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ツクヨミの日。
十条家の家系の傍流、十色家の12歳の子供は召喚式を行う。
最も夜の長くなる日、その深夜。
足下から寒さが伝わる。けど、ミナの胸は熱く期待と不安を抱えていた。
「御身の心に叶うものに 常に共に生きるときに」
召喚陣が地表に浮かび、紫色の光があたりを輝かせる。
「世界の果てと果てを結び 理の境界を開かん」
魔力がごっそりと持って行かれる感覚。ミナは顔を歪め、でも、しっかりと魔方陣の先を見つめる。
紫の光は一段と強くなっていく。辺りは寒いのに、首筋に汗が流れる。
「ルゥ?」
声が聴こえた。ひとまず召喚は成功したようだった。
そして、光は緩やかに輝きを終えていく。
「ルゥー」
ミナの胸元に、小さなケマリのようなものが飛びついてきた。
ミナはその召喚獣を受け止めてーー。
白い塊に小さな翼と小さなクチバシ。ふわふわの雪のようなボディ。
(か、可愛いっ!!)
ミナは決意した。
『この子は進化させない』と。
こうして、十色ミナは、神童と呼ばれた時期を終えることとなった。
いつまでも進化しない召喚獣に、周りの者たちは才能がないと徐々に見限っていった。
そのかわり、妹のユナが召喚獣を中学生2年生で進化させ、十色家の代表として奮闘していた。
「お姉ちゃん、いつもご機嫌ね」
二人は、制服を着て、十色家の屋敷から出るところだった。
「可愛いでしょー」
ミナの頭の上にはフワフワの召喚獣。12歳の時から変わらない姿。もう高校1年なのに。
ユナにはすでに二回進化した召喚獣のキツネがいる。大きすぎるから普段は姿を消している。九本の尻尾があり、氷の性質に特化している獣型の召喚獣。
「ユナも進化させなきゃよかったのに」
「そんなことしたら弱いままでしょ」
「でも手のひらサイズで、いつでも一緒だよ」
「召喚獣はペットじゃないんだから」
そう言いながら、ユナはミナの召喚獣を撫でる。
ミナとユナの家族仲は良好だった。ミナが基本マイペースで、ユナもそんな姉を気に入っていた。
そして周りの一部の批判があっても、ミナが十色家である程度の地位を維持できているのはーー、何度も進化を止めていることがバレているからだ。才能――召喚獣を戦わせる――がないのだ。別に、召喚師としての基礎能力が足りてないわけではないのだ。
「ああ、そういえば、お父様がもう一匹召喚獣を召喚するようにって」
靴を履き終えて、ユナは戸を開ける。ミナはまだ靴紐にもたついている。苦手だった。全然左右対称にならない。
「ん、ユナが」
「お姉ちゃんが」
「一人一匹じゃなかったっけ」
「別にそんな規定はないけど。二匹目を呼んでも一匹目より弱い場合が多いし、コントロールも効かない時が多いから、やらないだけみたい。お姉ちゃんの、ずっと、その状態だし、全然支配に力いらないでしょ」
「二匹目も可愛かったらキープするよ」
「そんな宣言ききたくなかった。カッコいい召喚獣だといいね」
「やだよー」
「ほら、行くよ。靴紐結んであげる」
学校ーー。
十条家管轄の月十字学園。月と十字が重なったシンボルが校章になっている。ここに通うのは、大体は十条家系列の召喚師の卵。いずれ国家認定召喚士として、召喚獣と共に、妖獣と戦うことになる。
クラス分けは完全実力主義。
ミナは当然のようにFクラス。一番上のAクラスには程遠い。
「ミナちゃんは愛が深いねぇ。疲れないの」
ミナのクラスメイトの月島美沙が言っているのは、ずっと召喚獣を出しっぱなしのことについてだ。通常、召喚獣は召喚師の体内に姿を隠して置いておくのが一番楽だ。余裕があるならば、体外に非顕現状態で好きに移動させることもある。
「可愛いから」
「答えなの、それ」
「そうだ。今度、もう一匹増えるよ」
「ミナ、召喚獣をペットみたいに……って、召喚またするの。あれ、結構シンドいのに」
