ルナティック(三十と一夜の短篇第64回)
少女は物置に隠れていた。日は高く昇り切り、すでに午後の空を転がり落ちつつあった。
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男は命乞いをする女の顔をサイレンサーをつけた九ミリ・グロックで至近距離から撃った。
女が倒れるより先に銀色の空薬莢が薬室からはじき出され、きらりと光った。
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少女は母の命乞いをきいていた。父の命乞いもきいていた。祖父の命乞いもきいていた。妹の命乞いもきいていた。
だが、弟の命乞いはきかなかった。弟は命乞いをしなかった。弟はほんの赤ん坊だった。
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男の顔は疲れ切っていて、誰かを殺すたびに焦燥感を覚え、イライラと舌打ちをした。この暑い日に黒いセーターに黒いコート、まだ三十代になったばかりだろうに少し長めの髪は色が抜けたように不健康な白だった。ひと仕事終えたと思い、土足で廊下を歩くと、木彫りのヒグマや日本人形を飾ったガラスケースと一緒に写真立てが目に入った。
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少女の隠れている物置は二階にあった。
隠れるとき、かすかに開いたドアからはがれかけたガムテープを引っ張って、段ボール箱で入り口を塞いだ。
少女は自分以外の家族のことを思うと、しゃくりあげたくなるが、そのたびに口を強く押さえ我慢した。
あの殺し屋がまだ家のなかをうろついている。間違いない。そう思っていた。
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幸せそうな家族の写真。
祖父、父、母、ふたりの娘、生まれたばかりの赤ん坊。
ふたりの娘――だが、男は娘はひとりしか殺していない。
隠れている。男は舌打ちして壁を蹴った。
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蹴られた壁の真上に少女の隠れる物置があった。
少女は死ぬほど驚かされた。
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家じゅう探したが、中学生くらいの少女が隠れられるような場所は見つからなかった。
日が西の空へ落ちつつある。男は髪をがりがりかき乱し、舌打ちをした。
そして、壁を蹴とばした。すると、フローリングの延長のようなデザイン性皆無の安っぽい板壁が開き始めた。
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少女は身を縮ませた。
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それは隠し通路の入り口だった。男は銃のスライドを少しずらした。銀色の実包が薬室に装填されているのを確認すると、その暗い通路をゆっくり進んだ。さほど長くない廊下で終わりには段ボール箱が積んである。男はその段ボールを引っ張ってどかした。小さな扉があらわれた。
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少女は震えながら祈る。
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扉のむこうから冷気が流れ、少女の目が男を見つめる。凍りついた生首の切断面は何かに食いちぎられたようだ。首だけではない。手足もある。全てが少女のものではない。明らかに成人男性の部位もある。おそらくこの秘密の冷凍庫には五人か六人分の死体が入っている。
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少女はまだ生きていた。
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男はドアを乱暴に閉めて蹴とばすと、また舌打ちをした。
狭い隠し通路から一階の、玄関とリビングを結ぶ廊下に戻る。
そこで思い出した。二階にも同じように段ボール箱が積まれた部屋があったことを。
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太陽は町外れのふたつの山のあいだに沈み、空は昇る満月に譲られつつあった。
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そのころ、N県警に通報があった。通報したのはブドウ園の持ち主で、知り合いの農家を通りがかった、様子が変で、人の悲鳴がきこえたというものだった。
連絡があり、ふたりの婦警、大宮巡査部長と佐原巡査がその問題の農家へと車を走らせる。
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段ボール箱をどかし、あらわれた小さな扉を開けると、少女が男にぶつかった。男はひっくり返って壁に頭をぶつけながらも、なんとか身を起こし、少女の背中めがけて撃った。
くぐもった銃声と同時に柱が鋭い木っ端を飛び散らせ、少女の頬を切る。
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少女が転がり落ちるように階段を降りると、くじいた足首に歯を食いしばらせながら、外に出た。
そのとき、背後から飛んできた無音の弾丸が少女の右足を貫いた。
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男は泣き叫ぶ少女のそばまで歩くと、大きな穴が開き、どくどく血を流している脛を踏みつけた。
まるで野獣のような悲鳴が上がり、男はまた撃つが、弾のない銃はカチンと硬質な音を鳴らすだけだった。
空を見上げると、既に夜で満月が昇っている。
男は舌打ちして、新しい弾倉を取り出すと、空の弾倉を抜いて、銃に差し込んだ。
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「銃を捨てなさい!」
大宮巡査部長が銃を構えたまま叫んだ。その横では佐原巡査がやはり銃で男の胸を狙っている。
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サイレンサーをはめた銃口は少女でも婦警でもない中間の位置を向いていた。
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最初に撃ったのはまだ新人の佐原巡査だった。
指が震えていたのだ。
それに釣られる形で大宮巡査部長も発砲し、男は倒れた。
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大宮巡査部長は男のほうへ銃を構えたまま近づいて銃を蹴り、仰向けに倒れた男を調べた。
ふたりの撃った弾のうち一発は男の胸を、もう一発は男の額を貫いていた。
手には破壊された銃(どちらかの弾が銃にぶつかり弾道が頭部へと跳ね返ったのだ)を持ち、仰向けに倒れ、何か信じられないものを見たような顔で死んでいた。
壊れた銃から零れ落ちたのだろう、銀色の実弾が三つ転がっていた。
本物の銀でできていた。
警察学校で見せられた銃弾はたいてい真鍮のような金色をしている。
銀の弾丸などきいたことがなかった。
男のタートルネックの首に何かが光った気がして、それを引き出すと、小さな銀のチェーンに吊るされた小さな銀の十字架があらわれた。
そのころ、佐原巡査が少女を抱きかかえもう大丈夫だから、と必死になだめている。
「お父さんとお母さんが……みんなが……」
「まだなかに家族がいるの?」
少女は泣きじゃくり何度もうなずく。
「先輩、わたし、見てきます」
単独行動するな、という大宮巡査部長の静止を振り切って、佐原巡査は家のなかに入った。
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裏庭で祖父、台所で父と妹、客間で母が殺されていて、そして弟は古井戸に捨てられていた。
「ひどい……」
佐原巡査は大宮巡査部長のもとに戻ろうとしたが、そのとき玄関とリビングを結ぶ廊下に半開きになっている隠し扉に気がついた。
もしかすると、まだ生存者がいるかもしれない。
だから、その通路の奥にあるものを見つけたとき、佐原巡査は慌てて逃げだし、廊下で吐いてしまった。
あの男の仕業だと咄嗟に思ったが、それでは理屈が通らないことに気づいた。
ここはあの少女と家族の家なのだ。
それがどうして、あんなものを隠して持っているのか?
「先輩、なにかおかしいです――先輩?」
玄関前の砂利を敷いた前庭には男の死体があるだけで、大宮巡査部長も少女もいなかった。
そのかわりに血だまりがパトカーのヘッドライトが投げる光のなかで赤く広がっている。
そして、その血だまりから藪のほうへと赤く引きずられた跡が残っている。
藪からは強烈な獣のにおい。
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佐原巡査が最期に見たのは空にかかる美しい、牙のように輝く満月だった。




