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にるゔぁーな 〜天ノ邪鬼入滅流離譚〜

作者: reco

『はぁ、はぁ、はぁ…! 後生じゃ、儂から、奪わんでくれッ…!』


ズバッ! スバッ! ザクッ…!


『ウギャアアアッ!』


立派な和服を着た色白の男性が腹から血を流しながら尻餅を着いている。闇の中、異形の化け物共を切り伏せる何者かから必死に逃げようと後ずさっている。


「…ならぬ」


白い甲冑を着た男性が暗闇から現れる。まるで幽鬼のようなその姿は、いっそ【死神】と呼んでも差支えが無い出で立ち。


『あ、あぐ…! 何が、何が欲しい…!? 望む物ならばなんだってやる…! 女か? 銭か? く、国だってくれてやるッ!』


「…要らぬ。御主、分かっているであろう。凡ゆる価値あるものも、肉の体も、現世に縋り付こうと抗う、その【欲】すらも…。この世の【借り物】であるという事を」


『言うなッ! 貴様、そこまで解っていて何故儂らを狩る…!? 哀しくはないのか!? 悔しくはないのか!?』


「仕舞いじゃ…」


甲冑の男の眼から涙が流れる。腰に掛けられた刀を静かに抜く。柄の部分がグルグルと螺旋を描いている刀。その切先を自身の【腹】に向ける。


ズブリッ! 一縷の躊躇なく一気に根元まで突き刺す。


『…っ!?』


ズル、ズリュル…。引き抜かれた刀は白銀の液体に塗れている。恐らくは血であろうその液体は、空気に触れると静かに燃え始めた。


「…ぐぶ、すまぬ…。すまぬ…。辛かろう、苦しかろう、何を捨てても生きたかろうに…。だがその苦しみも、胸の痛みも、全てはこの世の理の内側により生じる物。儂らが享受して良い代物ではありんせん」


『はぁ、はぁ、ぐ、貴様…! まさか…!』


男は刀から眼が離せ無くなる。その光景に釘付けになり、身動きが取れなくなる。


「その生命、返却せよ」


『やめろ、やめろッ! 嫌じゃあ!! 儂は戻りとうない! この世が愛おしいのじゃ!!』


ズバッ! 居合の速さで白銀に燃える刀は振り下ろされる。


『ギャァアアアアアアッ!!』


……。


「足りねぇべ」


「…」


町中の茶屋にて、女が小銭袋の中の金を勘定している。甲冑の男はその光景をじっと見つめている。


「足りんか」


「足りねぇな。これじゃあウチの団子は食えねぇべ、お侍さん」


男は小銭袋を突き返される。


「あの侍、戦でもねぇのに甲冑を着てやがる」


「それに見た事の無い甲冑じゃ。異邦人かの」


茶屋で飲み食いする客人が小声で甲冑の男の様子を伺っている。


「…これで何とか間に合わせられんじゃろうか」


腰に掛けられている袋から大きなカエルを取り出した。


「蛙じゃねぇか…! そんなモン出すんじゃねぇ」


「焼いて食える」


「あんたぁ、お侍ならもうちっとマシなモン食いなされな」


「…侍ではない」


「なら野武士かいな? …おっと、今のは聞かなかった事にしてくんな」


「…野武士ではない」


「兎も角銭がなけりゃあ団子は食えねぇべ。けぇったけぇった」


「…むぅ」


男は白髪と黒髪が混ざった髪をボリボリ掻きながら踵を返す。


「あ、ちょっと待んさい。その腰掛けてる刀。質屋にでも売りゃあ良い値が付きそうだべ? 質屋なら…」


「これは売らぬ」


「そうかえ?」


「それに、この刀はナマクラじゃ。売ったところで大した値になりゃせん」


「…ふーん」


男はカエルを腰の袋に戻し、茶屋を後にする。



パキパキ…。男は町から少し離れた場所で焚き火をしている。先程茶屋で取り出したカエルの皮を剥いて枝に刺す。それを火に当たらないよう炙っている。その近くに蛇、百足、鼠等の小動物が並んでいる。


「…頃合じゃ」


丁度よく焼けたカエルを食べようと枝を取ろうとすると、突然草むらの中から小鹿程の大きさの何かが飛び出してくる。ズバッ! と切り付けられるが間一髪でそれを回避する。


「…!」


男は瞬時にそれが人間であることを理解する。子供…。それも少女である。だが普通の少女ではない。置いてあった刀を直ぐ様拾い、距離を置く。鎖鎌を構えた少女は男と向かい合う。


「…なんじゃい御主。蛙が食いたい訳じゃなさそうじゃ」


「…そんなもの要らぬ。貴様…。西国の覇王、毛里元頼殿に秘密裏に編成された乱波衆が1人、空蝉叡嶽(うつせみえいがく)とお見受けする」


「ふむ。御主の言う通り、儂は空蝉叡嶽じゃ。その野獣が如き全身を纏う殺気の理由を、まだ話し合いが適う内に教えて貰えぬか?」


「編成された7人の乱波衆。その首級を上げればなり代われると聞く」


叡嶽

「…ほう。目的は儂の首か」


「そうだ。(わし)は鬼共が憎い。乱波衆に入れば鬼狩りに出陣する事が出来る。大人しくその首を渡せ…」


叡嶽

「首を切った所で儂は死なぬ」


「巫山戯た事を…!」


鎖鎌を振り回し、分銅の方を叡嶽に向かって放つ。バチィッ!! 叡嶽は片手でその分銅を受け止める。


「…ッ!?」


叡嶽

「鎖鎌。農具を改良した戦の武具じゃな…。一見粗野に見える獲物じゃが、扱い極めれば槍に勝るとも劣らぬ間合いを手に出来るのじゃろうな」


少女は鎖を思いっきり踏み付け、叡嶽から分銅を離そうと試みる。しかし握られた分銅を離す事は出来ない。


「…離せッ!」


叡嶽

「鬼を狩ると申したのう。その膂力では罷り通る事は出来ぬじゃろうて…」


少女の眼がカッと開き、懐から手裏剣を取り出し叡嶽に向けて投げ放った。


叡嶽

「…!」


カッ、カッ、カッ、と甲冑と、顔を防いだ腕に刺さる。引っ張られていた鎖の力が弱まり、少女のいた方を見ると鎖鎌は放棄されており少女の姿が無い。


叡嶽

「ふむ。やはり忍びの者か」


「はぁーっ!!」


背後から組み付かれ、クナイで首を刺されそうになる。しかし刺される瞬間に腕を掴み取り、首から離す。


叡嶽

「どうやら御主を見縊っていたようじゃ…。すまなかった」


「な、なんて力…!」


叡嶽

「じゃが無闇矢鱈に【業】を背負うものでは無い」


ドシャ! 叡嶽は少女を地面に叩き伏せる。


「…うぐっ!」


臓腑(ぞうふ)に激しい衝撃が響き、意識は酩酊する。堪らず身を縮める。


叡嶽

「儂の勝ちじゃ」


少女の頭にチョンと手刀をお見舞いする。



「…」


少女と叡嶽は焚き火を囲んで向かい合う。焼け焦げたカエルを頬張り渋い顔をしている。


叡嶽

「焦げてしもうとる」


少し恨めしい眼で少女を見る。


「…何故だ」


叡嶽

「何故?」


「何故殺さん」


叡嶽

「儂は人は食わぬからな。殺した所で無駄になる」


「馬鹿な…。騙し討ちされるのが恐くないのか」


叡嶽

「恐くないな。ただ飯の邪魔をされるのは嫌じゃ。無駄は好かんからな」


「私は諦めんぞ。貴様が油断して水浴びをすれば首を狙う。糞をひる時後ろから首を狙う。疲れて寝息を立てれば首を狙う。何時どこでも執拗く付け狙うだろう。それでも殺さんか」


