犯した過ち
薬草の花を胸に大切に抱えていても、今のウルスラには早く歩く事は叶わない。
それでも一生懸命フラフラと歩き、なんとか王城を出る事ができた。
襲ってくる魔物に騎士団は四苦八苦していた。
それもそうだ。こんな事は想定外の事であり、魔物がこの世に存在する等、どこのおとぎ話だと笑っていた程だったのだ。
ウルスラはこの状況を前にも見た事を思い出していた。その時、いつも自分は泣いていた。だからこうなった。これは自分の犯した罪なのだ。
だから何とかしないと。でもどうすれば……
魔物は人々を襲い、魔物同士でも争い合う。けれどウルスラの事は襲わない。ウルスラを避けるようにして他の目についた者を襲っていく。
前にも見たけれど、やっぱりそれは恐ろしくって、自分がしてしまった事なんだろうけど、足がすくんで上手く前に進む事ができなくなってくる。
ふと花を見ると、いつもボンヤリと光っている花は段々と消えていくように光を無くしてしまっていた。それにはウルスラは焦った。この花のお陰で歩けているのに、こんな所で倒れている場合じゃない。
「どうしたの? 久しぶりのお外で驚いたの? それとも魔物が怖いの?」
まるで幼子に話しかけるように、ウルスラは花を気遣うように言う。
花は更にグッタリと首を落とすように萎んでいく。
明らかに力を無くしていそうな花に、ウルスラは優しく歌を歌った。そうすると花はいつも力を取り戻すように光ってくれるからだ。
夜の帳が静かに下りてく
星瞬き 銀の光が
降り注ぎゆく それは優しく
あなたを包む 愛しい人よ
静寂の中 小さな虫の音
微かに響く 子守唄のよに
森の梟 揺れる葉の音が
あなたを包む 愛しい人よ
その歌声はゆっくりと広がっていく。下を向いていた花は徐々に上を向いて眩しく光りだす。
こんな時に歌なんて歌って、こんな所に武装もしていない少女が花を抱えて何をしているんだと、ウルスラを見た騎士は不思議に思ってその様子を見ていたが、その歌はなんとも心地よく、ずっと聴いていたくなるような、心が洗われるようなそんな感じがして、こんな時なのに手を止めて見入ってしまった程だった。
しかもその不思議な歌は、魔物の姿を元の人の姿に戻していったのだ。
今まで襲いかかっていた魔物が急にその動きを止め、憑き物が落ちたように少しずつ体が変化して人へと戻っていく。
それには対峙していた騎士達も何事かと驚いた。
そして元に戻った人達は、なぜ自分がここにいるのか、何を今までしていたのかを全く覚えていなかったのだ。
何が起こってそうなったのか。魔物になった事にも疑問は感じたが、魔物が元に戻った事にも疑問が残った。
何か変わった事が起こったというのであれば、それは花を抱えた少女が歌を歌ったという事だった。
ウルスラも魔物が人へと戻った様子を見て、自分が歌を歌えば良いのではないかと気がついた。
それから王都の方へ歩きながら、ウルスラは歌を歌った。その歌を聴いた者達は魔物であれ人であれ、誰もがピタリと止まりその歌声に耳を傾ける。
そしてその歌を、皆も口にしていったのだ。
歌声は人から人へ伝染するように広がっていく。
ウルスラを中心として、歌は波紋のように広がっていき、一人、また一人と、その歌を口ずさんでいく。やがてそれは大きな歌声へとなっていき、王都中へと響いていった。
歌は、魔物の対応に追われていたルーファスの元にも届いてきた。
その歌を聴いてルーファスは驚きを隠せなかった。
それは幼い頃、ルーファスがウルスラに教えた歌。ルーファスの母親が作った、ルーファスとヴァイスの為に作られた歌だった。この国の言葉ではなく、遠い国の言葉の歌だった。
それがなぜこんなふうに、皆が口ずさむのか。
「ウルスラ……?」
辺りを見渡し、ウルスラの存在を探す。この歌はウルスラだけに自分が教えた歌なのに、何故皆が知っているのか。この状況に戸惑いつつ、ルーファスはウルスラの姿を探しだす。
