断罪へのカウントダウン
突然ではあるが、ミハエルは勉学においてとても優秀だ。
王太子教育は早々に完了させ、婚約者の家柄が後押しをしてくれずともその地位を確固たるものとするだけの頭脳の高さはある。
頭はとてつもなく良いから、学園での成績も勿論ながら大変優秀だ。入学以来、常に学年トップを走り続けている。
――そう、頭『は』良い。
人として、他人を思いやるという能力に関してはほぼ皆無。だから、書類上の数値や文言をきっちり読み解くことはできたとしても、大臣からの進言や地方の貴族の嘆願書に書かれている『気持ち』を考えるという能力が著しく欠けている。
顔でフローリアを幼い頃に婚約者としたミハエルだが、実はこれが大正解だったのだ。
フローリアは見た目もさることながら、話し方もおっとりとしており、聞いている側に安心を与えられる貴重な存在だった。
どれだけミハエルが癇癪を起こしかけたとしても、隣にフローリアがいれば対話をしている側が『フローリアに免じて』と、柔和な対応をしてくれたからこそ、王太子としての実績を次々と積み上げてこられた。
だから、フローリアと婚約破棄をした、というあの日を境にミハエルを取り巻く環境は文字通り一変した。
まず、ミハエルが単独で動くようになったことで、あちこちで歯車が外れたかのように、物事が進まなくなった。フローリアがしてくれていたのは、表立った派手な行動ではなかったものの、書類を作る時にはミハエルが動きやすいような細かな調整を行ったものを提出し、後々誰が見ても、誰が対応しても不備が出ることなく、配慮されていた完璧な代物。
「くそっ!」
ばしん、と乱暴に書類が机へと打ち付けられた。
そんなことをしても無意味だとわかっていても、せずにはいられない。
「ライラックがいなくなってからだ……。何故だ、何がどうなっている!」
それは、彼女が全てにおいてお膳立てをしてくれていたから。
「大臣たちもそうだが、貴族どもがうるさい。何だあいつらは、己の権利ばかり主張しおって!」
机を乱暴に叩き、大臣からの意見書や貴族たちからの嘆願書を無残にも破り捨てていく。
それを見ていたミハエルの側近は、顔を真っ青にして慌てて止めにかかるが、既に紙吹雪まで小さくなってしまったものをどうにかすることはできない。
「殿下!おやめくださいませ!」
「五月蠅い!この俺に意見をする気か!何もできやしないくせに!」
ああ、駄目だ。
フローリアがいなくなってからというもの、ミハエルの荒れ具合はとんでもなく酷くなっていく。
側近ですら何かをどうすることもできやしないし、幾度もやめてくれと、普通に政務を執り行ってくれと懇願したのだが、聞く耳をもたない。
「出ていけ!お前のような役立たずは俺には不要だ!」
「…………左様でございますか」
はぁ、とため息を吐いた側近は、ミハエルに縋ることなく、そのまま丁寧に一礼して出て行ってしまう。ミハエルが『あれ?』と思ったところでもう遅い。
「お、おい」
「失礼いたします、殿下。ゆくゆく、殿下の治世に栄光のあらんことを」
「は!?」
ミハエルが想像していたのは、『わたしが悪かったです、殿下。どうかこれからもお傍に置いてください!』と妄想していたのだが、現実は超塩対応。
不要だ、と言われればこれ幸い、と言わんばかりにミハエルの周りの人は遠慮なく辞めていく。先日王妃から『婚約破棄してから一か月程度しか経っていないにもかかわらず、お前の周りからどうしてこんなにも人がいなくなっているのかしら。お前、もしかして人望がないの?』と嫌みがたっぷり混ざったお叱りを受けたばかりだというのに。
「待て!おい、待てと言っている!」
ミハエルの言葉なんか聞こえませんと言わんばかりに早歩きで去っていく元側近は、廊下の角を曲がった途端に全力ダッシュで逃げ去った。
悲しきかな、その様子をミハエルはばっちり見てしまっていたし、他の役人にもばっちり見られていたから、あっという間にまたミハエルに関して悪い噂が広まってしまうだろう。
いつまでも立ち尽くしているわけにもいかず、ミハエルはとぼとぼと執務室へと戻る。そうすれば、王太子妃候補であるアリカが部屋の中で待っていた。
「アリカ、どうしたのだ?」
「……っ、殿下……」
じわ、と目に涙を浮かべてミハエルに駆け寄ってくるアリカ。
ただごとではない、と判断したミハエルはアリカを優しく抱き締めて、そして背中をぽんぽんと優しく叩いてやりながら、一体何があったのかと問い掛ける。
「アリカ、何かあったのか?」
「ライラック様が……」
ぐす、と鼻をすすって悲し気に言い始めるアリカ。
彼女の話をまとめると、こうだ。
王太子妃教育に励んでいるアリカをあざ笑うかのように、わざと騎士団に入団して楽しげな声を響かせている。騎士団も一緒になって、アリカがいかに無能なのかを吹聴しており、騎士団長も一緒になってやっているのだから手に負えなくなってしまった。
王妃に訴えかけても『それくらい自分で対応しろ』と冷たくあしらわれており、もしかしてまたライラックを王太子妃にしようと画策しているのではないか、と推測してしまった。
こんな調子では王太子妃教育に身が入らず、王太后に申し訳がない。
…………ということらしい。
ぐすぐすと泣きながら必死に訴えかけているアリカだが、見事な噓泣きを披露していることは本人しか気づいていない。バレるわけがない、とほくそ笑んでいるアリカの言葉を、ミハエルは何があろうとも疑うことなんてなかった。
「おのれ…………!ライラック風情がなんとも嘆かわしい!」
アリカの狙い通り、ミハエルは聞かされた内容に激しく怒り、そして別の側近を呼んだ。
なお、今呼ばれた側近が最後の側近であるのだが、果たしてミハエルはこの最悪の事実に、気付いているのかどうか……。