叡嶽

「くくく、嫌じゃのう。糞を漏らし、水浴びも出来ず臭うなってしまうな。しかし儂は寝る必要は無い。寝無くとも死なぬからな」


「何故死なぬと言い切れる。貴様、人では無いのか? まさか、鬼の類か?」


叡嶽

「鬼では無い。儂は【遣い人】じゃ」


「…【遣い人】?」


叡嶽

「そうじゃ。儂は使命を背負って現世に顕現しとる。お、蛇が焼けたぞ。食うか?」


「…要らぬ」


叡嶽

「そうか。蛇は龍神様の化身じゃ。とても美味いのにのう」


焼けた蛇を頬張る。


叡嶽

「んぐ、んぐ、遣い人は役目を終えるまで死ぬ事は出来ぬ。御主に殺される事はその役目に非ず。よって御主に儂を殺すことは出来んのじゃ」


「役目とはなんだ? ならばどうすれば貴様を殺せる」


叡嶽

「儂の使命は【天ノ邪鬼】を現世から涅槃へ入滅させる事…。あの世へ還すのが使命じゃ」


「…天ノ邪鬼ッ! 貴様に天ノ邪鬼が殺せるというのか…!?」


叡嶽

「真の意味で天ノ邪鬼を殺せるのは儂だけじゃ。鬼は殺した所で肉体を失い常世へ潜る。しかし陰の気が強まる丑の刻に、死骸や邪悪な思念を宿す輩に取り付いてまた顕現する。そして…その鬼を増やしているのが天ノ邪鬼じゃ」


「知っている…。私の里は天ノ邪鬼に滅ぼされた。何人も鬼にされ、そして私を庇った母は…」


叡嶽

「すまぬ。儂の責任じゃ」


叡嶽は深く頭を下げた。それを見た少女は大きく目を見開く。


「…何故だ! 何故謝る!? 巫山戯るなよ…!何が貴様の責任だというのだ!?」


少女は男の態度に怒気を強める。


叡嶽

「…天ノ邪鬼は、元は涅槃に至った者達の魂が鬼となった慣れ果てじゃ。いや、現世に焦がれ舞い戻ったと言った方が良いか」


「涅槃に至った者…? 何故其奴等が鬼になる…? 涅槃は不生不滅の無我の境地では無いのか?」


叡嶽

「そうじゃ。極楽には苦しみも苦痛もない。そして変化も経過もありはせぬ。故に真の歓びも得られんのじゃ」


「何故だ。分からん…。極楽は安楽の極地であり、理想郷では無いのか…」


叡嶽

「故に求める。苦痛を、苦悩を、苦役を…。奴等は焦がれておる。血脈に流れる血の熱を感じ、生を実感する。知っておるから故に、狂うように求める。奴等は生に恋焦がれておるのだ」


「…」


叡嶽

「天ノ邪鬼はこの世の苦痛に耐えられぬと自ら命を絶った世捨て人の肉体に宿る。この世に希望が持てず絶望に明け暮れた魂と繋がり易くなっているからであろうな。そして天ノ邪鬼はこの世の理と外れた存在。現世と常世の境界に歪みを作る事が出来る。奴等が鬼をこの世に増やしておるのじゃ」


「奴等がいる限り…鬼はこの世から消えない」


叡嶽

「…そうじゃ。そして儂の使命は天ノ邪鬼を一切合切入滅させる事。涅槃に永遠に還す事じゃ。その使命の最中であるからして、御主の里が襲われる前に救えなんだ…。故に儂の責任なんじゃ」


「自惚れるなよ…」


叡嶽

「…」


少女は険しい目付きで叡嶽を睨め付ける。


「…私の里が滅んだのは鬼の所為だ。そして鬼を殺せなかったのは私の力不足…。そこに貴様などなんの関係も無い。勝手に自分の責任だと思い上がられては癪に触る…!」


叡嶽

「…それも、そうじゃな。気に障ることを言ってしまいすまぬ」


「謝るな…。だが貴様の話を一応は信じてやる。教えろ、どうやって天ノ邪鬼を殺すんだ?」


叡嶽

「儂の血で濡れた【魔天楼】で切り伏せる。それにより儂の魂の社を通じて涅槃に送り還す事が出来る」


「それでは私には出来ないだろう…。他に方法は無いのか」


叡嶽

「ありんせん。諦めるんじゃな」


「馬鹿な…。なら私も遣い人になる。どうすればいい」


叡嶽

「人の身では不可能じゃ。それに、遣い人になぞなるものでは無い…。見返り等無いに等しい。御主は人の生をしっかり生き通し、この世で学びを得るんじゃ」


「うう! ああもう、それでは埒が開かないではないか!」


少女は苛立ち地団駄を踏んだ。


叡嶽

「お主の生き方を定める気は無い。だが普通の人間が鬼と戦っても殺すことは出来ん。追い払ったとて恨みを買い、付け狙われるだけじゃ。悪い事は言わん。やめておけ」


「ならば鬼と戦う術を教えろ。自身に責があるというのなら、自ら命を絶とうとせん道へ向かおうとする私に、生き残る力を授けてみせろ…!」


叡嶽

「意思は固いようじゃ…。だが、それも仕方あるまいか」


叡嶽は鼠の首を捻り切る。ぽたぽたと血が地面に滴る。


叡嶽

「…」


地面に血で社の絵を描き、真ん中に角の生えた人の様な絵を描く。そこに首のない鼠の死骸を置く。そしてブツブツと小さく何らかの祝詞を唱える。


叡嶽

「まさか晩飯が鬼になるとはのう…。無駄は嫌いなんじゃが…」


『…ぎしゃぁあああ…』


鼠の死骸は歪に変化し、小さな【餓鬼】へと転じた。叡嶽はヒョイ、とそれを拾い上げる。


叡嶽

「此奴は邪な存在じゃ。このままにしてはおけぬな。えーっと、御主名はなんと申す」


「お(ふう)