「余裕余裕」
ミナは軽口を叩いていた。叩けていた。
学校の授業を適当に受けて、十色家の召喚場を見るまでは。
「お父さんお母さん、これはなんですか」
ミナは召喚陣を見ながら言った。
12歳の時の召喚陣の大きさと明らかに違っていた。
「大きいのを呼べるようにな」
「また可愛いからって進化させないと困るでしょ」
でもね、ドームを借りないでよ。
過保護すぎるというか、過干渉がすぎるというか。
深夜の野球場にどデカい紋様。
ミナは諦め混じりに、できるだけ小さく魔力を流そうと決意した。
12歳の時と同じように召喚の呪文を述べると、召喚陣は紫に光を放つ。
(って、やばっ。むっちゃ持ってかれる)
ミナの魔力が空になりかけていた。
バリバリと雷が落ちたような音と烈しい光。
「ガァアアアアアア!!」
(ああ、デカい。可愛くない)
煙の中、黒いシルエットが見える。ほとんどドームを貫通しそうな勢いの。
怪獣映画を思い出すなーっとミナは思った。
「ミ、ミナ、い、いったい何を呼び出しんだい」
(お父さん、そんなのコントロールできないことぐらい知ってるよね)
煙が徐々に晴れていく。
ミナはパッと思った。
これ、亀だ。
ところどころイカついですが。
「カメさんです」
「ミナ、冷静になろう。これは玄武じゃないか」
「とりあえず、海で飼うしかないよね」
(わたしは普通に冷静なのに。お父さんが慌てているだけで)
「これ進化したら大きくなるのかな」
「待て。進化させるな。召喚獣を進化させるな」
(お父さん、どっちなんだか。そもそも、このサイズ、妖獣と戦う場所に持っていけないような……海岸限定?)
こうしてミナは召喚獣を二体得たのだった。
「お姉ちゃん、召喚獣どうしたの」
ユナには召喚獣の話は共有済み。ミナは登校しながら、端的に答えた。
「太平洋のどこか泳いでる」
「なんか色々規格外すぎて。ハリキリすぎじゃない」
「わたしはちょっとしか魔力使わないつもりだったんだけど。召喚陣がデカすぎたせい」
ミナは、結局使えない、いや一般的な戦闘では使いみちのない召喚獣だけを得たのだ。
片方は強すぎて、片方は弱すぎて。
両親もまさか三匹目の召喚獣を持たせようとは、さすがに思わないだろう。
「あーあー、わたしの仕事、減らないのね」
「ごめんねー」
召喚師の仕事を、ミナはほとんどできないから、妹のユナの方に皺寄せがガッツリといっているのだ。
そうはいってもミナ一人の戦闘力でもいっかいの召喚師程度はあるので、基本的な妖獣退治には問題はない。ただ十色家には強力な妖獣退治の依頼が多いので、十色家まで回ってくる依頼は、ユナや両親、その親戚たちで受け持っている。
ちなみに、学園でミナがFランクなのは明らかにやる気のなさが関わっていた。そうでなければ、せめてDクラスにはなっていただろう。
「妖獣レベルが、災厄級なら協力するから」
「それより、お姉ちゃんの召喚獣がコントロールから解き放たれる方が怖いんだけど」
災厄級の妖獣は、もう1000年以上観測されていない。しかも観測されたとしても、実際に戦った記録はない。嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
「大丈夫大丈夫。あの子、根はいいカメだよ」
「陸上に上がるだけで大災害だけどね」
「あはは」
実際、戦闘になると特撮の大怪獣バトル並の破壊になるのは間違いない。
ミナもそんな戦闘が起こるなんて予想はしていない。宝の持ち腐れだろうと、腐らせておくほうがいい。大きすぎる力とは使われないほうがいいものだ。
「それで最近忙しいみたいだけど」
本当だったら、ユナも召喚の儀式に立ち会うはずだった。
現在、十条家は少し慌ただしい。すなわち、十色家にもその影響はおおいにある。
「オフレコだよ。数ヶ月前に、妖気の乱れが激しい場所を見つけてね、そこに人員割いてるんだよ。もしかしたら封印にまだ2ヶ月くらいかかるかも」
