光のエイダン
西の塔の中の生活は割と快適だった。
食べ物も決まった時間に食堂に行って待っていれば勝手に出てくる。服も召使いらしき人々が回収して綺麗に洗濯してくれる。風呂だって温かいお湯の張られた湯船に浸かることができる。シュトロウたちとの時はたらいみたいな桶に、申し訳程度のお湯を入れて入るしかなかった。
ダイワは毎日朝から晩まで訓練場にいるが、シロはそういうタイプの印じゃない。文句なしだ。ただ退屈だった。暇にあかせて、試しに死んだ人たちのアーガの葉をリジンしてみたが、シルシが薄くなっているのはどんな能力なのかほとんどわからなかった。濃いのはまだわかるけど、リジンは短い。5分持つかどうかだ。でもお陰でもう一回りシルシは育った。
ネリはしばらくは小学生サイズだったが、心配になって様子を見るようにしていたら、いつのまにかまた少しだけ大きくなった。なんなんだろう。あの大きくなったり小さくなったりするのは。
それでも、ネリがそばにいるというのはかなりシロの支えになっていた。シュトロウを裏切って、ノアを裏切って、あんなに世話になった町から逃げ出してもネリはついてきてくれた。一人じゃないと思えた。ダイワと同室なので、彼が部屋にいる時はネリに構わないようにしていたが、二人きりになるとシロはネリに話しかけた。ネリもたいていは相変わらずシロの後を追うようにそばにいた。
その日は朝から兵舎(シロたちのいる宿舎のようなところは、本来は新兵たちが研修みたいなことをする兵舎だったことがわかった)がざわざわしていた。役人風のやつらがあっちこっち走り回っている。
「なんだろう?」
「さあ。練習場に行きたいんだけどな」
ドンドンと二人の部屋のドアが叩かれ、開けると公務員的な小男が、「本日国王とエイダン様が視察に来られるので、練習場に集まること」と言った。一室ごとに回っているらしく、足早に次の部屋へと向かって行く。
「えー。行きたくないな……」
「どうしてだ?近衛兵にでも取り立てられたらいい暮らしができるぞ……まあ、お前の能力は変わり種だからな。それでも今のガルド以外の街にいるより相当ましだ」
「そんなにひどいの?」
「ひどいね。食べ物も高くなったし、かといって野菜は育たないし……ガルドにいれば物が集まってくるから、気にならないかもしれないけど。ちょっと小さな町や村じゃ、今は生きてるだけで精一杯だよ」
「光のエイダンが国を良くしてくれるんじゃね?いるんだろ?」
「さあ。いつからいるんだか知らないが、むしろここ最近おかしくなってるけどな。ほら、行こう」
ダイワに促されて一緒に練習場に行く。数百人はいるだろう、能力もちが勢揃いしている。こんなにいるんだ。
「謁見である!跪きこうべを垂れよ!」
ひときわ煌びやかな鎧を纏った男が、練習場の前のスペースのど真ん中に立って、手に持った槍の柄で床を突きながら叫んだ。一斉にそこにいた人々が床に膝をついたので、シロも慌ててそれに倣う。何人かがぞろぞろと練習場に入ってくる。ちらと目を上げると、毛皮に縁取られた長いマントのはしと、それに続いてヒラヒラした薄い長い服の裾が見えた。
「面をあげい!」
また槍の柄ががんと音を立てる。周りを見ながらおそるおそる顔を上げる。そこには、いかにも王様といった感じの、王冠を被り口髭を生やした男と、昔教科書で見たローマの誰かみたいな、布をたっぷりと使って幾重にも重ねた服を着た細身の男が立っていた。
「マイダス・ラニア・ギリアス・サディアス・ガルドリアス・アーガ国王陛下と、光のエイダン、ネネリオ様である」
ネネ……リオ?やっぱりネネリオなのか?
