ中へ」


ト源左衛門、捨て台詞にて内に入り、よろしく住まう。


耕作「それで源左衛門どの。一体、今日は何用でござりましょうか」

源左衛門「あ、いや用というではないが、近頃は庄屋の役目にかまけて久しく顔を見なんだと思うてな、お石ともども息災か」

耕作「わざわざ、この耕作めを気にかけてくださり、かたじけのうござります。嬶は息災とはほど遠けれど、今日は朝から粥を食べるなど、平生に比べればだいぶ元気でござります」

源左衛門「して、お主は」

耕作「わしでございますか。わしは見た通り達者でございますよ。この娘めも、らしからぬ風邪を引きましたが、今日はご覧のように顔色(がんしょく)もようござります」

千歳「ご心配をおかけしました」

源左衛門「千歳どんは村一番のおてんば者○あ、いや褒めて言うのじゃぞ」

千歳「承知しております」

源左衛門「そのそなたが寝込んだとあっては、わしだけじゃなく、浅右衛門や谷蔵など村の衆の誰もが案じておったぞ」

千歳「えゝ、あやつらめ、心にもないことを」

耕作「あゝ、これ娘」

源左衛門「ハヽヽ、なに気にするでない。あの親子めはたびたび、手前勝手なことをしでかすから、誰ぞが時折、お灸を据えねばならぬのじゃ。そして、それは元来、手前の役目と言いたいが、食べ物を家々に配ってくれる恩義もあり、庄屋としてどうも強く出られぬゆえ、お前の娘御には却って感謝しておるわい」

耕作「なに庄屋様の娘御と違って暴れ馬、こちらこそおしんどのの爪の垢を煎じて飲ませとうございます」

千歳「これ、父さん」

源左衛門「なに、うちの娘はたしかに器量よしだが、この親父の血を引いたらしく、どうも臆病がすぎてな。隣の味噌は香ばしいとはよく言うたものじゃわい」

耕作「このような村のお荷物に分不相応なお言葉をどうもありがとうござりまする。わたくしめにもなにか村のために手伝えるようなことがあらば、いつでも馳せ参じましょう」

源左衛門「おゝ、それは重畳。ちょうど三日後より甚兵衛どのの屋根の葺き直しがあるのじゃが、耕作どの、少し力を貸してくれぬかのう」


ト耕作、思入れあって、


耕作「最前のような言葉のあとで、このようなことを申し上げるのは誠に不躾ながら、やはり嬶の介抱が」

源左衛門「なに、先ほどの話ではお石どのも大事ないのじゃろう」

耕作「されど、もしものことがあると思うたら○」

太郎助「庄屋様もなにも毎日来いと言うてるわけではございませぬ。少し顔を出すだけでも」

源左衛門「おゝ、太郎助よく言うた。その通りじゃ。一時(いっとき)、いや半時だけでもよいのじゃ」

千歳「そうじゃぞ、父さん。母さんの面倒なら、一日ぐらいはわしでも見れるわいなあ」

耕作「娘だけでなくお二人からの親切なお申し出、その思し召しこそありがたいが、やはり連れ添った相手のこと、血を分けた娘とて、三千世界のこのうちにわし以上にあいつのことをわかっている者はおりませなんだ」