「そんなに大きいの。いつもなら小さいうちに気づくでしょ」
「まぁ、十条家もゴタゴタしてるし。やっと、世継ぎが11歳でしょう」
「ユナ、年齢的に狙えるかもね。というか大本命?」
年齢的にも近く、実力も申し分ない。最近は実績も溜まってきている。
「あのね、わたし、まだ中学生だから。結婚とか、まだまだ先の話だから」
一応、召喚師の家系は一般人より結婚は早い。
召喚師の家系が絶えるのは問題だから。特に名家であればあるほど。
「ま、ユナちゃんがどうしても嫌ならお姉ちゃんが玉の輿してあげるから」
「いや、お姉ちゃんは実績なさすぎでしょ」
「うぐぅ」
巨大なカメの召喚獣を見せれば、意外とひっくり返るかもしれないけど。あれを公表するのは、両親から待ったがかけられている。召喚獣処分の通告が出るかもしれず、その場合、カメの召喚獣を倒せなければ術師を殺害するという解決策が考えられた。つまり、ミナの首を落すということだ。
「まぁ、どっちみち、まだ十条家のほうが結婚年齢じゃないでしょ」
「そだねー」
いずれ、いずれの話だ。
登校して授業を受けたあと、ミナは直帰。ユナは召喚師の仕事へ向かった。
直帰といっても、両親からキチンとカメの召喚獣の面倒を見るように言われている。もちろん面倒を見るといっても、その辺泳いでいるだけ。ミナが東京湾に呼ぶわけにもいかない。色々と騒ぎになるだろう。
ミナは、なんとなく海岸沿いで海を眺めて黄昏れていた。気づけば、夕日も静かに沈み終え、街灯が点灯する時間帯だった。
そんなところに、一人の男が近づいてきた。ナンパをしにきた男のような雰囲気ではない。もっと嫌な悪寒を感じさせる。
「初めまして。十色ミナ様」
スーツにシルクハット。帽子は影を作り顔はよく見えない。
「誰?」
召喚師として警戒するが、妖獣の類いではなさそうだ。他の家の刺客ーーでも、ミナなんて狙っても仕方がない。
「四聖獣教のマッカスです」
「四聖獣教?聞いたことない派閥」
「我々の目的はただ一つ。四聖獣の力によって、この世界を他の世界から完全に隔離し、妖獣の存在をこの世から消し去ることを目的にしています」
「わたし、召喚獣好きだから。嫌だなー」
「まだ、いずれです。本日は挨拶のみ。まだ他の聖獣の確認ができていませんし」
「そう」
男は、言いたいことだけ言って、帽子を外して頭を下げて闇の中へと消えていった。
「うん、聞かなかったことにしよう」
ミナは一番目の召喚獣をもふもふしながら呟いた。
あれは、ただの変質者だった、以上。
「ユナちゃんが帰ってこない?」
徒歩で、ふらりふらりと帰宅すると、家の人が慌てていた。
ミナと違って、ユナは時間にはキッチリするタイプだった。
「ユナも、放浪癖に目覚めたかな」
ミナがそう呟くと同時に、ガラガラと玄関の引き戸が開く。
「ごめんなさい。遅くなりました」
ユナは、ちょうど帰宅したようだ。
「悪い子」
「ちょっと手こずちゃって」
ミナには、ユナは少し疲れているように見えた。
けど……。
「ユナちゃん。コーヒーの匂い」
ミナは仕事終わりに喫茶店で少しのんびりしていたのだろうと察した。優等生を演じ続けることはストレスも溜まる。ミナがマイペースな分、ユナはしっかり者で通っているのだから。
「内緒だよ。疲れるからね。家にいると」
ユナはミナに微笑んで、何も問題なかったよ、と家の人に説明して、すぐに自室に入った。
その夜、ミナはいつものようにベッドで眠りについていた。召喚獣を召喚したままで、そのフワフワとした存在を抱き枕にしていた。
「起きて」
ペシペシとミナは頬を優しく叩かれる感覚で目を覚ました。
「うにゅ、ユナちゃん」
「お姉ちゃん、逃げるよ」
「え、なにからー。何カラー。そう睡魔は、はにゃ……ふにゃ」
ミナは睡魔から半分しか浮上していなかった。
「お姉ちゃん、起きなさい」
枕に顔を埋められる。
バタバタと両腕を動かすミナ。
