自分の責任
辺りが真っ白の中、一人そこでウルスラは佇んでいた。
ここは何処なのだろうと見渡していくと、真っ白だった周りは段々と色づきはじめ、そうして形を成していく。
そこは森の中で、目の前には幼い頃に住んでいた小屋があった。
またここに戻って来れた事が嬉しかったウルスラだけど、そう言えばさっきまで自分は何をしていたのかと不意に気になり、思いを巡らせた。
そして気づいた。ルーファスとの子を宿し、だけどそれが危うくなってしまって気を失ってしまった事を。
辺りをキョロキョロ見て、なぜ自分がここにいるのか、あれからどうなったのかを考えながらも困惑しているしていると、何処からともなく風に乗ってフワリと飛ぶようにやって来たモノが目についた。
それは鮮やかな緑の髪をした精霊だった。
その美しい精霊はにこやかに微笑み、ウルスラの前に着地すると話しかけてきた。
「やっと会えたわ」
「あ、の……貴女は……」
「久しぶりね。ウルスラ。私は森の精霊ドリュアス。ここは貴女が以前暮らしていた場所。それは分かるでしょ?」
「うん……」
「ここはね、精霊の世界と人間の世界の狭間にある空間とでも言うのかしら。幼い貴女が紛れ込んだ……いえ、呼び込まれた場所なのよ?」
「呼び込まれた……?」
「えぇ。私たち精霊は、その魂に惹かれるのです。貴女のその美しく輝く魂に、皆が引き込まれてしまうのですよ。だからこの狭間に呼び寄せたの」
「じゃあ……ルーは? ルーも呼び込まれたの?」
「そうね。彼もまた、魂の輝きが美しい子だったわ。貴女ほどじゃなかったけれど。それでね、ディナが彼にイタズラをしたのよ」
「イタズラ? ディナ?」
「ディナはね、空間を司る精霊なの。この狭間に空間を繋げて、彼を誘い込んだのよ。それで貴女を呼び込めた事にもなるのだけれど。まぁ、退屈しのぎってところかしら?」
「そんな気ままに……」
「ディナはそうなの。夢にも影響されていたでしょう? あれはディナの伴侶の夢を司る精霊の仕業なの。二人は貴方達を面白がって……でもね、それは貴方達が好きだからそうしたのよ? 二人共、貴方達の幸せを願っていたのだから」
「そうだったの……」
「貴女がここから離れてしまって悲しくなったわ。私達はまだ生まれたばかりの精霊で力も弱いの。だからここから遠くへは行けないのよ」
「じゃあ……どうして私は今、ここにいるの?」
「今貴女は夢を見ているの。貴女の体に宿った命が力を貸してくれてね? 命と引き換えに貴女をここに連れてきてくれたの」
「え……?」
「ウルスラ、落ち着いて聞いてね? 貴女に宿った命は、もう今は貴女の体にはいないの。天へ還ったの」
「嘘……」
「元よりこの世界に生を成すつもりではなかったようなの。奪われてばかりの貴女に力を授けに来たのよ」
「もう、いない……?」
「その力で奪われたものを取り返せるようにって。その為に貴女に宿ったのよ? それは慈愛の女神を慕う神からの贈り物だったの」
「いなく、なった、の?」
「今の貴女を憐れに思われたのよ? ウルスラ」
涙が溢れてとまらなかった。ドリュアスの言葉は耳に入って来なくて、ただ自分から大切な命がいなくなってしまった悲しさだけがウルスラに涙を流させたのだ。
「ウルスラ、泣いてはダメよ? 気をしっかり持ちなさい。ウルスラ?」
そんな声が遠くになっていって、見えていた森の風景が無くなっていく。
さっきまで明るく緑に覆われた場所は見えなくなって、辺りは暗闇に覆われたようになってしまった。
だけどウルスラはそこから一歩も動けない。
ただそれよりも、ウルスラには宿った命がなくなってしまった事が悲しかったのだ。そこから動けずに、ただウルスラは一人で涙を流す事しかできなかった。
「ウルスラ様?!」
さっきとは違う声で呼ばれて、思わず声のした方に顔をやると、オリビアがウルスラの両手をしっかり握って泣いていたのが見えた。
あぁ……ここは王城の部屋のベッドだ……
夢から覚めたのか……だけどあれが夢かどうかも分からない。それでもさっき見た事を思い出すと、知らずに涙が溢れだしていた。
「オリビア……私の……赤ちゃん……」
「申し訳ございませんっ! ウルスラ様っ!」
「……やっぱり、そう、だったの……」
「も、申し訳……ございま、せ……」