叡嶽

「おふー?」


首を傾げてオウム返しをする。


お風

「…(かぜ)だ。お、ふう」


指で空中で文字を書く。


叡嶽

「ふむ。お風。邪悪なるものと対峙する時、先ずは自身の波動を上げなければならぬ」


叡嶽は目を瞑り、人差し指と中指を立てて餓鬼に向ける。


餓鬼

『…ぎ、ぎゃ…?』


叡嶽

「おんあぼきゃべーろ、しゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん…」


そう3度唱えると餓鬼は固まり動かなくなる。


叡嶽

「真言を唱え、波動を上げる。そして対象に刀印で金縛りを掛ける」


人差し指と中指を額に当て、目を瞑った。そして人差し指を弾くように親指と中指を小気味よく当ててパチ、パチ、パチと鳴らす。


餓鬼

『…!』


非常に苦しそうに悶え始めた。叡嶽は餓鬼を地面に置いて刀印を解く。


餓鬼

『ぎゃ、ぎゃぁあああ…!』


餓鬼はそそくさと地面に描かれた社へ向かうと鼠の死骸に戻った。


叡嶽

「どうじゃ?」


お風

「なんだ、殺してないじゃないか」


叡嶽

「少なくとも当分の間はあの餓鬼はこの世に現れぬ。それで十分じゃ。結局は天ノ邪鬼を入滅させんといけないからのう」


お風

「私に出来るのか?」


叡嶽

「今は難しいな。あの世との繋がりが強くなければ力を使う感覚もイマイチ掴めんじゃろう」


お風

「それでは鬼と戦う術がないでは無いか。術を披露して仕舞いか?」


叡嶽

「…これが最後の忠告じゃ。力を得て苦難の道を歩むか、鬼から遠ざかり人として生きる道を選ぶか。さぁ、どうする?」


お風

「愚問…。私に鬼と戦う術を授けろ。さもなくば貴様に殺される迄付け回し、その首級を上げさせてもらう…」


叡嶽

「かしこまった。背中を儂に向けるのじゃ」


お風は背中を叡嶽に向ける。叡嶽は素早い動きで印を結び、人差し指と中指をお風の背中に添えた。


叡嶽

「キリーク…」


お風

「…ッ!」


ドンッ! 背中に強力な衝撃を受け、お風の意識はそのまま遠のいて行く。


……。


お風

「…く、くくく…。殺してやる」


お風は何者かを追い掛けている。焼けた家々。散乱する人間の死骸。暗く紫に澱んだ【邪気】の立ち込める世界。


「はぁ、はぁ、やめてッ! 助けてッ!」


お風

「逃がさん。決して逃がさんぞ…。貴様に恐怖と悔恨の念を植え付け、その魂の内側に私を永遠に刻み込んでやる…」


暗い影の様に追い掛ける。出来るだけ相手を痛め付け、出来るだけ相手に恐怖を与え、その命が絶望を吐き出し尽くす迄追い掛け続ける。愉悦。征服感。得も知れぬ優越感。強大な力を得た自身が他者を超越する。この上無い下卑た悦び…。当然だ。当然…。私は苦しめられて来た。これはこの世への復讐なのだ。当たり前に与えられた権利なのだ。因果応報。当然の報いとしてその力を行使する。


お風

「…追い付いたぞ。貴様を殺してやる…。恨め、恨むがいい。私を、この醜い現世を…!」


「ああっ!」


何者かは転倒し、いとも容易く追い付いてしまう。その者の手を取り、力任せに邪悪を振りかざす。


「…どうか御許しを…! 命だけは、命だけは奪わないでください…!」


お風

「ならん! 自身の無力を呪い朽ち果てるがよいッ!」


振りかざすその手が止まる。


お風

「…ッ!?」


この者は自分自身だ。おかしい。何かがおかしい。何故自分は自分を追い掛けている? 辺りを見回す。ここは里だ。自身の生まれ育った里。急速に肝が冷えていく。どうして? 私が、私がこれをやったのか?


お風

「なんだこれは…? どうしてこんな…」


怒りと憎しみ。それを肯定する邪悪な思念のその奥に、自身の思考に意識を定める。振り下ろす前に止めたその手を見る。


お風

「…これは、私なのか?」


叡嶽

「己を見つけたか、お風」


掴んでいた手は、何故か叡嶽により掴まれている。叡嶽は微笑んでいる。光り輝いている。後光指す叡嶽の波動は、聖なる光が具現化したかのような如来の如き暖かな輝きを放っている。


叡嶽

「全ては理解する事から納得が得られる。怒りを理解し、憎しみを理解し、そして自身が抱える呪いを理【解】する。御主は憎しみに囚われておる。鬼に対する憎しみ。怒り、恨み、呪うておる。呪いは御主を縛り付け苦しめる。いずれその肉体まで呪いで蝕まれてしまう。理解し、解き放つのじゃ…」


怒りが、恨みが、まるで泡立つように【解除】されていく。暗く澱んだ邪気まみれの世界は祓われ、眼から涙が溢れ出てくる。


お風

「…あ、ああ」


叡嶽

「…辛かったろう、苦しかったろうに。じゃが安心せい。儂【等】が着いておる」


世界が白濁していき、そしてまた闇の中に飲まれる。


お風

「…う、ん?」


叡嶽

「目覚めたか」


お風

「私は…寝ていたのか」


叡嶽

「御主の過去を見させて貰った」


お風

「…過去を見た?」


叡嶽

「ああ。鬼は魂の裏側に巣食う。しかしそれは自身が作り出した鬼。悪鬼はその作り出された鬼と融合し、更にその存在を大きくしていく」


お風

「私は…鬼になっていたというのか?」


叡嶽

「なり掛けていた、と言った方が良いかのう。常世に住まう鬼は既に命あるものの姿をしておらん。様々な邪念と混ざり合い、混沌たるその異形へと成り代わっておるのじゃ。御主には儂の【火】を灯してやった」


お風

「火を、灯す?」


叡嶽

「ああ。御主の鬼を完全に祓えた訳では無い。じゃが自らその心を理解し、鬼の言いなりにならぬと克服するんじゃ。それが御主の学び」


お風

「何故だ…。何故、私の鬼を殺さなんだ」


叡嶽

「言ったじゃろう。心の鬼は御主自身じゃ。殺してはならぬ。理解するのじゃ。さもなくばまた同じ事を繰り返す。幾度多くを失う…。それでは学びを得られぬ。命が先に尽きてしまう。故に学ぶのじゃお風。時を重ね、鬼と共に理解せよ」


お風はイマイチ腑に落ちない表情で叡嶽を見る。


お風

「…ふ、それで? 私は鬼に抗する力を得られたのか?」


叡嶽

「御主の魂魄(こんぱく)は涅槃と繋がった。死に近付いたからのう。理解を得られる準備が出来たじゃろう。そして心せよ…。御主がこれから歩む道は、以前とは比べ物にならぬほど険しい物となったのじゃからな…」


……。


「其方、名をなんと申す」


将軍の装いをする人物の前に叡嶽とお風は正座をする。1目で高名な大名である事が伺える。お風は深く頭を下げ、叡嶽はじっと視線を外さず将軍を見据えている。


お風

「お風でございます」


「ほう。叡嶽殿の付き人であるか?」


叡嶽

「…いや、儂の弟子じゃ」


「弟子か。陰陽道に属する者か? 将又呪術師の類か?」


叡嶽

「鬼道じゃ。元頼殿。此奴は鬼の【氣】に触れた忌人(いわいびと)じゃ」


元頼と呼ばれた大名は、眉をひそめてお風を見る。


元頼

「鬼道か…。太古の昔から存在する古の術であるな。その力に呑まれる者は後を絶たない。人には過ぎたる力やもしれぬ。だが、この時代だからこそ、鬼の力を求めるのも仕方あるまいのかもな…。してお風、御主は特撰乱波七人衆である叡嶽殿と共に鬼狩りの戦へ赴くと申すか?」


お風

「はい。その覚悟は出来ております。叡嶽殿と共に戦への出撃許可を頂きたく、お伺いしました」


元頼

「成程。しかし七人衆である事は事前に取り決めで決めておる。それにも確かな理由があるから故なのだ。もし其方がそれでも七人衆に入りたいと申すのならば、実力を示さねばならない…皐月(さつき)


皐月と元頼が言うと、ヒラヒラと人型の紙が飛んできた。元頼の真横にピタッと止まるとシュン! と人が現れる。


お風

「…!」


皐月

「お呼びになられましたか、元頼殿」


髪の長い若い女性。独特の狩衣を着ている。普通に生きていれば決して見ることはないであろうその出で立ちに、お風は目を白黒させながら注目する。


元頼

「此奴は隠明寺皐月(おんみょうじさつき)。1000年以上続く由緒正しき陰陽道の末裔である」


お風

「…陰陽師。実際に見るのは初めてであります」


元頼

「陰陽師は保護されておるからな。最も、皐月に関してはその必要も無いが。今から皐月が出す【式鬼】の相手をしてみせよ。見事倒す事が出来たならば、今回は皐月の代わりに御主を編成する」


