1.短い春休み
期末テストが返却されると、気分だけはもう春休みだ。進級も危うげなく決まり、もうすぐ喜ばしくも哀しい受験生である。
クサクサした気分を晴らすべくコンビニまでアイスを買いに行っていた新島 流は、さっそくその帰り道にすべて腹の中に収めてしまった。
「やっぱ二つ買うんだったかな」
帰ってみると、母親が珍しく紅茶を淹れていた。流はそれを横目にゴミを捨て、二階の自分の部屋に戻ろうとするところを、母親に呼び止められる。
「流、これ持っていきなさい」
「はぁ?」
押しつけられたお盆の上には紅茶のカップが二つ。
「今、晶ちゃんがアンタの部屋に来てるから」
「はあっ!?」
晶は流の幼馴染みでカノジョである。色白の細身に整った顔がバランスよく乗っかっていて、黒くて細い髪の毛はショートカットに整えられている。おっとりした上品な顔が、笑うと少し子どもっぽくなってカワイイ。
才色兼備、大和撫子、文武両道と天から二物も三物も与えられたとはこのことだ。しかしそれがたゆまぬ努力の賜物であることも流は知っていた。
そんな晶が特に取り柄のない自分の恋人である事実を、流は誰にも打ち明けていなかった。もちろん、家族にもだ。
それなのに、なぜ、自分が知らない間に家に来ていて、しかも自分の部屋に通されているのか。まさか晶が打ち明けたのか、と流は背中が汗ばむのを感じながら問いただす。
「……何でオレの部屋に上げんの?」
「いいじゃないのべつに。何かあるの?」
「……ないけどさぁ」
自然と口が曲がって憮然とした表情になる。気のない返事をしながら、流は心の中で叫んでいた。
(ずっりぃ! これ何かあっても「ない」って答えないと詰むヤツじゃん。オレのプライバシーはどこに行ったよ!?)
年頃のオトコの心ってヤツを女はまったく理解していない。通す母親も母親だが、言われるままに部屋に上がる晶も晶である。どうせ待つなら母親とおしゃべりでもしていればいいものを、と流は思ったが、それはそれで自分の不利になるような情報ばかりやり取りされてしまいそうだとも思い直す。
流は釈然としないまま二階に上がり、ノックせずにドアを開けようとして、お盆が邪魔になって苦労した。
「くっそ、この……」
何とか部屋に入ると、床の上にはついさっきまでなかったラグがある。おそらく晶が勝手に持ってきて敷いたのだろう。ちゃっかりしていることだ。そして、部屋の主の帰還に対し、ラグの上で寛いでいた闖入者は、流を見上げて笑った。
「流!」
「おう…。何か言うことないの?」
「お邪魔してます」
そう言って頭を下げる晶は素直で礼儀正しく、可愛い。
流は心の中に湧くモヤモヤが霧散していくのを感じた。なんやかやと思うところはあるものの、自分の部屋にカノジョと二人きりという状況は、そんな小さな不満など掻き消してしまうほどの高揚感を流れに与えていた。
しかも、今日の晶はいつも見ている制服ではなく私服姿なのだ。白いワンピースに薄手の長袖カーディガンを羽織っている。ちょっと、いや……だいぶまな板だけど、その分、この位置からならブラが見えそうで……見えなかった。
「紅茶、流も飲むの?」
「へっ!?」
無言で晶の胸元を覗き込んでいた流は、その言葉に飛び上がった。晶がちょこんと首を傾げる。
流は晶の横に腰を下ろしながら、お盆をローテーブルの上に置き、そのまま晶の前へと押しやった。
「ん〜。オレはいらねーや。晶にやる」
「ありがとう」
「んで、何の用?」
学校外で晶と会う機会というのは、本当に少ない。それは晶が茶道部の活動以外にも、護身術を習っていたり生徒会の活動で忙しいというのがまずひとつだ。
そして、普段のやり取りはほぼすべてスマホで済んでしまうというのもある。それに何より、二人は恋人関係を秘密にしているのだ。コソコソ隠れて会っていたりしたら、すぐに事実がバレてしまう。
そんな中でわざわざ家まで押し掛けてきた、それには理由があるはずだ、と流は思った。しかし晶はむっとした表情を作って言う。
「メッセージ入れても電話しても出ないんだもの、やっぱり、スマホ見てなかったのね」
「えっ」
「だから来たの」
「う、う〜ん」
そう言われてしまうと流は弱い。実際、スマホは放置したままでコンビニに行ってしまったし、そもそもその前に確認すらしなかったのだから。
そんな流の様子を見て、すべてを察知した晶は、それを責めたりせずに用件を話し始めた。
「流、パスポートを失くしてたりしないわよね? 期限がまだあるのは知ってるけど、ちゃんと保管してる?」
「はぁ?」
「イトコからアメリカ旅行に誘われてるの。あちらのお友だちは予定があるから無理なんですって。それで、女の子二人じゃ心配だから、流が付き添ってくれるなら良いってお母さんが言うから……」
「ちょ、ちょっと待った! え? アメリカ? オレも来いってこと?」
「そうなの。春休み、一緒にハリウッドに行きましょう、流」
「え〜〜〜〜!」