表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の仕立屋  作者: 翠乃ねぎ
7/24

竜のための仕立屋

「よかったわ、本当に急ぐものではないから、マリーの気が向いたときにでも仕上げてちょうだい。連絡をもらえたら、いつだって取りに来るから。……あ、でも、次の冬には使えるようだと助かるわ」


 最後には悪戯っぽい笑みを浮かべて言ったグウェンリアンが、はたと思い出したようにトウマを見た。


「そうそう、忘れる前に。妹たちから、新しい鱗を預かってきておりますの。良ければ新しいストールも、これで仕立ててもらえれば」

「あー……そう、か……」


 何故か困ったような声を出したレグラスに構わず、頷いたトウマが背負っていた袋から小さな箱を取り出す。青い布張りの小箱には、粒こそ大きくないが美しくきらめく青玉がはめ込まれていた。グウェンリアンがそれを開けて、レグラスに差し出す。何故か眉を下げたままのレグラスが受け取った小箱の中を、マリーアンは好奇心に負けて横から覗いた。

 それはきらきらと光る白いものだった。一瞬宝石か何かかと思い、けれど形状から違うと思い直す。マリーアンの掌ほどの大きさをした、まるで魚の鱗のような形の白いものは、どうやら板状で小箱の中に何枚かまとめて入れられているようだ。光の加減で青みがかって見える色合いは、どこか目の前の女性そのものを連想させて、正体はわからないが綺麗なものだなと思う。


「その様子だと、竜の鱗を見るのは初めて?」

「……え?」


 なんてことはないように――それこそ、初めて行った食堂で「シチューを食べるのは初めてかい?」と聞いてきたペチカのような気安さで――言ったグウェンリアンに、マリーアンは顔を向ける。予想通り至って普通の顔をしていた彼女は、マリーアンの戸惑いに気づいたのか、不思議そうに首を傾げて見せた。


「竜の鱗よ。加工したものならここにたくさんあるけれど、加工前の現物を見るのは初めてかしら? これはね、わたくしのものではなくって、妹たちのものだから少し小さいの。あっ、もちろん無理に取ったりはしていないわ。剥がれたものを取っておいてくれたんですって」

「い、いも……え? りゅう、が、いもう、と……りゅうが……えっ?」


 りゅうのうろこよ。いもうとたちのものだからすこしちいさいの。

 到底飲み込みきれないグウェンリアンの発言が、マリーアンの頭の中をぐるぐると回る。どういうことか聞き返したくて口を開いたが、出てきたのは文章にすらならない単語の切れ端だけだった。混乱しきりのマリーアンを見、逆に驚いていたグウェンリアンが、はっとしたようにレグラスを見る。その目が一気に厳しくなって、氷のように冷えた声音がレグラスを打った。


「もしかして……レグラス様?」

「……いや、……その、……すまん」

「あ……あ、あなたはまたそうやって、大事なことを……!! もう、どうしていつもそうなのです!! リンのときだって、あんなに怒られたというのに!!」

「ち、ちが、違うんだグウェン! きちんと、マリーには自分からきちんと話すつもりでいるんだ! だがその、タイミングというか、その」

「何が違うと言うのですか!! マリーと共に暮らすと決めたのはあなたの方なのでしょう、ならば隠し事などせずきちんとお話しなさいな!! マリーに失礼でしょう!!」


 ぴしゃりと言い切られてぐうの音も出ないらしいレグラスに、マリーアンは慌てた。なおも鼻息荒く――彼女のような淑女に対して思うべきことではないのだろうが、困ったことにまさに今グウェンリアンの鼻息は荒いのだ――言い募ろうとするグウェンリアンの前に両手を出して、止まってくれと態度で示す。


「ま、待って下さいグウェンリアン様……!」

「グウェンで構いませんし敬語もいりません! 駄目よマリー、甘い顔をしては! レグラス様は本当に懲りないんです、いつもこうやって――」

「あの、いいんです! 私は、先生が言いたくないことを、無理に聞こうとは思いませんから!」


 二人の会話から、レグラスが自分に対して何か重大な隠し事をしているのだということは理解できた。そしておそらく、それは竜にまつわることだ。竜に対して思い入れのあるマリーアンとしては、隠し事の内容が気にならない、といえば嘘になる。第一にして、こうして一緒に暮らしている相手が、他の相手には言えるけれど自分には言えない、ということを抱えているのはあまり気分が良くないものだ。たとえその「他の相手」が、旧知の仲であったのだとしても。