お風

「機会を頂き、誠に感謝します」


元頼

「礼などよい。結果を示すのだ。それでは皐月、手筈通りに」


2人は広い庭に案内される。位置につき、互いに向かい合う。


皐月

「お風殿。話は聞いておりました。私の出す式鬼は、100の益荒男が束になって掛かっても倒す事は適わぬ大鬼です。覚悟は、よろしいでしょうか?」


お風

「勿論です。準備は出来ております」


皐月

「かしこまった。それでは試合…開始」


ドロン、と煙が立ち込めると中から真っ黒な肌の【(あやかし)】が現れる。頭に大きな2つの角、7尺を超える大柄なその大きさの体に、なまはげが着込んでいるであろう『ケデ』を身に纏っている。


『がっはっはっは! 皐月! ワシに小娘の相手をせよと申すかッ!』


皐月

氷上丸(ひかみまる)。油断は禁物ですよ。この方は特殊な術を使います」


氷上丸

『ほう! それは良い戦いが期待出来そうか!?』


氷上丸は腰掛けている大きな出刃包丁を抜く。


氷上丸

『ワシは大岩断(おおいわたち)ノ氷上丸! 小娘、ワシに潰される前に名を聞いておいてやるっ!』


お風

「私はお風。残念だがここで終わる訳にはいかない。その首級、上げさせてもらう」


氷上丸

『がっはっはっは! 威勢は十分だ! ならばその威勢に見合うだけの実力、ワシに示してみせよッ!』


氷上丸は出刃包丁を振り上げ、思いっ切りお風に向けて振り下ろす。


お風

「百鬼道轢殺ノ業、火車轟(かしゃぐるま)


お風の眼が猫の目のように縦に割れる。呪文のようにそう唱えると足に燃えた車輪が現れ、素早く後退した。ドシャッ! と地面に包丁が突き刺さる。


氷上丸

『おおっ! この氣ッ! 鬼の術ではないか! まさか同族であるとはな!』


お風

「私は鬼ではない。人間だ。しかしその業を利用するのは吝かではない、とだけ言っておこうか」


氷上丸

『なにぃっ!? 人の身で鬼の力を手にしたというのか! クカカカッ! まっこと奇天烈であるのう!』


お風

「試合中だ。言葉を交わす必要はない。次はこちらから行くぞ…。百鬼道撲殺ノ業、水車轟(すいしゃぐるま)


お風の目の前に大きな水車が現れ、荒波の如く畝ねる波と共に氷上丸に向かって転がっていく。


氷上丸

『うおっ!?』


ズガッ! とそれを受け止める。どこかから現れる鉄砲水に押されるが、怪力で何とか踏み止まる。


氷上丸

『カカカカ、中々の練度ではないか! だがしかしッ!』


出刃包丁を思いっ切り叩きつけ、バギャッ! と水車を破壊してしまう。水車が破壊されると鉄砲水は収まった。


氷上丸

『ワシとて大鬼! そう易々と倒される訳にはいかぬのよ!』


氷上丸は出刃包丁を目の前に掲げる。


氷上丸

『はぁーっ!』


激しく息を吹きかける。息吹は吹雪となり、出刃包丁を凍り付かせ巨大な氷の棍棒へと変貌する。


氷上丸

『行くぞ鬼小娘ッ!』


ブウンッ! と氷の棍棒を振り回す。お風は火車で動き回り、何とか回避を繰り返す。


お風

「…っ」


険しい表情で氷上丸の動きにやっと着いていく。一撃でも貰えば致命傷。恐るべき膂力を躱しながら反撃の機会を伺う。


氷上丸

『焦りが見えるな鬼小娘! 降参するなら今の内だぞ!?』


距離を取り、ピタッと停止する。懐から手裏剣を取り出した。


お風

「…百鬼道轢鏖殺ノ荒業」


氷上丸

『何ッ!?』


手裏剣の形状が変化すると強風を纏う。思いっ切り氷上丸に向けて投げ付ける。


お風

焙烙手裏剣轟(ほうろくしゅりけんぐるま)


氷上丸

『二重鬼術式だと…!』


ボカン、ドカンッ! と氷の棍棒に当たる。破砕した破片を防ぐ為、氷上丸は目を瞑ってしまう。


氷上丸

『…ぐ、は!? 何処へ行った!?』


お風を見失ってしまう。辺りを見回すがお風の姿が見当たらない。


お風

「取った」


鎖鎌の鎖を氷上丸の首に素早く巻き付ける。


氷上丸

『ぐおっ!? 取っただと…!? この程度の鎖…!』


お風

「百鬼道潰殺ノ業、百足車(むかでぐるま)


鎖は瞬時に大百足に変化し、氷上丸の首を絞め上げる。鋼の如き甲殼を引き剥がそうにも上手くいかない。


氷上丸

『ぐ、口が塞がれ息吹が吐けん…!』


氷上丸は膝を着き、出刃包丁を離してしまう。


氷上丸

『ぐは…!』


ドシャッ、とそのまま前のめりに倒れる。


元頼

「そこまで!」


皐月

「お見事。中々の使い手ですね」


ドロン、と氷上丸は消え去る。お風は術を解除し、鎖鎌を回収する。


元頼

「お風。良くぞ力を示した。大変見事であったぞ。其方を皐月の代わりに次の出撃へ編成する」


お風

「ありがとうございます…」


叡嶽

「よく頑張ったのう」


叡嶽は拍手をする。


元頼

「それでは後日、我が兵を引き連れここより南西にある主なき城、紅月蘇芳城(べにづきすおうじょう)へ出撃する。紅月蘇芳城は民衆の発起により落とされた城である。大名は敗れ、管理する領主のいない土地なのだ」


お風

「大名のいない国…」


元頼

「そうだ。表向きはそうなっておる。人の手により管理のされておらぬ国。それだけならば珍しい事では無いが、その実は鬼の手によって堕ちた国なのだ。このまま魑魅魍魎(ちみもうりょう)による支配が続いたならば、日ノ本全体が転覆する恐れすらある。早々に手を打たねばならぬのだ」


皐月

「お風殿が編成されたなら、私は後方支援に回る事が出来ます」


元頼

「その力、我が国…いや、日ノ本の安寧の為に存分に奮うのだぞ」


お風

「御意の通りにございます」


……。


お風

「叡嶽」


叡嶽

「なんじゃ」


夜の行軍。お風と叡嶽は足軽と共に目的地へ向かっている。


お風

「貴様は鬼の業に精通する陰陽師か何かなのか? 或いは呪術師か?」


叡嶽

「陰陽師でも呪術師でもありんせん。儂は言わば偶像じゃ」


お風

「…偶像?」


叡嶽

「故に死の概念が存在せん。肉の体を得たとしても、死を享受する事はないのじゃ」


お風

「ますます分からない。では何故貴様は生きて動いている。私が納得出来る説明をしろ」


叡嶽は少し考えた後、口を開いた。


叡嶽

「…平安の時代。大きな大仏が作られた。皆山のような大きな大仏に祈りを捧げ、有り難がった」


お風

「大きな大仏…。平城京の盧舎那仏坐像るしゃなぶつざぞうの事か」


叡嶽

「そうじゃ。東大寺の大仏の事じゃ。東西南北、広く知れ渡り何千、何万と人が集まり大仏の前で祈った。だがある時、重篤な流行病が起こったのじゃ」


お風

「…流行病」


叡嶽

「皆大仏に祈りを捧げた。救われたい、治して欲しい、自分はどうなっても構わぬ…我が子だけでもどうにかして欲しいと…。だが祈りを幾ら捧げようとも流行病が収まることは無かった」


