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目覚め

 いいことなんてしたことがなかったのにな。


 うちはそもそも碌な家じゃなかった。最初は母親と祖父母の家にいた記憶がある。でもみんなろくでなし。母親は最初はキャバクラとかスナックで稼いでたけど、どんどん働かなくなった。祖父母も頭がおかしくて、隣の家に金を無心しに行ったり、人の畑から野菜をかっぱらってきたり。傘も自転車も買うもんじゃなかった。どっかから持ってくるもの。


 そんな生活が当たり前だったから、俺もそういうもんなんだろうと思ってた。母親がある日男を連れてきて、家を出ると言った。いくつくらいのことだったんだろうか。ろくに荷物も持たずに引っ越したような気がする。狭いアパートでの三人暮らし。でも祖父母の家よりましだったな。祖父母の家はゴミ屋敷だったから。アパートの方もすぐにゴミ屋敷になったけど、まだましだった。


 母親の恋人になった男は俺にスリのやり方を教えてくれた。正確にいうと、仕込まれた。スリと万引き。

 俺は才能があったみたいで、ほとんど捕まらなかった。男はだから俺をすごく重宝してくれて、一緒に遊びに行ったりもしてくれた。でも母親は二、三年でこいつと別れてしまった。


 次の男は俺はあんまり好きじゃなかった。母親と俺をまともにしたいって言ってた。行儀とか、道徳とかマナーとか、今まで聞いたことなかったようなことを口うるさく言ってくるから。こいつと一緒だと飯を食うのも面倒だった。箸の持ち方。口を閉じて食べなさい。途中で立ち歩いてはいけない。お椀は手に持って……。


 でもお陰で、俺は自分に友達がいないわけがわかった。なぜみんなが俺を遠巻きに見るのか。みんな、人のものをだまって借りたりしないんだ。服も毎日着替えるんだ。学校にもこの男と母親が付き合ってる時だけはちゃんと通えた。給食うまかったなあ。勉強も嫌じゃなかった。あんまりちゃんと通ってなかったから、よくわからないことも多かったけど。部屋もゴミ屋敷じゃなくなって、ご飯も食べられた。一番いい生活してたころだ。


 だけどこの男もすぐに母親に愛想を尽かして出て行ってしまった。母親は生活保護を貰うことを覚えて、ほんとに何もしなくなった。俺はだから、中学を出てそれっきり。中学だってろくに通ってなかった。


 それからは、他人の金を、指先で掠め取って生きてきた。


 だから、見も知らない女の子を助けて死ぬなんて、一番俺らしくない死に方だと思う。どうしてなんだろうな。なんで助けようと思ったんだ……



「おい」

「なんだこいつ?」

「髪が黒いのに肌が白い」

「他国のやつ?」

「どうする?」


 眩しい。


「とりあえず捕まえておくか?」

「ああ。牢屋に入れとくか」


 何の話だ。ついに捕まったのか……。


 ゆっくり目を開ける。さんさんと日が差している。さっきまで夕方だったのに?気絶していたのか。俺は電車に撥ねられなかったか?女の子と一緒に逃げられたのかな。記憶がない……。


「立てよ」


 手のひらを翳した時、自分の手のひらがひどく汚れていることに気がついた。煤?なんだ?男たちがぐるりと囲んでいる。変な服。ファンタジーゲームの、「村人その一」みたいだ。がつんと太ももを蹴られて仕方なく起き上がる。乾いた地面。アスファルトでも砂利でもない。古い町の広場のようなところだ。本当にRPGの中に来たような、可愛らしい街並み。


 どこだ、ここ。


 自分はジャージのままだ。暑いくらいの日差しが照らしている中で、薄汚れたグレイの長袖のジャージはひどくみすぼらしく見える。立ち上がると男たちは後ろ手に俺を縛りあげた。みんな顔立ちがヨーロッパ人みたいだ。髪が一様に茶色で肌が白い。


「ついてこい。大人しく。でないとアーガの葉を取り上げるぞ」


 アーガの葉ってなんだ。何なんだろう。ここはどこなんだ。よくわからないがついていってみる。頭が回らない。遠巻きに人々が俺と俺を連れた男たちの一行を見ている。夢?悪いことばかりしてきたから、こんな夢を見るのかな。


 警察なのかな、という重々しい石造りの建物の中の、薄暗い檻の中に押し込まれる。縄は切ってもらえた。中には誰かが居た。身を固くして隅に体育座りしているやつが一人、もう一人は子どもみたいで、じめじめした地面に寝転んでいる。


「こんちは」


 隅のやつが顔を上げた。金髪の髪を高めの位置に束ねていて、鼻が高い。青い目をしている。


「ここってどこすか?」

「牢屋の中」

「ちがくて、場所ってか、地図的な?」

「町の名前とかってこと?」

「そっす」


 男はものすごいバカを見つけたといった顔をした。俺がよくされるやつ。


「……ここはクラブ。クラブの領境の、ルフェンて町だ。茶色の髪のやつらの国だよ。お前は外国人か?黒髪に白い肌は見たことないな」

「るへん?日本のどこすか?」

「ニホンてなんだよ。お前の国か?」

「日本じゃないんすか?みんな日本語しゃべってますよね?」

「日本語なんてしゃべってないよ。俺たちは共通語のアービ語をしゃべってる。お前が話してるのもアービ語だよ」


 なにそれ。全く理解できない。


「そんなにわけわかんないのになんで外国になんて来たんだ」

「来てないっすよ。俺は線路にいたはずだったのにな?急にここにいたんす」

「せんろにいた?」

「はい」

「急に飛ばされてきた?」

「さあ?でも目が覚めたらここにいたっていう」


 その時、手のひらがひどく汚れていたことを思い出した。左手だ。開いてみる。煤かと思ったけど、まるで紫色の太い油性ペンで描いたようなおかしな図柄があった。なんだこれ?汚れたにしては規則性のある図柄だ。


