あの場所へ
王都は昔のように賑やかで活気のある場所へと戻っていった。
それは蔓延った疫病が祓われていくように、顔を隠した黒髪の少女が現れると、少しずつ皆が元気を取り戻していったのだ。
初めはその少女に反抗し楯突く者も多かった。なぜなら、操られた元凶はその黒髪の少女だと思われていたからだ。
しかしどれだけ野次ろうが駁ろうが、少女は僅かに見える口元を上げるだけで、王都に来るのを止めなかった。
そうして王都は前のように活気に溢れる日常を取り戻していったのだ。
しかしそうなってからは、その黒髪の少女を見掛ける事は無くなっていった。
あれから……
ルーファスがそうと知らずウルスラの部屋へ夜に訪れた日から、一週間に一度はルーファスは夜にウルスラの部屋へ赴くようになっていた。
そうする度に体に力が漲ってきて、その力を奪えたと実感できる事に喜びと罪悪感と、言い様のない幸福感、そして常に付いて回る嫌悪感にルーファスは苛まれ続けていた。
初めてそうなってからも、フューリズは何も抵抗しない。声も出さない。ただ、耐えるように呼吸を乱しているだけで、そしてその身を自分に任せるだけであった。
それにはルーファスは戸惑いつつも、その行為を止めるつもりはなかった。力を奪っていくこともそうだが、少しずつルーファスの心も、フューリズを名乗るウルスラへと引き寄せられていったのだ。
そしてその事にも葛藤があり、ルーファスは夜以外でフューリズに会おうとしなかった。
そんなルーファスのフォローをするように、オリビアはウルスラ付きの侍女よりも、長く多くウルスラに付き添うようになっていた。
「ウルスラ様……髪が……」
ウルスラの髪の手入れをしていたオリビアは、不意にそう口に出してしまった。
ルーファスと夜を共にする度にウルスラの髪色が淡くなっていくからだ。
それは髪だけではなく、瞳の色もそうだった。
「うん、もう黒じゃ無くなっちゃったね。グレーって、おばさんっぽいかな?」
「そんな事はありません! グレーと言うより、青と銀に近い色でございます! 瞳は綺麗な青色でございます!」
「ふふ……そう?」
「その分……ルーファス殿下の髪色は段々濃くなってきておりますね……瞳も黒に近くなってらっしゃいます」
「私、ルーの淡く光る紫の髪、好きだったんだけどな……でも、黒くなってもきっと格好良いよね?」
「はい、勿論でございます! 目もかなり回復されてらっしゃいます! ですからウルスラ様がちゃんとルーファス殿下にお顔を見せれば、きっと分かってくださいます!」
「ルーは夜以外、来てくれないよ。それ以外は会おうともしてくれないし……それに、私のこんな姿見たら、ルーはきっと驚くよ。私の事、フューリズって思ってるし、今さら違いましたなんて言えないよ……」
「ですが、それではウルスラ様が……」
「ルーはきっと、自分でも色んな葛藤があると思うの。フューリズの事嫌いなのに、あんな事しなくちゃいけないの、きっと辛いと思うの」
「ではウルスラ様はどうなります?! フューリズ様と間違ったままに一儀に及ばれて……そうなる度にウルスラ様は悲しそうにしておられます!」
「悲しそう、かな? ダメだね、笑わなくちゃいけないのに……」
「無理に笑わなくてもいいのです! 泣きたい時は泣いてくださればいいのです!」
「泣けないよ。私ね、泣いちゃいけないの。泣いたらね、とんでもない事になっちゃうの」
「え……それは……どうなるのですか……?」
「あ、ううん。何でもない。余計な事言っちゃった。ちょっと疲れてるのかな……」
「ウルスラ様……」
日に日に元気を無くしていくウルスラに、オリビアは不安が過る。
食事の量も少なくなって、ここに来てから少しふっくらしてきたと思っていた体は、また元のように痩せていく。
笑顔も少なくなり、儚げな感じがする。少し動くとすぐに疲れるのか、部屋で休む事が多くなった。
今では一日外に出ずに部屋で本を読む事が殆どた。
黒く美しく光っていた髪は青っぽい銀に変わっていた。それはルーファスに力を奪われた代償だった。
慈愛の女神の力を奪うには、その力を得たいと思う気持ちと、その力を与えたいと思う気持ちが一致しないと力の受け渡しはできない。
その事から、少なくともウルスラはルーファスに力を与えたいと思っていたのだ。
幼い頃の楽しかった記憶にいたのは、いつもルーファスだった。その思い出があったから、これまで頑張ってこられたのだ。
だからルーファスの力になれるのであれば、ルーファスが自分の力を必要としているのであれば、それを渡す事くらいどうって事はなかった。