お風

「伝え聞く所によると、確か水銀による重金属汚染だったとか…」


叡嶽

「病の規模からして、そうであるとは断定出来ん。だが例え違ったとしても、大仏へ祈りを捧げる為に集まった民衆によって、更なる被害を増やした事は否定出来ん」


お風

「それが貴様とどう関係する? まさか大仏が叡嶽だとでもいうのか?」


叡嶽

「儂は、祈りにより生じた偶像の創造物じゃ。祈りにより魂を得、涅槃より遣い人として入れ物である肉の体へ受肉を果たした。誰でもあって誰でもない。それが儂なのじゃ」


お風

「人では無いのか…? では何故天ノ邪鬼を殺そうとする。人の世の理等、貴様には関係の無い事では無いか」


叡嶽

「天ノ邪鬼も理から外れた存在じゃ。死した身体を乗っ取り、天命を逸脱して生き永らえようとしておる。この世の生命の歪みじゃ。放ってはおけん」


お風

「分からん…。何故そこまでする。貴様が得られるものが無いではないか」


「到着したぞ」


正面に城下町が見える。その奥に堅牢な作りの城が確認出来る。


叡嶽

「初陣じゃなお風。油断するではないぞ」


お風

「当然だ。鬼を討伐し、首級を上げる。そして私の里を襲った鬼に復讐を果たす…。それまで死ぬ事は出来ない」


「伝令が入った。七人衆の灰碓光竜(はいからみつり)坂間翁太郎(さかまおうたろう)大山辺樞(おおやまべかなめ)、剣百々(つるぎももこ)柳紫生(りゅうしせい)、そして御主達2人は別れて行動してもらう。東より灰碓光竜と坂間翁太郎。西より大山辺樞と剣百々子。南より柳紫生とお風。そして叡嶽には真っ直ぐ城へ向かってもらう」


足軽の伝報にお風は怪訝な顔をする。


お風

「何故だ! 私も叡嶽と共に城へ向かう! なんとしても鬼の首を上げねばならないんだ!」


「命令は絶対だ。それに背くことがあってはならない。御主の行動で戦に敗れれば切腹は免れぬぞ」


皐月

「良いではないですか」


ドロン、と皐月が現れる。


「さ、皐月殿…!」


皐月

「叡嶽殿と行動を共にしたい様ですし、それも良いかも知れません。柳殿とは私が一緒に行きます」


「それでは7人という取り決めが…」


皐月

「叡嶽殿が敗れることは有り得ません。それにお風殿は小柄な女子。鬼も油断するやも? 叡嶽殿がそれでも良いというのならばお風殿と組み、城へ真っ直ぐ向かって頂きましょう」


お風

「叡嶽…! 頼む、私も連れて行ってくれ!」


お風は縋るように叡嶽に頼む。


叡嶽

「…仕方あるまい。お風、何があっても儂から離れるでないぞ」


お風

「…! 感謝する」


ブオ〜! オ〜! 兵士が法螺貝を鳴らす。闇深き夜にけたたましい音が鳴り響く。戦の火蓋が切られ、兵士達は一斉に町に火矢を放つ。


叡嶽

「行くぞお風」


叡嶽は火矢の中を突っ走る。


お風

「矢の降る中突っ切るか…!」


城下町には人の姿は無い。だが周囲から感じる気配は邪悪そのもの。


『ギャァアアアア!!』


甲冑姿の鬼が叡嶽に向かって飛びかかってくる。直ぐ様刀を抜き、一撃で真っ二つに両断する。メラメラと周囲は燃え始め、灼熱の炎の中で矢を防ぎ、息をするのがやっとだ。


お風

「く、はぁ、はぁ…」


叡嶽

「術を使うのじゃお風。気を失うてしまうぞ」


お風

「言われなくとも…! 百鬼道鏖殺ノ業、風車轟!」


お風の周りに風車が現れ、熱風と火矢を防ぐ。何とか進めそうだ。


ドズンッ!! 正面から巨大な大鬼が現れる。


『貴様等ッ! ここが檜凰院汐織朔那姫ひほういんしほおりさくなひめの居城と知っての狼藉かッ!』


叡嶽

「それが天ノ邪鬼の名か。随分と豪華な名じゃな」


『天ノ邪鬼と呼ぶな! 姫様は鬼王となる存在ぞ! ここは軍荼利夜叉明王の化身、槍ヶ峰秀虎(やりがみねひでとら)が何人も通さぬッ!』


叡嶽

「明王の化身とは大きく出たものじゃ。罰当たりめ。それに鬼王とは聞き捨てならんの」


秀虎

『喧しいッ! 物申すというのなら実力で押し通るがよいッ!』


巨大な大鬼秀虎は、真っ赤な顔で甲冑を身に纏っている。巨大な槍をブンブンと振り回す。


秀虎

『いざ尋常に、勝負!』


突如ガキィン! と秀虎に向かって突如巨大な【薙刀】が振り下ろされる。


秀虎

『何者!?』


「叡嶽殿…! ここは私と翁太郎におまかせ下さい!」


翁太郎

「鬼じゃ! 大鬼じゃあ! 腕が鳴るのう母上!」


巨大な尼僧と大斧を振るう青年。七人衆の2人が秀虎の前に立ちはだかる。


叡嶽

「かしこまった。ここは任せたぞ」


秀虎

『尼僧の方は妖ではないか! 人間、妖を母親と称すか!』


翁太郎

「母上は母上よ! 鬼の貴様にぁ関係の無い事じゃ! さっさとワシの手柄になれい!」


ブウン! と大斧を秀虎に向かって振り下ろす。硬い甲冑に当たりガギィンッ! と鈍い音が響く。叡嶽はお風に目配せをし、秀虎の下を掻い潜り城への道へ駆け抜けていく。



『グギャァアアアッ!』


装備を固めた鬼達が叡嶽とお風に襲いかかる。お風はヒラリと攻撃を躱しながら確実に首を刎ねる。叡嶽は被弾をものともせず切り伏せていく。城をどんどん上がっていき、天守閣の真下まで辿り着いた。本が大量にあり、灯りが灯してあるものの、部屋中に暗い闇が立ち込めている。


叡嶽

「お風、止まるんじゃ」


お風

「この気は…!」


叡嶽

「おるのじゃろう? 大鬼よ」


『カッカッカッカ。バレちまったか』


闇の中から鬼が現れる。先程の大鬼のような大きさではなく、成人男性と同程度の大きさの鬼。


お風

「恐るべき氣を感じる…。大きさは人間と変わらないが、此奴も大鬼なのか」


『鬼はその業と力によって位が決まる。そりゃあ大きければ優位であろうが、強さに影響するとなると大きさ等些細な事』


闇の中から太刀が現れる。


『オレ様の名は吟兵衛(ぎんべえ)。大嘘付きの隠形鬼、白金吟兵衛(しろがねぎんべえ)だ』


叡嶽

「隠形鬼とな。伝え聞くにとても古い鬼じゃ。鬼となって長いのじゃろう」


吟兵衛

『その通り。1000年以上も前から鬼をやってる。越えてきた死線は数知れず。そう簡単にここを通れると思うな』


ガギィンッ! 吟兵衛が叡嶽に切り掛ると、鍔迫り合いとなる。


吟兵衛

『人ならざる膂力だ…。テメェ、何者だ…?』


お風

「叡嶽ッ!」


お風は吟兵衛に向かって分胴を投げ付ける。しかしヒラリと躱し距離を取る。


吟兵衛

『テメェ等の行動は手に取るように解る。不意打ちなんか喰らうかよ!』


『退きなさい。吟兵衛』


吟兵衛

『…はっ!』


女性の声が聞こえれば吟兵衛は闇に溶けて消える。2人は一斉に女性の声がする方を向く。


『ようこそ我が城へ。お初にお目にかかります。(わたくし)檜凰院汐織朔那姫ひほういんしほおりさくなひめと申します』


叡嶽

「我が城、か。御主は天ノ邪鬼であろう」


朔那姫

『はい。その通りです。天守閣から見ておりましたよ。降り注ぐ火の矢をものともせず城へ入城されたその勇姿、是非近くで拝見しとうございました』


紫色の着物を来た雅な女性。邪悪な氣は感じず、まるで神々しいとすら思える神聖さを纏っている。


叡嶽

「何故この世に縋り付く。その訳を応えよ」


朔那姫

『理由ですか? 異な事を申しますね』


ふふふ、と朔那姫は微笑む。


朔那姫

『私を含む天ノ邪鬼達はこの世の仕組みを変えとうございます。この世は間違っている。永遠と円環を繰り返す内にその形も歪な物となっています』


叡嶽

「仕組みを変えるか」


朔那姫

『ええ、ええ。人は皆人生という道に迷っている。何が正しく、何が間違っているか。それをいつも見誤う。不安に満ち満ちています…。巨大な権力を握る者が国を、人民を操り、階級という位に縛り付け、自らの都合の良いように思考すら統制しようとしている』