「ううん、起きた。起きたから。それで、こんな夜中に、逃げるって。夜逃げ。うちって借金やばかったんだー」
ドーム借りたんだし。それはやばいよなー。やばい。ミナは虚ろな頭で思考する。
「そうじゃないから。お姉ちゃん。召喚獣バレてるから。十条家からわたしにお姉ちゃんの暗殺命令が出てるから。六識会議で決定された由緒正しい命令が」
ミナは、寝ぼけの頭で思考した。
そしてパジャマの上着をめくって、お腹を出す。
「ほえ。ユナちゃん、あんまり痛くしないでね」
「お姉ちゃん、運動しなよ。お腹、ぷにぷに。って、だから逃げるんだよ。妹に介錯させようとしないで」
ユナはミナの贅肉をつまんだ後、その手で腕を引っ張る。布団からミナは立ち上がらせられた。
「どこに逃げるの?」
「どこでも。いざとなったら、召喚獣の背中にでも乗って、太平洋漂流かな」
「お姉ちゃん、ユナが活発に育って嬉しいよ」
ミナは全く緊張感がなさそうだった。
「四聖獣教のところに逃げようか。なんか保護してくれそうだし」
「何それ。お姉ちゃん、変な人信じちゃダメだよ」
「じゃあ、姉妹で二人だけの逃避行。ユナちゃん、お姉ちゃん、お金ないよ」
「わたしは持ってるから。お仕事してるからね」
姉妹はその日、十色家から消えた。
関東地方から新幹線で中部地方へ。
そこから山道を北上していた。徐々に人のほとんどいない場所へ。
「ここ、四辻家の方面だね。ミナちゃんアテがあるの」
二人は歩を止めた。風の揺れる音が、木々の葉擦れで分かる。
「お姉ちゃん、知ってる。わたし、秀才なんだよ」
「うんうん、ユナちゃんは頑張り屋さんだよ」
「ごめんね」
「ううん、ユナちゃんは真面目だから」
山の傾斜の上も下も、来た道も行く道も、人がわずかに動く気配があった。
ミナの召喚獣は海にいる。暴れられると大破壊が起こってしまう。ここに、ミナは誘導されていたのだ。そんなこと分かっていたけど。召喚師の上位六家による六識会議の命令に逆らえる召喚師なんていない。
「『召喚師、十色ミナ。国家災害級認定召喚獣の排除のために処刑す』」
黒服の召喚獣を連れた大人たちが周りを埋め尽くすばかりに現れていた。
「抵抗することなく、おとなしくしていろ」
「え、捕縛するだけじゃーーあっ、がぁ」
詰め寄ろうとしたユナは瞬時に首を打たれて気絶した。
本当に暗殺命令なんて出ていれば、もっと緊張していただろう。ミナは倒れるユナを優しく見つめる。
「あんまりユナちゃんをいじめないで。おとなしくするから」
ミナは腕を頭の後ろにまわして、その場に膝をつく。
ミナの小さな召喚獣は、ミナの首回りで心配そうにミナの頬をくすぐる。
「そうだ。最後くらい進化させてあげようか」
小声でミナは言った。
わたしが死ねば、この子もこの世界から元の世界に帰る。その前にーー。
「本当は、いつだって進化できたのにね」
パァッと紫色の光が小さな召喚獣から溢れ出す。
その光は一気に強さを増していく。あたり一面が光の世界に包まれてーー。
「グワァアアアアアアアアアアァァァァァッッッッッ!!」
光の中でシルエットは蛇のように長い体躯。
自然ではない煙があたりを覆い始めていた。
「えっと、えーっと……ルゥちゃん」
「グワァッ!!」
(可愛くない。もふもふじゃない。というか大怪獣。これは大きなドラゴンですね)
「せ、青龍っ!?」
黒服の男たちが、うろたえていた。
「よかったね。最後に大きくなれて。バイバイ」
ミナはドラゴンの顔をヨシヨシと抱きしめる。
それから、死地へと向かおうとしたが、ぐるっと大きな腕で抱えられた。
「ちょっ、ルゥちゃん。離してくれないと歩けなーー」
地に足がついていなかった。
ミナの身体は重力から解放されたようだった。
翼もないのに青龍は、ミナを抱いて、空へと真っ直ぐに上昇していった。
「きゃあああああああっ」
十色ミナ、15歳。召喚獣の制御が利かない初めての日だった。