ウルスラからすれば、突然得たような力だった。それが無くなったとしても何も問題はなかった。
ただ……
一つだけ離してはいけない力があると思っていた。それは浄化の力だ。
王都は殆どの呪いを浄化する事ができた。だけど、まだ少しルーファスの目には黒い霧は残っている。この力だけは譲れない。それ以外であれば、何を差し出しても構わない。
ウルスラはそんな気持ちだった。
けれどそれを取り除こうにも、ルーファスと会えるのは夜だけだった。部屋に入るとすぐに照明を消され暗くさせてから、後ろを向くように言われてしまう。
それは自分を見せたくないのか、対面したくなかったのか……
触れるのは最小限で、ただ力を奪うだけを目的とした行為。
ウルスラはそれを耐えるだけしか出来なくて、ルーファスから呪いを取り除く余裕が無いのだ。
それでもルーファスの目が良くなってきているのは、ウルスラが毎日薬草の花に歌を歌っていたからだ。
花は少しずつ光を強く帯びるようになり、それがルーファスの呪いを浄化させていったのだ。
ウルスラ自身気づいてなかったが、ウルスラの持つ能力は大きかった。
現在ルーファスはウルスラから、身体強化、物理耐性、魔法耐性、状態異常耐性、全属性魔法の能力を奪っている。
それでも、奪われたからといって全く使えない訳ではないが、その力は大きく削がれていた。
ウルスラが日々元気が無くなっていくと同時に、ルーファスは日々体力が漲っていく。
正反対の状態へとなっているのだ。
そんな二人の状態を見て、オリビアは気が気ではなかった。
ウルスラは王都へ行きたいと言い出す事も最近はなく、平和な時間が流れている。
そして自室のソファーで一人、窓から外を見て悲しそうな表情をする事が多くなったように感じていた。何とか元気づけたくて、いつも明るくウルスラに接するように心がけた。
「ウルスラ様、今日はとてもお天気が良いです! お外でアフタヌーンティーでもいかがでしょうか?!」
「外? でも外に出たらルーが怒るよ?」
「それくらい大丈夫ですって! 出るなと言われていても王都に何度も行かれてたじゃないですか!」
「そう、だね」
「ではご用意が出来ましたらお呼びいたしますね!」
ウルスラは力なく笑う。オリビアはわざと大袈裟に笑顔を作って部屋を出て行った。
気を使わせちゃって悪いなぁって、窓の外を見ながらウルスラは独り言つ。
そうは思っても力が出ない。元気が出ないのだ。体力も多く奪われてしまっていて、少し歩くだけでもすぐに疲れてしまう。
それでも求められれば与えてしまう。与えたいと思ってしまう。
少ししてからオリビアに呼ばれて、中庭まで連れ出して貰った。中庭には色とりどりの花が咲き誇っていて、庭の周りには木々も生い茂っていて、心地良い風が吹いていた。
テーブルには数種類のケーキと、サンドイッチも様々な具材を挟んだ物があって、お茶も数種類、ジュースもフルーツも用意されていた。
「こんなに沢山……良いのに……」
「これは全部ウルスラ様のですよ!」
「施しは……ダメなのに……」
「施し……ですか?」
「ううん、何でもない」
「これはですね、ルーファス殿下からのご厚意なんですよ。ウルスラ様が望む物は何でも用意して欲しいって言われてるんです。ですがウルスラ様は何も望まれないので、あの頃よく食べられていた物を用意させて頂きました」
「あの頃?」
「はい。夢でルーファス殿下と会われていた頃の、です。玉子とハムのサンドイッチとイチゴのケーキはお好きでしたよね? お茶はアプリコットティーがお好きでしたよね?」
「うん……うん……ありがとう、オリビア……」
オリビアの優しさに涙が出そうになる。そしてルーファスが自分に気遣うように言ってくれていた事が嬉しくて、胸が苦しくなってくる。
なんとか涙が出ないように我慢して、両手をギュッて握りしめて目をグリグリする。
外で食べるのは美味しくて、少し気持ちが晴れたように感じた。
その中庭とは雰囲気は違うけれど、木々に囲まれた場所で育ったウルスラは懐かしく感じたのだ。
「森に……あの小屋に帰りたい……」
「え……」
「帰りたい……」
「ウルスラ様……」
ハッとして、つい口から出てしまった言葉を飲み込むようにして笑顔を作る。
それはもう叶わない事なんだろうと、ウルスラには分かっていた。
分かっていても、今もなお、あの頃の記憶にすがってしまう。
今もただ、優しかったルーファスとの思い出にすがるしかできなかった。