叡嶽

「それを鬼である天ノ邪鬼が変えると申すか」


朔那姫

『終わりなき苦しみが続く限り、人々がこの世の理を脱する事はままなりません。武人殿、この世は混沌を必要としている。貧困を、差別を、そして戦争を…。皆支え合うよう学んだはずが、蹂躙を使命としてこの世に産まれ、隣人を食らう事で裕福を得る。大名とて例外ではありません。裕福になったとて、常に裏切り謀反の危険にも晒されているでありませんか?』


叡嶽

「朔那姫殿。御主は一度は悟りに至った身。何故人にこの世を任せられん。知っている筈じゃ。涅槃に至るものは、この世は全て借り物であると理解するはずじゃ。価値ある物も、地位も、権力も、身の回りのありとあらゆる物質…肉の体に至るまで、死に分かつ迄の借り物に過ぎぬということを」


朔那姫

『よく、ご存知ですね。そう、その通りです。借り物…。間違いありません。ありとあらゆるものは学びを得る為の道具。生命が溢れるこの世界から、この肉の体に至るまで。ですが、ですがですよ…。真にそうだとして、この想いが、経験した記憶が、涅槃に至ることで滅して行き、無我に至ってしまう。因果も業も全て返していくにつれ、真っ白に漂白されていってしまう…。私達は、一体何処へ行けば良いのでしょうか…? 学んできた経験は? 苦しみは? 苦難の果てに得た、何事にも変え難い、この私達の願いの果報は…?』


叡嶽

「…」


朔那姫

『私達は駒ではありません。私達は歯車ではありません。私達は人形ではありません。私達は仕組みではありません…。私達は…元は人格を有する一個の生命体です。苦しみを知り、苦痛を知り、苦難に苛まれ、その果てに至上の理解を得て、この世をただ去る。虚しくはありませんか…? 切なくはありませんか…? 学びを得、そして無に帰すだけだというのなら、【知らなければよかった…。】ただそれだけだというのなら、私達が成り立ちを変えてしまえば良いのです』


ばっ、と腕を広げる。バサバサと本が飛び出し、朔那姫の回りを飛び始めた。


朔那姫

『生きた証、生きた痕跡、生きた歴史。それを人々に深く深く刻み込む。私達は変わらない永遠を所望する。確かな無限を手に入れる為に、この世に縋り付いております』


叡嶽

「…」


叡嶽は涙を流す。刀を構え、それを握る拳に強い力を込める。


叡嶽

「…ならん。御主、理解している筈じゃろう。自らがこの世の理から逸脱した存在だということを。この世にいてはならんのじゃ。関わってはいけんのじゃ」


朔那姫

『…武人殿。私は愛しています。恋しいのです。この世がどうしようもなく尊い…。この美しく眩い世界を手放したくないのです。解っては、貰えませんか…?』


叡嶽

「胸が痛かろう、辛かろう、苦しかろて…。だが手放さねばならん。学びを得る世のため人の為、儂等は手を引かねばならん。現世を乱す悪辣非道の権化たる天ノ邪鬼、檜凰院汐織朔那姫。この世の為にその命、返却せよ…」


朔那姫

『まかりなりません…。この世の為に成すべき事を成し遂げます。私から奪おうというのであれば、この命を懸けて抗うまでです』


朔那姫は手を振りかざす。それと共に本が叡嶽に向かって飛んで行く。凄まじい速度で本はぶつかり、叡嶽にへばりついて離れない。


叡嶽

「…!」


お風

「叡嶽ッ!」


吟兵衛

『おっと小娘! テメェの相手はこのオレ様よぉ!』


吟兵衛は太刀を振り回しお風に切り掛る。


お風

「くっ! 百鬼道惨殺ノ業、鬼爪轟(おにづめぐるま)!」


鎖鎌が歪に伸びる。まるで鬼の爪のようにニョキニョキと伸び、太刀を受け止める。


吟兵衛

『へぇっ! 鬼道の業を使うか! 忌人とは戦ったことがあるぜぇ…。中々強かったなぁ…!』


ボワ、ボワンッ! と本が燃え始める。


叡嶽

「…ッ!」


朔那姫

『智識とは確も価値あるモノ。自身の中へ取り込み生きる術として、時には心の拠り所として支えとなってくれるものです。しかし価値が有る以上、それを武具として扱ったならばそれに比例した威力を発揮してくれるでしょう』


ドガ、ボガンッ!! ボガン!! と弾け飛ぶ。


お風

「クソッ! 邪魔だぁっ!」


お風は吟兵衛を力任せに弾く。しかし瞬時に闇に溶け、行先の前に現れる。


吟兵衛

『オレ様は影のある場所を自由に移動出来る。何処へ逃げようとも追い掛けて確実に追い詰める…。テメェも師匠も決して逃がしはしないぞ』


薙ぎ、いなし、押し掛ける。だが沼の如く影に入り込めば思う様に吟兵衛の動きを捉える事が出来ない。


叡嶽

「ぐふ…」


黒焦げになり吐血する叡嶽。刀を盾に、何とか持ち堪えている。刀はボロボロになり、今にも折れてしまいそうだ。


朔那姫

『まだ抵抗しますか。火矢をものともせず駆け抜けるだけあります。しかし本当に人間であるか疑わしい限りです』


叡嶽

「…言うたじゃろう。儂もこの世の理から逸脱した存在。御主等天ノ邪鬼を一切合切入滅せねばこの命尽きる事は無い」


朔那姫

『まるで使命に取り憑かれているようですね。命尽きる事無いと仰るのでしたら、その四肢をもぎ、心の臓を抉り、髑髏を叩き割って差し上げましょう』


叡嶽

「無駄じゃ。御主は儂に勝てぬ」


爆発した本の散らばった頁が宙に舞う。そしてペキペキと折り込まれ、手裏剣の形に変わる。それらが一斉に叡嶽へ向かって飛んで行く。


叡嶽

「むっ」


ザク、ザクザクザク! 鉄の素材で出来ているかのような手裏剣は甲冑とその隙間に突き刺さる。ダラダラと銀色の血が滴り、甲冑を濡らしていく。


朔那姫

『奇妙ですね。血が紅くありません』


下からすくい上げるよう両手を上げる。すると散らばった頁が旋風を発生させる。ズバ、ズバズバとまるで硝子のような質感の頁は、叡嶽を無情に切り裂いていく。


朔那姫

『防戦一方ですね武人殿。先程の威勢は何処へやら。このままでは終わってしまいますよ』


叡嶽

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)第二ノ奇跡、報身如来神像(ほうじんにょらいしんぞう)ノ構エ」