シロは目を見開いてその男を眺めた。気持ち茶色がかった黒髪。黒い目。たしかに今時の、整った日本人の顔立ち。もう一人の召喚者。国王が口を開いた。
「この度は、有能な若者が集まったと聞いている。この国は、皆知っての通り、危機に瀕しておる。光のエイダンと共に危機を救ってくれるよう尽力して欲しい」
次にネネリオ……光のエイダンが話し出した。
「私は光のエイダンです。伝説にある通り、この国を救いたいと考えています。どうか私に力を貸してください、各地の勇者たちよ!」
どこからか拍手が沸き起こった。心掛けが違う……。いきなり国を救えと言われて、こんなに自信満々に受け入れられるやつもいるのか。さすがだよな。俺みたいな、悪いことしかしてこなかったやつとは根本から違うんだろう。ネネリオは続けた。
「この中にもう一人のエイダンがいるはずです。私はその人とも力を合わせたいのです。どうか名乗り出てください」
どきっとした。力を合わせたい?嫌だ。無理だ。ここでこのまま呑気に暮らしていたい……。シロはさっと視線を下げた。ネネリオは跪いて控えている能力もちたちの間をゆっくりと歩き始めた。探している?やめてくれ。先日の馬場での声が聞こえてしまったんだろうか。白い長い服の裾が目の前で止まった。
「君」
顔を上げたくない。
「顔を見せて?黒髪だけどスパダの人じゃないよね?」
固まっていると、近衛兵から槍の柄であごを上げさせられた。
「日本人だろ?見つけた。もう一人のエイダンだね?」
頷くこともできずにネネリオを見上げた。ネネリオは自信たっぷりに微笑んで、後ろから金魚の糞みたいについて歩いている召使いの男に「この人を北の塔に」と言った。
近衛兵に腕を掴まれて、まるで捕まったみたいに追い立てられて部屋を出た。ダイワが不安そうに俺を見ていた。そのまま、先日城の中をフラフラしていた時に入ろうとしてめちゃくちゃ怒られた扉の向こうに通される。両側に衛兵がいる塔の方だ。北の塔の中なんだ。広い洋室の椅子に座って待つように言われ、一人残された。
不安でそわそわしていると、ふらっと小さな影が部屋に入り込んできた。
「ネリ」
ネリは当たり前のようにすっと膝に乗る。まだまだ小さい。まるで子ども。それでも知った顔を見てほっとする。この国の人は無視するけど、ネリがいないと落ち着かなくなってしまった。ぬいぐるみか枕のようにネリを抱いて待っていた。やがて扉が開いた。
「やあ。探していたよ、もう一人のエイダン」
彼は「もう一人のエイダン」というところを歌うように言った。ネネリオ……。屈託のない笑顔。
「この間、壁の向こうで叫んだでしょう?ネネリオ!って。あれで、俺のチャンネル知ってる人が来たんだなって思ったんだ。でもなんで能力もち枠で来たの?エイダンだって言ってくれればさ」
「……」
「あ、びっくりしてる?だよね。俺もびっくりしたんだ!俺はさ、ガルドの街のど真ん中に急に飛ばされて来たんだ!家で新曲のリハやってたのに。持ってたスマホもないし……半年くらい前かな?予約更新かけてたけど、さすがにもうチャンネルの更新止まってるよな~。あ。ごめんね。俺おしゃべりなんだよ。こんな話こっちの世界の人にできないでしょ。とにかく誰かと話したくて」
ネネリオがぽんぽんと手を叩くと、メイドたちがものすごくピカピカした、おもちゃみたいな、とても実用とは思えないようなティーカップを並べて紅茶のような飲み物を注ぎ、こっちの世界に来てから一度もお目にかかったことのない、ケーキに似た華やかなお菓子を運んできた。
「ほんとに。探してた。ね。名前を教えてよ。友達になって欲しいんだ。寂しかったんだよ」
「ネ……ネネリオ……なの?ほんとに?あの……『ペシミスティック・ストラテジー』とか、『未来への言い訳』とか」
「そう!すごい、ほんとに聞いててくれたんだね!」
信じられない。あの、毎日毎晩聞いていた、正体不明のウーチューバーボーカリストが。
「名前は?君はどんな能力があるの?どこにいたの?」
「俺は山口志路。歌、すごい聞いてた。本人に会えるなんて……」
ネネリオは近くで見ると細面の美青年だった。ひらひらした変な服もおかしく見えない。どうして顔出ししないのか不思議になるくらいに。