源左衛門「それじゃあ、お前は、」


ト思入れ。


耕作「庄屋様や村の衆には悪いと思いますが、どうかこればかりは平にご容赦を」

源左衛門「そうか○それならば仕方あるまい。甚兵衛どのにはわしから伝えておきましょう」

千歳「いつもご迷惑を」

源左衛門「なに、気にすることではあるまい」


ト時の鐘。


源左衛門「はて、もう入相か。それなら、わしはそろそろお暇を」

耕作「もう行かれますか。お茶の一つも出せず失礼いたしました○代わりと言ってはなんですが、どうか、これを」


ト耕作、幕開きで編んでいた草鞋を源左衛門に渡す。


源左衛門「こりゃ、」

耕作「嬶の看病で畑に出れないぶん、せめてもと草鞋を編んでおりました○なにとぞお受け取りを」


ト源左衛門、受け取るべきかどうか迷う思入れ。


源左衛門「ありがたく頂戴いたそう。ほれ、受け取り賃じゃ」


ト源左衛門、草鞋を受け取って懐中し、懐より金を出して耕作に渡す。


耕作「ヤ、なにも銭を貰おうと編んだものではござりませぬ。これはお返し申します」

源左衛門「なに遠慮するものか。介抱で忙しいうちにも真心込めて編んでくだすった、この立派な草鞋。たゞで取っては悪いわえ。餞別と思うてもらってくだされ」

耕作「○それならおもらい申しましょう。この借りはきっとそのうち」

源左衛門「気にするには及ばない○これが別れと、」

耕作「エ」

源左衛門「それならおりゃ、お暇しよう○ほれ太郎助もいつまでもこゝにおるわけにはいくまい」

太郎助「へえ。それならおいらも」

千歳「エ」


ト千歳、名残を惜しむ思入れ。


源左衛門「元気には思えども、昨日までは病人との話。夜に熱がぶり返しては親への不孝」

太郎助「それなら千歳どの、」

千歳「また明日にでも」


ト源左衛門、太郎助、連れ立って内を出てよきところにくる。


源左衛門「おゝ、そういや太郎助、お主はこのあと用でもあるか」

太郎助「夜分の寄り合いまではござりませぬが」

源左衛門「それならば都合がよい。わしはこのあとちと用があって、甚兵衛どののところに行かねばならない。家では娘のおしんが一人、老いた親父の帰りを待っていようから、どうか一つ先へ行って、遅れることを伝えてくれはくれまいか」

太郎助「へえ、もちろんでござります」

源左衛門「寄り合いが初めてならば、いろいろ聞きたいこともあるであろうし、どうせ場所も同じ俺の家。それに娘が○」

太郎助「エ」

源左衛門「イヤ、娘とは久しく会っておらなんだろうから、昔語りでもしているがよいぞ」

太郎助「それならば、一足お先に」


ト合方にて太郎助、向うに入る。源左衛門、思入れあって、辺りを見回すと、懐中より先ほどの草鞋を出し、下手の藪畳に放り込む。


源左衛門「あゝ、渡る世間に鬼はないと申せども、所詮、人は仏にゃなれねえなあ。背に腹は代えられぬが(ト家を見返り)、どうか耕作どん許しておくれ」


ト手を合わせると思入れあって、花道に入る。


耕作「庄屋どのは本当に人のできたお方じゃなあ」

千歳「あい」

耕作「なに、気落ちするでない。明日になりゃ、また太郎助どんに会えるぞや」

千歳「何を言いますか。して、父さん、その寄り合いというは」

耕作「○あれ、もう暗くなってきた。せっかく米をいたゞいたのじゃ、わしゃ奥で夕飯の支度をしてこよう」


ト耕作、奥に入る。時の鐘、千歳、思入れある。薄ドロドロ、寝鳥の合方にて、下手藪畳に人魂出る。合方段々と強くなり、それに合わせ、千歳は釣られるようにして裸足のまゝ外に出て、藪畳の内より最前の草履を拾い上げると同時に人魂消える。千歳、ふと心付き、


千歳「ヤ、こりゃ最前の父さんの○それならもしや庄屋さんが」


ト思入れ。この内、上手屋体の障子開き、奥より耕作も出る。


耕作「おゝ、嬶。そろそろ飯もできるぞいなあ○あれ、娘、娘」

千歳「あい、外におりますわいなあ」

耕作「そんなところにいたら、庄屋様のおっしゃったように風邪がぶり返すわいなあ」


ト耕作、外に出る。千歳、慌てゝ草履をまた藪畳に投げ込む。


耕作「なんじゃ、お前、草履も履かずに。ほれ、早う内に」


ト耕作が千歳の腕を掴むを柝の頭。千歳、向うを見込んでキッとなる。合方にて、

道具回る

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