叡嶽は左手の人差し指を右手で掴み、静かに目を瞑る。


朔那姫

『…うっ! がはっ!?』


突如朔那姫の身体から夥しい火傷と裂傷が出現する。叡嶽の身体の傷は癒え、代わりに朔那姫へ負傷した傷が移ったようだ。


朔那姫

『これは一体…!? 与えたはずの傷がッ!』


叡嶽

「仏の奇跡は凡ゆる術を遥かに凌ぐ。天ノ邪鬼、檜凰院汐織朔那姫よ。御主等が捨て去った悟りとて、奇跡に通ずる道があったはずじゃ」


朔那姫

『奇跡…! 武人殿、貴方はまさか…!』


傷付きボロボロになった朔那姫から視線を伏せ、剣先を自身の【腹】に向ける。


叡嶽

「仕舞いじゃ…」


ズブリッ! 一縷の躊躇なく一気に根元まで突き刺す。


朔那姫

『…っ!?』


ズル、ズリュル…。引き抜かれた刀は白銀の液体に塗れている。恐らくは血であろうその液体は、空気に触れると静かに燃え始めた。ボロボロだった刀身は瞬く間に再生していく。


吟兵衛

『奴はまさか…!?』


様子のおかしい叡嶽と朔那姫を見てお風と吟兵衛の手も止まる。


朔那姫

『貴方、貴方はッ! 遣い人であったか!』


叡嶽

「ぐ、ぶ…。そうじゃ。流石に知っておったか、朔那姫よ。涅槃より遣われし使命を帯びた不死の鬼絶ちじゃ」


朔那姫

『吟兵衛ぇっ! 此奴の首を刎るのです!』


吟兵衛

『じゃりゃっ!』


吟兵衛が瞬時に叡嶽の背後に周り、太刀で首を両断しようと斬り掛かる。


叡嶽

「両界曼荼羅第三ノ奇跡、応身飛天光背(おうじんひてんこうはい)ノ護リ」


ビシャッ! と叡嶽の背中から眩い光が発せられ、部屋中を昼間の如く照らす。斬りかかった吟兵衛の太刀は光に食い止められ叡嶽の首を刎る事は出来なかった。


吟兵衛

『…コイツぁ分が悪いぜ。朔那姫様。悪いがオレ様は引かせて貰う』


朔那姫

『待ちなさいッ! 私の命に背くのですか!?』


吟兵衛

『あんたが生き残ったなら大人しく罰を受ける。だが無駄に命を散らすのは主義じゃねぇ。オレ様はそうやって生き残ってきたからな』


吟兵衛は太刀を地面に突き刺し、その影となった場所に溶けていく。


吟兵衛

『あばよ朔那姫様。次がありゃあそん時はよろしく』


朔那姫

『この裏切り者ッ…!』


大きな太刀だけを残し、吟兵衛はその場から消滅した。


叡嶽

「万策尽きたか朔那姫」


叡嶽は朔那姫に向けて刀を構える。


朔那姫

『…く、くくく。まだです。まだですよ…!』


ビュオッ、と強い風が吹くとお風が朔那姫の方へ引き寄せられる。


お風

「う、くっ…!」


叡嶽

「お風ッ!」


お風は朔那姫に捕らえられてしまう。広げられた手は鴉のような羽となり、お風を包み込むように捕縛する。


朔那姫

『まァ可愛い可愛い愛弟子だこと…。一時の情が移り、人の子に入れ込んだ事を後悔するのですね…。今からこの小娘の血を啜り、我が糧とさせて頂きます』


お風

「私の事は気にするな…! そのまま貫けッ!」


朔那姫

『お黙りなさいッ! 首を捩じ切られたいのですか…! 無力な生娘、く、くくく…。まともに学びを得る前に力に溺れ、このような場所までムザムザ付いてきてしまったのが運の尽きです』


ヒヒヒと笑みを浮かべ叡嶽の方を見つめる。


叡嶽

「おんあぼきゃべーろ、しゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん」


叡嶽は三度【光明真言】を唱える。そして刀印を結び、鷹のような眼力で朔那姫を睨め付ける。


朔那姫

『あ、あぐ…!? うご、動けない…!?』


叡嶽

「この世の理に順じるがために、闇を内側に取り込む必要があった。そうじゃろう? その身に宿る邪な氣に金縛りを掛けた。往生せい」


人差し指と中指を額に当て、目を瞑る。そして人差し指を弾くように親指と中指を小気味よく当ててパチ、パチ、パチと鳴らす。


朔那姫

『あ、あぐ、うぐ…!』


身を捩り苦しそうに悶え、羽根の内側からお風を手放してしまう。


叡嶽

「はぁッ!」


ズバッ! 朔那姫に一太刀お見舞いする。肩から腰に抜けるように斬り抜く。ボワ、と銀色の炎が傷口から溢れ出る。


朔那姫

『ウ、ウギャァアアアッ!!』


絶叫を上げ、後ろに後退する。


朔那姫

『赦さない! 決して赦さないッ!! 私は、この世を変えなけれらばならないんだッ…!!』


蔵書の本が全て舞い上がり、ぐるぐると朔那姫の周りを回り始め、叡嶽を中心に巨大な竜巻が発生させる。


叡嶽

「ぬっ…!」


叡嶽は竜巻の風圧に抑えられ、身動きが取れない。


お風

「なんという術…! まだこんな力が残されていたなんて…!」


朔那姫

『大日如来の化身よ! 貴方をこの城ごと葬り去るッ! 後悔する時間すら与えないッ!』


町に拡がる火の手を全て巻き込み、燃え盛る竜巻が城を、町を覆い尽くす。朔那姫は吟兵衛が残した太刀を引き抜く。


朔那姫

『死ねいっ!!』


体勢を崩す叡嶽に向かって突き刺そうと突進する。


お風

「やめろッ!」


朔那姫

『…ッ!』


お風が叡嶽の前で両手を掲げ、身代わりとなるかの如く立ちはだかる。


お風

「この方を殺すなら、私を殺せッ!」


朔那姫

『愚かな生娘…。運良く紡いだその命、ワザワザ散らすというのですか?』


お風

「私の命は、既に果てていた筈の命…! ここまで紡がれた命であるならば、この方の為に尽きるというのなら本望だ…!」


朔那姫

『…』


お風

「…殺せッ! 私を殺せッ!」


涙を流しながら立ちはだかるお風に、朔那姫は眉を顰める。


朔那姫

『…命とは、なんと尊いものでしょうか』


朔那姫の手から太刀が落ちる。


朔那姫

『…武人殿』


【魔天楼】の剣先を掴む。


朔那姫

『空っぽだったのです』


叡嶽

「空…?」


朔那姫

『鬼として身を堕としたにも関わらず、熱き欲を満たす為に肉の体を得たにも関わらず、この心が満たされる事はなかった』


朔那姫は剣先を自身の喉元に向ける。


朔那姫

『久しく忘れておりました…。そうだった、この感覚…。苦しみから逃れる為に悟りの道を選び、全てをこの世に還す為に業を、因果を手放していきました』


叡嶽

「…」


朔那姫

『ありとあらゆる思いを内側に取り込み、時には穢れ、それを禊、研ぎ澄まし研磨する。そして純粋を目指し魂を磨き続ける。生きるとは、越える事だった…。己の欲を遥かに越えていき、それでも尚捨てられぬものを研磨する。そして真に純粋になった自身こそが本当の自分。苦しみ、苦痛、苦悩を遥かに越えて、練磨の果てに残った物こそが何にも変え難い自分自身だった』


