16.芋虫とキック
その頃、賢吾はようやく意識を取り戻していた。
「…………あ。ここ、は?」
「よかった、目が覚めたんですね」
気絶から目覚めたと思ったら、体中が痛い。縛られているし、手当てもされていない。血塗れのシャツが乾いて引っ付き、身動ぎすると痛かった。
「どうなった? 俺はどのくらい寝てたんだ」
「そんなに長い間じゃありません。せいぜい五、六分でしょう。賢吾さんが殴られて気絶した後は、私たち、縛られて放置されました」
「いや、知りたいのはそういうんじゃなくて……」
淡々と事実を告げる晶。だが、賢吾が知りたいのはそこではなかった。それは彼女もわかっているのか、賢吾から目を逸らし、悔しげに話し始めた。
「人質たちは全員、このスタジオに集められています。でも、私が来たときにはすでに明日菜はいませんでした。……連れて行かれたんです。あいつらに」
「何の、ために……?」
「叔父の話では、武装強盗たちは散り散りに撤退する予定のようで、明日菜は追跡の手を遅らせるための人質に……。ここにいる男たちも、直に退くでしょう。そのとき、私たちが無事かどうかはわかりませんが」
「そうか」
平静を装いながら怒りを殺せていない晶の気迫に、賢吾は一言返すのがやっとだった。しかし、彼女が今にも立ち上がって男たちに向かっていきそうなので、無理やり会話を続けることにした。
「落ち着け。取り合えず今は無事を祈るしかない。それに俺たちが焦ったら終わりだろう」
「でも……!」
俯いた晶の目から、ポロポロと透明な雫が落ちていく。
「このままじゃ、明日菜が……! 私、何もできなかった。私がもっと強ければ、あのとき、明日菜を連れて行かせたりなんかしなかったのに!」
「自惚れるな」
「!」
賢吾の言葉に晶はハッと顔を上げた。自分よりも強く、あの武装した男たちに勇敢に立ち向かい渡り合った、彼の表情はとても厳しかった。
「どんなに技を磨いても、どんなに強くなっても、勝負に絶対なんてない。ましてや、飛び道具を持った相手だ。勇気と無謀は違うんだぞ」
「でも……!」
反駁しようとする晶に、賢吾はさらに言葉を重ねた。
「自分の命をもっと大切にしろ。あの子を助けるために無茶をして、万が一があってみろ、残されたヤツの気持ちはどうなる? あの子だって、自分を助けようとして君が死んだら、いたたまれないだろうよ」
晶は黙り込んだ。彼女の脳裏には、今も助けを求めて心細い思いをしているに違いない、いとこの明日菜の姿があった。同時に浮かんでくるのは叔父の顔、両親、祖父母。そして恋人である流の怒っている顔だった。
(そう、きっと流は怒ってる。私が無茶をしたから)
晶はそっと目を伏せた。
彼女はその出自、そしてその容姿から、危ない目には何度もあってきた。その騒動に流を巻き込んでしまったことも一度や二度ではない。だからこそというのか、彼女の価値観は一般の高校生とは違うものになっていた。
「たとえそうなったとして、私は後悔しません」
「……何?」
「私が死んだら、家族や友人は悲しむでしょう。でも、それは明日菜も同じです。何もせずにいて彼女を喪ったら、私はきっと後悔する……。『あのとき動いていれば』なんて、そんな思いを一生抱えて生きていくくらいなら、失敗してもいい、今動きます」
「そうか、わかった。いや、わかったけど今は動くな」
晶の真剣な目を見て賢吾は頷いた。が、すぐにそう付け足した。
「少しは機を見計らってくれ。犬死にはご免だ」
「ふふ。わかってますよ。勇気と無謀は違うんですものね」
「本当にわかってんのかよ」
微笑む晶に賢吾は呆れて言った。
「きっと流が……」
「美智子が……」
と、同時に続けて、今度こそふたり顔を見合わせてニヤリと笑う。
「待ちます。私」
「ああ。そうだな」
そして彼らの希望はすぐに叶った。けたたましい火災ベルが鳴り響き、武装してスタジオに立てこもっていた男たちが慌てふためく。いい具合のパニックだった。
「火事だ!」
「いや待て、本当か!?」
スタジオの分厚い扉の外では、流と美智子が影に隠れるようにして待機していた。流の手には消火器がある。カチャカチャと手際よく準備していく流を見て美智子がつぶやいた。
「なんか、やけに手慣れてない? 英語は得意じゃないって言ってたのに」
「コイツには人生で五回ほど世話になってるんだ。二種類は扱ったことあるし、言葉は違っても勘でわかる」
「へぇ〜。修羅場くぐってるんだ」
「人に向けたこともあるぜ。晶のやべぇストーカーに実力行使したときとかにさ! よし、OK」
セットを終えた流が親指を立てる。後は男たちが出てくるのを待つだけだ。美智子と流は扉脇に立って機を窺った。
「ねぇ、流くん。やっぱり私が開けましょうか?」
「いんや、待とう。危ねぇもん。だいじょぶ、すぐだって。……ほらな!」
「なっ、お前ら! うげぇあ!!!」
開いた扉から出てきた男たちに向かって、流が消火器の中身をぶちまける。美智子はその隙にゴッソリ中へと侵入した。
突然のことに驚いたのは武装強盗だけではない。人質たちも同じだった。手は後ろで縛られているものの、足は自由である人質たちは早くここから脱出しようと立ち上がる。そしてそれを無理やり抑え込もうとする武装強盗たちの間で、スタジオは悲鳴と怒号とにあふれかえった。
晶はすぐに「これはチャンス」だと確信した。素早く立ち上がり、まずは一番近くであたふたしているテロリストの持っているマシンガンを、とび膝蹴りで叩き落としてから顔面への回し蹴りでノックアウトした。
「おい、手も使えないのに……」
「私の主体は足ですから。そのロープ、解いてあげられないので、転がって隅にでもいてください!」
「お、おう……」
パニックになっている状態を利用しようにも、まずはロープをそれぞれほどかなければならない。芋虫状態で援護もできず、せっかくのチャンスなのにそれを活かせない焦りともどかしさが賢吾の心を支配し始めた頃、タタタッと走り寄って来る二つの影があった。
「賢ちゃん、今助けるわ!」
「美智子!」