 けれど、あの冬の夜にずたぼろだった自分を助け、今日まで守ってくれた彼が、それを自分に明かさないと決めたのならば。

 マリーアンは彼の決断を、何よりも尊重したかった。


「……マリー、俺は」

「いいんですよ、先生。先生が私に話さない方がいいと思ったのなら、それでいいんです。無理に話そうなんて、思わないで下さい」

「マリー……」


 虚を突かれたような顔をするレグラスに、笑いかける。

 安心して欲しい。わかって欲しい。言わなくても大丈夫なのだと、知って欲しい。

 精一杯の思いを込めて、言葉を紡いだ。


「私は先生のこと、信じてますから」

「……、……ありがとう……」


 しかし意外なことに、レグラスから返ってきたのは深い深いため息だった。何か間違ってしまったかと、マリーアンは慌てて彼の顔を覗き込もうとする。しかしうつむきかつ両手で覆われてしまえばその表情をうかがい知ることも出来ず、ならばとグウェンリアンを見れば彼女は半眼でレグラスを睨み付けていた。美人が怒ると怖いものなのだな、と思っていると、もう一度深く息を吐いたレグラスが顔を上げる。


「いや、すまないグウェン。俺が馬鹿だった」

「わかれば良いのです。レグラス様は本当に、こうしたことに関してはほんっとうに馬鹿ですので、今度こそゆめゆめお忘れなきよう」

「ぐ、グウェンリア」

「グウェンと呼んでちょうだいマリー」

「うぐ……ぐ、グウェン……さん……」

「グウェン」

「ぐ……ぐ……うぅ、グウェン……」

「ええ、なぁに?」


 どうしても敬語と敬称を許してはくれないらしいグウェンリアンに、マリーアンは彼女の名前を呼ぶだけでものすごい緊張を強いられてしまったが、答えた方の彼女はおよそ先程までの冷たさが欠片もない、春の日差しのように暖かな微笑みを浮かべていた。とりあえず機嫌が直ってくれて良かったと思いつつ、


「あ、いえ、あの……せ、先生は、馬鹿では、ないと、思って」

「すまん、いいんだマリー。この件に関しては、多分全面的にグウェンが正しい」


 恐る恐る意見を述べれば、何故かレグラス当人からそれを否定されてしまった。

 見れば丸眼鏡の奥、金を帯びた琥珀色の瞳がどこか申し訳なさそうに、マリーアンを見つめている。


「言い訳になるが、君に隠しておこうと思っていたわけじゃないんだ。ただ、本当にきっかけがなかったというか……いつかは君に話そうと思いながら、ずるずるとここまで来てしまった。……だからその、もし良ければ、このまま聞いて欲しい」

「は、はい」


 座るように促されたことでつい立ち上がっていたのに気づき、マリーアンは慌てて椅子に腰を下ろした。レグラスは残り少なくなった茶で口を湿らせてから、言葉を選ぶようにして口を開く。


「さっきグウェンも言ったが……、彼女の妹は、竜だ。そしてもちろん、彼女自身も。信じがたいかもしれないが、隣にいるトウマもそうだ。二人はシーフォリアに住む、竜なんだよ」


 マリーアンは改めて、グウェンリアンとトウマを見る。

 これまで出会ったことがないほど見目麗しい女性であることを除けば、グウェンリアンはただの、品の良い女性である。トウマとて、彼女の護衛として付き従っている男性、と紹介されれば何の違和感も抱かないだろう。要するに、二人とも見た目はただの人間なのだ。


(なのにこの二人が、二人とも竜だなんて……)


 彼らが竜だと、もしも別の人間から聞いたらどう思っただろう。あるいはレグラスがここにおらず、偶然に出会ったグウェンリアンからこの話を聞いただけだったとしたらどうだろう。

 きっと、表向き納得したように頷いても、心からは信じられなかったに違いないとマリーアンは思う。自分がそれを信じる気持ちになったのは、あの鱗を見せられたこと、そしてレグラス自身がそう告げてきたからだ。


(そう、私は先生を、誰より信じているんだもの)


 市井の常識を知らなかった自分を馬鹿にすることなく、今日までひとつひとつ教え育ててくれた彼の言葉だから、どんな荒唐無稽なものでも信じられる。たとえこの先に続く言葉がなんであれ、それすらも信じると決めているのだ。

 だからマリーアンはただ頷いて、彼の言葉を待った。

 レグラスは少しだけ言い淀んでから、音を選ぶようにゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「それから……な。俺も、そうなんだ、マリーアン」