消え入るような声で泣くオリビアだが、彼女は何も悪くない。むしろ、ウルスラの身を誰よりも案じてくれていたのだ。
それが分かっているウルスラだったが、まだ自分にはオリビアを気遣う余裕はなかった。
「あのね、私ね……子供が生まれたらね……いっぱい抱っこしてあげたかったの……知ってる? ギュッて抱きしめられるとね? 凄く嬉しくて、暖かい気持ちになれるんだよ?」
「そう、ですね……」
「だからいっぱい抱っこしてあげたかったの……そうしても良かったのかな? あまり抱っこはダメだったのかな? 私、そうして貰った事無かったから分からなくて……」
「そんなことは……ありま、せん……」
「ルーにね、教えて貰ったの……唇を合わせるのってね、好きの証なんだって……オリビアは知ってた?」
「はい……」
「だからね、赤ちゃんにもそうしてあげたかったの……いっぱい愛して……大切にし、て……」
「ウルスラ様……」
「もう……できなく……なっ……」
静かにポロポロと涙を流すウルスラの横で、オリビアは嗚咽を漏らしながら泣いていた。
泣いてはいけないのに、そんな事すら忘れてウルスラは、ただ流れる涙はそのままに天に還った我が子を想うしかできなかった。
その時、執事と結界師が慌ただしく扉をノックしてウルスラ達に報告にきた。
「フューリズ様! 外に魔物が溢れております! これから結界を張りますので、お部屋からは一歩も出ないで下さいっ!」
「まもの……?」
「な、なんですか、それ?!」
「とにかく! ここから一歩も出ないでください! 魔物は王城にも押し寄せてきています!」
それだけ言うと結界師は、長く呪文を唱えて結界を施していく。それからすぐに走って去っていった。
オリビアはすぐに窓から外を見下ろした。そこには何かが王城に詰め寄ろうとしているのが見えて、それを騎士達が必死に抵抗して止めているようだった。
その何かが、高い場所にあるこの部屋からは分かりづらかったが、それが人ではない異形のモノである事は分かったのだ。
オリビアは恐ろしくなって、悲鳴を上げないように口を手で押さえてガタガタと震えた。
一方ウルスラは、こうなってはじめて自分が泣いていた事に気がついたのだ。
「オリビア……ごめん……」
「ウルスラ様、だ、大丈夫です! ここは結界で守られております! 私もた、戦えるんです! 絶対にウルスラ様をお守りしますので安心してくださいっ!」
「オリビア……」
そう言って無理に笑うオリビアの手は震えていた。怖くない筈がない。だけど安心させようと無理をして笑っている。
オリビアの気持ちが有り難かった。嬉しかった。
だけどこれは自分が泣いてしまったから起きた事だと、ウルスラだけは知っていた。
どうにかしないと。ここにいる人達皆に被害が及んでしまう。
フラリと起き上がり、ベッドから出ようとしたところでオリビアに手首を掴まれ止められる。
「どうされましたか?! まだ寝ていないといけません!」
「うん。でもね、これは私のせいなの。私が泣いちゃったからこうなったの」
「なにを仰っているんですか?! とにかく、ベッドに戻ってくださいっ!」
「オリビア……今までありがとう。貴女がいてくれて良かった……」
「ウルスラ様?!」
ウルスラがニッコリ微笑んだ瞬間、オリビアは急な眠気に襲われた。立っていることも出来なくなって、フラフラとしだす。そんなオリビアをベッドに横たわらせると、そのまますぐに眠ってしまった。
ウルスラの僅かに残った力でオリビアを寝かしたのだが、そのせいでフラリと体が揺らいでしまう。まだウルスラ自身の体力も戻ってなくて、多く出血した後だから貧血も手伝って、歩いていても地面が揺れているように感じてしまう。
それでもこの事態をなんとかしなくては。これは自分がしてしまった事なのだから。ウルスラはそう思って張ってあった結界を、まるで無かったかのように部屋を出る。
覚束ない足取りでルーファスの寝室へ行き、窓際に置かれてあった薬草の花を手にした。そうすると、さっきよりもしっかり歩けるようになった。
「力を貸してね。ごめんね、一緒にきてね」
そう言ってコップの鉢植えを胸に抱え、ウルスラは部屋を出た。
王城の中は皆がバタバタ慌ただしく動いていた。そんな中、一人ウルスラは出口に向かって歩いてゆく。
自分のしてしまった事の責任を取るために、この事態を終息させるために。