朔那姫はお風を見つめる。


朔那姫

『今の貴女を見てそれを思い出しました。純粋なる心の芯の部分。どんなに辛い選択を迫られようと捨てられない自分自身。極限まで追い込まれた先で、貴女に魅せられた…』


ズブリ…。朔那姫は喉元に【魔天楼】を突き刺す。


叡嶽

「朔那姫…!」


朔那姫

『ああ…如来様』


朔那姫は地面にガクリと膝を着く。


朔那姫

『私にしるべを…導きを…』


全身が白銀の炎に包まれる。朔那姫のその身体から白い魂魄が抜け出し、叡嶽の胸に吸い込まれていく。


叡嶽

「…あ、あ…ああっ! すまぬ…! すまぬ…! うぐ、あぐ、すまなんだ…!」


叡嶽は泣き崩れ、朔那姫を抱き抱える。


叡嶽

「儂が…儂が導いたはずだのに…! そう標したはずだのに…!」


涙が止まらず朔那姫に零れる。


叡嶽

「申し訳ない…! 申し訳ない…! 辛かったろうに…! 苦しかったろうに…! うう、ああうぅ…!」


お風

「叡嶽様…」


叡嶽

「皆祈り、悟りを目指した…。はぁ、はぁ、うぐ、そう標した…。儂が…なのに、だのに…苦しみから、解放されるために、この世の理から、抜け出せるようにと…。その筈なのに、うう、えぐ…」


歯を食いしばり、朔那姫を抱き締める。


叡嶽

「儂の、責じゃ…。はぁ、はぁ、うぅ、儂がこの子らに背いた…。祈りに、願いに…。叶えられなんだ…。はぁ、はぁ、この子らは、報われなんだ。必死に足掻いたのに、抗って、苦しんだのに…。ああ、ああああ…。すまぬ、すまぬ、儂を、儂を赦してくれぇ…!」


燃える朔那姫を離すことなく叡嶽は泣き続けた。お風はそっと身を寄せ、叡嶽が泣き止むまで待ち続けた。





……。


吟兵衛

『…』


『その話は真か?』


縛られた吟兵衛を囲む8人の鬼達。山のように大きな者もいれば、人と変わらぬ姿の者もおり、髑髏で作られた玉座に座している。


『まさか、遣い人が顕現していたとは…』


山のように大きな鬼は頬杖を付いて話に耳を傾ける。


『お前はみすみす朔那を見捨てて逃げて来た訳ね』


和服の鬼は蔑む眼で吟兵衛を見下す。


吟兵衛

『仕方なかった。じゃなきゃオレ様は殺されていた。あれは確かに仏の化身、奇跡を使う相手に叶うはずのないだろ』


『その割には随分態度が大きいじゃない。みっともないったらないわ』


吟兵衛

『ぐ…』


「しかし付け入る隙はあります」


顔を隠した狩衣の女性が言う。


「七人衆の掟は破られました。ならば私も一つ掟を破る事が出来ます。遣い人の名は空蝉叡嶽。盧舎那仏坐像の化身」


『大日如来の、あの化身と申すか』


別の鬼が驚愕して身を乗り出す。


『ワシ等に打つ手はあるのか…?』


「御安心を。着々と準備は整っております」


『つまらぬ。我は月に帰るぞ。どいつもこいつも取るに足らぬ存在じゃ』


天女のような大きな鬼は欠伸をして立ち上がった。


雨澆甕月芭蕉胤(うぎょうみかづきばしょういん)。勝手は許さんぞ』


『御主、呼び捨てじゃと? 殺されたいのか?』


『1人抜け駆けするつもりならやめておけ。遣い人は不死身。決して殺す事は叶わぬ』


侍姿の鬼が天女の鬼を制止する。


『今、貴様を殺すつもりで言ったのじゃがな』


『救いが…遂に我らに救いが舞い降りたのだ…。愚者達は調伏され、父と子らに救いがもたらされる時が来たのだ…』


『嫌じゃぁ、死にとうない…! 儂はまだやり残したことがあるんじゃぁ…!』


顔が2つある鬼が天を仰いでいる。片方は恍惚とし片方は涙を流している。


『不死身の遣い人…。使命を背負いし仏の化身。だが打つ手がない訳じゃない』


若い青年の姿をした鬼が静かにそう呟く。


『どうするっていうの? 朔那が殺されたのよ? もう少しであの子も王になれたのに…!』


『…殺せないというのなら、新しい世界が完成するまで待ってもらう。全ての仕組みが完了した新たなる現世。この世に涅槃を顕現させ、使命自体を【上書きさせる】』


『…おお。素晴らしい計画じゃ! して、どのようにそれを成し遂げる?』


「ふふふ、誠に楽しみです。胸が踊りますね」


『綿密な準備が必要だ。その為には御主の力が必要だ、吟兵衛殿』


吟兵衛

『…どちらにしろ命令には背けねぇ。こう縛られてちゃあな』


『これから長い付き合いになりそうだな。我らが【父上】を封じる為に、我ら【八大鬼王】が成し遂げる。必ずやこの世を変えてみせる。我らが無念を、新たなる悟りの形を作り上げる為に』


……。


叡嶽

「…」


お風

「叡嶽様、賃金を頂きました」


叡嶽とお風は荷馬車に乗っている。


叡嶽

「呼び捨てで良いぞ…」


お風

「お団子を食べに行きましょう」


叡嶽

「…団子か」


お風

「実は見ていたんです」


叡嶽

「む?」


お風

「お金が無くてお団子、食べれなかったでしょう?」


叡嶽

「そういえばそうじゃったな」


お風

「元気ないですね」


叡嶽

「何時も通りじゃ」


お風

「そうですか…。叡嶽様」


叡嶽

「なんじゃ」


お風

「天ノ邪鬼討伐の旅、続けるんですか?」


叡嶽

「勿論。儂の使命じゃからな」


お風

「あの時、とても辛そうでした。…旅、やめれないんですか?」


叡嶽

「…儂はな。あの時、確かに辛かった。だがな、使命である以上に、必要な事だと思うておる」


お風

「必要な事?」


叡嶽

「ああ、感情の起伏が起き、涙が溢れ出てくる。それは心の器が何かしらで満たされたから故に起こる事なのじゃ」


お風

「心の器…」


叡嶽

「天ノ邪鬼…。儂の子らを、全て儂の内側へ入滅させる。そうすればあの子らも救われる。そう信じておる。この使命は、きっと儂にとってのしるべなのじゃ」


お風

「…そうなんですか」


叡嶽

「故に謹んで使命を放棄する事はせん」


お風

「私にもしるべ、見つかるでしょうか」


叡嶽

「生きていればきっと見つかる筈じゃろう。御主のしるべ、そのしるべでどのような学びを得られるか、それはまだわからぬ…。故に死ぬ迄学び続けるのじゃ」


お風

「…はい。叡嶽様」


叡嶽

「まぁそれはそれとして、団子を食いに行こうかのう。まだ食うた事がないのじゃ。誠に楽しみじゃ」


お風

「ちょっと分からないのですが、何故金欠なんですか?」


叡嶽

「稼いだ金は全て貧しき子らに与えた。その方が金にとっても良い善行になると思ってのう」


お風

「それは彼等のお金を稼ぐ学びを奪っているのではありませんか? 何も全て渡す必要も無いはずです」


叡嶽

「そ、そうかのう」


お風

「今後は私がお金を管理します」


叡嶽

「えぇ…。少し位は渡した方が良いのでは…」


お風

「なら私が飢え死にするか、彼等を一時的に救うか選んで頂きましょうかね」


叡嶽

「大袈裟じゃな…。腹が減ったら生命を捕まえ、少しだけその肉を分けてもらうのじゃ」


お風

「無闇に殺生をするより金銭での物々交換で腹を満たせるならその方がいいはずでは?」


叡嶽

「む? 難しい問題じゃな…」


お風

「上手に生きていきましょう叡嶽様。これからは【はいてく】の時代なのですから。【ろーてく】から抜け出さねばいけません。これも学びですよ」


叡嶽

「なんじゃそりゃ…。ふーむ、儂もまだまだ学ぶ事がありそうじゃな」


お風

「ふふ、そうですね。共に学んでいきましょう。何処までもお供しますよ、私の如来様…」


終わり

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