次期当主として
「えー……と」
これがこっちで、と確認しながら決済の書類を分けていくフローリアを、厳しくも温かな眼差しで見守っているルアネ。
「フローリア、こちらの書類はどうするのだったかしら?」
「……あ、いけない。忘れておりましたわ」
「予算表は必要だから、忘れてはいけないわ。きちんとメモをしておきなさい、次から気をつけるように」
「はい、申し訳ございません」
フローリアの得意分野は体を動かすことであって、書類作業ではない。
ミハエルの婚約者であった時は、彼があまりにも傍若無人だから、フローリアが動かないと各所がダメになってしまって潰れてしまう可能性しかなかったからだ。
不得意とはいえ、ミハエルの人としての駄目っぶりを完璧にカバーしていたのだから、問題なくできるだろう、と思っていたが、何となく抜けが発生してしまう。
しかし、フローリアがシェリアスルーツ家の当主となるのだから、書類仕事が嫌だといっても拒否はできない。
「リア、少し休憩しましょうか」
「……はい。すみません、お母様」
「あなたの場合、以前は特殊な環境にいましたからね。仕方ないとはいえ、……どうしましょう」
「う……」
補ってくれる相手が必要なのは理解している。
理解はしているが、フローリアに釣り合う相手など……とルアネは考え、一人だけ完璧な人が頭を高速で過ぎっていき『いやいやそんな』と首を横に振った。
「お母様?」
「何でもありません。さ、今日は中庭でお茶にしましょう」
「……はぁ……」
「フローリア、最初から何もかも上手くできる人なんかいないんだから」
ぽんぽん、と優しく母に背中を撫でてもらい、フローリアもようやく笑顔をうかべる。
思い起こすのは、先日の魔獣討伐のあの件。
あぁ、とても楽しかったなぁ……と思えば思うほど、自分が事務方の仕事が向いていないことがよく分かる。
ミハエルの婚約者であった頃、考えていたのは『ミハエルを助けたい』ではなく、『他の人に迷惑がかからないようにどうにかせねば』ということだけ。
そして、ミハエルなんかを愛するわけもなく、無駄に権力を振りかざしてきて脅しにも近いような形での婚約だったのだから、破棄だろうがなんだろうが、離れられて良かったという感情しかない。
いくら王族といえど、その程度の感情しかもてない相手だ。
「お母様は、以前のようなお仕事をまたやりたいとは思わないのですか?」
「え?」
「以前、王女殿下の護衛騎士をされていたとか……」
「そうねぇ……」
ルアネと並んで歩きながら、フローリアは問いかける。
母は実務能力もさることながら、護衛として守ると決めれば守り抜く強さも兼ね備えている人だ。
そんな母が、どうして。そう思ったから聞いたのだが、あっけらかんとしてルアネから反論された。
「戻りたいと、どうしてフローリアはそう思ったの?」
「え……」
「わたくしの今の大切なものは、旦那様と、子供であるフローリアとレイラよ。守るべき対象が変わって、確かに仕事も変わったようにあなたからは見えるかもしれない。でも、本質は同じではなくて?」
思わずぽかんとしてしまったフローリアだが、確かにそうだ、とすぐに思い直す。
「……わたくし、視野が狭かったんですのね」
「当主になるためにそれだけ必死ということでしょう。母親として嬉しいことではあるんですからね」
「……はい」
よしよし、と頭を撫でてもらえば、少しくすぐったいような感じにもなるが、フローリアは自然と笑みが零れる。
中庭にある四阿へ向かい、既にお茶がセットされているのを見て『タイミングを合わせてくれたのか』と察し、使用人の心遣いには心が温かくなる。
「いいお天気ですわね……」
「えぇ、本当に」
のんびりとした会話をしながら、これからを考える。
フローリアはほぼ問題なくシェリアスルーツ家当主となるだろうが、婚約破棄された話はあちこちに広まっている。現に、あちこちから婚約に関しての釣書が届いたり、絵姿が届けられたり、見合いの話が次々に舞い込んだりしているのだが、本人があまり乗り気でないから積極的には話していない。
だが、貴族としていずれは結婚をしなければならないことは明白なのだが、はたしてどうしたものか、とルアネは悩む。
フローリアの心に決めた人が居れば、その人との話を進められるのだが、そういった浮ついた話は聞かない。
「お嬢様、どれになさいますか?」
「わぁ……」
フルーツが沢山載ったケーキ、たっぷりのイチゴが載ったタルト、果物の中身をくり抜いたものを容器にしたゼリー、クッキーやフィナンシェといった焼き菓子。
よりどりみどり、な状態の様々な菓子類に、フローリアは目を輝かせる。
疲れたから甘いものが食べたかった、と喜んでいちごのタルトを選び、嬉しそうに早速食べ始めた。
そうしていると、何やら屋敷が騒がしくなっていることにルアネが気づき、ロールケーキをと紅茶を侍女長にお願いしてから一旦席を立った。
「わたくしが見てきます。フローリア、そのまま休憩していなさい」
「はい」
「何なのでしょうね……」
「えぇ……お客様かしら」
「本日はどなたの訪問もないはずですが」
はて、と首を傾げているフローリアと、侍女長も何となく訝しげな顔をしている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
「…………」
執事長のダドリー、シェリアスルーツ家騎士団の団長、二人揃ってだらだらと冷や汗を垂らしている。
どうしたらいいか分からなかったところに、救いの手と言わんばかりのルアネが来てくれたのだが、そのルアネと来客が睨み合いを始めてしまった。
「(あの、奥様が睨んでるの王弟殿下です……よね?)」
「(黙っておきなさい)」
「聞こえております。そして、団長は正解ですわ」
「は、はい!!」
聞こえていたのか!?と焦る団長だが、それをくみ取ってかシオンが真顔でこう返す。
「この人地獄耳だからな」
「まぁ、殿下は相変わらずお口が減りませんこと」
「姉上の護衛をしていた頃から、夫人も口の悪さはご健在のようだ」
「まあぁ」
「はっはっは」
心なしか、気温が下がったように感じるのは団長もダドリーも同じだったようで、揃って身体を震わせる。
この二人、まさか犬猿の仲か!?とダドリーが警戒しようとした途端、ふっと緊張感が緩んだ。
「殿下、来る時は連絡のひとつもくださいまし」
「あら、ごめんなさいねぇ」
「用件があるのはフローリアに、でしょうか」
「正確には夫人に、だが……」
「……」
フローリアの名前を聞いた途端、少しだけシオンがそわついたのをルアネはばっちり見逃せなかった。
そして、にっこり微笑んでから邸内へと招き入れる。
「連絡が欲しかったのは当たり前として、お急ぎの用件と察しました。合っておりまして?」
「えぇ、ありがとう」
なお、この会話を聞いている団長は今、混乱の真っ只中にいるようで、ルアネとシオンを交互に見まくっている。
「ダドリー、団長に事情を説明してさしあげなさい。王弟殿下はこちらへ」
「はいはーい」
ごめんなさいねぇ、とヒラヒラと手を振ってルアネと共に歩いていくシオンの背中を見送り、ぽつりと団長は呟いた。
「口調……」
「あれが、王弟殿下の『素』ですよ」
憧れてたのにぃぃぃ!!という悲しげな声をバックに、シオンはうきうきと歩いていく。
あぁまたあの子に会えるのだ、と気分は自然と上向いていった。