「なんだこれ」


 耳に刺していたはずのイヤフォンはない。スマホは?ポケットを漁る。ない。金は?カサ、と何かが手に触れた。硬い丸い何か。取り出してみる。5センチくらいの、円形に近い小さな木の葉のような形のものだ。緑色で、木を薄く削り出したみたいな硬さ。表面に左手の模様を鏡に映したようなものが描かれている。


「何これ?」


 俺が持っているものはそれだけ。


「……お前、アーガの葉を知らないのか?本当に召喚者じゃないだろうな」

「さっきも言ってたな。アーガの葉を取り上げるって。何これ?これがアーガの葉?」


 男はすっと自分の右の手のひらをこちらに向けた。俺の手のひらよりもずっと複雑な模様が描かれている。


「俺のアーガの葉は取り上げられちまってるから見せられないけど。その葉を左手の模様に重ねると、お前の能力が発現する」

「能力がはつげんする?」


 何も考えずに手のひらの模様に葉っぱを重ねた。


「いっ」


 手のひらを何かが貫通していくような奇妙な感覚。葉っぱが見る間に手のひらに沈んでいく。模様が光る。


「バカ!ここでやるなよ」

「だって」


 あんな言い方されてやらないやついるのか?何が起こるのか。左手の光はゆっくりと淡くなり、やがて消えた。


「……なんもねーけど」

「お前、自分の能力知らないのか?」

「え?スリとかかっぱらいなら得意だけど」

「そうじゃなくて、弓とか剣とか」

「そんなん持ったこともねーよ」


 男ははあとため息をついた。


「まあ、アーガの葉があるだけましだな」

「だからさ、アーガの葉ってなんなの?」

「………」


 男はしぶしぶと言った様子で話してくれた。アーガの葉とは、この世界に生まれた者が必ず一枚持つ木の葉のこと。利き手に現れる模様と一対になっている。

 幼い頃から弓や剣など、自分の技を磨き、時が来た時にアーガの木の下で耳を傾けるとその人に合った葉が落ちてくる。アーガの葉の模様と手のひらの模様を合わせると、その人が研鑽を積んだ技術に関連するようなすごい力を出せるようになる。

 模様が単純な時はその力は弱いし続かない。技術を磨き続けると模様は複雑になっていき、アーガの葉を取り込んだときの力も強くなるし時間も長くなる。アーガの葉が手の模様と一体になっている間のことを「リジン」と言う。


「だいたいわかったか?俺は弓士だから、俺が自分のアーガの葉でリジンすると必ず的に当たる」

「必ず?」

「そう。今のところ、15ヒューイットくらいの範囲なら」

「ヒューイットって何?」

「……1ヒューイットが10ヒュー。1ヒューがまあ……そこに転がってるやつの身長くらいかな」


 それでわかった。ヒューとかヒューイットっていうのは、長さの単位なんだ。さっきから死んだように寝転がっている子供に目を向ける。髪が銀色だ。肌も白い。身長は120センチといったところか。


「この子は?」

「近寄らない方がいい、子供じゃないよ」


 子どもじゃない?寝ているのかと思っていたけど違うらしい。死にかけている?あまりにもぐったりと動かない。顔を覗き込んで見る。人形のような美しい顔。銀色の髪から覗く耳の先が尖っている。


「ほっとけ。たぶんエルフだ。言葉も通じないしダークエルフなら厄介なことになる。そいつらとは世界が違うんだよ」


 エルフ!いよいよゲームの中みたいになってきた。何だか知らないけどこの世界にはエルフがいるんだ。それにしてもきれいだ。子供のエルフなんだろうか。大人でこれなんだろうか。長いまつ毛が揺れるように動き、大きな目が開いた。緑色の瞳。

 次の瞬間、がばっとそのエルフが抱きついてきた。細くて柔らかい体。軽い。


「うお」

「あーあ……」


 思わず抱き止める。腕の中の美しい生き物と目が合う。細い手が俺のほおに触れる。エルフ?すごい。どんなことができるのか。魔法を使ったりするんだろうか。薄い羽が生えて空を飛んだり?もっと他にもエルフはいるのかな?あんまりきれいな顔なのでどきどきする。ちょっと幼すぎるけど……。


 ぎゅっとさらに強く抱きついてきたので、反射的にその背を抱く。人を抱きしめた時の重量感はない。不思議な重さと軽さ。体温もあまり感じない。しばらくしてエルフは体を離した。


「?」


 さっきまで幼稚園か小学校低学年くらいの背丈だったのに、一回り大きくなって見える。え?この3分くらいの間に?


「……あんた、そいつに構うのはやめたほうがいいぜ。多分だけど、そいつはダークエルフの類いだと思う。俺も抱きつかれたんだ。精気を吸ったり、人を不幸にしたくてそんなことしてくるんだ。下手すると死ぬぞ。近寄らない方がいい」


 ダークエルフ。そんな空想上の生き物が、今腕の中にいる。やっぱり夢かな?やけにリアルだ。


 その時、左の手からアーガの葉がぽろりと落ちた。


「これがリジンの終わり。すぐには次のリジンはできない。レベルや体調によっても変わるけど、まあ二、三時間は無理かな。でも初めてなら長い方だ」

「ふーん……」


 志路は改めてアーガの葉とやらを眺めた。



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