気づけばいつしか魔物の姿はなくなっていた。人々は呆然と立ち尽くし、幸せそうな顔をして歌を歌っている。
この歌を聴くと、心が暖かくなる。優しい気持ちになる。荒れていた心も、さっきまでフューリズを憎む気持ちに占領されていたのが嘘のように晴れて、ただずっとこの歌を聴いていたくなる。
ルーファスはそんな思いを胸に、その場に佇んで目を閉じて歌を聴いていた。
気づくといつしか歌はやんでいた。
どれくらいそうしていたのか、それは自分にも分からなかった。気づけば辺りは静寂に包まれていて、皆が同じように呆然と立ち尽くした状態だった。
幸せな気持ちが胸にあって、その余韻にずっと浸っていたいと、誰もが思っていたのだ。
けれどルーファスは辺りを見てハッと気づく。
暴動はなくなった。皆が冷静になっていて、さっきまでの争いはなんだったのかと思う程に状況は一変していた。
しかし、見渡す限りの死体の数。怪我人も多く、倒れて動けない者も多かった。
とにかく怪我人を助けないと。ルーファスが動き出すと、それに気づいたナギラスとリシャルトも動き出す。
騎士達も、怪我や火傷を免れた人達も、さっきとは打って変わって救助に徹していく。
ルーファスは、ここで負傷した人達を助けたい、助かればいいのにと思った。
そう思った瞬間、身体中が淡い緑の光に包まれて、それが球状となり空に高く上がったと思ったら、弾け飛ぶようにして小さくなった光は分散されて広がって舞い落ちていったのだ。
その光の粒に触れた人にあった傷は跡形もなく消えていく。
そうして人々から傷や火傷を無くしていく事が出来たのだ。
その様子を遠目で見ていたウルスラは、そっとその場を離れていった。
涙を流してしまったせいで、また人を魔物へと変えてしまった。それは意図的では無かったとしても、多くの人々に恐ろしい記憶を残してしまった。
そればかりか、亡くなった人達も大勢いる。
それがウルスラには耐えられない事だった。
自分がここにいては、また知らずに涙を流すかも知れない。さっきは無意識に泣いていた。それがこんな事になってしまった。
ここにいてはいけない……
こんなに多く人がいる場所に自分がいてはいけない……
遠くにいるルーファスの姿を見て、後退るようにして離れていく。
これ以上迷惑はかけられない。傍にいちゃいけない。
「ルー……ごめん、ね……ずっと傍にいるって言ったのに……約束、破っちゃう……」
王都は落ち着いたとは言えまだ後処理が多く残っていて、騎士や兵士、住人ややって来た街や村の人達も、この現状に困惑しながら救助し、救護され、そして亡くなった人達を一ヶ所へ運ぶ等の作業に追われていた。
そんな混沌の中、花を胸に抱えてウルスラは王都を後にした。
愛しい人がいるこの場所は、自分のいる場所ではなかった。
「恩は返せたかな? 私、ルーの役に立てたかなぁ? もうあげられるもの、何も無くなっちゃったの……力も……赤ちゃんも……私にはもう……何も……無く……」
花に向かって言ってる途中で、思わず涙がまた零れそうになった。
すぐに上を向いて、潤んだ瞳から涙が出てこないようにする。
ルーファスに贈った花を手離す事が出来なくて、
「贈った物を返して貰うとか、それはダメだよね?」
って独り言のように話し掛けて、しっかり胸に抱きしめたまま、ウルスラは森へと一人消えていった。
ウルスラの事など知る由もなく、ルーファスは救護作業に追われ、落ち着いたところで報告をしに国王の元へと急ぐ。
それにはナギラスとリシャルトも共に行くこととなった。
ルーファスはどうしても確認しなければならない事があったのだ。
王都を襲うように仕向けたのはフューリズだった。
それならば、今まで一緒に部屋で暮らしていたのは一体誰だったのか。
様々な可能性と思考を巡らせるが、それよりもフェルディナンに問い質す方が確実なのは明白だった。
そうしてルーファスは知ることとなる。
自分が犯してしまった過ちを……