「先生、……も……?」

「ああ。こうして人の姿をしてはいるが、俺もまた彼らと同じく、竜なんだよ」


 竜、といえば。

 存在こそ広く知られているものの、実際に出会ったことのある者はとても少ない、というのが通説だ。

 たとえばそれは一国の王。竜の方から住み処を構える報告に、会いに行くことがあるとも伝えられる。

 たとえばそれは世界を旅する冒険者。竜に出会った、戦った、巣を見つけた、などは彼らにとって喧伝する価値のある武勇伝だ。

 けれど言うまでもなく、大多数の一般庶民にとってそれはもはや別世界の話である。だから竜を描いた物語は数あれど、竜に出会ったという人間のほとんどが、嘘を吐いているだけだとさえ言われるのだ。だから「踊る小熊」亭の三老人も、女将からほら吹き認定されている。そういう扱いの生き物なのだ。

 グウェンリアンとトウマはまだ良かった。彼らは別の国に住まうものたちで、その正体がなんであれ、ある意味こことは違う世界の存在だ。だから竜だと言われても、正直マリーアンとしては「すごい」以外の感情は抱かなかった。

 しかし、これまで三月の間寝食を共にしてきたレグラスが、竜だと言われて。

 マリーアンの思考回路は、許容量を超える情報に飲まれ、ただ呆然とするほかなかった。


(りゅう。りゅう。せんせいが、りゅう? あの、仕立屋の絵本に出てきた、大きくて翼のある、あの竜なの? でも先生はこれまで一度だって、私の前で翼も尻尾も見せなかった。手に大きな爪だって生えていないし、腕に鱗もない。でも先生が言うんだから、先生は竜なんだわ、だって先生が、先生を竜だって言うんだもの。だから、うん、先生はやっぱり、竜なんだわ……)


 混乱した頭の中を駆け巡る混沌とした思考に身を任せていると、レグラスはそれをどう思ったのか頭を下げてきた。


「が、がっかりしたよな? すまない、君を騙すつもりはなかったんだ。ただその、絵本の『竜の仕立屋』の話を、あまりに君が嬉しそうにするものだから言い出しづらくて……」

「……?」


 何か不思議な言葉が聞こえた気がして、首を傾げる。


「俺がグウェンたち竜の服を作っていることは、遅かれ早かれわかることだと思っていたんだ。ただ、その時に俺が『人間である』ほうが、あの物語には沿うよなと……君の期待に、多少なりと応えられるんじゃないかと、思ってしまったんだ。そうしたら、言い出しづらくなってしまって……」

「……、……えっ、先生が私に竜だと明かさなかった理由って、もしかして、そういう」

「ん? ああ、そうだよ。それで言い出しづらくなって、今日までずるずる来た」

「……」

「いや、本当にすまん! 素直に最初から話しておけば、期待させること自体なかったのに……結果として君の期待を裏切る形になって、面目次第もないというか」


 何を言っているのだろう、とマリーアンは首をひねった。

 テーブルの向こうに視線をやれば、呆れた顔のグウェンリアンと、先程からまるで表情を変えないトウマが見える。


「ね、マリー、わかったでしょ。レグラス様はね、昔から、こう……なんていうか、肝心なところが、ずれてるのよ」

「昔から?」

「昔からよ」

「ずっと?」

「ずっとよ」

「な、なんだ? 何か変なことを言ったか、俺は?」


 焦ったように自分とグウェンリアンとを交互に見るレグラスの姿に、マリーアンはおかしくなってつい吹き出した。少しの間があってから、釣られたようにグウェンリアンも笑い出す。その隣でトウマが顔を背けた。一人取り残された形になり、レグラスがますますきょろきょろと自分以外の三人を見る。


「なんだ!? どうして三人とも笑ってるんだ!? おいトウマ、お前まで笑うことはないだろう!」

「いえ私は笑ってなどおりません。常日頃から感情を抑える訓練をしておりますので」

「思いきり失敗してるだろうがその訓練! こっちを向け! 笑ってるのはわかってるんだぞ!」

(ああ、なにも、変わらないんだ)


 竜でも。

 人でも。

 こんな風に笑って話して、毎日ご飯を食べて、お茶を飲んで、起きて寝て。

 だったら、何も変わることはない。

 これまでと同じように、一緒にいれば、それでいいのだ。


「グウェン、お茶のおかわり、いかがですか?」

「まあ嬉しい、とても美味しいお茶だったから、もう一杯飲みたかったの。ありがとう、マリー」

「良かったです! トウマさんはどうします?」

「では、ありがたく」

「はい。先生は?」

「……、……俺も貰うが……、マリー、その」

「いいんですよ」


 もの言いたげなレグラスの目を見返して、マリーアンは微笑んだ。


「先生が竜でも、人でも、他のなんでも……私にとっては、変わりません。だって先生は、いつだって私を助けてくれる、大事な『先生』なんですから」


 自分にとって大切なことは、ただその一点だけなのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